快楽の代償
はじめの内は下半身の違和感を性的な充実感のように感じていた。だが違和感はやがて抑えられないほどに自らの存在を主張しだした。
寝ている時や、立っている時はまだいい。しかし座っていると、尿道が刺激されて毛虫が這うような強烈なムズ痒さが襲ってくるのだ。
クラミジア、淋菌、ヘルペス……HIV。悪い妄想は止まらなかった。
一体どこへ行けばいいんだ……。誰にこんな話ができるんだ……。独身時代は何も悪いことは起こらなかったのに、なんだってたった一回で……。
歩はどんな顔をする? どう思う? こんなことがあっても、俺達はまだ夫婦でいられるのか?
孝一は失うものの代償も考えることのできなかった自らの愚かさを、軽薄さを悔やんだ。
俺は結婚したんだ。自分一人の自由な暮らしじゃないんだ。そのことの意味が、こんな事態になってようやく重くのしかかってきた。
「何暗い顔してんだよ」
脳天気に声をかけてくる谷津が憎らしかった。こいつには何も起こらなかったのだ。そもそもこいつのせいでこんな目にあっているというのに……。
「別に、何でも」孝一は何とか感情を抑えてそう口にした。
憎らしいと同時に、何に思い煩わされることもない谷津のことが羨ましくもあった。
「おかえり」家に帰ると、歩がいつものように出迎えてくれる。
「ただいま」孝一はいつものように家に上がる。
そんな何気ない日々の尊さを、失いかけて初めてありがたく感じた。
やっきになってネットを検索したが、出てくる情報は恐怖を増幅させるばかりだった。そして性病の多くは、自然治癒するものではないらしいことを知った。
いや、それでいい。一生この違和感を抱えて生きていこう。そうすれば平穏な日々をおくれる。平穏で、退屈な日々を。
「どうしたの?」満足げに自分の顔を見つめる孝一に、歩は笑顔を向けた。
その瞬間、孝一の顔は凍りついた。あの日、歩と交わったことを思い出したのだ。