33 (3-1) 新学期二週目の朝
ひばりは、翌朝いつものように寝坊して、万智に必死に起こしてもらいながら、寝ぼけまなこで家を出ると駅まで急いで、なんとか学校の始業時間ギリギリの電車に飛び乗った。今日はプル達三人と一緒に学校に登校して、一刻も早く昨日の「五色の子猫の魔法少女マジカルキティ」の第一話について、熱く語り合いたかったのに、すごく残念だ。それよりも、今は早く学校に行かなければ遅刻してしまう。ギリギリの電車に乗れば、なんとか始業時間には間に合うはずなのだが、ただし、いつもと同じスピードだと間に合わない。駅からは、かなりの速足で歩く必要があった。ひばりは駅を降りると、学校に向かって必死に坂道を駆け登っていたので、自分の側でもう一人、同じように、必死になって坂道を駆け登っている人物がいることにまったく気がつかなかった。その一人は、昨夜から、ずっと頭が混乱していて、一々ひばりのことなんて気にしている余裕なんてなかった。そう、そのもう一人とは、江戸紫ゆかりであった。
元々ゆかりは、学校に遅刻しそうになるような、ひばりのような、だらしのないタイプの人間ではない。昨夜目にした衝撃の出来事が原因で、それから今に至るまで、頭の整理がまるでできていなかったのだ。それは昨夜、いつものように実家のお好み焼き屋「元祖大阪お好み焼き 江戸紫」の手伝いをしている時のことであった。ゆかりは、その日も昼の開店から、いつものように威勢よく店内を元気に歩き回っていた。そして夜になって、ふとテレビに目をやると、今日から始まった「五色の子猫の魔法少女マジカルキティ」の第一話が絶賛放送中であった。江戸紫は、その日も客が一杯で、ゆかりもてんやわんやの忙しさで、あまりテレビに目をやる余裕がなかったのだが、たまにアニメを横目で観ながら、何か知ってる場所によう似てんなぁ、とかなんとか思っていた。そして、ビールの大ジョッキ4杯を両手に持って、客の方に向かっている最中、ふとテレビの画面に目をやると、
「ほへっ!?」
ゆかりは、あまりの衝撃のため、思わず手に持っていたグラスを全て床に落としてしまった。ガッシャーン!! と店内中に響き渡るくらい、大きなガラスの割れる音がしたのに、ゆかりはそれには全く反応せず、アニメの主人公である魔法少女が大写しになっているテレビの画面にくぎ付けになっていた。
(あれ……緋色さんやん。)
今回の「五色の魔法少女シリーズ」の最新作である「五色の子猫の魔法少女マジカルキティ」の主人公の日乃彩なみは、アニメ風の作画になっているが、あれは間違いなく1年の時にクラスメイトだった緋色南美だった。その緋色さんが、先週学校で見たしゃべる子猫と一緒に、伝説の五色の魔法子猫探しをしている。それに周りの景色をよく見ると、その場所は、間違いなくここ宝箱市やないか! そして番組の後半に出てきた戦闘風景は、まさしく先週自分が体験した奇妙な体験そのままであった。周りの世界が突然白黒に変わったかと思うと、校庭の奥に、ものすごい輝きを放った光が天高くまで伸びると、そこからロボットが飛び出してきて、子猫を捕まえようと追いかけ始めた。そしてその時、同じく1年の時にクラスメイトだった菜の花さんが黄色の魔法少女イエローキティに変身して、そのロボットを倒したところで、第一話は終了となった。ゆかりは、あんなにはっきりとした百中夢はなかったのだが、すべて夢だと思うことにして、あの時の奇妙な記憶を頭の中から消し去ろうとしていた。それに、作中に出てきた子猫のミカだが、新学年が始まってから、なぜかわからないが、毎日学校でも見かけるようになり、ゆかりは校内でミカの姿を見かけると、あの時の不可解な体験が記憶から蘇ってくるかもしれないという恐怖で、条件反射的に自分の視界から外れるところまで逃げるようにしていたのである。それが、たった今テレビを観てしまったことで、あの時の記憶が鮮明に蘇ってくるとともに、あの時の奇妙な出来事がそのままアニメになってしまっているという、さらに説明のつかない奇妙な事態が、自分の脳内に上書きされてしまったため、その日は完全に頭がショートしてしまった。しかし、ゆかりの仕事に対する強い責任感が、わずかな理性を残して、閉店までその日の仕事をなんとか全うすることができたのである。そして、最後の客を見送ったその瞬間、ゆかりは完全に燃え尽きて、そのまま地面にスローモーションで倒れこんだのである。しかし、9.9カウントのところで、ゆかりは何とか地面から起き上がると、そのままよろよろと壁にもたれながら、何とか正気を保ちつつ、店内着である背中に大きく黒字で江戸と書かれた紫の作務衣を脱いで普段着に着替えると、ふらふらしながら自分の部屋に入り、そのまま布団の上に倒れこんでしまった。
「あかん。うちだけ何かおかしなってる。」
ゆかりは、先週の件は自分が働き過ぎのため、一時的に軽いノイローゼになってしまい、意味のない幻覚でも見たのだと思っていた。責任感が強い人間であればあるほど、心の病気になりやすいとかいうし、つまりそういうことだったんだろうと、強引に自分の中で納得しようとしていた。だが、本心ではどう考えても納得できていなかった。それに、先ほどの営業中の店内の光景について、ゆかりはテレビの画面を見て一人パニックに陥っていたのに、店内を見回しても、そのアニメの舞台が、自分達の地元である宝箱市なのに、それに、もしかしたら緋色南美や菜の花蛍、その他アニメの登場人物のことを知っている人がいてもおかしくないはずなのに、誰もそのことを話題にしてなかったし、それどころか、そのこと自体にまったく気づいている様子さえなかった。その時、店内でアニメを食い入るように観ていた小さい子供や大きい子供が何人もいたにもかかわらずだ。そして、それから少しすると、ゆかりの母親が心配そうな表情で、ゆかりの部屋に入ってきた。
「ゆかり。どうしたの? しんどいの?」
ゆかりの母親が、おろおろしながら、心配そうに声を掛けた。掛け布団の上にうつ伏せになって、そのまま倒れこんでいたゆかりは、顔を少し横に向けて母親の方を見ると、試しにおそるおそる母親に聞いてみることにした。
「あの…おかん。さっきのアニメ観た? 魔法少女のやつ。あの魔法少女って…1年の時にクラスメイトやった菜の花さん…やんな?」
菜の花さんは、雑誌のモデルとして地元では有名で、この店にも家族で何回か食べに来てくれたことがあるので、ゆかりの母親も彼女のことは知っているはずだ。
すると、ゆかりの母親は、
「オボボボボゴ、ご…ごめんね。ゆかり。本当は同級生の友達ともっと遊びたいんやろうに。うちらの店がこんな不幸な目に連続でおうてしもうたばっかりに。かんにんや。ほんまにかんにんやで。」
と、関西人でも絶対に使わないような関西弁でゆかりに謝ると、その場で泣き崩れてしまった。ゆかりは、母親の反応に慌てて、急いで布団から半身起き上がると、
「おおおおっ、おかん。ごめん、ジョークや。ほんのしたジョークや。おかん心配さしたらあかん思って。それでとっさに出た、ちょっとしたジョークなんや。」
と言い訳した。すると、ゆかりの母親は、
「ジョーク? ジョークにしてはおもんなさ過ぎるねん。考えるんやったら、もっとましなこと考えんか。ボケ!」
と、ここで笑いに厳しい関西人のプライドが炸裂し、すっかり機嫌を悪くして、ゆかりの部屋の引き戸をピシャっと閉めると、スタスタと部屋から出ていってしまった。ゆかりは、その様子を眺めながら、
「もしかして、思たけど…あれって…やっぱ、うちだけにしか見えてへんみたいや。どうしよ? ほんま…。」
ゆかりは、それから二つのことを試してみた。一つは、疲労困憊ですぐにでも寝て心身の疲れをとりたいと思ったのだが、頭がギンギンと覚醒してしまっており、その日は結局一睡もできなかった。もう一つは、先週から今日までの出来事を頭の中でなかったことにして、何とかやり過ごそうとしてみたのである。だが、こちらのチャレンジの方も結局は失敗に終わり、翌朝の登校時、ふらふらとしながら、本来は乗るべき電車とは反対の線の電車に乗ってしまい、必死に坂道を登っている現在に至るまで、頭がグルグルと回っている最中なのであった。それで始業開始のチャイムが鳴ると同時に、二人してギリギリで教室に飛び込んできた時、二人の動きがあまりにもリンクしていたので、クラスメイト達は、ひばりかゆかりのどちらかが分身の術でも使っているのかと思う程の錯覚を起こすくらいであった。




