あなたがいれば
数日後、リースは、少しずつ体調も安定してきたソフィリアに会いに来ていた。
ソフィリアによく似た、白薔薇の花束を持って。
いつものように侯爵夫人に許可を得て、ソフィリアの部屋を訪ねた。
「ソフィ…?」
そこには誰もいなかった。
あるのは、一通の手紙だけ。
『私には、愛する人がいます。
彼は平民ですが、私のことを心から愛してくれるひとです。
彼と一生を過ごし、2人で幸せになるためにここを離れようと思います。
最後まで迷惑をかけて申し訳ありません』
「は…」
目の前が真っ暗になる。
息ができない。
この平民の男より、おれのほうが、ずっと、愛しているのに。
前髪をくしゃりと掴んでどす黒い感情が表に出てしまいそうなのを必死に堪えた。
「なん、で……ソフィ…」
「わ、リース!来てくれてたのね!」
うしろから、聞こえるはずのない声がして驚いて振り向く。
そこには、リースと同じように白薔薇を抱えたソフィリアの姿があった。
「リースにあげたいな、と思ったから、庭師に頼んで白薔薇をもらって…」
ソフィリアの姿が見えた瞬間、リースは彼女を抱きしめていた。
「わ、リース…!?どうしたの…」
「ソフィ…おれのほうが、ぜったい、誰よりもソフィのこと好きだよ」
どうして急にそんなことをいうのか、と疑問になったソフィリアは、リースの手にあるぐしゃぐしゃになった手紙を見て青ざめた。
「あ…リース……その手紙…」
「いやだ、聞きたくない」
リースはさらにぎゅうとソフィリアを抱きしめて、ソフィリアの肩に額を押し付けた。
「いやだよ、ソフィ。いかないで…」
「ち、違うの、これは…!」
「こいつ、誰?ソフィはいつこの男と知り合ったんだ?本当に俺よりソフィのこと愛してるの?」
「リース!お、落ち着いて!」
ソフィリアがリースの顔を覗き込むと、リースの瞳は不安で揺れていた。
「あのね、違うの…」
「何がちがうんだ」
「ほんとは、リースがなんの未練もなく私を嫌うことができるように、駆け落ちする設定で死ぬつもりだったから…」
それを聞いた途端、リースは自己嫌悪に陥った。
きっとこの手紙は前から準備されていたものだ。
リースに悲しみを与えないために。
「ソフィリア、ごめんね…本当に、辛い思いばっかりさせて…」
ソフィリアはふるふると首を横に振った。
「私にはもうたくさん悪い噂がついちゃってるし、このままじゃリースを幸せにしてあげられないから…ほんとは、わたしはもうリースのそばにはいない方がいいの」
「そんなわけない!」
悲しそうにまつげをふせるソフィリアに、リースは彼女が目覚めてからずっと言えなかったこと口にした。
「ソフィを幸せにできなくて、一緒にいる資格がないのは、俺の方だ」
「どうして…?絶対そんなこと、」
「俺にはもう、魔力がないんだ」
告げられたその事実に、ソフィリアは目を見開いた。
どうしてそんなことが起きるのか。
それって…もしかして…
「もしかして、わたしの、せい…?」
うまく表情が作れない。
そんなことあって欲しくない。
リースは昔から努力家だった。次期公爵として、小さい頃から魔術を習っていて、国の中でも三本指に入るほどの実力までつけた彼がその魔力を手放したのは。
———ソフィリアを救うため。
「ちがう、俺が自分で勝手にやったことだ。したくて手放しただけ」
「そんな…」
普通は、誰かに魔力を与えることなどできない。自分の命を誰かにあげることができないのと同じで、魔力をその人から引き離すのは通常ではできるはずがなかった。
ただ、魔力の受け渡しをした治癒魔法士が大陸一ともいえる魔法士であったことと、魔力を失っても安定した状態を保てるほどのリースの実力があったことで、例外的に魔力の受け渡しができただけだった。
「だから、ソフィが好きだって言ってくれた花を出現させる魔法も使えないし、転移してソフィをいろんなところに連れていってあげることもできないんだ…」
「そんなこと、どうだっていいわ…!」
ソフィリアはリースの背中に手を回して、ぎゅうと強く抱きしめた。
「ソフィ…」
「リースがそばにいてくれるならなんだってかまわない…!駆け落ちしたって一生そばにいてやるわ…!」
ぐすぐすと鼻をすすりながらしがみついてくるソフィリアがたまらなく愛おしくなって、リースはソフィリアの頬にそっとキスを落とした。
「ありがとう…絶対、幸せにしてみせるから」
リースの泣き笑いのような表情につられて、ソフィリアまで涙が溢れて出てくるのだった。
その後、王妃やリースの母の力添えもあり、ソフィリアの悪評は跡形もなく消え去った。
それどころか、自分の想いを押し込んでまでリースの幸せを願う聖女だと言われ、ソフィリアは別の意味で困ることになる。
リースは魔法が使えなくなった分体を鍛えればいいんだということに思い至り、ソフィのことを守るため剣術を極めた。
のちにその実力は王家の近衛騎士にならないかと声がかかったり、国一の騎士団長とも渡り合えたりするほどになる。
鍛えたことで体格が少し変わり、細身なのは変わらないが筋肉がさらについたことで、結婚式で着る服が合わなくなると、侍女たちがこっそりこぼしていたのを、リースは知らない。
待ち望んだ結婚式、ソフィリアは深い青色のリボンを腰に巻いた真っ白なドレスで現れた。
白は2人の銀髪を表し、青色はリースの瞳の色を表している。
リースの方は、真っ白い生地に薄紫の色で刺繍された服だった。
言わずもがな、薄紫はソフィリアの瞳の色である。
「綺麗だよ…ソフィ。すっごく綺麗だ…」
「リースこそすっごく格好いい…」
2人は式が始まる前から、幸せを噛み締めてちょっと泣いてしまった。
「リース」
「ん?」
「何もなくても、これからリースがそばにいてくれるなら、わたし絶対幸せよ」
「俺と出会ってくれたこと、絶対後悔させないように頑張るから」
少し泣きそうなリースに、ソフィリアはたまらなくなって言った。
「ほんとに、ずっと、ずっと大好きなの」
その言葉がとどめとなって、リースはやっぱり泣いてしまった。
「おれも、ずっと大好きだよ、ソフィ」
その夜は、奇跡的に結ばれた2人を多くの人が祝福した。
そして、リースがソフィリアを幸せにするために努力したのは剣術だけではなかった。
手品の技も覚えて、何もないところからぱっと花を出現させ、見事妻と子供たちを喜ばせることに成功した。
「おとーしゃま、もっかい!もっかいやってー!」
「ぼくも!ぼくも見たい!」
「私ももう一回見たいわ…!」
愛する妻と子供たちから向けられるきらきらした視線に嬉しくなったリースは、さらに手品技のバリエーションを増やし、めきめきと腕をあげていった。
「体自体は細身に見えるのに、よくそんな持ち上げられるよな…」
クリスがぼやく先には、庭の片隅で手品により現れた花冠をつけた妻と子供達をお姫様抱っこで持ち上げる、幸せそうな笑みを浮かべたリースの姿があった。
「移動するときはこれで移動する」
「何言ってんだ転移ができないこと口実に奥さんとくっついていたいだけじゃねえか」
クリスがすぐさまツッコむが、リースは楽しそうに笑った。
「ソフィリアがいればもうなんでもいいんだ」
「ちぇ、惚気やがって」
魔法が使えなくても見事な剣術を持ち、愛する妻と子供たちとの食事時間を死守するため、仕事効率が大幅に上がったリースは、貴族としての評判を落とすどころかあげまくっていた。
のちにソフィリアとリースは理想の夫婦として有名になり、告白には白薔薇の花束を添えるようになった。
ソフィリアとリースの公爵邸には、白薔薇の花園が作られ、どの部屋にも5本の白薔薇が飾られるようになった。
『あなたに出会えたことへの心からの喜び』
これで完結となります。
読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました!