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第9話 不穏な兵士詰め所

「す、凄いな……! ここから見てるだけで足がすくんじまう……」


 ミヅキは山肌にぽっかりと口を開ける巨大な入り口を呆然と見上げる。


 森を抜けると、広大な山岳地帯にダンジョンが待ち受けていた。

 その圧倒的な存在感には驚かされるばかりである。


 と、同時にこれが夢だとするなら、あれは自身が無意識の中で生み出したものということになる。

 我ながら、自分の想像力の豊かさには驚くやら呆れるやら。

 と、期待通りな感想に満足したキッキは、今度は低い声で脅すように言う。


「信じられないかもしれないけどさ、あのご立派でいかつい入り口の飾り、あれ、初めはなかったんだよ」


 パンドラの入り口を彩る、荘厳な装飾や巨人の石像を指す。


「いつの間にかだーれも見てない夜の内に、たった一晩でいきなり現れたんだって。今もちょっとずつ形が変わり続けてるそうだよ」


 そんな馬鹿なとは思うものの、あれがミヅキの想像するものであるなら。

 後に続くキッキの補足説明はやはり想像通りのものであった。


「ダンジョンは生き物なんだよ。迷い込んでおっ死んだ奴の魂を喰ったり、迷宮内で自分で魔素を生み出したりして、それを栄養に少しずつ成長していくんだ」


 これもママの受け売りなー、と笑うキッキ。


「……うむぅ」


 ミヅキは何とも渋い顔をする。


 何と言うか、極めて特大の食虫植物を想像させた。

 甘い花の蜜と香りで獲物をおびき寄せ、まんまと体内に捕らえる。

 あとはじっと待っていればいい。

 獲物が迷ってゆっくりと力尽きるか、魔物の手に掛かるか、はたまた財宝に目がくらんだ果ての仲間内での同士討ちをするか。


 直接手を下すことはせず、間接的にあの手この手で生命を絡め取る。

 自らの内で命を落とした者を養分とし、ダンジョンはより大きくなっていく。


──なんて危険な場所なんだ、ダンジョンってのは……。いくら財宝があるんだとしても、リスクとリターンが見合ってないんじゃないのか。だけど、それでも挑む奴が後を絶たないっていうんだから、ファンタジー世界のダンジョンって不思議で不可解なものなんだなあ。


「でもまあ、俺が行くわけじゃないからなー」


 気の抜けた呟きを小声に出し、荷車を引くのを再開する。

 目の前の異様にわくわくもするし浪漫だって感じるが、そもそも入らなければ危険が及ぶことはない。

 ダンジョンは危ない場所、ならば近付かなければいい、が正解だろう。


 と、パンドラの大いなる入り口の少し手前、ミヅキから見て左手側に石造りの砦のような建物が街道に沿って見えた。

 ここだよ、とキッキが指差して示した。

 ここが配達の目的地の、兵士の駐屯所らしい。


 なんでも、いつも二十人程度の兵士が街から交代で詰めているそうだ。

 彼らの任務内容はダンジョンの管理で、魔物が内部から出てこないか、無法の輩が近づかないか等の治安維持、歩哨ほしょうを主としている。


「へぇ、お金取るんだぁ。ダンジョンの入場料みたいなもんか?」


 兵士の役割をキッキに聞いたミヅキは素っ頓狂な声をあげる。


 ダンジョンに入る者から、一回当たりの通行料を徴収するのも任務の一つだ。

 通行料はここら一帯を治める領主に収められ、トリスの街の統治や兵士への給金や物資の充足に使われる。

 パンドラが冒険者で賑わっていた頃は、さぞやその実入りも多かっただろう。


「──でも、見張りいないぞ?」


 ミヅキは眉をひそめて言った。

 確かに、ご立派なダンジョンの入り口には歩哨の兵士の姿は見えない。

 これでは通行料を払わずにダンジョンへ入り放題である。


「あれー、ほんとだ。なんで誰もいないんだ?」


 元々そういうものかと思ったがキッキの反応を見る限り、そうではないようだ。

 駐屯所の前に荷車を停め、入り口の金属枠の木製のドアをノックしてみる。

 それでも応答が無いため、キッキは扉を開けて中へと入っていった。


「こんにちわぁー、冒険者と山猫亭でぇーすっ! ただいま、お食事お届けにあがりましたぁー!」


 きらきらのとびっきり営業スマイルを浮かべる、猫撫で声のキッキだったが。


「……あれ? 誰もいない」


 駐屯所の中はもぬけの殻であった。


 その部屋は兵士の詰め所のようだった。

 石畳の床の広めの部屋で、いずれも木造りの長机と簡素な丸椅子が数多く並べられている。


 人の気配は無く、妙な静けさだけが漂っていた。

 背後からの森のざわめきと、野鳥の声がやけに際立って耳に届いた。


 キッキはさらに奥の部屋も見に行ったようだが、ミヅキはその部屋からいかにもな気配を感じていた。


「むぅ……」


 思わず唸り声を漏らしたのは、まだ温かい紅茶テイストな飲み物がそのままだったり、丸椅子が何脚か倒れていたりしていたからだ。

 多分、ついさっきまで兵士のみんなはここに居たのだろう。


 しかし、飲み掛けのお茶や倒れた椅子などを気に止めることなく急いで出払った後の状況のようだ。

 慌ただしさの痕跡が垣間見え、残るのは異様な不穏さだった。


──何だ? この嫌な予感しかしないシチュエーションは……。


 静まり返った空気の乾きが、言い知れない不吉な予感をさせた。

 じわっと脂汗が額や首筋に浮かぶ。


「奥にもいないや。みんないったいどこ行ったんだ……?」


 ミヅキが立ち尽くしていると、頭の後ろで両手を組んで、眉を逆への字にして口を尖らせたキッキが戻ってくる。


「んっ……?!」


 と、何かに気付いたキッキは急に耳を横にピンと張った。


 一瞬押し黙り、猫の耳をぴくぴくと動かしている。

 ミヅキには何も聞こえなかったが、獣人ならではの鋭い聴覚が何かの音か気配を感じ取った様子だ。


「──ちょっとあたし見てくる」


 これまで見たことがないほど緊迫した表情のキッキは、ドアを荒っぽく開け放つと弾かれたみたいに駐屯所を飛び出していった。

 ただならぬ事態が起こっているのはミヅキにもすぐわかった。


「なっ?! ちょっと待て!」


 声を荒げてミヅキも後を追う。

 外に出ていったキッキを探すと、その小さな背姿は真っ黒な大口を悠然と開けているパンドラの入り口の前にあった。


 また耳を横向けに張り、真っ直ぐに暗い迷宮の奥をじっと見つめている。

 キッキは身体中から冷たい汗が噴き出してくるのを感じていた。


 自分を見下ろすパンドラの様子が、まるで超大型の獣が大口を開けて小さな獲物が飛び込んでくるのを待ち構えているように思えたからだ。


「……聞こえる。兵士さんたちの声……!」


 キッキは焦燥を浮かべた表情で呟くみたいに言った。


 このダンジョンが危険なのは十分過ぎるくらいわかっているキッキなのに、衝動が抑えられなくなっている。

 何故なら彼女の耳に届いたのは、ダンジョン奥から響く、兵士たちの喧騒、怒号や悲鳴の類だったから。


 ある記憶が甦り、()()が外れる。


「あっ──」


 追いついたミヅキは、暗闇の先を見やるキッキの背中が低くなり、体勢がわずかに前かがみになっているのに気付いた。

 それは誰が見ても、飛び出す寸前の予備動作にしか見えなかった。


「待て! 行くな!」

「平気っ! ちょっと入り口覗くだけだからっ! ミヅキはここで待ってて!」


 言うが早いか前方水平に飛び跳ねるように走り出したキッキは、給仕服のスカートを派手に揺らしながらパンドラの闇奥へ溶けるように消えていった。

 ミヅキは顔面蒼白となって、全身の血が引く思いだった。


「待てって言ったのに……。マジかよおい……」


 制止の声も虚しく、もう見えなくなってしまったキッキの後ろ姿。

 愕然と立ち尽くすミヅキを暗黒のパンドラの入り口が物言わずに見下ろし、畏怖の念を突きつけてくる。


「危険な場所だって言ったのはそっちだろ……」


 震える唇で呟くミヅキの脳裏に、今朝キッキの話してくれた言葉が浮かぶ。

 一言一句違えずに、現在のダンジョンの危険さを思い出させられた。

 言葉を並べるキッキの不安や畏怖の感情が手に取るようにわかるほどに。


『10年前くらいかな……。パンドラに異変が起こって、それから街に来る冒険者の人たちが見る見るうちに減っていってさ』

『急に迷宮の魔物が凶暴化して、浅い階層なのに手に負えない強さの怪物が現れるようになったんだ。怪我人や、最悪命を落とす冒険者も増えてきて……』


「命を落とす……」


 その言葉にミヅキは頭から冷水を浴びせられたような感覚に陥った。

 だからか、自然と足が前に一歩出た。


「魔物が出たら全力で逃げるって言っただろうが……! くそっ!!」


 苦々しく独りごちると、ミヅキもまた太陽の光が届かない迷宮の暗闇に向かって駆け出していた。

 山の斜面に大きく開いた暗黒の淵に、その後ろ姿はすぐに飲み込まれて見えなくなった。


 気がつけば、ミヅキは迷宮へと足を踏み入れている。

 誘われるがまま、この世と隔絶された魔の領域に自らの意思で入っていった。


 近付かなければ危険は無く、それが正解であろう、と。

 さっきそう思っていた矢先だったのに。


 魔性なる深遠のダンジョンに人が、魂が堕ちていく。

 こうして今日も一人、また一人と──。



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