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第95話 エルフの巨乳はトラウマを吹き飛ばす

「それは『地震』です。すべてを揺るがす大地の変動が、突如パンドラの地下迷宮奥深くで起こり、トリスの街を含めた広範囲一帯に多大な被害を与えたといいます」


「……うッ!?」


 ミヅキは心臓が跳ね上がるのを感じて呻いた。

 アイアノアの口から、パンドラの異変の一端が明かされた。


 予想もしていたし、想像通りの出来事だと思った。

 にも関わらず、その事実はミヅキの心を激しく鷲掴みにした。


 ミヅキは何も言えず、両目を閉じて苦悶の顔色を浮かべた。

 恐るべき事実と向き合うのを嫌悪している。


──やっぱり異変の原因は地下で起きた地殻変動か……。そのせいでダンジョンに何かやばいことが起きたんだ。魔素の濃度が異常に上がって、出没するモンスターがやたらと強くなった……。


 パンドラの地下迷宮に起こった異変を直接恐れた訳ではない。

 自分でもわかるくらい心が萎縮する理由は全く別のものであった。


──何となく予想してたとはいえ、よりにもよって地震か……。うう、くそ……。身体が震える……。俺、やっぱりまだ怖いんだ……。


 10年前に起きたパンドラの異変は、ミヅキに黒い記憶を想起させる。

 それは悪夢そのものであり、心の奥に刻まれた深く大きな傷だ。

 忘れたくても忘れられない忌まわしい記憶のフラッシュバックが起こる。


「や、やめてくれ……。もう、思い出させないでくれよ……」


 ミヅキは血の気を失った顔色で頭を抱えた。

 長い年月が経とうとも蝕まれ続けている、強い強いトラウマが心にあるから。


『三月ぃ……! お父さんが、お母さんが、姉さんがぁ……! どうしよう……! 私は神水流の巫女だったのにぃ……! うあぁぁぁぁあぁぁぁ……!』


『朝陽ぃ……! ちくしょう、親父もお袋も、みんなみんな……。どうしてこんなことに……! ちくしょう、ちくしょう……! うぐぅぅぅううう……!!』


 慟哭を叫んで抱き合う、三月と夕緋の悲惨な姿。

 暗黒の空、揺れる大地、むせ返る粉塵の大気、天から降り注ぐ破壊、赤く燃える無情なる業火の海が、二人を死と絶望へ追いやろうとしていた。


「ううぅ……」


 短い間だったのか長くそうしていたのか、ミヅキは目を強く閉じ込んでいた。

 辛い過去を追体験する症状に陥り、しばらく周囲の状況を認識できないでいる。


 ミヅキの抱える精神的な深い傷口が、じくじくと傷みながら開こうとしていた。

 考えないようにしても、ふとした瞬間にこうして何度でもぶり返す。


「あら、ミヅキ様。ほっぺにジャムがついていますよ。綺麗にして差し上げますので、じっとしていて下さいましっ」


 ただ、そうした張り詰めた緊張を容易く破ったのは、アイアノアのひどく調子の外れた一声と親密な行動だった。


 ミヅキがパンを食べていた際に、その頬に付いたジャムを目ざとく見つける。

 アイアノアはすかさず鞄から白く清潔な布を取り出し、片手をそっとミヅキの顔に添え、身体をやけに密着させてぬぐい始めた。


「──あっ! あぁ、あ、ありがと……。アイアノア……」


「いえいえ、ミヅキ様は私たちの希望の勇者ですから。できる限り何だってお世話させて頂きますともっ」


 苦い記憶を思い出して我を失っていたミヅキだったが、目の前に迫るアイアノアの甲斐甲斐かいがいしい笑顔で我に返った。


 気がつけば急接近され、子供扱いにも似た恥ずかしいことをされている。

 顔に添えられた彼女の手を取り、照れ臭さから思わず揉み合いになる。


「そこまでしてもらわなくても……。って、さっきから近いってば……!」


「あっ、ミヅキ様っ、そんなに動かれてはきちんと拭けないじゃありませんかっ。ほらもう、おとなしくしていて下さいましー!」


「いや、いいって! そ、そんな子供じゃないんだからさ……!」


「駄目ですー!」


「や、やめてー……! あぁもう、アイアノア、力強いなっ……」


 相変わらず存外に強い力で抱きついてすり寄ってくるアイアノアと、それに必死に抵抗するミヅキの二人は、やはりいちゃいちゃするカップルにしか見えない。


「ちょっと、そんな押さないでくれって。──うわっ!?」


「きゃっ!」


 とうとう押し合いへし合いの力相撲に負けたミヅキは堪えきれずに、後ろ向きにひっくり返ってしまう。

 つられてアイアノアも体勢を崩してそのまま倒れ込んでしまった。


 ミヅキが下でアイアノアが上での、押し倒された格好である。


 むにゅうっ!


「あっ、いやんっ! いけませんミヅキ様っ、そんなところを触れられては……」


「ご、ごめんっ! わ、わざとじゃないんだっ……!」


 吐息が掛かるくらいの近くでアイアノアの艶っぽい声が聞こえた。

 身体中に掛かる彼女の体重と一緒に、手の平には衝撃の感触がある。


 思わず突き出したミヅキの両手が、アイアノアの豊満な胸にめり込んでいた。

 衣服越しなのに指と指の間から、溢れ出すほどの柔らかさを直に感じてしまう。


──ちょっ、こら雛月っ! 地平の加護めっ、こんなときまで冷静に洞察なんてしなくていいっ! 今はそんな場合じゃないっ、俺の都合はお構いなしかっ!


 ミヅキは両手から伝わってくる強烈な情報に驚愕していた。


 一応あくまでそういうことにしておくが、洞察対象に欠片も興味が無かったとしても地平の加護は貪欲に相手のことを探ろうとする。

 戦闘を行うだけでなく、こうして触れ合うだけでも情報を与えてくれるようだ。


 例えば、目の前にたわわに実る二つの果実の大きさだとか。

 これまで見てきた中で誰のものより大きいとか。


 この触った感じから、アイアノアの下着は硬いワイヤーやカップのあるブラジャー特有の物ではなく、柔らかく薄い布地のホルタービキニのような物で色は純白。


 などなどと、様々なことがわかってしまった。

 なんと破廉恥な権能なのだろうと、ミヅキはつくづく思うのであった。


「あんもう、ミヅキ様ったら正直な御方……。恥ずかしいですから、そろそろ手をおどけになって下さいまし……」


「ア、アイアノアがのっ掛かってるから身動き取れないんだって……!」


「ふわぁんっ! ミヅキ様ぁ、暴れないで下さいましぃっ! そのように胸を触っては駄目ですぅっ……! 妹が見ている前ですからぁっ……!」


「誤解だっ! アイアノアこそ、いい加減早くどいてくれぇっ……!」


 お互い変に身をよじるものだから、うまく離れられず揉みくちゃになっている。

 不可抗力とは言え、アイアノアの両胸をこねくり回してしまった。


 ただ──。

 そうしてやいのやいの言っている内に、ミヅキはトラウマのことをすっかり忘れることができていた。

 別の問題が発生している気がするが、とりあえずアイアノアに感謝である。


「エルトゥリンっ、見てないで早く助けて──!」


 堪らずミヅキは首だけを動かして、エルトゥリンに助けを求めた。

 言われるまでもなく、ずっと黙って見ていた彼女の我慢は限界を迎えていた。


「姉様、もういい加減にして! いったい何をそんなに浮ついているのよっ!? そんな風に人間の男とべたべたするなんて信じられないッ……! 本当、みっともないったらありゃしないわッ!」


 姉の痴態に腹を据えかね、エルトゥリンは大声をあげて勢いよく立ち上がった。

 とうに飲み干されたスープの深皿がころんころんと石の床に転がった。


「うひっ!?」


「あら? どうかした、エルトゥリン」


 あまりの剣幕と怒声にミヅキは驚いて震え上がる。

 ただ、当のアイアノアはきょとんと不思議そうな顔をしている。


 仁王さながらに怒り心頭の妹に目をぱちくりさせて振り向いているものの、自分はまだ四つん這いにミヅキに覆い被さったままである。


 さっきまでの艶めかしい騒ぎを棚に上げ、さすがに男女間のスキンシップに対して奔放が過ぎるのではないだろうか。


 そんな無頓着な姉の態度が、さらにエルトゥリンの神経を逆撫でした。

 ぱち、ぱち、ぱちと空いた間隔で乾いた拍手を始める彼女の顔は冷淡。


「姉様、良かったわね。ちゃんとミヅキに発表ができて。この日のために長いこと掛けて猛勉強してきた甲斐があったってものよね。使命を受けるまではろくに外の世界のことを知らなかった姉様が、よくもそれだけの博識になれたものだと心の底から感心するわ。姉様のために、せっせとたくさんの本を集めてきてあげた苦労が報われて私も本望よ。ふん!」


 怒り半分、呆れ半分にエルトゥリンは内輪の事情を暴露した。

 それを聞くアイアノアの顔は見る見る内に青ざめていく。

 だらだらと冷や汗を流し始め、自分の真下にあるミヅキの顔と目を合わせた。


「ア、アイアノア……?」


「う、これは、あのその……」


 それはもう見事なくらい瞳を泳がせているものである。

 と、思ったら顔を真っ赤にして大慌てで起き上がり、大声をあげながら妹に食って掛かるのであった。


「なっ、何でそれ言っちゃうのよー?! それだけはミヅキ様の前で言わないって約束したでしょう!? 何かを聞かれても不勉強で知らないわからないじゃ、恥ずかしい思いをするから必死に勉強してきたんじゃないっ! 授かった加護だけしか能の無い薄っぺらな女だって思われたくなかったのにぃっ!」


 エルトゥリンの両肩を掴んで揺さぶろうとしているアイアノアだったが、頑強で山のように立つ妹はびくともしない。


 つんけんしながらも泣きそうな顔の姉を見て、ちょっとは良心の呵責があるのかぼそぼそと気持ちを零していた。


「……だって姉様ったら、ミヅキとばっかり仲良くして面白くないんだもの……。ふんだ……!」


 かじり付いて抗議する姉から顔を背け、エルトゥリンは唇を尖らせていた。

 いつも口を酸っぱく注意しているのに、不必要にミヅキにべたべたする姉の奇行が許せない。

 わかりやすくも焼きもちを焼いてしまうエルトゥリンなのであった。


「あ、あー……」


 ようやく身体を起こし、座り込むミヅキはそんな二人を呆然と見ていた。

 そうして、何となく状況がわかってきて思わず吹き出した。


「……そういえば今朝、エルトゥリンが言ってたっけ。アイアノアは世間知らずで極度の箱入り娘だったって。今回の外の世界での仕事も初めてなんだよね」


 ミヅキがそう言うと、喚いていたアイアノアは長い耳をぴんと立たせてぴたりと動きを止めた。


 錆び付いた機械みたいにがちがちとミヅキに向き直り、決まり悪そうに両頬を手で覆って顔を隠そうとしている。

 そんな様子に、さっきまでの聡明でデキる女の面影はもうどこにもなかった。


「うぅ、ミヅキ様ぁ……」


 青ざめていたかと思うと、ミヅキと目が合うと茹でられたみたいに顔を紅潮させて恥ずかしがるアイアノア。

 このときになってミヅキは気付くのであった。


──エルトゥリンとキッキが配達から帰ってくるのを二人で待ってたとき。ダンジョン探索のいろはを説明してくれてたアイアノアが、ほっとしたみたいなため息をついてたっけ。多分あれは、勉強して練習した通りに知識を披露できて安心したからだったんだろうな。


「……ばれてしまっては、穴があれば入りたいほど恥じ入る思いです……。使命の勇者様の前で恥を掻きたくない一心で、たっぷりと時間を掛けて勉学に励み、書物を読み耽っては片っ端から知識を身につけて参りました。どのような問い掛けにもさりげなく受け答えできるよう備えていたつもりでしたのに……」


 澄ました顔のエルトゥリンを恨みがましくじろりと睨むアイアノア。

 と、次の瞬間にはぱっと明るい顔に戻って、再びミヅキの腕にしなだれかかる。


「でもでもっ、もう既成事実は成立しましたからねー。ふっふっふ……!」


「わっ、こ、今度は何だよ……?」


 戸惑うミヅキの顔を至近距離で見上げ、したり顔でにこにこと笑い、アイアノアはまたもとんでもないことを言い出した。


「人間の男性というものは、女性に料理を振舞われて美味しいと感じるとすっかり魅了されてしまい、身も心もその女性の虜になってしまうんだそうですねっ。私の作ったスープやジャムをミヅキ様は美味しいと仰って下さいました。だからつまり、ミヅキ様のお心はもう私のものということになりますよねっ!?」


「えぇっ!?」


 ミヅキは驚いて卒倒しそうになる。

 それと同時に、つくってくれた料理やジャムを美味しいと感想を伝える度にアイアノアが嬉しそうにして、不自然に馴れ馴れしくなった理由を理解した。


「さあさあ、観念なさって下さいまし。もうミヅキ様は私の思うがままです。これからは素直に言うことを聞いて頂きますからねっ!」


 アイアノアの無邪気な笑顔には疑う気持ちなんてこれっぽっちも無い。

 使命の勇者を好きにできる権利を得た、と本気で思っている様子である。


 きっとその知識も、何かの本で読んだのを真に受けてしまっているのだろう。

 自信満々なエルフのお姉さんを前に、ミヅキはどうしたものかと思案顔。


「ええとね、アイアノア……。よく聞いてほしいんだけど──」


 諭すようにミヅキはアイアノアにできるだけ優しく、おそらく曲解して認識したであろう知識を少しずつ訂正していくのだった。


 ときに、当初パンドラ踏破の使命に臨むのを拒んだミヅキの態度を「反抗期」であると、アイアノアが疑いなく誤解していたことを思い出していた。


 知識を間違って覚えたというよりは、彼女自身の理解の仕方に問題があるのではと思い、何とも言えない苦笑が漏れるばかりであった。




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