6 (1-3) 改訂
二人が丘を下ってグラウンドの前まで戻ってくると、気がつけば、今日の気持ちのいい青空は夕方の橙色に変化して、その橙色も少しずつ黒く染まっていこうとしていた。ナミは、裏庭側からグラウンドの様子をこそっと確認すると、裏庭のフェンスのドアを開けてグラウンド側に入った。
そして、ナミを先頭にさっとグラウンドを横切ると、校舎の裏の静かな場所まで移動した。二人は、そこで少し休んでから出発する事にした。
「ねえ、ミカ。ちょっと聞いてくれる? 悪いんだけど、今からお家に帰るまで、私のバックパックの中に入ってくれる? ――それと……その間は私がしゃべりかける時以外はしゃべらないでほしいんだ。」
「え? なんで?」
「うん。さっきも言ったんだけど、地球の猫はしゃべらないし、それに一人では電車にも乗らないの。だから……申し訳ないんだけど、お家に帰るまでの間は少し我慢してほしいの。」
「うん、いいよ。」
ここはウラニャースではない。地球に入っては地球に従えだ、とミカは思った。
ナミは、赤字でブランド名のロゴが書かれた黒いバックパックから、ペンケースやら教科書やら荷物を取り出して整理すると、バッグの一番上にスポーツタオルを敷いた。
「ごめんね。それじゃ、この中に入ってくれる?」
「うん。」
ちょっとしたナミの心遣いをありがたく感じながら、ミカはバッグの中に入った。ナミは、ミカが入ったバックパックを大事そうに両手で抱えると、
「よいしょ。じゃあ行くよ。何か問題があったら遠慮なく言ってね。」
「うん。」
ナミは、校舎の脇を通って学校の正門を出ると階段を下りた。学校は手前にある道路より少し高い場所にあって、道路から学校の正門の間には30段程の階段が設置してあった。それからナミは階段を降りると、今朝登校時に登って来た桜並木の綺麗な坂道ではなくて、クラスメイトと遭遇しないよう、あえて遠回りをして帰る事にした。
ミカは、バッグのチャックを少し開けると、隙間からこっそりと外の世界を眺めた。高校は山の頂上に位置し、そこからは遮る物が何もなかったので、ここからは街がほぼ一望できた。日が沈み暗くなりかけた街は、所々から明かりもちらほらと光って、うっすらと街の輪郭を映し出している。全体的に薄ぼけてはっきりとは見えないけど、少し見ただけだと、全体的な街並みはウラニャースとあんまり変わらないようにも見える。本当に別の星に来たのだろうか? 最初はそう疑問に思ったりもしたが、帰り際に、灰色の煙をまき散らす車を見た。多くの人間を同時に乗せて運ぶ電車にも乗った。確かこれらはウラニャースでも大昔は主要な移動手段だった乗り物のはずだ。お家の図鑑でも見た事がある。
…………。
やっぱりこの星の文明は、ウラニャースの文明より数百年は遅れている。だからといって、魔法も使えないっていうし。本当に『伝説の五色の魔法子猫達』がいる星は、この星で合っているのだろうか? ミカは、バッグの中で少し不安になってきた。
「ねえ。ミカ、起きてる?」
その時、上の方からナミの小さな声が聞こえてきた。ナミの声を聞くと、ミカは安心して少し元気が出た。
「うん、起きてるよ。」
ミカはうれしそうに小さく返事した。
「うん。今、周りに誰も人がいないから少ししゃべるね。どう? 苦しくない? 大丈夫?」
ナミは駅を降りると、今はお家に向かってどこかの通りを歩いていた。
「うん。全然問題ないよ。」
「そう、よかった。それでね、もうすぐお家なんだけど、ミカはどんな食べ物を食べるのかなって思って。」
「食べ物?」
「そう。遠慮しないで言ってね。」
…………。
地球ってどんな食べ物があるんだろ? それから(うーん……。)ミカは少し考えた。
「うん。乾燥フードみたいなもので大丈夫だよ。」
本当はお魚やお肉が大好きなのだが、自分は居候の身。贅沢は言ってられない。
「……そう? だったらキャットフードでいいのかな? でも、キャットフードも色々種類があるだろうしな。」
ナミは、家に帰る前に近所のコンビニに寄ると、ミカによさそうなキャットフードを選んだ。それから少しして、自宅の前に到着した。ナミは、バックパックをそっと地面に降ろすと、ミカをバッグから抱え出して、ゆっくりと地面に降ろした。
「ようこそミカ! 私のお家へ!」
笑顔のナミが両手を開いてミカに見せたのは、全面白を基調としたおしゃれなシンプルモダンの二階建ての平屋根の住宅だった。
「さあ上がって。」
ナミは玄関のドアを開けると、ミカを家の中に招き入れた。ミカはドアを通って家の中に入ると、玄関から廊下に上がるのを躊躇した。
「あの……足拭きは?」
「足拭き?」
「うん。だって、そのままお家に上がったら汚いでしょ? だからウラニャースのお家では、お外から帰ってきたときは、足拭きマシンか、ネコロボおばさんなんかに拭いてもらってたの。」
「ネコロボおばさん?」
ナミは、聞きなれない言葉に一瞬不思議な顔をしていたが、「ちょっと待ってね。」と言って奥に行くと、タオルを持って戻ってきて、ミカの両足をキレイに拭いてあげた。
それから二人はリビングに入ると、リビングの三人掛けソファの上にはミカを座らせ、ナミは一人掛けのソファに座った。
「ふふ……このソファは普段はパパの指定席なんだけど、今日はミカが私の指定席ね。実は、私の両親は洋食屋さんをやってるの。すごくおいしいって、地元でも結構評判がいいんだよ。」
「ようしょくや?」
「うん。ハンバーグとかコロッケとかオムライスとか……とにかく何でもおいしい物が食べられるお食事屋さんなんだよ。ミカにも近いうちに食べさせてあげるね。」
「うん。ありがとう。」
「それで……今日はママがお家の料理当番だから、もうそろそろ戻ってくると思うんだけど……。私が当番の日もあるから、パパやママみたいには上手じゃないけど、でも、料理には少し自信あるんだ。ミカにも食べてほしいな。」
「うん。楽しみにしてる。」
ミカは、生まれて初めて人の家に上がらせてもらったので、少し緊張していた。
「それじゃ、私の部屋に行ってお話しようか。」
「うん。」
二人はリビングを出ると、二階にあるナミの部屋に入った。
ナミの部屋は、6帖の広さに、部屋の左隅に赤いシーツが掛けられたベッド、窓際に白を基調とした木目調のデスクとイス一式、そしてデスクの上には銀色のノートパソコン、部屋の隅に本棚が置いてあるだけで、物が少なく、全体的にすっきりとした印象だった。余計な物を置いたり、かわいらしい感じの物を置く事は、彼女の趣味ではないようだ。壁のコルクボードには、家族とのものや友達と写っている写真が数点貼られているのと、恐らく誰かから贈られたのであろうぬいぐるみが二個、本棚の中に飾られていた。イスの上には淡い赤色のクッションが敷いてあって、ナミはそれを床に敷くと、ミカをそこに座らせた。
「ミカ。ごめん、ちょっと待ってね。」
そう言うと、ナミはバッグからスマホを取り出した。
「うん。いいよ。」
「いけない。結構来てるな。」
それからナミは、しばらくの間、スマホと格闘していた。
(ふ――……。)
ミカはその様子を見ながら、心の中で深くため息を吐いた。この地球という星は、誰かと連絡をするのに、まだ物理的なツールを使ってるんだ。やっぱりこの星の科学レベルは、ウラニャースと比べると相当低いみたい。それに地球には魔法も存在しないっていうし。本当に『伝説の五色の魔法子猫達』はこの星にいるのだろうか?
ミカがそんなことを考えていると、ナミの方も全ての要件が終わったようだった。
「ごめんね、お待たせして。そしたら……何から話そうか?」
ナミが言うと、ミカは手を挙げるように尻尾をピンと高く挙げた。
「うん。そしたら、まずは私の方から話すね。私が住むウラニャースという星はね、猫類が支配している惑星で、ウラニャースの猫達はウラネコっていうの。ウラニャースにも、ものすごく昔には人類がいたようだけど、なぜかいなくなっちゃったみたい。それとウラニャースは科学文明がすごく進歩していて、多分この地球よりかなり先を進んでると思う。それに加えて、ウラネコは魔法が使えるんだ。」
「えっ!? 魔法!?」
ナミは、驚いた顔でそう聞き返した。
「うん、魔法。」
ミカは、そう言って部屋の隅の本棚の方に顔を向けると、一冊の本に視線を集中した。すると、本棚に収めてあった一冊の文庫本が勝手に本棚から抜け出し、空中をゆっくり浮遊すると、ミカの対面で正座していたナミの太ももの上にぽとりと落ちた。
ナミはその本を手に取ると、ただただ驚いた顔をしてミカを見た。ナミは、そのかわいらしい見た目につられて、ミカの事をついつい普通のかわいらしい子猫のように思ってしまうが、裏庭で宇宙船を操作する様子を見て、そして今度は目の前で魔法を使うミカを見て、やはりこの子は宇宙から来たすごい子猫なのだ。と改めて実感した。
「でも……魔法が使えるといってもこの程度なの。昔はこんなものとは比べられない位、ものすごい魔法が使えたそうなんだけど、科学文明が進んでいくにつれて、私達ウラネコはもうほとんど魔法が使えなくなっちゃったんだ。」
「へえ……そうなの……。」
ナミは、今の魔法でもかなりすごいんですけど。と思いながらも、とりあえず相槌を打った。
「魔法を使う代わりに進化していったのが、科学技術でありロボットなの。日常的な家事や、お仕事なんかも、全てロボットにしてもらえるようになって。それでほとんどのウラネコは、何もしなくなって自分達がしたい事だけをするようになって、それから数百年間はそんな時代が続いたの。私のパパとママはロボケット工学の科学者なんだけど、私達の一族は元々は有名な魔法一族だったって、最近パパとママに教えてもらったんだ。」
「へー、すごいね。」
「でも……ある日ロボット達が……」
それから起こったロボット達の反乱と、その後に起きたウラネコ達の存亡の危機は、ミカの話を聞いただけでも、相当に悲惨なものだったということがナミにはよくわかった。そして、それとは逆に、ミカは、ウラネコ達がロボット達にしてきた事について話す事も忘れなかった。ミカは瞳に涙を溜めながらも、決して涙を流すことなく、自らの周りに起きた事、ロボット達が反乱した後に大好きだったネコロボおばさんとDr.ネコボットさんが家から出ていった事、ロボットの代表者との交渉が決裂しパパとママがロボット達に捕まえられる事、パパとママも含め全てのウラネコがロボットにされてしまう事、そして、パパとママとお別れをして、『伝説の五色の魔法子猫達』を探すため一人宇宙船に乗せられてここまで来た事を全て話し切った。ナミも瞳に涙を溜めながら、「ミカが泣くのを我慢して一生懸命話してくれているんだから、私も絶対に泣いちゃいけない。」と必死に涙を堪えていた。
「ミカはすごくがんばったんだね。」
ナミは目を細めて、精一杯の笑顔でミカの勇気を称えようとした。が、その瞬間、一筋の涙が彼女の頬を伝って流れた。――その時、玄関のドアが開く音がして、
「ただいま!」
女性の元気な声が階下より聞こえた。
「あっ! ママだ! ママ―おかえり!」
ナミはとっさに手で涙を拭うと、ドアを向いていつも通りの元気な声でママに返した。
「えっ? ナミのママなの? それじゃすぐにご挨拶しなくちゃ。」
ミカはすぐに立ち上がると、緊張した様子で挨拶に向かおうとした。
「別にすぐじゃなくてもいいよ。夕食の時に下に降りてからで大丈夫だよ。」
「でも……。」
「遠慮しなくていいんだよ。それに……緊張しなくても自分のお家だと思ってゆっくりくつろいでもらって全然構わないんだから。」
そう言うと、ナミはミカの頭をやさしく撫でた。
「でも……。」
「いいの! それじゃ……私の方の話をするね。ここはね。裏庭でも話したけど地球っていう星。ウラニャースと違って、ここでは猫類ではなく人類が支配する惑星。で合ってるのかな? ミカも言ってたけど、地球の科学文明は、ミカの故郷と比べてもすごく遅れているようだし、もちろん魔法なんかも使えません。それと猫なんだけど……もちろんあなた達ウラネコのようにしゃべる事はできません。ニャーって鳴く位かな? しゃべるっていっても。それで……猫にも一杯種類がいるんだけど……。野生の猫もいるし、お家でペットとして飼われている猫も多いのかな?」
「ペット? ペットって何?」
「うーん、何て言ったらいいのかな? ずっと一緒にお家にいて、飼い主の人間が餌をあげたり、かわいがったり……大体そんな感じかな?」
「えっ? 家事のお手伝いをしたり、お仕事の手伝いをしたりしないの?」
「もちろんしないよ。」
「えーっ!? なんで!?」
ミカは、驚きのあまり四本の足を真っ直ぐにしたそのままの姿勢で、ピョーンと空中に跳ね上がった。ミカは相当なショックを受けた。
(そんな……。ナミからは地球の猫はしゃべれないって地球に来た時に聞いていたから、正直あまり期待はしてなかったけど……。でも……これはそれ以上だ。地球の猫類(ペットに限る。)は、仕事もせず生活は全て人間に頼りきりで、自分達のやりたい事だけをやる。進化していないのに、やっていることはウラネコ達と同じじゃない!)
「それで……『伝説の五色の魔法子猫達』だったっけ? どうやって探そっか? とりあえずパソコンがあるから、最初はそれで探して見よっか? 私はそんな猫達の話聞いた事はないけど、もしかしたらどこかの地域にそんな伝説があるのかも知れない。」
ナミは床から立ち上がると、イスに座ってノートパソコンの電源を入れた。ミカも机の上に座って画面に注目した。ナミは、パソコンをパチパチと叩いて魔法子猫の事を色々と調べてみたが、やはりというかそれらしいものは見つからなかった。
「うーん……。残念だけどやっぱり簡単には見つからないな。」
ナミは、その場で両手を伸ばして背伸びをすると、深くため息をついた。
「あの……この『魔法少女』っていうのは何?」
ミカは、記事の中にあった『魔法少女』という文字に注目した。
「あっ、これね。」
ナミがその記事をクリックするとそこには、『五色の音色の魔法少女』というタイトルに、キラキラとした五色の衣装を着た五人の少女達が映っていた。
「あれ? 地球には魔法子猫はいないけど、魔法少女はいるの?」
「うーん……。これは確かに魔法少女といえば魔法少女なんだけど、残念ながらアニメなんだ。だから、現実の世界じゃなくて、あくまでも空想上の世界の話なの。」
「なんだ、アニメなんだ。」
アニメだったらウラニャースにもあったので理解できた。
「うーん……。私達の知らない所で、絵本とかアニメの世界みたいに、地球にも魔法が使える世界があればいいんだけどな。」
ナミは冗談でそう言いながらも、ミカのためにも本当にそんな世界があればいいのにな。と強く思った。
「ごはんよ!」
その時、階下よりナミのママの元気な声が聞こえてきた。
「あっ! もうこんな時間だ! じゃあママの所まで行こうか?」
「うん。」
ミカは、ナミのママにちゃんと挨拶できるか、心配になって少し緊張してきた。