それぞれのジレンマ
誠は、ベッドに横になり、今日藤枝から貰った大学の資料を自室の机の上にぶちまけていた。
散らかった資料たちは封筒の封だけが空いており肝心の中身は手付かずであった。
‐私の名前は里佳子だよ。
誠は考え事をしていて眠ることが出来なかった。里佳子のあの軟らかい表情や言動。
そして、意外で大胆な行動。
「呼べる訳・・・無いだろうが・・・」
枕に顔を埋めて布団を被って暗い羽根布団の中は自分の体温で生暖かかった。
次第に、蒸し暑さと呼吸困難に耐えられなくなって顔を枕から突き出して新鮮な空気を吸う。
それ位、誠の脳みそは混乱していた。
高校に進学してきてから、クラス分けをした時から、教室で出会った時から、
ちょっと意識していた同級生の女子の沢 里佳子。
おしとやかで、騒音メーカーで鬱陶しい百合奈の友人。
百合奈の存在もあったが全く声など掛ける勇気なんか誠にはなかった。
“奥手”と言う言葉がピッタリだ。口げんかが得意な誠はこう言う分野において全くダメな人間だ。
1年生のときから、教室でちょっと肩がぶつかるとそれだけで高揚感に見舞われたりする事もあった。
でも、これでは“奥手”よりさらに酷い“ヘタレ野郎”と言う者になる。
1年生の半ば里佳子の肩が誠の二の腕とぶつかったことがあった。
「あっ、久瀬君」
「・・・・・」
自分より背の高い誠を見上げて誠の苗字に君をつけて彼女は謝った。
「ゴメン・・・ね?」
「・・・、別に良いよ」
『なにやってんだ、俺は・・・』
再び布団にうずくまって、自分の甲斐性の無さにただ呆れる。
誠の恥ずかしさとその念に襲われて誠の顔は真っ赤かになっていた。誠自身はそれに気付かない。
「誠ー」
ノックもせず誠の城に妹の遊里が侵入してきた。誠はそっと遊里に顔を向ける。
無断でドアを開けた遊里はミノムシみたいな格好の兄の姿を見てはーっとため息をついて首を横に振る。
「兄ながら見事にだらしないなァ」
「うるさいなァ・・・」
「電気も点けてない―、いやっ机の電気は点いてるか」
青白くて冷たい光を発している机の蛍光灯だけが誠の部屋を灯していた。
ドア脇の電気のスイッチを付けて年頃の妹はズカズカと兄の部屋に入り机の蛍光灯を消した。
そして、誠の被っている重たい布団を取り払って誠を起こそうとする。
「今日は、可愛い可愛い遊里ちゃんが作った晩御飯だぞー?」
「ん~、いいって、起きるから」
「今日は、遊里ちゃん自慢の肉じゃがだぞー?家庭的な料理だぞー??」
「あっーもう、うるさい!」
自分の部屋から引きずり出されるような形で晩御飯を食べることになった。
一方、受験生の妹はどこかご機嫌な様子で嬉しそうに食器棚から皿を取り出して
肉じゃがやお茶碗にご飯、お椀に味噌汁を盛り付けはじめる。
「偉く、嬉しそうだな?遊里」
「うーん?だって今日はさぁお父さんもお母さんも遅いから兄妹水入らずだからねぇ」
「はぁ???」
「もーぅ」
誠の薄いリアクションを見て遊里はまた兄に呆れる声を上げて食卓に皿を載せると誠に近づく。
「誠は女の子の気持ちを勉強した方が良いぞぉ?」
「受験生なのに、のほほんと勉強しているお前だけにゃ言われたくない」
「ふんッ、心は誠より十分成長していると言う自身がありますからー」
「年は十分負けてるけどな」
「もーーーー!」
「ふーん・・・、クラスの女子の気持ちを知りたいとな?誠」
「おう・・・、こう言うの俺苦手で」
遊里の作った肉じゃがに箸を付けながら誠は社交的な妹・遊里に今日の出来事をあらまし説明した。
もちろん、里佳子が万引きの常習犯と言う話は伏せて話した。
自分の目の前で相談にのっている遊里は端をくるくるペン回しの要領でまぶたを閉じて考え事を始める。
そして、パチッと目を大きく開けて誠の目をギョッと見る。誠は少しその大きな目で驚く。
まるで、ロボットの様な遊里の姿を見て誠は黙り込んでしまった。
わざと黙ったわけではない。
言葉が出ないだけ。
「誠さん、それはさぁ乙女心という奴ですね~」
「乙女・・・心??」
誠の思考回路では全く考えたことのない言葉を聞いて首をひねる。すると、遊里はまたため息。
「この~、鈍チン兄貴」
「・・ンッ」
鼻をつんと遊里の指で押さえられて誠の思考回路は余計に狂った。
誠が実の妹の遊里にはにかんでいると遊里は自分の皿を片付け始めて流しに方向転換した。
「勉強し直しだね。さぁて洗い物、洗い物っと」
「おいっ、待てよ!」
「誠、食器片付けてっ」
誠は、里佳子に一瞬だけ顔を向けるたびに視線を逸らしたり用もないのに須藤に話しかけて
自分の平静を保とうとしたがむしろそういう行動がクラスの連中の噂の的になったりする。
‐もしかしてだけど、久瀬君って里佳子の事好きなのかな?
‐でも、確かにそういう素振り最近見せてるよね。
‐今見てみれば、久瀬君って結構かっこいいと思わない?
「でさぁ、どうなの?里佳子??」
「久瀬君の事どう思っているの!?」
「えっ、香奈?絵梨??」
里佳子の席を取り囲むような形で里佳子の友人の香奈と絵梨が誠をどう思っているか質問攻めにした。
興味津々で犬みたいな耳と尻尾を突き立てている友人の変わり果てた姿に里佳子の顔は固い。
「ほらほら~、さっさと吐きなよ」
里佳子はこの時思った。
『いくら友達でもこの時だけは異常に鬱陶しい』と。
里佳子の目から見ると香奈と絵梨の尻尾はフリフリと振っている様に見える。
「エッと・・・、とりあえず問題定義からしていいかな?」
「もちろんいいよ、どうせ言ってくれるし」
香奈、絵梨の目の前で里佳子は牛乳パック付属のストローの先端をブッ刺して、
チューッと中身の牛乳を飲み始める。
半透明のストローは牛乳の色で白くなり里佳子は牛乳を飲み干すとプハッとため息をついて一言。
「でっ、何の話だっけ?」
「話を逸らすな!!!」
「里佳子、こういうのは得意なんだから!!!」
「こういうのってどういうのかな???」
須藤と誠は屋上の端っこで肩を並べて食堂の購買のパンを食べていた。
数学の勉強を教えて以来須藤との関係はかなり良好になっていた。
だから、須藤には素直に物事を相談できる。
「なぁ、須藤」
「どうしたよ?久瀬君」
「“恋”ってどういう気分なんだ??」
「ブッーーーーー、なななな!??」
牛乳を噴きこぼした須藤は咳き込んでしばらく言葉を話すことは無かった。
「うわっ、汚ぇー」
「誰のせいだ!誰の!!」