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見えない者のお話

紅霞桜

作者: 柊小夏

 少女は逃げていた。

 木々の間を縫うように駆け抜ける。林の中には荒い息遣いと草木を踏む音が響く。

  少女の体はズタボロだった。矢柄の着物は所々破け、白い肌を覗かせた。頬には赤い血が滲んでいる。

 少女を追いかけているのは少女と同い年くらいの少年。息ひとつ乱れず少女の後を走っている。鬼ごっこをしているかのようにとても楽しげだ。一定の距離を保ちながら少女の後を追う。

「……っ!」

 少女の手から青白い手のひらサイズの球が放たれた。鋭い一撃だったが少年はいとも簡単に避ける。放たれた球は木に当たり、半径1mをクレーターにした。鳥たちが悲鳴をあげるかのように飛び立つ。

 少年は挑発的に笑い少女との距離を詰め、自身の爪を振りかざす。刃物のように鋭い爪だ。

 爪が少女に当たる寸前で少年の視界が桜の花びらで遮られる。少年は花びらを蹴散らす。視界が開けた時にはもう、少女はいなかった。重力に従い、花びらが静かに地に落ちた。


 少年は鋭く尖った爪を見つめる。爪の先には赤い液体と少女の着物の切れ端がついていた。拳を握ると肉が食い込み、血が滲んで静かに落ちる。少年はそれをただジッと、見つめていた。

  先程までと表情は一変し、酷く寂しげだった。

  少年のうなじには蛇のようなウロコが所々についている。光の当たり具合により赤、青、緑など変幻自在に色を変えた。

 足元に落ちた花びらを拾い上げる。爪に当たったのか今にも千切れてしまいそうだ。ふわりとした風が少年の髪を揺らす。花びらは風にさらわれ姿を消した。


 荒い息を整えながら鳥居にもたれかかる。少女は傷が痛むのか顔を歪めていた。

  えんじ色の袴を少し破り、自身の腕に巻き止血する。

 少女の周りには時季外れの桜が舞っている。少女を励ますように踊っていた。力なく微笑み少女はソッと花びらを撫でる。

 目を伏せると頰に影が落ちる。少女は口を固く結び、拳を握り締める。

 少女の肩は微かに震えていた。

「もう……」

 少女はゆっくりと目を開ける。先程逃げてきた場所を見つめ、何か小さく呟く。

 水のように風が流れ桜の花びらが少女を包む。ひゅう、と風が唸る。音が止んだ時には少女の姿は何処にも見当たらなかった。





 赤とんぼが気持ち良さそうに広い青空を飛ぶ。ブランコに揺られながら相沢はぼんやりと眺めていた。自由に空を飛ぶとんぼに手を伸ばすもとんぼは見向きもせずに遥か彼方に飛んでいく。

 相沢は名残惜しそうにとんぼを見つめるも諦めたのか地面に視線を移した。

 軽く地面を蹴ると風を割いて宙を彷徨う。彼女の長くて艶のある髪を揺らした。

 キィ、キィと金属の擦れる音が寂れた公園に響く。その音はどこか無機質に感じられた。

 公園には相沢以外、人の姿は見当たらない。かつては色鮮やかであったであろう遊具もすっかりペンキが剥げ、無残な姿だ。手入れがされていないのは一目瞭然だった。

「よ、待った?」

 小走りでキツネのような目をした伊藤が公園に入ってきた。相沢は伊藤をチラリと見て、また静かにブランコを漕ぎだす。金属の擦れる音と土を踏みしめる音が不協和音を奏でる。相沢はほんの少し眉を寄せ、ブランコから降りた。

 無人になったブランコは静かに小さく揺れ、ゆっくりと動きを止めた。

「どうだった?」

 相沢は光沢のある髪を耳にかけながら伊藤に言葉を投げかけた。

 彼女の耳には控え目に一つだけピアスがあった。鈍く光る赤い石。ルビーともガーネットとも違うようだ。不思議な石は太陽の光を受け彼女の耳を際立たせる。

「んー。何とも言えねえけどヤバイかもね」

 あっけらかんとして言い、傷だらけの折りたたみ式携帯を操作する。伊藤の指にも相沢と同じような石を埋め込んだリングがはめられていた。彼の石は緑色。この石も鈍く光っていた。

 ん、と言い相沢に画面を見せる。そこに写っていたのは大きな赤い鳥居が特徴的な神社。その鳥居には『紅霞桜神社(こうかざくらじんじゃ)』と彫り込んであった。紅葉の季節という事もあり、神社を囲う木々は燃えるように赤かった。

「……ココ」

 相沢は画面の左下、若干見切れてる場所を指差す。そこだけ何かに抉られたようなクレーターがあった。相沢は伊藤から携帯を奪い、そこの部分を拡大する。

 しかし、画質が荒い為全くわからない。

「はやくスマホに変えなさいよ」

 少し責め立てるように言い携帯を返す。

「携帯持ってない奴に言われたくないしー」

 伊藤は挑発するように鼻で笑いジーンズのポケットに携帯をしまった。相沢はバツ悪そうに口を尖らせ顔を背ける。

「さて。どうしましょ」

 軽く咳払いをして相沢は話を逸らす。これ以上、携帯の事で話すつもりはないらしい。伊藤は肩をすくめて頭の後ろで腕を組む。

「あのお姫様はそろそろ限界っしょ」

 伊藤の声色が変わる。鋭い目を更に細め、相沢を見据えた。相沢の言葉を待っているようだ。

「あっちのヤンチャ坊主はまだまだ遊び足りなさそうだけど」

 伊藤はそう付け加え横目で相沢を見る。中々口を開かない彼女に少しだけ苛立っているように見えた。トントントントンと指で16ビートを刻む。

「……とりあえず、ベニカザクラ神社に行こ」

 相沢は伊藤の刻むリズムが耳障りだと言わんばかりに耳を塞いだ。

「コウカザクラ。読み方間違ってるぞー」

 伊藤は呆れた顔で相沢を見てスッと、目を細めた。先程のような鋭さはなく、柔らかく、温かみを感じる。

「うるさい、知ってる」

 相沢は早口で言い放ち足早に歩き出した。歩きながら「コウカ、コウカ」と呪文のように繰り返す。間違った事がよほど恥ずかしかったのだろう。伊藤はそんな彼女を見て喉の奥をクックッと鳴らし口元を押さえる。

「笑うな、伊藤のくせに!」

 怒気を孕んだ声色に伊藤はとうとう堪えきれずにゲラゲラと笑い出す。涙目になりながら伊藤は顔の前で手を合わせて謝罪の姿勢を見せる。ふん、と鼻を鳴らし相沢は伊藤に背を向け歩き出す。その後をクスクス笑いながら伊藤はついていった。




 紅霞桜神社の前に立ち尽くす二人。紅葉で赤く染まっているはずの木々は何故か枯れ木になっている。今にも倒れそうな木がびっしりと植えてあった。

「……本当に危ないよ」

 ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか相沢の瞳孔が開かれる。そしてゆっくりと、確かな足取りで鳥居の前に立つ。神社の名前が彫られた部分をそっと撫でる。

 刹那、桜が辺りに舞った。相沢と伊藤を囲いヒラヒラと宙を踊る。

「……何者だ」

 鈴を転がしたかのようなよく透き通る声。少し弱々しく感じられたが芯の強さを感じさせた。

 二人は金縛りにあったかのように動けない。瞬きすら出来なかった。必至に動かそうとすればするほど、アリ地獄に吸い込まれるアリのように体が強張る。

 花びらの中から出てきたのは息を呑むほどの美少女だった。明治時代に来ていたような袴姿の少女はカラン、カランと下駄を鳴らしながら二人に近づく。歩くたびに香る、可憐な桜の香り。緩く結われた栗色の髪には花びらが数枚付いていた。

「お前さんら、ただの人間じゃないな?」

 少女は訝しげに二人を見る。カラン、カランと音を立てて相沢に近づく。舐め回すように見た後右手を上げる。

 すると、二人の金縛りはフッと解けた。不意に体が自由になり相沢たちは地面に膝をつけた。

「……咲耶(さくや)姫、ですよね?」

 相沢は目の前に立つ少女を見つめる。伊藤はヨロヨロと立ち上がり相沢の近くへと歩み寄る。相沢が咲耶と呼んだ少女を警戒しているのだ。彼はさり気なくジーンズのポケットに手を入れる。ポケットの中に忍ばせている武器を握り締めた。

 いざとなったら俺が盾になってでも守る。

 そんな思いで咲耶を睨んだ。

「……そんなに警戒しないでくれ。私にはお前さんらと戦う力はもう、ない」

 少女は眉を下げ小さく微笑む。憂いを帯びたその表情はどこか艶やかで見惚れてしまうほどだった。その姿が舞っている桜と相まって酷く美しかった。

 伊藤と相沢は目を合わせる。相沢が小さく頷くと伊藤は渋々といった感じでポケットから手を出した。その様子を見て咲耶はホッと一息つく。

「私に用事があるのであろう?」

 少女の問いに二人は静かに頷く。その表情はどことなく硬く、緊張しているように見えた。伊藤が先程言っていた『お姫様』とは咲耶の事なのだろう。

 伊藤が口を開こうとすると咲耶は背を向ける。二人はどういう事なのかと戸惑った。

「茶くらい出す」

 頰を緩め鳥居を潜り咲耶は歩き出す。伊藤は咲耶の後ろを辿るように歩き出した。

「……?」

 バッと後ろを振り向く。相沢は辺りを見渡すが誰もいない。見られているような、そんな気がした。少し離れた所で伊藤が呼んでいる。最後にもう一度見渡すがやはり何もいない。

 自分の思い過ごしなのだろうか……?

 相沢はそんな考えを振り払うように伊藤たちのもとまで走った。




 咲耶に連れてこられた場所は境内の中だった。外見はお世辞にも立派と言えるものではなかった。しかし境内の中は趣のある茶室のようだ。伊藤は歓声をあげながら興味深く見渡す。相沢はそんな彼の頭を軽く小突いた。

 部屋の真ん中に花びらが集まり2つの座布団を作る。咲耶はそこに座るよう二人を促す。

 花びらの座布団は思っていたよりも柔らかい。ほのかに桜が香り二人は自然と頰が緩む。

「それで、何の用だ?」

 咲耶は二人に湯呑みを渡しながら問う。湯呑みの中には丁度良い暖かさの緑茶が入っていた。伊藤は緑茶を飲みながら相沢を見る。咲耶も自然と相沢を見ていた。

「……ヤマタノオロチの事です」

 相沢が冷静に、淡白に伝える。咲耶は目を見開いた。驚きに満ちた目で少女は相沢を見すえる。動揺を隠せていない咲耶に伊藤が控え目に口を開いた。

「このままだと俺らの生活も危ういんだよ。……です」

 伊藤の片言な敬語に咲耶は顔色ひとつ変えずに目を伏せた。俯いていて、表情を読み取ることは出来ない。

「……昔話を聞いてくれるか?」

 咲耶は寂しげに笑う。その笑顔はとても辛そうだった。



 時はずっと前にさかのぼる。行き交う人々は和装していた時代だ。

 私は生まれた時からこの神社にいた。そして、ハチもいたんだ。ハチはお前さんらが言うヤマタノオロチの事だ。ハチは昔から気性が荒くてな……。参拝する人たちを脅かしては楽しんでいたよ。

 私はそんなハチが許せなくて、何度も叱り付けていた。口を酸っぱくしてもハチは全く聞かなくてね。あいつも何度も言われてムカついたのか殴り合いのケンカになって。

 力尽きて寝ちゃったりして、いつも引き分けで終わってたんだ。人間の言葉を使うならケンカ友達、とでも良いのだろうか。

 そんな日が何年、何百年と続いた。ハチは年月を重ねるごとに力を増していった。逆に私は力を失うばかり。もうハチと対等にケンカできなくなった。



 咲耶はゆっくりと、なるべく感情を込めないように相沢たちに聞かせた。その表情は暗く、重苦しい空気が漂った。

「多分ですけど、咲耶姫はもう……」

 相沢は目を逸らしながら話すが途中で口をつぐむ。伊藤もいたたまれなくなったのか咲耶から視線を外す。

「自分の事だ。私が一番わかっている」

 凛とした芯の強い声。小さな少女は白魚のような指を見つめる。透き通るような肌には小さな引っかき傷が沢山あった。指だけではない。頰や鎖骨の辺り。袖から覗く細い腕にも傷がある。林の中を走っているときに枝などで引っ掻いてしまったのだろう。

「その、ハチさん? どこにいるんですか」

 今まで黙っていた伊藤が口を開く。少しイラついているのか指で小刻みにリズムを刻んでいた。

 咲耶は左下の方に視線をずらし考え込む。伊藤にとってはその考えてる時間でさえ煩わしかった。伊藤はチラリと相沢を見る。

 彼女が殺るくらいなら俺が殺る。

 そんな考えが伊藤を支配する。今すぐにでも飛び出したい気持ちを必死に押さえつけた。ここで飛び出してもどうしようもないのは目に見えている。

「伊藤、頭冷やしてきたら?」

 相沢の声にハッとする。伊藤は小さく頷き、俯く。湯呑みに入っている緑茶を一気に飲み干し境内から出て行く。

 境内には静寂が訪れた。相沢はゆっくりと口を開く。

「もしかしたら気付いてるかもしれませんが」

 咲耶は相沢の言葉を遮るように声を発する。

「陰陽師、そこら辺の類いではないか?」

 咲耶の問いに相沢は小さく頷いた。そして、慎重に言葉を選びながら話し出す。

「ご察しの通りです。そして、私たちはこの事態をなんとかするために来ました」

 相沢はスカートのポケットの中から一枚の紙を取り出す。長方形の紙にはミミズが踊っているような字が綴られている。

「咲耶姫の命は残り少ない。ヤマタノオロチは咲耶姫がいるから人間には手を出していません」

 咲耶はゆっくりと立ち上がる。

「……ハチはまた、人間を脅かす。そう言いたいんだな?」

 的確な答えに相沢は返答に詰まった。その様子を見て咲耶は自嘲の笑みをこぼした。

 全ては私のせいだ。

 少女は自分の不甲斐なさが悔しくて唇を噛みしめる。




 伊藤はぶらぶらと林の中を歩いていた。木はすっかり枯れ、今にも朽ちてしまいそうだ。陰気臭いこの場所には長居したくない。そんな事を考え写真に写っていたクレーターの場所を目指した。

「人の匂いだ」

 伊藤は歩みを止める。声変わり途中の独特な声は後ろから聞こえた。振り返らなくてもわかる。ヤマタノオロチ、ハチだ。

「そりゃあ、人ですし? もっとも、普通の人ではないけど」

 伊藤はポケットから長方形の紙を取り出しハチに向かって勢い良く投げた。しかし、簡単に避けられてしまう。標的に当たらなかった紙は伊藤の元に戻ってくる。

「なるほど。陰陽師かぁ」

 ハチは伊藤をまっすぐ見据える。その姿には隙は見当たらない。

 緊迫した空気が辺りを包む。動けば殺られる。一触即発の空気だ。伊藤の額から汗が一筋流れる。頬を伝い、地面に落ちた。

「そこまでだ」

 ブワッと桜吹雪の中、伊藤とハチを見据える咲耶と相沢がいた。髪はキッチリと結われ咲耶のの細く美しいうなじを露わにする。

「さ、くや」

 ハチは咲耶を見て息を呑む。掠れた声で少女の名を呼ぶ。咲耶は柔らかく、温かみのある笑みをこぼし少年に近寄る。

「ハチ……」

 一歩、また一歩と。ゆっくり少年に歩み寄る。少年はそれを拒むでもなくただただ、見ていた。

「やっと本気出して戦ってくれんのか?」

 目を子犬のように輝かせ咲耶に問う。ハチの声色はどこか諦めたような、わかっているのではないかと思わせる。咲耶は何も答えず曖昧に微笑んだ。ハチは全てを悟ったのか顔を伏せ、低い声で咲耶に問いた。

「じゃあ、もう。無理なの?」

 泣きそうな少年の声。必死に堪えるも熱いものが込み上げてくる。伊藤が肩に手を置くとハチはその手を振り払った。明らかなる拒絶だ。少年の目の鋭さに伊藤は思わずひるむ。

「んでだよ。何でだよ!!」

 その場の空気が一変する。少年からは溢れんばかりの力がとめどなく出た。

 うなじにあったウロコが段々と広がっていく。腕、足。そして、顔の半分をウロコで覆われた。鋭かった爪は更に鋭く尖る。軽く触れただけで切れてしまいそうだ。

 唸りを上げながら咲耶に近づく。相沢は咲耶の前に立ちはだかろうとするが止められた。相沢はそれでも食い下がろうとするが咲耶の術により動けなくなる。伊藤も止めようとするが同じように動けなくなった。

「……ゴメンね」

 咲耶は誰に謝ったのかわからない。何に対してなのかも。しかし、胸が締め付けられるような表情に相沢は目を伏せる。

 助けたいのに。なんで、なんで。

 やり場のない気持ちが体の中を駆け巡る。歯をくいしばる。目の前にいるこの二人を助けられないなんて。

「……ハチ、終わりにしよ」

 少女の周りに花びらが幾万も集まる。花びらは落ちる事なく宙に漂っている。

 ハチは何も答えずに軽く身構えた。咲耶をまっすぐと見据えるその目にはどこか迷いが感じられた。


 瞬間、花吹雪が舞った。風が吹いているわけでもないのにヒラヒラと舞い、地に落ちる。

 フッと、相沢たちの体に自由が戻った。相沢は下を向き静かに涙を流す。


「ばかヤロー……」

 倒れた咲耶を抱きかかえるハチ。伊藤は相沢を立ち上がらせその場から離れた。二人の頰には涙が伝っていた。

 少年は嗚咽をあげ泣いた。子供のように泣きじゃくった。少女の頬に塩辛い水滴がポツポツと落ちる。そのまま自然に地面に落ち、土に染み込む。

 徐々に冷えていく少女の体。その熱を逃がすまいときつく、きつく抱きしめる。

「いくなよ、いかないでくれよ」

 少年の悲痛な叫びは少女には届かない。虚しく林の中に響き、消えていく。質の良い着物を握り締めるも少年の爪で穴が開く。その穴を今にも泣きそうな顔で見た。

 キラキラと少女の体が輝く。足先が徐々に崩れ、桜の花びらへとなっていく。

「好きなんだっ! そばに、いておくれよ」

 少年がいくら叫んでもゆっくりと花びらに変わる。その全てが美しく、汚れがなかった。

 自分の気持ちに気付いた少年は嗚咽を交えながらもしょうに伝えた。

 好きだ、大好きだ。一緒にいたい。話したい。

 声の限り叫んでも、どんなに伝えてももう遅い。それがわかっているから少年は尚更悔しいんだ。

 少女の手を握り締める。ほのかに暖かい。しかし、その手でさえも花びらに変わり。

 少女は桜の花びらになった。風に舞い、演舞のようにひらり、ひらりと風に流される。

 少年の手元には一枚の花びら。少年は逃がすまいと、キツく、キツく握りしめた。手を開くとあっという間に風にさらわれる。

「……さよなら」

 少年は涙を拭い、一人歩き出した。宛はない。だけど、ここにいるのは少年には辛すぎだ。少女との、咲耶との思い出が詰まったこの場所で居続けるのは無理だ。だから、ただ宛てもなく歩き続けた。






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[良い点] 「咲耶を真っすぐと見据えるその目にはどこか迷いが感じられた。」 「少女は自分の不甲斐なさが悔しくて唇を噛みしめる。」 など、表現がとてもきれいでした。いい雰囲気と臨場感が出ていたと思います…
[一言] お話を見させていただきました。とてもきれいな文で読みやすかったです。 個人的にとてもハチと咲耶の過去が気になったりこの後ハチはどうなるのかなと考えるお話でした。
[一言] 掲示板から参りました。 わあ、たくさん短編があるどうれにしようかな、と悩んだ結果、妖怪大好きなのでこの作品を拝読させて頂きました。 ハチと咲耶の関係がとても素敵で、この二人のお話をもっと読…
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