2.現状把握
2015年8月23日初投稿。
前回のあらすじ。
何度も繰り返し転生をしている伊織。
今生の名前は『シェルヴェスタ』。
どこのアクション俳優ですか、と独りごちても名前は変わってくれないものだ。
3日で死んでしまった母親の為に、頑張って生きてみると志す。
作者の気まぐれ更新。
執筆ペースはそこまで高くない亀更新です。すみません。
まずは、現状把握から。
現在の伊織の状況を把握しよう。
今生の名前は、シェルヴェスタ=クロディア。
生後4ヶ月ながら、この世界では生まれ年を1歳とする風習がある為、彼は現在1歳である。
赤ん坊らしい、ふくふくとした身体に、紅葉のような手。
典型的な赤ん坊の体型で、今日もベッドから自力で起き上がろうとして失敗を重ねている。
周りからは、大変活発と思われている微笑ましい赤ん坊であった。
身辺の世話に回っているメイドや執事、更には護衛である近衛にも、微笑ましく思われているようで、母親殺しのレッテルは今のところそこまで強くないと伺わせている。
伊織も、これには少しほっとしていた。
さて。
続いて、先述した通り、現状把握をしよう。
そんな伊織、もといシェルの今生の父親は、名をアンバー=クロディア。
公爵家の当主にして、王国の『武』を一手に担っているらしい騎士としての側面を持つ貴族らしい。
最初の懸念であった、高い地位の貴族であってくれという伊織の願いは、しっかりと成就されていたようである。
高過ぎる気もしなくはない。
クロディア家の領地は、東部の地方で若干王国寄りの立地。
森が多いが、海にも面している比較的に嬉しい立地だった。
それを、アンバー=クロディアは、現在数え年30歳にして収めているやり手らしい。
だが、実質的な領地経営に関してはド素人も良いところらしく、これは残念ながら彼がまだ当主になってから10年も経っていない事が要因として挙げられる。
今後を乞うご期待というところだ。
そして、今生の母親。
彼女は、既に他界してしまったが、名前をセラフィア=クロディアと言った。
旧姓はエンリコット。
エンリコット家は既に没落はしたが、一応母親も由緒正しい貴族の一人娘だったらしい。
クロディア家の縁談を纏めた後に、ほとんど火の車だったエンリコット家の領地をそっくりそのままクロディア家に引き継いで没落したとのこと。
まぁ、盛者必衰の理は、この世界にも有効だったということで、ご愁傷様としか言えない。
更に、ご愁傷様と言うべきは、彼女がとんでもなく体が弱かった事だろう。
伊織の魂を擁した赤ん坊を身篭ってからの体調は更に悪化の一途を辿り、起き上がることも出来なくなっていた彼女。
それでも子どもを産む事を、頑として譲らなかったらしい。
アンバーが何度も説得したが、彼女は全てを黙殺した。
「私達の子どもです。せめて、私の生きた証として、あなたに残して逝きたいの」
なんとも、素晴らしい女性だった。
その話をメイド達から寝物語のように聞かなければ知り得なかったが、伊織ですら始めて母親という存在に尊敬の念を抱いた。
死んででも、生きた証を形として残そうとして、彼女は彼を産んだ。
苦痛を感じただろうに、さすがは母親だ。
伊織も色んな世界を転生し旅して来たが、やはりどの世界でも母は強かったと認識している。
彼女が死んだ当初、産まれても良かったのかとネガティブな思考のスパイラルに閉じこもっていた彼も、彼女のそその言葉を聞いたおかげで立ち直る事は出来た。
まぁ、彼の父親が未だに彼女の死を引き摺っているように見える為、もしかしたら今後どうなるかは分からない。
もしかすれば、捨てられる可能性も出てきたのだが、出来れば自力で歩行出来るまでは勘弁してもらいたいと伊織は思っている。
彼にとっては、名前を貰えただけでも御の字だ。
以前の世界での転生では名前も無いまま捨てられて、そのまま死んだこともある。
まだ、今生の転生は比較的平和、だと思えるのはその所為だろう。
そして、父親と母親以外にも、彼には家族がいた。
兄が2人いるらしい。
未だに会ったことが無いのは、おそらく赤ん坊を扱わせるには、問題があるお年頃だということ。
一応、伊織がメイドたちから一方的に聞いた話では一番上の兄は、現在4歳。
二番目は、3歳らしい。
確かに赤ん坊からして見れば、怪獣とそう変わらないお年頃だ。
なんでも一番上の子は庶子とのこと。
曰く正妻が出来る前に、街の上役か何かから押し付けられたお荷物がその長男の母親だったとか。
だが、正妻である彼の母親が亡くなってからは、そのまま長男の母親が正妻に納まるんじゃないかと何かと勘繰られて噂となっているようだ。
メイドさんや家政婦は、いつの世もどうやらお話好きらしい。
でなければそんな話は、生後数日の赤ん坊に聞かせる話ではない。
話は逸れたが。
二番目も残念ながら養子。
こちらは、元奴隷らしいがあまり表に出てくることが無いらしく詳しい事が分からないとのこと。
ただ、獣人族とかいう種族で、伊織にとってはファンタジーな世界の生き物だった。
地味に会うのを楽しみにしているは内緒である。
以前の世界では、獣人は亜人という呼ばれ方をしていたりした。
こっちの世界でもそういった迫害意識や差別が存在するようだが、あまり口出しは出来ないな、とぼんやりと体裁を考える。
今の彼は、前世や何やらで旅をしていた冒険者ではない。
仮にも貴族の嫡子であり、生まれたばかりの赤ん坊なのだ。
そして、今の伊織を取り巻く環境は、これが全てではない。
ーーーーー
クロディア家の領地は先ほども述べたとおり大陸の東部にあり、中央に居を構える王国の近くに位置している。
幸運な事に港を持った領地である。
だが、残念ながら伊織達の暮らす屋敷の窓からは海が見えない。
港があるなら、とちょっとだけ期待していた伊織は、そのまましょんぼりとベッドのなかでいじけて見せる。
「あらあら、若様。何をそんなに、しょんぼりされてるんです?」
「あー…ぶー…(港町って期待を裏切られたからだよ。詐欺だ詐欺)」
窓際に位置したベビーベッドの上でしょんぼりとしながら、座っている彼を抱き抱えるメイド。
そのメイドの後ろに控えた、メイド見習いの13~15歳ぐらいの少女が、すかさず彼の遊び道具である、木の積み木を準備し始める。
現在の伊織、もといシェルヴェスタ(略してシェル)の状況は、赤ん坊だ。
中身がたとえ、300歳を越えているかもしれない如月 伊織の精神があることを考慮しても、体は赤ん坊だ。
骨もまだ形成されきっていない上に、病原菌に弱い赤ん坊の身体。
昨日も俺は熱を出して、ぼんやりしていた時間の方が多かった。
しかも、だ。
シェルの母親は既に他界してしまった。
母親の母乳を飲ませてもらっていない為、シェルは一際病原菌に弱い。
母乳には、子どもを細菌から守ろうとする免疫も含まれている。
それを摂取させて貰えなければ、赤ん坊は極端に病原菌に侵されやすくなってしまう。
ちなみに、生後6ヶ月ほどでその免疫も役に立たなくなってしまうので、国で奨励されている予防接種などが必要になるのだが、この世界の生活基準には無理な話だ。
何度かシェルを検診に来た医者ですら、家庭の医学に毛が生えた程度としか思えない。
だというのに、この世界では最高峰の技術を学んできた高名なお医者様ですよ、なんて事を説明されても、現代日本や先進国の進んだ医療を知識として知っているシェルからして見れば鼻で笑うしかない。
鼻で笑ったところで、赤ん坊。
おかげで、誰にも気付かれることなく終了したが。
「今日は、お熱はないですか?」
「あー…ぶ…(特にないよ)」
積み木を準備していたメイド見習いの少女、ユーリ。
利発そうな顔には、既に美人の片鱗が見え隠れしている。
伊織にとっては馴染み深い黒髪をポニーテールにした彼女は、いまだ13~15歳ぐらい。
しかし、歳の割りには発育が良いので、赤ん坊のシェルはおっぱいに乗る形になってしまう。
男なら誰しも憧れるかもしれないが、残念ながら精神的に達観しているシェルからしてみれば、恥ずかしさの方が勝る。
更に、辱めは続く。
そんな彼女に抱き抱えられて、これからは恐怖の時間。
おしめを変えられるのだ。
先に述べておくと、この時代。
赤ん坊のおしめは紙おむつではない。
それなりに良い布は使われているが、布おむつなのだ。
おしめの交換をどんなに嫌がったところで、お尻がむず痒くなるし、かぶれてしまえば痛みもある。
黒歴史が更に増えているとしかシェルには思えないが、羞恥に泣くのも何かが違うので、無心になることを心がけていた。
「若様は、泣かれませんね。兄上様がたは、もっと泣いて知らせてくださったのですけど…」
「そうなのですね。…さぁ、若様、今日もいっぱいおししをしてくれましたか?」
おしし、というのはお○っこのこと。
こんな少女に言わせてしまうのはシェルとしても心苦しいが、赤ん坊なのだから仕方ない。
精神的にダメージが大きいので、早く赤ん坊としての生活を脱したいものだ、とシェルは無心に、この恐怖の時間の終わりを待った。
ーーーー
クロディア家の領地は、東の海に面した港を保有してはいるが、漁業はしていない。
広大な宝庫でもある海は目の前に広がってはいるものの、残念ながら海域に出没する大型の魔物のせいで安全な漁が出来ないという問題も抱えているのである。
魔物という概念は、以前伊織が経験した世界にもあった。
この世界にも共通する問題だったようだ。
シェルが何度目かの転生をしたこの世界。
ファンタジー要素も多かったのか、魔物という名前のモンスターが生息しているのである。
その代わり、野生動物はほとんどが絶命一歩手前。
以前のシェルの転生世界でも何度か経験しているが、一番厄介な類の問題である。
魔物は、世界的には各地に分布しているものの、このクロディア家が面した東の海には、大型の魔物がウヨウヨと生息しているらしい。
更にそのレベルも草原地帯や森の中に現れる魔物達と比較にならない、とのこと。
その為、泣く泣く目の前の宝庫を諦め、クロディア家の領地は食品の輸入をメインとしている。
海に面している為、稲作が出来ない。
塩害で作物が育たないという土地は、シェルも以前の世界でもよく見ている。
現代日本で暮らしていた時は、地震に津波、火山の噴火と年中を通して気候に振り回される生活をしていた。
おかげで、それも仕方ないと割り切れるのだが、それもシェルだけの認識だろう。
除塩技術がほとんど無いようなので、シェルの知識を持ってしても作物の栽培は諦めるべき。
頑張れば、塩害への対策の一つも浮かぶだろうが、未だに赤ん坊のシェルが思い付いたところで意味は無い。
そうなると、やはり食料不足が深刻となりそうだが、そこはそれ。
意外と、シェルの父親は外交手腕は高かったらしい。
王国からの信頼も絶大で、一重に王国の『牙』と異名を取るお家柄の所為か、輸入貿易等でなんとか領地の食料品不足を補っているようだ。
その代わりに輸出しているのが、この世界でも比較的価値も高く安定して供給出来る銀。
なんとも運が良いことに、クロディア家の領地は銀山が発見され、その独占輸出権を保有している領地だった。
その為、領地では、発掘された銀をまとめて輸出し、大陸全土に流通させている。
おかげで、クロディア家の将来も、銀山が枯渇するかもしくはライバルの銀山が現れない限りは安泰なのだ。
銀の加工技術は王国領土内ではトップクラスとも言われている。
その、銀は現在、シェルが暮らしている屋敷でも、良く眼にすることが出来る。
父親であるアンバーは、威厳の為にと銀細工を身に付ける。
シェルを含む子供達にも、銀細工を産まれた歳に用意している。
銀は一重に価値の高いもので、家格そのものを表していると意っても過言ではない。
長兄は銀細工の施された腕輪、次兄は生まれた歳が分からないまでも、拾って来た時に長兄と同じ腕輪を選んだ。
今では2人とも、それを肌身離さず持ち歩いているらしい。
銀細工は、加工された後の装飾品としても出回っているが、最も使用頻度が高いのは貨幣だ。
金貨や銀貨、というのはファンタジー世界では当たり前の認識ではないだろうかと、シェルも考えている。
何度か転生していた異世界でも度々登場しているので、この世界での金貨や銀価値さえ分かれば、教えられなくても理解できる。
その銀貨や、その他貨幣の精製方法は、いたってシンプルな方法。
溶かして専用の型に流し込み、固めて成形するだけ。
しかもその技術は王国が取り仕切っているので、どこの時代でもあるような悪銭や偽造貨幣などが出来ないらしい。
なんでも、王国に召抱えられた高名な魔法使いなども、その成形技術に関わっているらしい。
文字通り真似できない技術という訳だ。
そして、シェルこと伊織に与えられた銀細工、と言えば。
「あー…ぶぅ…(責任重大だな…)」
「……若様は嬉しくないのでしょうか?」
「まぁ、旦那様も思い切ったものを贈られたものですな…」
銀細工のあしらわれた、宝剣が鎮座していた。
この世界での貴族の家は、子どもが生まれると生後3ケ月ほどで継承権がの有無を証明する、宣誓という儀式をすることになる。
以前の転生では、貴族家に子どもながらに雇われていた経験からしてみても、そこまで風習は変わらないだろう。
教会であったり、聖堂であったり、はたまた国王の前での宣誓だったりと、形は様々らしい。
シェルの場合は母親が亡くなったこともあり、一ヶ月ほど喪に服していた為、その宣誓が一ヶ月遅れた。
ちなみに、その宣誓の時に贈られる意匠によっては、その継承権の価値が大きく変わる。
例を挙げるとするならば、腕輪は継承権が中程度。
指輪は小、首飾りも中、髪飾りも中、男女問わずの冠は大などと、各貴族によっては資産の問題で変わるものの、大抵はこんな感じ。
しかし、俺の目の前にあるのは、銀細工の施された剣だ。
これは、貴族家には当て嵌まらない継承権の引き継ぎになるだろう。
実際、シェルが知っている貴族家では贈られた事の無いそれだったが、実はこれが騎士である『武』を司るクロディア家では、一番継承権が高くなるというとんでもない落とし穴が待っていた。
十分納得できるものの、責任重大な事には変わりない。
「剣はクロディア家にとって、王冠にも等しい価値を有しています。若様の継承権が一番高い、と公言したと同義でしょうな」
これを運んできた、クロディア家のミスター執事のドミニクが苦笑していた。
彼は本気でミスター執事だ。
今まで執事や給仕の仕事も習得して来たシェルからしても、執事の仕事でこの男に勝てるとは思えない。
シェルの渋顔(赤ん坊なので、そこまで不細工ではないと思うが)を見て、そんなミスター執事が苦笑しているならば仕方の無い事だ。
これで、シェルは、この家を継ぐ以外の選択肢が無くなってしまう。
先ほど述べたとおり、この銀細工を受け取るためには宣誓をしなければならない。
これは、結婚式や戴冠式などにする誓いと一緒で、履行されれば破棄することは出来ない絶対の約束事となっている。
そんなシェルは、この継承権の宣誓の為に、おめかしをさせられた。
今では布に埋もれているとしか言い様のない状況になっている。
生まれが秋だった為、今は冬だからまだ良いが、夏場であれば暑さと布の量で圧迫されて死んでいたかもしれない。
「では、若様。参りましょう」
「あー…ぶぅ?(逃げちゃ、ダメ?)」
「…さぁ、旦那様も首を長くして待っております」
可愛らしく、小首を傾げて見せるも、さすがはミスター執事。
見た目に騙されることなく、表情の読めないポーカーフェイスのままだ。
ただし、少しだけ彼の父親、アンバーの名前を出した時に少し眉根を寄せたのは気のせいだろうか。
シェルも出来れば、勘違いだと一蹴したかった。
だが、しかし。
生憎とシェルの悪い予感というのは、今まで一度たりとも外れたことが無い。
長年の研鑽のうちに研ぎ澄まされた一種の予知である。
彼のその予知は、遠からず当たることとなった。
それも、最悪の形として。
次話に続く。
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誤字脱字乱文等失礼致します。