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僕らの時代  作者: 西野了
13/21

ここでは、信じられないようなひどいことをする奴がいる

 それは新学期一日目に起こった。

 昼休み、僕は教室でサイトーと雑談していると小藪が慌てて駆け込んできた。

「中島ぁ! サイト―君! 大変だ。早く、早く!」

 真っ青な顔をした小籔は僕とサイト―を手招きして、教室の外に誘導した。小籔は僕らの教室に接している階段を急いで駆け降りた。三階と二階をつなぐ階段の踊り場には、何人かの生徒がどうしてよいかわからないような感じで突っ立っていた。彼らの視線の先にはうつ伏せに倒れている女子生徒がいた。その女子生徒の頭部からは血が流れていて、すでに小さくない血だまりができていた。

「麻衣!」

「麻衣ちゃん!」

 血を流して倒れているのは麻衣だった。僕は彼女に駆け寄って抱きかかえようとすると、「慌てて動かさないほうがいいですよ」という芯のある澄んだ声が聞こえた。石井圭はそう言うと麻衣の耳元に顔を近づけた。

「渡辺さん、私の声、聞こえますか?」

「うううっ、ああっ」麻衣は顔を歪めながら、呻くように答えた。

「渡辺さん、どこか痛みますか?」

「ううっ、みぎっ、みぎ」

「みぎっ、右手ですか? あっ!」

 いつも冷静な石井が息を飲んだ。石井が見た麻衣の右手は、途中から変な角度に折り曲がっていた。

「どいて! どいて!」

 野太い声とともに、太った白衣姿の女性が野次馬をかき分けて現れた。その頃には僕らの周りには大勢の生徒がいて、踊り場は人で溢れかえっていた。

「もぉーどきなさいよ! このバカども!」

 養護教諭の宇野牧子の口調は荒っぽいが、生徒たちはみんな彼女の指示に従っていた。

「麻衣! 大丈夫っ? じゃあーなさそうね」

「先生、渡辺さん右腕が折れているみたいです」

 石井の言葉に宇野先生は二重あごを揺らしながら、素早く頷いた。

「麻衣、気分悪くない? 吐き気はしない?」

「センセ、センセ、痛いよぅ。ウッウッウェーン」

 麻衣は宇野先生が来て安心したのか、泣き出してしまった。

「泣くな! もうすぐ救急車が来るから。安心しろ!」

 宇野先生の言葉通り、救急車のヒステリックなサイレンが聞こえたかと思うと、すぐに救急隊員のドカドカという足音が聞こえた。

「誰か、麻衣に付き添ってあげて!」

 救急隊員に麻衣の症状を伝えた宇野先生は辺りを見回して怒鳴った。僕の周りにはサイト―、小籔、石井、そして汐崎がいたが、なぜかみんな僕をじっと見つめていた。そしていきなりサイト―が僕の右ひじを掴み関節を極めると、僕ははからずも挙手の体勢になってしまった。

「宇野先生、こいつ、渡辺さんの幼馴染だから」

 サイト―の声に素早く反応した養護教諭は「じゃあ君、麻衣に付き添って」と言い切った。

「宇野先生、私も行きます。この子の副担任ですから」

 なぜかそこに副担任の岡本がいた。

「じゃあ岡本先生とそこの君、いっしょに行ってあげて。家のほうは私が連絡しますから」宇野先生がそう言い終わると同時に、麻衣を担架に乗せた救急隊員は「じゃあ、行きますよ」と言って階段を早足で下り始めた。だから僕も慌てて彼らの後を追ったのだった。

 

 麻衣のケガは右腕の骨折、頭部右側の裂傷、それから右ひざの骨にひびがはいっているということだった。不幸中の幸いで脳には異常がないようだ。しかし右ひざをギブスで固定するので、二週間入院が必要だった。そして頭の傷痕は残ってしまう。

 その日の夜、僕がコンビニのバイトを終えると小籔とサイト―が店の駐車場で待っていた。そしてコンビニの灯りの光が届かなくなる薄暗い場所から、スポーツシューズを引きずる音が聞こえた。黒い半ズボンに白いTシャツを身に着けた高橋の髪は短くなっていた。だがその色は相変わらずのショッキングピンクだった。

「よう中島ぁ、渡辺のブスが階段から突き落とされたってぇ」

 青白い高橋の顔に歪んだ微笑みがあった。それは薄い唇の右端を無理やり吊り上げているようで、彼の細い眼は人を刺すような暗い光があった。

「まだ突き落とされたってわかったわけじゃないけど」

 僕はそう答えながら横目で小籔を睨んだ。小籔は僕の視線に気づき右手を顔の前に持ち上げ、手刀を切るような仕草をして謝った。

「はあー? いくら渡辺のブスがドンくさくっても、あんなケガはしねーだろ!」

 高橋の三白眼は瞬きもせず僕を見つめていた。確かに奴は小籔が言ったように麻衣のことになるとやたら粘着質になる。

 僕は高橋の空洞のような目を見ていると、夕方まで いた病室の様子が脳裏によみがえってきた。ギブスに固定され白い包帯にまかれた麻衣はベッドに横たわって天井を見ていた。副担任の岡本は麻衣の母に連絡をとるために病室の外にいた。

「フー」

 僕は無意識のうちに長く息を吐いていたようだった。

「何だよ、中島ぁ、ハッキリしろよぉ?」

 高橋の顔は僕の顔にくっつきそうになるくらい近づいていた。眼球の白い部分には赤い毛細血管が浮き上がっている。

「高橋は麻衣ちゃんが野球部の誰かに突き落とされたと思っているのかな」

 サイト―は高橋の右肩を軽やかに叩きながら、そう言った。高橋は振り向くと、ばつの悪そうな表情を浮かべ「そうだよ」と妙に素直に答えた。

「でも、いくらなんでも野球部がそこまでするかなあ?」

 小籔が口をはさんだ。

「ケッ! あいつらは平気で人殺しをするカスどもだぁ」

「それは、溺れ死んだ田村さんのことを言っているのかな?」

 高橋は上目使いでサイト―を睨み、ペッと唾をアスファルトの地面に吐いた。

「そうだよ」

「そして今回の事件は野球部を告発した麻衣ちゃんに対する報復だということかな?」

「そうだよ! 中島ぁ、テメエ、渡辺の病室にいただろ。何か言えよ!」

 まだ夏の粘りつく熱が残っている夜の闇に中、高橋が放射している激しい怒りを僕は物理的に感じていた。それは小籔も同様だったが、サイト―だけは涼しい顔でその圧力をかわしていた。



「アタシ、死んだ」

 暑苦しい西陽が差し込む病室のベッドに横たわった麻衣は力なく言った。

 僕はその言葉の意味も分からず、とりあえず西陽を遮るために、窓にかかってある灰色に変色したブラインドを下ろした。

「アリガト」

 麻衣の素直なお礼を聞いて僕は何だか嫌な気分になった。つい先ほどの言葉といい今のお礼といい、まったく麻衣らしくなかった。いつもの彼女ならケガの痛みをギャーギャーと僕に訴えるはずだ。

「麻衣、痛むか?」 僕は自分の考えがまとまらないときは、いつもありきたりのことしか言えない。

「うん」

 麻衣は興味なさそうに答えた。目は相変わらず天井をぼんやりと見ている。僕は左腕に巻きついている腕時計を見た。デジタル時計の数字は午後五時を超えた数値を示している。

(麻衣の親は何をしているのだろう?)僕はそんなことを考えていえると「コーイチ」という声が聞こえた。

「ん、どうした?」

 そのとき麻衣は初めて僕の目を見て言った。

「アタシ、虫けらだ」

「はぁ、何言ってんだよ?」

 彼女の声は僕が聞き逃すくらい小さかった。だがその声は僕の胸に突き刺さった。

「アタシなんか死んだって、あの人たちは平気だ」

「エッ!」

 僕の口の中に錆を舐めたような感触があった。それは僕にとって最も思い出したくない感覚だった。理不尽な暴力が放つザラザラした独特の匂いだ。

「あの人たちって誰だよ!」

 麻衣は僕の言葉に反応せず再び天井を見つめていた。

「お前、突き落とした奴を知っているのか?」

 僕は息苦しさを覚えながら叫んでしまった。だけど麻衣はうつろな目で天井をぼんやりと眺めている。

 廊下に通じるドアの方からドタドタと足音が聞こえてきた。そして白いドアが慌ただしく横に滑ると、麻衣の母が姿を現した。彼女は高校の始業式用に紺のサマースーツをいつものようにすっきりと着こなしている。

「麻衣、大丈夫?」

 麻衣は一瞬母の方を横目で見たが、すぐに視線を逸らした。そして何かの痛みに耐えるかのように、顔を少し歪めた。



 相変わらず高橋は僕をじっと見ていた。

 僕は病室で麻衣が言ったことは黙っていることにした。高橋にそんなことを言ったら何をするかわからない。たとえば野球部の部室を放火するとか、僕らの高校の校舎の窓ガラスを全部叩き割るとか・・・・・・。

(ここでは、信じられないようなひどいことをする奴がいる)

 遠くで汐崎の声が聞こえたような気がした。

(ひどいこと? ねえ汐崎、僕らの周りでまともなことってあるのかい?)

 僕は突然、本当に突然、汐崎に会いたくなった。彼女の低い声が聴きたかった。不機嫌そうな灰色の瞳を見たかった。そしてぎくしゃくした不器用な雰囲気に包まれたかった。だけどそんなことはできるわけもなく、僕は数える程しか星が見えない曖昧な夜空を見上げるだけだった。

「高橋、いい加減に勘弁してやれよ」

 サイト―は大きく背伸びをしながら欠伸をした。

「ケッ、中島、てめえも変な奴だなあ」

 高橋は意味もなく右手で小籔の胸をドンと押した。

「何すんだよ、高橋君」

 不意をつかれた小籔は後ろ向きに転倒しそうになったがニヤニヤ笑っていた。

「ところで高橋は謹慎中、何やっているの?」

 サイト―は世間話をするように訊いた。

「ハン!」

 高橋は両手をポケットに突っ込み、スポーツシューズの底でアスファルトをなぞりながらサイト―をチラチラと見た。

「家でおとなしく勉強している・・・・・・わけないか」

 サイト―の言葉に小籔が笑いかけたが、高橋にギロッと睨まれ慌てて口をつぐんだ。

「クソ親父がこき使いやがる」

 高橋が苦々しく吐き捨てた。

「そういえば高橋君のお父さんは長距離トラックに乗っているよね」

 小籔は高橋、サイト―、僕を順番に素早く見ながら、恐る恐るそう言った。小籔はテストの点数は悪いくせに、自分の興味のあることの情報は驚くほど豊富だ。

「なるほど、親孝行をしながら勤労にいそしんでいるわけだな」

 高橋はサイト―をギロッと一瞬睨み「ウッセー!」とまたもや吐き捨てた。

「オレはガッコみたいなトコはどーでもいいんだ。だけどあのクソ親父が、よっ!」

「怖いもの知らずの高橋にも、ちゃんと苦手なものがあったのか?」

「ケッ、サイト―よう。テメエにはわかんねえだろうが、オレらみてえなバカは地面に這いつくばって生きるしかねえんだよ」

「ん?」

 サイト―は少しだけ首を傾げた。

「オレらはクソ親父みてえに、こき使われてダラダラ生き延びるしかねえんだよ」

「・・・・・・」

「世間ってえ奴が夢とか希望とかバカの一つ覚えみてえに、ほざいてるけどよ。オレらには関係ねえんだよ! 中島ぁ! 小籔! わかるよな!」

 僕も小籔も高橋の叫びを否定することはできなかった。

「サイト―、てめえはオレらと住むところが違うんだよ」

 高橋にしては珍しく感情を抑えた話し方だった。

「住む場所かぁ」

 サイト―は店の入口近くに置いてある木製ベンチにゆっくりと腰を下ろした。

「高橋」

「アン?」

「俺は住む場所がない」

「テメエ、何言ってんだよ?」

 反駁した高橋がギョッとした。彼の目の前に座っているサイト―は眉間に皺を寄せ、何かを必死で探っているような暗い瞳があった。

「俺には這いつくばるべき地面がない」

 僕はこんなサイト―を見たことはなかった。おそらく小籔も高橋もそうだと思う。僕たちはしばらく何も言わず黙り込んだ。

 ドンという打撃音がした。高橋が木製ベンチを軽く蹴り上げた。

「サイト―、てめえもわけ分かんねえなあ」

 高橋はニヤつきながら呆れていた。

「そうか」

 サイト―はいつものように爽やかな笑顔を見せた。

 僕と小籔はようやく変な緊張から解放された。僕らはそれぞれ好きな飲み物をコンビニから買ってきた。小籔とサイト―はベンチに座ってカフェ・ラテとウーロン茶を飲んだ。僕はベンチの肘掛けに腰を下ろし微糖の缶コーヒーを飲み、高橋は立ったままコーラを飲んだ。



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