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わすれもの

作者: 松田です
掲載日:2026/08/24

 少しばかり外が湿気って、これから毎日雨が降りそうな空模様がもう一週間ほど続いている。

『言葉は時に…時に…意図せず人を傷つける…』外出したくないわけではない。反省文と自宅謹慎を受けたせいで、僕は文豪のような生活をしている。毎日を四百字詰めの紙に向かい合って、無駄に自分の語彙を切り分けて、もう半分をすぎたあたりから全く関係のない話を始めてしまっていた。毎日数行ずつ埋めるこの作業はもう終わってもいい域まで来ているが、することもないので続けている。


 明日から学校に行ってもよいという現実に対して、少しだけ憤りが走る。この一週間、課題がない訳では無いが、勉強をたくさんしないといけないわけではないし、学校内でも社交的になれない自分もいた。むしろ普段より楽だからだ。現実とは憂鬱だ。

 気分を変えるべく、近所のコンビニに行くくらいならと、外に出た。なんとなくで買ったいつもの炭酸ジュースと、最近発売されたばかりのアイス。やっぱり味は冒険しない方がいいと悟った。気晴らしのために来たのに軽く憂鬱だ。空も同じように感情が今にも溢れそうになっている。早く帰らないと。



 謹慎をしていたのは、先生を殴ったからだ。それも思いっきり。僕はその時、たまたま移動授業の帰りに忘れ物をしてしまった。たまたま教室に戻って、たまたま目の前で嫌そうな顔をした女子生徒の足などに、教師がわざと触れているのを目撃してしまった僕は、どうしても抑えきれないまま殴った。綺麗なジャンピングパンチだったと思う。振り返って写真フォルダに入った教師の驚いた顔を見てはニヤニヤしきれない僕がいる。別に殴る必要はなかったし、言葉で解決できるような話だった。そのうえ写真まで撮る必要もなかった。でもなんか癪に障る先生だったから、ちょうど良かったのかもしれない。その無駄な行動を反省しろという謹慎だ。



 全て予想通りだった。帰るまでの間に大きな雨にぶち当たってしまった。近くの屋根に身を寄せて早十分、走って帰るには少し雨が強すぎる気がして、足を踏み出せない。あの時はあんなに勢いよく飛び出せたのに、空の神様が相手だと勝ち目はない。大人しく待っていればいづれ止むだろうとズルズルと時間はすぎる。

 僕が雨の音に慣れて、カエルにでもなったような気分で腰を落としていたとき、雨宿りに1人の女性が入ってきた。知っている制服だ。僕は少し顔を埋め、ちょっとでも無関係を装っていた。

 にしても、変わった人だ。この屋根までは駅から5分近く歩かないといけない。なぜわざわざ遠い屋根のところまで走ってまでここに来たのだろう。

「お兄さんも雨宿りですか?」やっぱり変な人だった。普通、このタイミングで話しかけれる日本人は絶滅危惧種だと勝手な偏見で思った。

「はい、長らく」別に話を広げるつもりがなかったからか、雑にしかも低いテンションで返してしまった。「やっぱそうですよねー、私このくらいの雨なら、駅から走って問題なく行けるって思ってたんですけど、たまらずでした。」きっと彼女も話しかけてしまった矢先、引くに引けなくなっているように思えた。

「家この近くなんですか?」僕はなんとなく話を繋げる。「いや、実はここじゃなくて今日は友達にプリント届けようと思って…」どうやら僕とは違って、仕方なく自分から休んでいる人も近くにいるみたいだ。ちょっと安心した。

「その人謹慎食らってて、私もまともに話したことないからどう声かけようか迷ったんですよね。星くんもそう思ってたりする?」安心できたのもつかの間、急な切り返しで僕は声も出なかった。慌てて顔を上げた。知ってるけど、ちゃんと知らない顔。あの教師を殴った時、視界の端にいた人だ。

「やっぱりだ。あの時、真顔でスマホ出したと思ったら、急にあいつの写真撮り出すから一瞬で覚えちゃったよ…」笑いながら彼女は話を続けた。「たまたま雨宿りしてたから私も入っちゃった。」おちゃらけた様子でずっと話している。

 いつも同じ空間にいるのでなんとなくどんな人かを理解しているが、名前など細かいことは全く知らなかった。しかし彼女はいつもこんなふうに明るかった気がする。「でもなんでこんな雨の中来たんですか。雨宿りってことは、傘もないし明日でも渡せたのに。」僕は最初の疑問から聞いた。「いや、傘はあるよ。単純に雨宿りしに来た人の真似。」ニヤニヤしながら彼女は話す。よく見ると多少は激しい雨のせいで濡れたあとはあるが、傘がなかった人のようには見えない。「で、これ」プリントが何枚も重なった、なんとも煮え切らない感情の出る提出物の山を、僕の目の前に差し出そうとした。僕が彼女のハイテンポな行動に戸惑っていると「あーそっか、この雨の中これ持って帰れないか。」そういいながら、おもむろにカバンを漁り傘を取り出した。そのまま流れるように傘をさして道路に出る。僕は目の前で起きる、滑らかな行動を目で追う事しかしていなかった。

 「なにしてんの?行くよ」彼女はそう言って、手招きで僕を導いた。目的地も分からないのに素直に傘に入ってしまった。


 僕は彼女が分からない。名前や好きな物、節々に出てくる変わった発想、このペースを持っていかれるような感覚が、少し楽しくも感じる。

彼女のおふざけを挟んだ軽い世間話も、ふたりが相合傘をしている事実を薄く遠く誤魔化して、元々そういう仲だったように軽い足取りだった。しばらく歩いて、気づけば目的地に着いていた。そこは僕が期待していた、僕の家ではなく駅だった。「どういうつもり?」という言葉が漏れ出てしまいそうになったとき、すかさず彼女は、僕にプリントと傘を渡した。

「それまた返してね、じゃっ。」そう言って彼女は颯爽と電車に乗っていってしまう。


「名前、聞くの忘れた…」

ふと上を見る、雲すら見当たらなかった。

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