里佳子の秘密と百合奈の名前
「ありがとうございましたー!!」
時刻はすでに6時30分。辺りの空を真っ赤に染めていた夕日は完全に落ち、
暗闇と静寂が空を支配していた。
トラックには眩しい白いライトが落とされてその光の下で運動部の部員たちは練習を続けていた。
もうすぐ、ほとんどの運動部が大会を迎えることがあって筋肉をつめているのである。
陸上部、女子ハンドボール部、野球部、サッカー部等の大手の部活ばかりだ。
「それじゃあ、大会すぐだから家帰ってもストレッチを忘れないように!」
「はいっ!」
そんな、カリカリした雰囲気の運動部の中でいち早く解散したのが里佳子の陸上部である。
陸上部の練習メニューは日々厳しさを増しており、
大会でぶっ倒れるんじゃないか?と言う噂まである程の厳しさだ。
1時間の内に校舎ランニング10周、トラック10周、障害物ランニング5周をやりこなす。
「今日も疲れたね~」
「帰ったらシャワーすぐ浴びるよ」
誠は誰もいなくなった図書室で須藤と前沢に数学を教え続けていた。
誠が、ポケットからケータイを取り出して時間を確かめる。
「もう時間だし、今日はここまでで良いか?」
「あっ、うん。十分だよ久瀬君。だよな?前沢」
「うん、凄い分かりやすかったぁ。藤枝よか何倍も」
そう言うと前沢はくすりと苦笑いをした。それにつられて須藤も誠も苦笑。
誠は、少しだけ歪んだ表情でカバンを机の上に載せてノートを片付け始める。
すると、前沢がぼそりと呟いた。
「でも、意外だよね。久瀬君本当はこんなにいい人なんだァ」
誠はちょっとだけ動作を止める。前沢に指摘されたからだ。
自分が今日の放課後にした行動を思い返してみる。
放課後、須藤に呼び止められてソレがきっかけで誠はさっきまで須藤と前沢に勉強を教えていた。
その行動を思い出した瞬間、誠は今日の昼休みに百合奈が言った単語を小さく言った。
「“社交的”か・・・」
「えっ?なに??」
「いやっ、なんでもない。じゃあ、また今度な」
誠は、図書室の扉を開けて勢いよく図書室を出て行った。
「・・・」「・・・」
残された須藤・前沢組も片づけを始めた。
前沢の方は、誠が小さく呟いた言葉を自慢の地獄耳で逃すことは無かった。
「“社交的”」
「えっ?なにが??」
前沢が“社交的”と誰にでも聞き取れる声で発すると須藤が食いつく。
すると、食いついた須藤の姿を見て前沢は声を張り上げて爆笑。大爆笑。
「ハァ・・・、お腹痛~いッ!」
前沢の目からは涙すら映える。別に悲しいから泣いているのではない。笑い泣きと言うやつだ。
須藤の頭上には、“?????”がただただ浮いていた。
「康博ちゃんさ~、ちょっとはそのニブチンぶり治した方がいいよ??」
「だから!なんなんだよ!?」
「あっはははは!いっ・・・息・・・、無理ィィ」
里佳子は、部室で素早く制服に着替えをすると自分のロッカーの下に置いてある紙袋を手にとって
他の部員たちに挨拶を済ませると早足でその場を去っていった。
校門に向かうため校舎の真正面に差し掛かる。里佳子は1人重たい紙袋を手に持って悩んでいた。
「ハァ・・・、“コレ”どうしようかなァ・・・」
校舎に背を向けて校門に方向転換しようとした時後ろから声が掛けられた。
「沢じゃん?」
里佳子は声の主の方に振り返る。声を掛けて来たのは今朝駅で出会い教室で挨拶をした―、
「久瀬君???」
「おおう」
声の主は里佳子のクラスメートの誠であった。里佳子は咄嗟に紙袋を背中に隠す。
「どっ?どうしたの??久瀬君。キミ何か部活入ってたっけ?」
「いやっ、須藤に勉強教えてって言われてな」
「ソッ・・・、そうなんだ・・・」
里佳子は背中で隠している紙袋をちらりと見る。その不審な行動に、誠は疑問を覚える。
単刀直入に聞く事にした。
「なぁ、沢」
「はっ!ハイィ??」
里佳子の声が裏返る。裏返るとなると余計に怪しくなる。
「何か隠してるのか?」
「ふぇ!!??べべ別に!???」
「・・・・・」
‐ヤバい・・・。こりゃ久瀬君にバレて・・・。
里佳子はギュッと紙袋の持ち手の紙を握り締めて目をつぶった。
すると、誠は、
「・・・、まぁ別にいいか・・・」と問い詰めるような質問を取り下げた。
「えっ????」
「話したくないなら、別に良いよ」
「エッ???エッ???」
「また、明日な」
そう言い残して誠は校門を出て行き塚口駅に続く街灯が照らす道を歩いて行った。
里佳子はポツンと寒空の下その場に取り残された。
紙袋が自分の背中にあることを忘れて―。
土曜日になった。
誠は進路調査表の提出が遅れていた為、担任の藤枝に呼び出しが掛かっていた。
気だるい誠はわざと制服をゆっくり着替え終わった後の事を考えて厚手の私服をカバンに詰め込んだ。
昨夜まで付いていた暖房は予約が切れていて部屋は少しばかり肌寒かった。
「ふぁーーー」と大あくびをかいて階段を降りて玄関に向かう。
ちらりと誰もいないリビングを覗き込んだ、テレビが付けっぱなしになっていた。
どうやら昨日は、テレビを消すのを忘れてそのまま自分の部屋に、こもったらしい。
玄関方向に向いていた体をリビングに向けてテレビの電源ボタンに手を伸ばした。
「今日の、星座占い1位は―」
1位を聞く間もなく誠はブチッとテレビの電源ボタンを押してライトが赤色になったのを確認して
再び玄関に向かって歩き始め座り込んで靴を履き始めた。すると、上の方から声が聞こえてきた。
「お兄ちゃーん?」
靴を履き始めていた誠は腰だけをネジって“お兄ちゃーん”と言った声の主と会話をする。
「遊里か、どうしたんだよ?“お兄ちゃん”なんてよ。気持ち悪いぞ」
「えへへ、たまにゃ“お兄ちゃん”攻めで落とそうと思ってねぇ。どう?効果あった??」
「毒的な意味で効果絶大だったよ?」
「誠は相変わらずきついなぁ・・・。ちょっとがっくり」
と、誠の妹の遊里は頭を垂れてしょぼんとした体勢を取り始めた。誠は無視。
遊里はそのまま固まって誠が話しかけるのをずっと待ち続けていた。
すると、誠の口から出てきたのは予想通り、冷たい言葉だった。
「お前、受験生だろ?いい加減時間の無駄止めろよな?」
「あぁっ!誠ったら可愛いかわいい遊里ちゃんを傷つけるんだぁ!」
「傷つけているんじゃないよ、警告だよ。遊里」
「?????」
誠は両方の靴を履くと立ち上がって鍵を開けてドアを開けた。
パジャマ姿の遊里にはどぎつい寒さだった。誠は遊里の悲鳴もかえりみず外へ出かけた。
「誠ったら、“いってきます”ぐらい言えっつうの」
学校に行くための電車より何倍も後の電車を彼は選んで乗り込んだ。
いままで寒い風が吹くホームから一気に環境の良い暖房の効いた車内になりちょっと鳥肌が立つ。
鳥肌がおさまった所でロングシートに座って電車が塚口駅に連れて行ってくれるのを待つ。
最初にも言ったが誠の家と学校の距離はとても遠い。
誠がそんな遠い場所の学校を選んだ理由は1つだけだった。
頭が悪いからじゃない。好きで行ったわけでもない。友達がいるから選んだわけでもない。
親と一緒にいるのが嫌だったからだ。
『塚口、塚口です』
両開きの自動ドアが開いて、彼は電車から降りてホームに立つ。階段に向かって歩き始めて
今日もまた駅から始まるいつもペースを開始した。
定期券を改札口に通して駅から脱出して学校目指して歩き始めた。
親と一緒にいるのが嫌。
誠にとって両親が一番の天敵だった。
昔から勉強勉強言われ続けて悪い点を取ったら罵倒されて無理矢理入らされた塾を辞めたいと言ったら
『最後までやれ』と言われる始末。
一方、妹の遊里は両親の事が大好きで塾で習ったピアノも中々の腕前だった。
頭の方は、残念ながら誠ほどではなかったがそれでも明るい性格は誰にも負けていなかった。
「・・・」
先日、百合奈に言われた言葉を思い出す。
“社交的になろうよ”。
俺は、遊里と全然違う。遊里と違って友達が誰もいない。遊里と違って性格がひねくれている。
遊里と違って両親の事が大嫌いだ。遊里と違って・・・、遊里と違って・・・。
誠は劣等感を感じていた。実の自分の妹に対してだ。
「俺・・・」
ぼーっと考えているうちに学校の校門に着いていた。校門を通り過ぎて言葉の続きを発した。
「ヤキモチ・・・、妬いてんのかな・・・。遊里に・・・百合奈に・・・」
無意識のうちに、誠は強制的に呼ぶように言われた“百合奈”と下の名前で呼んでいた。