戦慄の隠し球は1/f回転のゆらぎ
ショパンの「ワルツ第7番」が似合う季節。
プロ野球のペナントレースが終わり、朝の空気に肌寒さを感じ始める頃、各球団が将来有望な新人を獲得するためのイベント『ドラフト会議』が開かれた。
毎年、指名される中には後に球界の宝となるような原石が何人かいて、引退後に通算成績が一番優秀な選手はその年度の『ドラフトキング』と呼ばれるようになる。
だから気の早いファンなどは、誰が今年のドラフトキングになり得るか推理し、未来へ想いを馳せて楽しむ。
無論、複数球団から一位指名される注目選手がドラフトキングとなる場合が殆どだ。
しかし、昭和や平成にはドラフト3位や4位の選手が三冠王やメジャー殿堂入りを果たしてドラフトキングとなることもあった。
そして、全くの無名選手、所謂『隠し玉』が指名されて場を賑わすことも。
ただ、今は2035年。
通信映像機器の発達とAIの発達した現在、選手の現在の能力値と伸び代もかなり正確な予測が立つようになり、そう言った夢のあるケースはうんと減ってしまった。
どこの球団も指名選手は似たりよったりで、少々退屈。ドラフト会議のテレビ視聴率も低迷気味だ。
「まあ、ウチもこれで指名終了かな」
千葉シーガルズの新人スカウトマンである凡田はそう呟く。波乱のないまま7位までの指名が終わり、めぼしい選手は残っておらず、そして他球団も指名を打ち切っている。
しかしーー
『千葉シーガルズ 8位 由良木珠代 投手 私立葉加瀬大学付属高校』
そんなアナウンスが流れ、会場が騒ついた。
ーー誰だ?
ーーウチのリストにはいないぞ!
ーーしかもこの名前……女じゃないか!?
そしてここで全球団の指名が終了。
翌日の新聞には、ドラフト一位の注目選手とともに、『史上初の女性プロ野球選手誕生!』という記事が紙面を飾ることとなった。
***
プロ野球の支配下登録人数には制限がある。
多くの新人を取ると言うことは、それだけ多くの選手がクビになると言うことだ。
万年二軍ながら、二年前まではプロ野球選手だった凡田にとって今回のドラフトは許し難いものだった。
「部長、納得できません!」
あの後すぐに調べてみたら、由良木珠代の最後の夏は一回戦コールド負け。
それを見た凡田の頭に浮かんだ言葉は『客寄せパンダ』だった。
トランスジェンダーや性差別の問題を打破するため、『男と女』ではなく『無差別と、心身共女性のみ』で分けられるようになった2030年スポーツ界。
心身共に女である由良木だが、高校野球は『無差別』枠で経験していて、プロ野球に登録することもできる。そしてショービジネスとして注目される大切さもわかるつもりだ。
だが、明らかに実力が足りない者をプロにするのは業界全体への冒涜にあたる。そして彼女や周囲がバッシングをうけるのはきっと、不幸なことだ。
そうやって憤っていた凡田を遮ったのは、こんな一言だった。
「ねえ凡田君、君は彼女のピッチングを見たことはあるのかい?」
声を発したのは、木庭という老スカウトだった。
会社員であればとうに定年している年なのに、機器の発達に伴い人員削減傾向にあるスカウト部に何故かずっといる男。
昔は敏腕スカウトとして鳴らしていたようだがIT機器には疎いようで、スカウト室で仕事をしているのを見たことはない。
所謂『働かないおじさん』のようで、凡田は木庭が嫌いだった。
「見たことはないです、映像もありませんでしたし。でも一回戦コールド負けですよ。見る価値もないでしょう。」
「うーん、今の君は、スカウトとしてちょっと落第点だなあ。」
「なんですって!?じゃあ、お言葉ですけど木庭さんは今までどんな仕事をしてきたんですか!」
激昂する凡田に、木庭は飄々と答える。
「例えば五年前、大卒の君を本部長が指名しようとした時に止めたよ。『凡田はきっとプロでは大成しないからやめときな』って。大当たりだったでしょ。」
ばっと本部長の方を見ると苦笑いで首肯している。事実だったようだ、二重の意味で腹立たしい。
「じゃあ、由良木は大成するって言うんですか」
「ああ、僕が見つけてきた宝石だ。今年のドラフトキングになる逸材だよ」
あ、女性だからクイーンかなと笑う木庭。
信じられない。
バカも休み休み言えってんだ。
投手とは速い球や回転数の多い球を投げられる方が有利なポジションである。なぜなら、速い球の方がバッターがボールを見極め反応する時間が短くなるし、回転数が多い方が変化球がよく曲がって打ちにくいから。
そう言った球を投げるには筋力が必要で、男性と女性には埋め難い筋力差がある。
「投手に一番大切なのはコントロール、なんて言わないでくださいよ。それは近代プロ投手なら、ある程度のレベルまでは標準装備していますからね。」
「勿論さ。僕が彼女に感じている魅力はね『極端に回転数の少ない球』を投げられることなんだ。ここまでヒントを出せば、流石に君もわかるかな?」
そう言うボールに心あたりはあった。プロ野球までキャリアをつんだ自分でも、打者として対戦したことが殆どない特殊変化球ーー
「ナックルボール、ですか?」
正解だと笑いながら、木庭は半年前の興奮を思い出していた。
◾️◾️◾️
その日、テレビ中継されない夏の高校野球千葉県大会の初戦を木庭は見にきていた。目当ては私立葉加瀬大学付属高校ーーではなく、対戦相手校の強打者。
そのバッターのバットが空を切っていた。
実に見事な『ナックルボール』によって。
カーブやスライダーなど一般的な変化球は回転数が多いほど良いとされ、その上限はない。しかしナックルボールはその逆で、回転数が少ないほど良いと言われている。
ホームベース到達までの回転数が一回転以下なら、それがカンスト値。理論上、それ以上は望めぬ『究極のナックルボール』となる。
「おいおいおい……年甲斐もなくワクワクしちゃうじゃないか」
古のメジャーリーグにはそのボールを操る大投手が何人かいて、いずれも野球伝統入りしている。しかし近代野球に優れた使い手はいない。
なぜか?
それは、押し出しながら指で弾くという投球メカニズムが独特で、マスターすることが極めて難しい球だからだ。
基本的にアマチュア野球のピッチャーというのは『チームで一番優秀な選手』がつとめる。
体格にもセンスにも恵まれ、普通に投げれば速く回転数の多いボールを投げられる選手が、その投球メカニズムを捨てて全く新しくナックルボールに特化した投球フォームを習得するメリットは殆どない。
逆に、失敗して調子を崩すリスクは極めて高い。ゆえに、習得しようとするものはおらず、使い手もいなくなった。
そんわけで、古代の恐竜のようにとうの昔に絶滅したと思われていた変化球。
それが今、復活して猛威を奮っている。
「まあ、9回までもつことはないんだろうが……」
そう、ナックルボールには使用者の握力消耗が激しいと言う欠点もある。
今回の場合も、その例には漏れなかった。
由良木は5回を完璧に抑えたが、握力が尽きた6回に2点を取られ、投手交代した7回にリリーフした投手がさらに5点をとられてコールド負けとなった。
しかし、これは由良木珠代の価値を落とすものではない。
だって対戦相手はおよそ170校が参加する千葉県大会のベスト8常連校だ。そんなチームを、五回までとはいえ完璧に抑えられる投手など殆どいないのだから。
木庭は由良木を調査対象に加えコンタクトをとってみることにした。
*****
「私、一年生の時は女子マネージャーだったんですよ。それが無差別大会に出た理由?ウチは弱小で部員数が足りなくなったんで、仕方なくです。」
軽いアイスブレイクとして野球を始めた時期、そしてきっかけを尋ねてみるとそんな答えが返ってきた。
「なぜ投手をしたのかって?消去法です。ピッチャーなら無回転のボールを18メートル先に投げるだけで済みますから。」
まるで、『刺身にたんぽぽを乗せるだけの簡単なお仕事です』とばかりに言ってのける由良木。
「私が野手だと外野フライは取れないし、内野ゴロもアウトにできないんですよ。男子よりも足が遅くて肩も弱いから……一塁手をするには背が低くて補球も下手ですしね。」
ピッチャーというのは『チームで一番上手な選手』がつとめるという常識を真っ向から打ち砕く言い分に、木庭は眩暈がした。
「あの、何故君はナックルボールを投げられるのだろうか?そうとう難しい球なんだが……」
ナックルボールを投げるには砲丸投げのような特殊な投げ方に加えて、熊手のように大きな手と強靭な指の力が必要とされている。
女性が簡単に投げられる球ではないはずだ。
「さあ、なんででしょう?あ、中学は陸上部で砲丸投げしていたのと、手が大きくって子供の頃からピアノ習っているのって、何か関係ありますかね?」
そう言われて手を見ると、確かに女性としては……と言うか、男性基準でも大きな手をしていた。
「なるほど……うん。」
頷きながら、木庭は頭の中でイメージする。
『千葉シーガルズ』で彼女は戦力になるのかと。
『千葉シーガルズ』は打高投低のチームだ。
特に中継ぎ投手陣が終わっていて、監督が毎年頭を抱えている。
球数が少ない中継ぎ投手なら、握力は持つ。
そのホームグラウンドは『千葉マリンスタジアム』、強い海風の入る屋外球場だ。
そしてナックルボールは、風の強い屋外球場程よく変化すると言われている。
結論、戦力になる。
「なあ、由来木さん……プロ野球にこないか?」
◇◇◇
二月。
野球ファンの心は、ヴェルディの 「乾杯の歌」がごとくリズミカルに踊り始めた。
シーズンへ向けたプロ野球春季キャンプが始まったからである。
千葉シーガルズのキャンプは沖縄の、暖かくて海風の気持ち良い球場で行われていた。
しかし、選手達は必死だ。
特に一軍当確線上にいる選手達は首脳陣にアピールしようと、血なまこになっている。
今、投手と打者が真剣勝負を行う実践形式の打撃練習へと向かう郷田武もその一人。自慢の打力をアピールしようと張り切っていた。
(相手は客寄せパンダで入ってきた高卒の女……大チャンスだ。)
噂ではナックルを投げるらしく、そのタイプとの対戦経験はない。だが、所詮は長い野球の歴史の中で淘汰された『遅い変化球』だろう。
球筋を見極め、甘く入った球をホームランにして終わりだ。
打席から投手をみる。本当に女だ。
背丈は160センチくらいあるようだが、平均身長180センチのプロ野球では異常に小さく見える。
「プレイ」
審判の声で意識を切り替えた。
油断はしない。全力で打ちのめすのみ。
女性投手の砲丸投げのようなフォームから押し出すように放たれた白球は、ストライクゾーンの高めから右に曲がった。
その軌道を見極め、到達地点にバット軌道を入れる。
ーー捉えた!
郷田がそう思った瞬間、バットは空をきりキャッチャーミットに……おさまることもなく、バックネットへと転がっていった。
「「は?」」
それは、郷田とその背後にいる捕手、二人の声だった。
だがそれも無理はない。
なにせ、一度右に曲がった球が、郷田がスイングを始めた途端軌道を変えて左斜め下に落ちたのだから。
まるで漫画に出てくる魔球のようだった。
しかしこれ、実はきちんとした物理法則が働いている。今の不思議な変化をした仕組みを簡単に説明すると、こういうことになる。
野球ボールには108個の縫い目がある。
無回転で投じられたボール。左の縫い目に風が当たり、空気抵抗で右に曲がりながら1/4ほど回転。
すると今度は右の縫い目に風が当たるようになる。空気抵抗でボールは左へ。
さらに重力も働いた結果、斜め下にストンと落ちた。
回転数が多いほど良いとされる一般的な変化球と違い、ナックルは回転数が少ないほど良いと言われている。
ホームベース到達までの回転数が一回転以下ならそれがカンスト値。理論上、それ以上は望めない『究極のナックルボール』となる。
二球目、三球目も郷田のバットは空をきる。
またも捕球し損ねたキャッチャーが呟いた。
「縫い目が肉眼でくっきりみえる……フラフラ揺れてから、ランダム方向に急激に落ちて……」
そう、今、由来木が投じている球こそがホームベース到達までにボールが1/f回しか回転しない特殊変化球の頂点、『究極のナックルボール』である。
*****
その場面を少し離れたところからみていたシーガルズの監督、古村が呟いた。
「木庭さん、すごい球だな。プロのキャッチャーが取れない球なんて、俺は初めて見たよ。」
現役時代、捕手として活躍していた古村にはそれがどれだけ異常なことなのかよくわかった。
何せ、プロの捕手というのは160キロを超える速球だろうが、ベースの端から端まで鋭く曲がる変化球だろうが、難なくキャッチできる技術をもっているのだから。
それがロクに捕球できない球。
打てるわけがない。
「打者の手元にきてから、予期せぬ方向に曲がりますからね。」
隣で木庭がつげる。
それがカラクリだった。
人間の眼は至近距離から高速で動く物体を捉えられるようにはできていない。
例えば、プロボクサーのジャブはせいぜいが時速40キロだが、至近距離から放たれたそれを貴方が掴めるかと言われたら答えはノーだろう。
ゆえに、バッターは「事前プログラム制御」という仕組みでボールを打ち返している。
これを簡単に言うと、投球軌道の前半部分で「ここに来るはずだ」と予測して、 軌道の後半では殆どボールを見ることなく前もって準備しておいたスイングを発動させるということだ。
これが、150キロのボールでも難なく打ち返すプロ野球選手の打撃の秘訣。
だが、途中からランダムに変化し打者の予測を外すナックルボールは「事前プログラム制御」では対応できない。
ゆえに遅くても打てない。
それは歴史が証明している。
時は1990〜2000年代メジャーリーグ。
ステロイドによって筋力や動体視力を人外の域まで高めたメジャーリーガーが打ちまくっていた、打高投低の時代。
しかし、究極のナックルボールを操った大投手はナックル一本でそんな怪物達から三振を奪いまくっていたのだ。
「しかしキャッチャーはどうしようか」
「大型のファーストミットを使うのがいいでしょうね。」
そんな言葉を交わしながら、古村は手元にある『開幕一軍決定リスト』に由良木の名前を書き加えた。
◇◇◇
それから一年後。
中継ぎで圧倒的な成績を残した由良木は、新人王と最優秀防御率の二冠に輝いてプロ野球界を戦慄させた。
2年目。
故障したベテランに変わり、試合を締めくくるチーム守護神クローザーに配置展開されてセーブを積み重ねることになる。最多セーブのタイトルを獲得。
プロ10年目。
通算200セーブを記録した後、妊活のために電撃引退を表明。
かと思ったら3年後に現役復帰。
その後、ママさんプロ野球選手として活躍。
再び引退するまでにさらに50セーブを積み重ね、通算250セーブで超一流投手の殿堂『名球会』入りを果たした。
2035年のドラフトキング。
その栄冠を掴んだのはーー
千葉シーガルズ8位指名の隠し玉。
1/f回転の魔球を操る、由良木珠代だった。
◯ナックルボールの参考動画↓
https://youtu.be/0I20vqEmxqI?si=pXPh-LZkJePBpEVC
◯ナックルボール習得イベント
由良木は先輩に一目惚れして女子マネになりました。
その後色々な青春、しかし先輩は別の女性と恋仲に。
揺れて落ちた乙女心 → ナックルを習得!




