古いスコアボード
都市伝説風の奇譚となる短編小説、第10話目となる今作は、少年野球を舞台にした、ほっこり系のヒューマンドラマです。
仕事を定年退職したばかりのBは、知人の訃報を伝える手紙を手に取り、しばし言葉を失った。
(まだ若いのに……)
その知人と別れてから十年しか経っていない。
当時のことは鮮明に思い出せる。
十年前のことだ。
少年野球チームの監督として、Bは子供達を連れて試合相手の待つグラウンドへと遠征に行った。郊外にあるそのグラウンドは、野球専用のものとしてはかなり古い施設だった。得点を表示するスコアボードも電光掲示ではなく、緑色の古びた黒板に手書きで対応せねばならないタイプだ。
(こういう施設も味が合って良いな……)
周囲は山や田園が見られる環境だから、かえって親しみを持てた。そんな景色に気分を良くしつつも、Bは気を抜く訳にいかなかった。今日の試合に勝てば、チームは地区大会でベスト4となる準決勝へと進出できる。これまでで最高の結果を残せるし、なんと言っても、子供達に「やり抜く力」の大事さを肌で感じてもらいたかった。
(誰を先発させるかは迷ったが……)
子供達の誰かが試合に出れば、誰かが控えに回らねばならない。厳格な実力主義の選抜を子供に課すのは酷なものだと、Bはいつもながら思う。特に、才能と努力が十分にありながらも控えに回るしか無い子供はそうだった。
チームは後攻となり、子供達がそれぞれの守備位置へと向かう。投手を務める少年のKは体格にも恵まれ、球速もかなりのものだ。強豪チームのバッターでない限り、彼の球にバットを当てることは容易ではないだろう。
だが、Bが気になるのはベンチで応援する側の子供達だ。
その中でも、一人の少女にどうしても目が行ってしまう。
Yという名の彼女は、控えのピッチャーだった。
(野球センスは抜群なのにな……)
コントロールの良さはずば抜けているから、もし彼女が男性としての体格を持っていたら、将来はプロも目指せただろうと思えるほどの才能がある。だが今では、バッターを力で封じ込めるような強さには乏しい。小学校の高学年となり、男子との体力差が出始めてきた段階となってからは、控えに回るしか無かった。
もちろん、Yの他にも控えに回る子供達がいるわけで、そんな彼らにも活躍のチャンスを与えたいとBは思うのだが、
(ここでは無理だな……)
地区大会の大事な場面だから、厳格な実力主義を通さねばならない。それに、勝利という結果を残すことを控えに回った子供達も望んでいるはずだ。その証拠に、先発する選手達を鼓舞するような応援を大きな声で行っている。
「さあ、準決勝を目指して、やるぞ!」
未練のような気持ちを抑えて、Bは子供達に声をかけた。
試合は0対0の均衡状態のまま、最終となる7回に入った。古いスコアボードには、手書きで「0」の白文字が続いている。ボードのそばには野球帽を目深にかぶった女性がいて、おそらくは相手チームの父兄なのだろう、にこやかに笑いながら試合を見ている。
そんな中、Bはピッチャーを務めるKの様子が気になった。疲労が極限に達しているのは明らかで、球速にも勢いが無くなり始めている。
「最終回も大丈夫です……」
気丈にも、そう言ってマウンドに立った。
だが―
(さすがに無理だな……)
立て続けに打たれ、ランナーが一、二塁となったところでBは決断した。
控えのベンチ近くで肩を温めているYに声をかけた。
「はい!」
力強い返事をすると、Yは真剣な顔になった。
やがて彼女は、Kに変わってマウンドに立った。絶妙なコントロールで打者を翻弄し、きっちりと打たせて取ると、まずはアウトを一つ取った。相手チームのバッターも、初対戦の投手を相手に苦戦しているのは明らかだ。
(うん、この回は無事に抑えられそうだな……)
Bは、Yの投球に自信を持てた。
少し余裕を持った瞬間、
(ん? あれって間違いじゃないか?)
ふとスコアボードを見て、不思議に思った。
古い設備のそれは相手チームベンチの背後にあるのだが、まだ攻撃中である7回の今、スコアボードの7回表のところに「0」が先に書かれていた。今は誰もが試合に夢中だから気にしていないようだ。スコアボードを管理しているらしい、野球帽の若い女性は何事も無かったかのように微笑みながら、試合を見ている。
(まあ、いいか……)
気にせず、マウンドに立つYを見た。
彼女は堂々と投げ、続くバッターを凡フライに打ち取った。
そうして最後は、きっちりと三振で仕留めた。
(ふふふ、結果的にスコアボードの通りになったな……)
心の中で笑いつつ、BはYの度胸を褒め称えた。
そうして7回の裏となったが、チームは得点をあげられなかった。
同点となった場合にどうすべきかは大会によってルールが異なるが―
(抽選か~)
この地方大会では、同点引き分けとなった場合、抽選で選ばれた方が次のステージへ進むと決められていた。ベスト4以降であればタイブレーク方式での延長戦もあったから、ここでは避けたい展開だったが―
「すまないな、みんな……」
抽選は外れに終わった。
だが、子供達は誰もが笑っている。
ここまでやれたことに満足しているようだ。
(うちのチームとしては上出来だな……)
Bは改めて、相手チームの監督やスタッフに挨拶をした。
そうして帰り支度を始めようとしたとき、
「監督、今日はお疲れさまでした」
艶のある声で挨拶され、Bは振り向いた。
スコアボードを管理していた、野球帽の女性だった。スリムジーンズに白シャツという姿は爽やかで、普段から体を鍛えていることが分かる、引き締まった肉体を惜しげも無く見せつけている。
「ああ、どうも……」
つい見とれてしまったBは、照れ笑いしながら応じた。
彼女が手を差し出してきたので、反射的に握手を返した。
「B監督、いろいろとありがとうございました」
笑みを浮かべつつ、彼女は意味深な言葉で礼を言った。
そうして、颯爽とした姿で去って行った。
あれから十年が経ち、記憶は断片的ではあるが、Bは当時のことをよく覚えていた。それくらいに印象深い試合であり、目を閉じると、当時の光景がありありと思い浮かんでくるのだ。それは子供達も同じだったのか、チームを卒業した後も、何人かが年賀状を出してくれていた。それは、勇ましく最終回を投げきった少女のYも同じであり、彼女は大人になっても年賀状をくれていたのだが―
「まさか、あのYさんがね……」
ずっと野球を続けていると聞いていた。
そんな報告を楽しみにしていたものだ。
彼女の訃報を、すぐには信じられない。
(そうだ……)
今は仕事をしながら野球を続けていると、年賀状に書いていたことを思い出した。Bがさっそくネットで調べてみると、チーム専用のSNSアカウントが見つかった。選手の近況を伝える情報とともに、大人になったYの姿を写真で見ることができた。その姿を見て、Bは驚いた。
(これは、ひょっとして……!)
十年前の記憶が鮮明によみがえる。
あの時、スコアボードを管理していた野球帽の女性。
今となっては顔立ちまで正確に覚えていないが―
(あの時の女性は、Yさんだったんじゃ……)
SNSの写真に写るYはラフな私服姿だった。
スリムジーンズに白シャツという格好で、引き締まった肉体を見せつけている。
かすかに残る記憶の女性と、まったく同じ印象を与える姿だ。
「君は最後に、僕にお礼を言いに来てくれたんだね。君が一番輝いていた、あの瞬間に戻って……」
―B監督、いろいろとありがとうございました
あの時の言葉の意味を、Bはようやく理解した。
あふれる涙を抑えきれない。
最後までお読みいただきありがとうございます。短編小説の投稿、ようやく10話目となりました。20話めざして、これからも続けます。