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第4話:メディアの覗き穴

孤立した理想郷に、都市の毒が侵入する。


週刊誌記者の狡猾な視線が、共同体の脆弱な真実を暴き、哲学者の理想を嘲笑う。そして、愛する女性・サキの「裏切り」による汚れた金が、共同体の土台を決定的に腐食させる。


理想と現実の衝突は、避けられない破局へと向かう。

第二部:裏切りの深化


I.狂乱の残滓と、哲学者の内面崩壊

夏の狂乱は、山奥のコミューンに冷たい、ねっとりとした静寂を残していった。「神鳴赤烏村」のメンバーたちは、ヨシムラのカルト的な儀式によって、一時的に「解放」された熱狂の残滓で生きていた。彼らの目には、もはや理性の光はなく、ヨシムラの独裁を生存のための絶対的な真理として受け入れていた。


リーダーのヨシムラは、自分の支配体制が確立されたことに、満足と傲慢を露わにしていた。彼は、村の土を支配し、人間の精神を支配した。その自信は、彼の無骨な肉体から強烈な権威となって発散されていた。


しかし、小泉健一の心は、絶望的な孤独という名の凍土の中に沈んでいた。彼の哲学は、もはやこの村の現実の中で何の慰めにもならなかった。夜、彼は師の禅問答集を読み返そうとしたが、その視線は常に、サキが握らせた曼陀羅華の冷たい花弁に引き寄せられた。その花弁の感触は、サキが今、都市でどんな「汚れ」に身を晒しているのかという想像を喚起し、健一の精神を蝕んだ。


彼は、自分がサキの「裏切り」によって成り立つ偽善的な理想の中に閉じ込められていることを知っていた。その倫理的な矛盾は、健一の存在そのものを内部から崩壊させていった。彼は、愛する者が罪を犯し、その罪の上に彼の理想が立っているという、残酷な運命に縛られていた。


健一の孤独な抵抗は、もはや沈黙し、極限まで肉体労働に没頭することだけだった。彼が耕す土は、まるで彼の裏切られた理想の残骸を静かに吸収していくかのように、重く、そして深く沈黙していた。彼は、土の冷たさの中に、自らの良心の死を感じていた。



II.都市の毒と、週刊誌記者の侵入

その静寂は、一人の都市からの侵入者によって、容赦なく踏みにじられた。


ある日の正午、汗と泥にまみれた共同体の畑に、場違いなスーツ姿の男が現れた。大手週刊誌『現代ルポ』の辣腕記者、シマダだった。シマダは、ヨシムラの元学生運動リーダーという経歴と、山奥のコミューンというセンセーショナルな題材を嗅ぎつけ、カメラと録音機を携えてやって来たのだ。


シマダの慇懃無礼な態度は、まるで都会の毒そのものだった。彼は、一歩足を踏み入れるたびに、この理想郷の「純粋さ」を汚していくように見えた。


「いやぁ、素晴らしい理想郷ですね。まさか、あの小泉元教授の息子さんまでいらっしゃるとは。都市では、あなたの父上が『息子は山奥のカルトに魂を売った』と、悲劇の父を演じてますよ。そして、あなた方のことは『神隠し集団』と噂になっています」


シマダの言葉は、外部世界からの憎悪と好奇心を凝縮したものだった。ヨシムラは、怒りに顔を紅潮させ、シマダを排除しようと強く出た。彼の筋肉は緊張し、暴力的な解決を求めていた。


「ここは、お前たちのような好奇心という名の蛆虫が踏み込んでいい場所ではない!いますぐ立ち去れ!」


シマダは、ヨシムラの独裁的なカリスマを前にしても動じなかった。彼は冷静に、しかし冷酷に笑った。


「暴力はいけませんよ、ヨシムラさん。『愛と平和の共同体』が、外部の人間を殴ったとなれば、都市は、あなた方を『カルト集団』として容赦なく消費し、法的な制裁を加えますよ。私の記事は、世論という名の巨大な暴力ですからね」


ヨシムラは、これまでの物理的な暴力が通用しない「言葉と世論」の壁に直面し、初めて明確な挫折を味わった。彼は、シマダを排除することを一時的に諦めざるを得なかった。彼の傲慢な瞳に、焦燥の色が滲んでいた。



III.哲学者の尋問と、理想の剥製化

ヨシムラは、その焦燥を隠すかのように、健一にシマダの相手を命じた。


「ケン、お前の『哲学』を使って、奴を納得させて追い払え。お前の言葉の力を証明する時だ。これが、お前が共同体に貢献できる唯一の道だ」


健一は、「言葉の無力さ」を痛感しながらも、「良心」としてシマダと対峙した。健一の高邁な理想論に対し、シマダは感心するふりをしながら、巧妙に共同体の核心的な矛盾を突いてきた。


「小泉さん、あなたの理想は美しい。しかし、美しすぎる。聞けば、あなたは小泉元教授の息子。あなたは富を捨てた。それは立派だ。だが、この共同体が生き残る経済的な基盤はどこにあるんですか?まさか、食料や必需品を、昔の反社会的な仲間に、資金を出させているとか?」


シマダは、一瞬の沈黙を置き、さらに決定的な一撃を放った。


「あるいは、女性メンバーが、都市で『特別な仕事』をしているとか?純粋なコミューンの裏側で、汚れた金が流れている。これは、最高のコントラストになりますね」


シマダの言葉は、サキの存在と、彼女の悲劇的な献身による裏切りの経済という、共同体の最も脆弱で汚れた真実を、容赦なく抉り出した。健一は、哲学者として、シマダの皮肉と真実に反論する論理的な言葉を一つも持つことができなかった。彼の哲学は、現実の汚れた金の前で、倫理的な崩壊を迎えた。


「我々は、労働で生きている!土は、嘘をつかない!」と健一は叫んだが、その声は虚ろだった。彼は、シマダの言葉が、サキの愛という名の裏切りの上に、彼の理想郷が成り立っているという残酷な真実を、世間という名の光で暴いていることを知っていた。


シマダは、廃屋や畑、そして狂気に満ちた共同体メンバーの表情を、隅々まで写真におさめながら、勝利を確信したような笑みを浮かべた。


「この村は、都市にとって最高のエンターテイメントですよ。挫折した理想の墓場か、それともカルト的な狂気の現場か。どちらに転んでも、記事になる。特に、裏切りと秘密の匂いは、世間が最も好む調味料ですからね。あなたの理想は、剥製にされて、都市の好奇心という名の美術館に飾られることになるでしょう」


シマダの言葉は、健一の理想を完全に否定し、それを商品へと変えた。健一は、彼が逃れてきたはずの都市の毒が、最も醜い形で村の内部に侵入してきたことを悟った。



IV.サキの帰還と、悲劇的な愛の衝突

その日の夕暮れ、シマダが山を下りた直後、サキが、闇の都市から帰ってきた。


彼女の姿は、数週間前とは別人だった。体は極度に痩せ、その目には極度の疲労と、拭いきれないほどの深い傷と孤独が宿っていた。彼女の衣服からは、山の土ではなく、都市の安っぽい香水の匂いとタバコの煙の残香が微かに漂っていた。彼女のリュックには、共同体の冬を越すための多額の現金が詰まっていたが、その金は、彼女の尊厳と魂と引き換えに得られたものだった。


サキは、健一の姿を見つけると、一瞬、全てを投げ出して泣き崩れそうになったが、すぐに表情を引き締めた。彼女は、「裏切り」を遂行してきた強い女性として、自らを武装しようとしていた。


健一は、サキの身体に残された「汚れ」を想像し、彼の純粋な理想と人間的な愛が激しく衝突するのを感じた。彼の愛は、彼女の傷を受け入れろと叫び、彼の理想は、その「汚れ」を否定しろと命じた。


「サキ…君は、もう『仕事』をしなくていい。この金は、汚れている。俺たちの理想を汚す」


健一は、彼女を抱きしめ、彼女の傷を癒そうとしたが、サキは静かにそれを拒絶し、一歩退いた。


「この金が、汚れていないとでも言うの?これは、あなたの理想が、この山で生き残るための、生々しい現実よ。ケン、あなたはまだ、理想の純粋さに囚われている。汚れた金なしに、あなたたちが冬を越せると思う?」


サキは、ヨシムラに現金を渡した。ヨシムラは、その汚れた金を、まるで神からの恵みのように受け取り、サキの悲劇的な犠牲には一瞥もくれず、「共同体の生存」という名目でそれを正当化した。


「よくやった、サキ。これで冬が越せる。お前の功績は、神鳴赤烏族の歴史に刻まれるだろう」


健一は、ヨシムラの冷酷な現実主義と、サキの悲劇的な献身の間に引き裂かれた。彼は、サキへの愛を選ぶなら、ヨシムラの独裁と汚れた金を受け入れなければならない。理想を選ぶなら、サキの愛を拒絶し、偽善者とならなければならない。


彼は、愛するサキの傍らにありながら、倫理的な孤立の極限に達していた。サキが持ち帰った「金」と「傷」は、曼陀羅華の毒のように、共同体の内部を確実に、そして深く侵食し始めたのだ。健一は、この「裏切り」という名の愛が、彼らを破滅へと導くことを予感した。


(第4話終)

いかがでしたでしょうか。


外部からの好奇と憎悪の圧力、そして内部の裏切りの金。健一の哲学的な理想は、ヨシムラの独裁とサキの悲劇的な愛の板挟みとなり、極限の孤独に立たされました。


曼陀羅華の毒は、すでに健一の愛と理想を深く侵食しています。共同体の崩壊は、もはや時間の問題です。

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