11 (1-10) なみの春休み1日目★2
家で昼食を済ますと、二人は予定通り外出することにした。ただ、行ってきまーすと言って家を出たはいいものの、目的はあるが、果たしてどこに向かったらいいのかわからない。なみは、右へ行こうか左へ行こうか、少し考えていたが、さっと右を向くと、
「とりあえず適当に歩いてみようか。ミカはお外見るの初めてだもんね。」
「う、うん。そうだね。」
ミカは、昨日学校の裏庭からお家に帰る道中、勝手にバッグのチャックを開けて、外の景色を眺めていたのだが、あの時は夜が迫ってきていて、景色も薄らぼんやりとした感じで、心細さもあったが、今日は快晴で、外の景色もくっきりとして色鮮やかで、昨日とは気分もまるで違う。まるで異国の地を初めて歩くかのような、新鮮で晴れやかなな気分だ。本当は異国ではなく、異惑星なのだが。
「桜が綺麗だね。」
なみは、少し上を眺めながら、どこか少し楽しそうだ。
「そうだね。」
ミカは、まるで桜のことをすでにに知っているかのように、ごく自然に返事した。実は、ミカは対象物を見ると、今朝コンピュータにインストールした大量のデータ群から瞬時にその情報が、目の前に表示されるように設定していたため、異文化の環境への適応性が異常に高い。もちろん、その画面はミカにしか見えないようになっているので、特に問題はない。
ミカは歩いていると、緑の看板の建物を発見した。そういえばあの看板、さっきも同じのがあったな。
「ねえ、なみ。あのコンビニにちょっと入ってみようよ。地球ってどんな物が売っているのか、少し興味があるの。」
「えっ? コンビニ?」
なみは、最初、なぜミカがコンビニのことを知っているのか不思議に思ったが、でもミカだったら、そういう事も全然可能かな、と納得し、少しうーんと考え込むと、
「ごめんね。ミカは本当にすごい猫なんだけど、見た目は地球の猫と変わらないから、コンビニとかお店には入れないんだ。ここだと猫はペット扱いになっちゃうから。」
なみは、別に自分が悪いんじゃないのに、すごくミカに失礼なことを言っているような気がして、申し訳なさそうにミカに謝った。
「…そうなんだ。それじゃ仕方ないね。」
ミカは、なみからそう聞くとがっかりしたが、なみにちょっと待ってね、と言うと、自分にだけ見える画面で、猫とかペットとかの情報を調べ始めた。
なるほど、ペットの猫というのは、基本は食事も遊びの場も飼い主から与えられ、自分は気分のおもむくまま好きな時に遊び、好きな時に眠るだけ。特に自分では何もしない。それで、時々ニャーと言うそうだ。それに飼い主に対して、特に感謝の気持ちも持ち合わせていないということらしい。えっ? 何なの、この地球の猫類と言うのは? 進化していないといっても、ここまで怠惰な暮らしを許されているなんて。同じ猫類の一員として、ミカは急に自分が恥ずかしくなってきた。
ミカはしょんぼりすると、なみに声を掛けた。
「なみ。」
「うん? どうしたの?」
「ごめんね。地球の猫類が迷惑を掛けてるみたいで。」
「えっ? 何のこと?」
なみは、突然ミカから本気で謝られたのでびっくりした。
二人は、その後も気の向くまま宝石市内を歩き回った。そして、お家を出てから、かれこれ2時間くらいが経過したが、その間、老夫婦や、小さな親子連れ、中学生や高校生と思わしき女の子とすれ違い、ミカを発見すると、「うわー、かわいい子猫!」と言いながら、二人の方に近づいてきては、何十回も声を掛けられた。確かに、ミカは見た目だけだと、アメリカンショートヘアの子猫、それもコンクールに出ればチャンピオンになれるくらいの、ものすごく愛らしい子猫だ。そして、その内の何割かは、ミカのことを撫でたり触ったりしたが、その度にミカのピョーンと伸びた長い尻尾を見て、「わっ! 長い尻尾。」と言って驚いていた。なみとミカは、そういう人達と触れ合った時、必ず相手に「こんにちは。」と挨拶をしていたのだが、別段怪しまれることはなかった。
ちなみに、道端にいるノラ猫や飼い猫とすれ違った時にも、ミカは、その猫に対し、その度に「こんにちは。」と声を掛けてみたのだが、ミカの耳にも、相手の猫達は自分に対してニャーニャーと言っているようにしか聞こえなかった。
「うーん、やっぱりミカがしゃべってることに誰も気づいてなかったね。年齢とか性別とか、しゃべれる人の条件ってあるのかなって思ったんだけど、特にそんなこともないみたい。今の所、ミカとおしゃべりができるのは私だけみたい。」
「うん、そうだね。私もコンピュータで分析してみたけど、結局わからなかった。」
「うーん、なんでだろう?」
二人は、「こんにちは。」くらいだったら、もし聞こえたとしても多少ごまかしはきくだろうと、それとミカとしゃべれる人の条件を抽出するために、試しに、ミカは挨拶の時だけは、相手に対してしゃべりかけていたのだが、誰にも不審に思われなかったので、おそらく向こうは、なみのパパやママのように、ニャーと言っているように聞こえていたのだろう。それと、地球の猫は、人間相手だけでなく、同じ猫類同士であっても、会話することができなかったので、そもそも地球の猫に会話をするという能力自体がないのであろう。
二人は、その後、川を挟んだ橋を渡って、市役所の前まで行くと、そのまま川沿いの土手の上を歩くことにした。そして、それから10分くらいした時、土手の向こう側より、トレーニングウエアの女の子が走ってくるのが見えた。なみは、その女の子を確認すると、
「あっ、あれは遊草さんだ。」
と、うれしそうに言った。
「知ってる人なの?」
ミカがそう聞くと、
「うん、1年のクラスメイトなんだ。」
二人は、立ち止まって遊草さんの方を見ていると、遊草さんの方も走っている最中に、なみの存在に気づいたらしく、なみの前まで来ると、そこで立ち止まった。
「遊草さん。こんにちは。」
なみは笑顔で遊草さんに挨拶した。
「あっ、こんにちは…」
遊草さんはそれに対し無表情だ。それと声がすごく小さい。
彼女の名前は、遊草しの。なみが言っていた通り、彼女と同じ宝石女学院高等学校に通う1年のクラスメイトの一人である。なみとは、とりわけ親しいという間柄ではないが、別に仲が悪いというわけでもない。背はなみと同じくらいで、細長い目と小さい口が特徴的で、黒髪のショートヘアがよく似合っている。一見した感じだと、クール系の美少女と言った印象を受ける。彼女は、普段から冷静で落ち着いていて、感情を表に出すことがほとんどないという。今日の彼女はランニング中らしく、Tシャツとショートパンツにタイツという組み合わせに、ランニングシューズというスタイルだ。
「遊草さんはランニング中なの?」
「うん、そう…」
声が小さくて聞き取りづらい。
「へえ、偉いなあ。毎日走ってるの?」
「うん。まあ、大体毎日かな…」
遊草さんは、いつものように表情を崩さず、なみと少し会話していたが、ふと下を見ると、なみの後ろでキョトンとした表情でこちらの方を見ている子猫を発見した。
「あら、かわいい子猫…」
遊草さんは、ミカの前でしゃがみこむと、視線をミカに近づけた。ミカは、遊草さんを見つめると、
「こんにちは。」
と、少し緊張しながら、遊草さんに挨拶した。
「ふふ、こんにちは…」
遊草さんは、ほんの少しだけ口角が上に上がっている。近くにいなければ、表情を識別するのが難しいが、どうやらミカを見て笑顔になっているようである。それから、遊草さんは、ミカの頭を少し撫で撫でした後、立ち上がってなみの方を向くと、
「あの、私、ランニング中だから…行くね…」
「あっ! ごめん、ランニング中に引き留めたりして。」
「いいの。じゃ…」
遊草さんは、小さな声でそう言うと、なみ達が歩いてきた方に向かって走っていった。
なみ達は、少しの間、遊草さんの後ろ姿を眺めていたが、
「ミカ。あのね、遊草さんて、すごくいい娘なんだよ。」
なみは嬉しそうにミカにそう話し始めた。
「へえ、そうなんだ。」
「うん。いつもクラスにいる時は、つんとしていて無表情だから誤解されやすいの。それに、彼女一人でいるのが好きみたいで、普段はクラスメイトも気軽に声を掛けにくいような空気を醸し出しているし、授業が終わって休み時間になると、一人でどっかに行っちゃうから、クラスの中でも一人少し浮いちゃってるっていうか。でもね、授業の前に係が黒板を消し忘れていたりすると、率先して黒板を消してくれたり、クラスメイトがお弁当を忘れて困ってたりするのを見ると、さっとパンをあげたり、本当はすごくいい娘なんだ。だから、クラスでも、実は彼女のファンって娘は結構いるんだよ。」
なみは、まるで親友の自慢をするみたいに、誇らしげに遊草さんのことをミカに話した。
「うん、私もあの娘には温かい心を感じたよ。」
ミカも、なみの意見に同意すると、その後二人は、川沿いの土手をしばらく歩いたが、特に何の収穫もなかった。なみはミカの方を見ると、
「そろそろ帰ろっか?」
「うん、そうだね。」
気がつけば、日も暮れて、辺りはすでにオレンジ色に染まってきた。
「あっ! いけない。今日は私が料理当番だった。」
なみは、そのことを急に思い出したようだ。そうだ。今日はパパもママも洋食屋でお仕事だから、今日は私が料理を作らなきゃいけないんだった。
「ミカは今日食べたい物ってある?」
「うん、できればお魚を…」
「そう。じゃあ、今日はお魚にしようか。」
なみは、帰りに近所のスーパーに寄ると、ミカには少し店の外で待ってもらって、素早く買い物をすませた。そして、ミカの元に戻ると、ミカの周りには結構な人だかりができていた。きっと、ミカのかわいさに引き寄せられて、自然に集まってきたのだろう。それにしても、何というミカの破壊力なんだろうか。ミカは、話しかけてくるすべての人達に対して、緊張した様子で、こんばんは、こんばんは、って挨拶していた。ミカは、なみの存在を確認すると、とっさになみの元へと駆け寄った。二人は、集団の方に少し会釈をすると、すぐに家路へと向かった。
「でも…すごかったね。」
「うん。少し怖かった。」
「ごめんね、怖い思いをさせちゃって。」
なみは、そう言いながらも、どこかの店に入る時、ミカに外で待ってもらうのは難しそうだ。次からどうしよう? と、真剣に悩んでいた。
二人は家に戻ると、なみは、早速台所に向かって、夕食の準備を始めた。ミカの方は、リビングのソファに座りながら、最初はスクリーンを開いて、色々調べ物をしていたようだが、しばらくしたら飽きてきたようで、そのまま、うとうととソファの上で眠ってしまった。それから、なみは夕食を作り終えると、ミカを起こして一緒に夕食をとった。夕食を終えると、なみは洗い物をして、ミカはお腹が一杯になって、再びリビングのソファの上に横になると、またもや眠ってしまった。なみは、洗い物を終えると、リビングの方に行って、ミカのかわいらしい寝姿を見て微笑むと、たまったラインの返信をしたり、勉強をしたりと、そんなことをしていると、お家の外から車のエンジン音が聞こえてきた。




