不穏な気配
「いいの? タキシード、ヤニで汚して」
喫煙所。声をかけられ振り向くと、孝一は大きく目を見開いた。
染め直したのが分かる艶やかな黒髪、まん丸の瞳、背中の開いた黒いドレス。口から吐き出されるセブンスターの濃密な煙は、その女に近づいてはいけないことを物語っていた。
「ああ……ええっと……」
「ユリでーす。花嫁のお友達。まさか歩が奥さんになるなんてね。それも結婚相談所なんて、どんだけ焦ってたんだろ」ユリは口の端に軽い笑みを浮かべて言った。
その姿はなんだか二十近く年上の男と結婚した友人を嘲笑っているようで、孝一は嫌な気がした。
「出会って半年で結婚なんて、早すぎない?」
「……信頼できる相手だって分かってますから」
「歩のこと、よく知らないクセに」そう言うと、ユリは鼻で笑った。
「……お互いのことは、結婚生活を通じて知っていけばいいと思っています」
孝一は怪訝な顔を隠そうともせずユリを見た。挑発するような態度に、イラ立っていた。
ユリはそんな孝一の視線を、感情の見えない黒目がちな瞳でじっと見返して言った。
「ねえ、奥さんのこと、知ろうとしちゃダメだよ」
共に暮らす女のことを、知ってはいけない?
一体この女は何を言っているのだ? こんな女が友人の歩という女は、一体どんな人間なのだ?
うろたえた顔で自らを見つめる孝一をよそに、ユリは目で合図を送った。
「そろそろ行った方がいいんじゃない」
ユリの視線の先、喫煙所のガラス板の向こうには笑顔でこちらの様子をうかがう歩の姿が見えた。
まるで余計な話をされていないか見張りにきたかのように……。
半年前に出会ったばかりの、若く美しい妻。孝一は改めて、自分がその女のことを何も知らないことを思い知らされた。