第85話 ファンタジー事情あれこれ1
「そんじゃ、ミヅキでいいな。よろしくな、勇者ミヅキさんよ。今後もご贔屓に」
エルフに続き、ドワーフというファンタジーな知り合いができた。
勇者と言われるのはむず痒いが、このゴージィとも仲良くなれそうな気がした。
と、ひとしきり笑った後、ゴージィはミヅキの後ろにじろりと目をやった。
目線の先に居るのは、にこやかに大人しくしているアイアノア。
「しっかし、行き倒れの勇者サマだけじゃなくて、近頃の街を賑わせてやがるエルフまで一緒とはなぁ。噂の種が揃い踏みとは、こりゃあいったいどういう了見なんだ? あぁん?」
迫力満点で偏屈そうに凄み、ゴージィはまっすぐアイアノアの顔を見上げる。
のしのしと小柄なのに重量感を漂わせてミヅキの横を通り抜けて歩くと、威圧的にアイアノアに近づいていった。
「ア、アイアノア……」
ミヅキは振り向いて、不安げにアイアノアを見やる。
──おいおい、エルフとドワーフっていえば、お互いの考え方や文化が合わないのか犬猿の仲だって聞いたことがあるぞ……。今はエルトゥリンはいないんだし、物騒な喧嘩を始めるのは勘弁してくれよ……。よ、よし、いざとなれば俺がアイアノアを守らないと……!
ミヅキははらはらしながら二人を見守っていた。
ここが想像通りのファンタジー世界ならば、エルフとドワーフが仲が悪いと相場が決まっている。
案の定、ゴージィはアイアノアの前に立つと、右の太い手を振り上げる。
言わんこっちゃ無いと血相を変えたミヅキは、喧嘩を止めようとして思わず二人の間に割って入ろうとした。
しかし──。
「歓迎するよ、エルフの客は本当に久しぶりだ。族長様は元気にしてるか?」
「はい、イニトゥム様は変わりなくご健在であられます」
ゴージィは大きな手で握手を求め、アイアノアも快くそれに応じてお互いに手を握り合っていた。
喧嘩など始まる気配は全く無い。
「あれー?」
二人の仲裁をしようとしたミヅキは勢い余ってしまう。
アイアノアとゴージィが握手をしているところに自分の手を掛け、まるで円陣でも組んで三人で手を重ねたような格好となってしまった。
「ミ、ミヅキ様?」
「お、どうしたんだ、ミヅキ。お前さんも俺と握手したかったのか?」
「あ、いやぁ……」
不思議そうな顔でアイアノアとゴージィに見つめられる。
ミヅキは重ねた手を引っ込めると顔を真っ赤にして全力で愛想笑いを始めた。
ますますもって怪訝そうな顔のゴージィだったが、アイアノアは何かぴんときたらしく、長い両耳を立ててくすくすと笑った。
「ミヅキ様、ご心配なさらずとも私たちエルフと、ゴージィ様たちドワーフの種族間の仲は悪くなんかありませんよ。他の国の事情は知りませんが、少なくともこの辺り一帯に住まうエルフやドワーフといった人間以外の種族は、お互いに友好的な関係を結んでおります。だから、ミヅキ様が憂いておられるようなことはありませんとも」
「そ、そうなんだ……。はは、そりゃよかった……」
ゴージィと握手した手を離し、アイアノアは脱力するミヅキに微笑んだ。
エルフとドワーフの仲が犬猿である理由は様々あるが、主に森や自然といった環境に対する考えと、互いの肉体の特徴の違いにあると考えられている。
エルフにとって森は神聖な場所で、共に生きていく母なる対象である。
それに対して、ドワーフにとって森は敬意を払いこそすれ、自然がもたらしてくれる資源を生活に生かして消費する対象だと捉えている。
だから、木々を伐採して鍛冶のための燃料に変えたり、動物や果実といった食料を確保することに頓着しない。
エルフはドワーフを肉体の強さしか取り得の無い体力馬鹿だと見下し、ドワーフはエルフを魔法しか能の無いひ弱な奴らだと馬鹿にしている。
美的感覚にも大きな見解違いがあり、美しいエルフはドワーフから見れば、のっぽが過ぎるうえ、がりがりに痩せていて気持ちが悪いと感じるらしい。
その逆も然りで、美しいとされるドワーフはエルフからすれば背が低過ぎ、太り過ぎのずんぐりした体型に加え、筋肉がごつごつで美しくないと映ってしまう。
しかし、ここイシュタール王国、トリスの街や付近の集落、エルフの里ではそういった概念が異なっていて、亜人同士の友好関係は極めて良好であるという。
能力や外見でお互いを色眼鏡で見るようなことは無いそうだ。
「──ん? んん?」
ふと、アイアノアの笑顔を見ていたゴージィが眉をひそめる。
小首を傾げて目を細め、じぃっとアイアノアの顔を凝視していた。
「なぁ、エルフのお嬢さん。お前さんの名前、聞いていいかい?」
「えっ? あ、はい。アイアノア、と申します」
「ふむ……。あんたもパンドラの地下迷宮に挑むクチかい?」
「そうです。里よりパンドラ踏破の使命を帯びて、この地に馳せ参じました」
「へぇ、エルフの里から。パンドラに行く使命を、か……」
「はい、その通りです、けど……」
「……」
唐突なゴージィの問いに、アイアノアは答えながら目をぱちぱちと瞬かせる。
しばし押し黙るゴージィは、さらにアイアノアの顔を食い入るように見上げていて、何かを考えているようだった。
その様子にアイアノアは動揺を見せて、おどおどと肩をすくめて身を引いた。
老練なドワーフの彼の言葉には、特に他意は含まれていなかったのかもしれないし、何気ない問いでしかなかったのかもしれない。
「──あんた、誰かによく似てるなァ……。アイアノア、あんたもしかして……」
そこまでゴージィが言うと、アイアノアはぎくりとした表情を強ばらせた。
その質問の意図に何か心当たりがあったらしい。
急にあたふたと慌てふためき、外套を頭からばさっと被って後ろを向くと、早口でまくしたてる。
「きっ、気のせいですっ! エ、エエッ、エルフなんて、みんな似たような顔をしていますからっ……! ゴ、ゴージィ様の思うよく似たどなたかと私は、きっと何も関係ありませんよっ! 関係ありませんとも……!」
アイアノアがあまりにうろたえるので、ゴージィのほうがぎょっとしてしまう。
あっと声をあげると、掌で顔を叩いてわざとらしく大きな声で言うのだった。
「あ、あァー! 悪ぃ、俺の勘違いだったよ! そうだな、エルフはみんな小綺麗で似たような顔してるからなぁ。別の奴と見間違えたみてえだ、俺も随分ともうろくしちまったもんだ。だから、今のは忘れてくれ。お前さんもだぞ、ミヅキ、な!」
自分の顔を叩いた手と逆の手を振りかぶり、ミヅキの背中を引っぱたく。
ばぁんっ、と派手な音が店内に響き渡り、予想通りの強い力に息が詰まる。
「うっ、痛ってぇっ! わ、わかったよ……。何が何だかよくわからんかったけど、とりあえずわかったからもう叩かないでくれよ、ゴージィの親分っ……」
すぐに返事しないと、さらにもう一発叩かれそうな雰囲気に慌ててそう答えた。
ミヅキからしてみれば、目の前で勝手に交わされた二人のやり取りのとばっちりもいいところだった。
ただ、心の奥底に何かざわめきが起こるのを感じる。
またぞろ、地平の加護の「洞察」の権能がミヅキの中で稼動しているようだ。
今のは重要なポイントだから覚えておいてくれたまえ、と雛月に言われている感じがしてミヅキはため息をつく。
──へいへい、言われなくても今のはわかったよ。んで、どういう風に覚えておけばいいんだ? ゴージィ親分の知ってる誰かにアイアノアはよく似てるみたいだけど、アイアノアはそれを気付かれたくないって思ってる、ってところか……?
これが雛月の言っていた、物語の因子を集めていく、ということなのだろうか。
ミヅキの心の中の問いに雛月は答えなかったが、何となくこれがそういうことなのだろうと理解した。
「さぁ、ミヅキにアイアノア、パンドラに行くための準備をしてるんだろう? 面倒臭ぇ話はもうおしまいにして、楽しいお買い物としゃれ込んでくれや。まぁ、そうは言ってもパンドラの異変以降、ろくな鉱石が取れやしねえから万年材料不足で、大して良いモンは仕上がってねえけどな……」
その面倒臭い話はゴージィの持ちかけてきた話だったのでは、とミヅキは思ったが、アイアノアの手前、それ以上は一旦気にしないでおくことにした。
ただ買い物と聞いて、後ろめたい事情があるのを今になって思い出す。
未だに外套で顔をすっぽりと隠して、不安そうな目だけを覗かせている覆面状態のアイアノアの顔に振り向いた。
「アイアノア、そういえば今更で申し訳ないんだけど……。俺、文無しだった……。武器やら防具やら買えるお金持ってないや……」
現実世界の社会人、佐倉三月としてならともかく、異世界で行き倒れていた勇者のミヅキは先立つものを何も持っていない。
申し訳なさそうにミヅキが言うと、アイアノアはさっきまでの狼狽ぶりが嘘みたいに顔を明るくさせ、隠していた顔を露にして外套をばさっと翻す。
「ご安心下さいまし、ミヅキ様っ! 使命を果たすための路銀の工面なら、この私にお任せを! 万事抜かりはございません、これをご覧になって下さい!」
アイアノアはすっかりいつもの調子に戻り、腰に付けている革製のウエストバッグから何個かの小さな塊をごそごそと取り出し、両掌に乗せてミヅキに差し出した。
彼女の掌にちょこんとあったのは、美しい宝石を思わせる複数個の色とりどりの小さな石であった。
大きさは大体3センチ程度で、楕円形やら長方形やらとその造形もそれぞれだ。
「これは? 綺麗な石だなぁ」
「ほほぉ、そりゃあまた……」
横から色めき立ったゴージィが身を乗り出してくる。
ミヅキにはぴんとこなかったが、ゴージィのその様子からこの綺麗な石が値打ち物であることが窺い知れた。
アイアノアは満足そうににっこり微笑むと、青、赤、黄色といったカラフルな石の説明を得意げに始める。
「これらは私たちエルフの魔力を込めてつくった「魔石」です。魔法道具としても優れているうえ、宝石としても価値が高い貴重な品物です。魔石を作成する技術はエルフの秘法中の秘法で、此度の使命の折に族長様が持たせてくれました」
エルフの魔石。
おそらくはこれもファンタジー世界のアイテムの一つで、察するに個々の魔石に様々な魔力が秘められていて、必要に応じて不可思議を発現するのだろう。
ただ、その秘法の結晶を見てミヅキが感じていたのは別のことだった。
「──ちょっと見せてもらっていい?」
「はいっ、どうぞお確かめになって下さいまし」
明るく答えるアイアノアに断り、ミヅキは魔石を一つ摘み上げる。
掌に転がしてじっと凝視してみた。
ひんやりとした感触かと思いきや、自ら発熱しているのかほのかに温かい。
視覚と触感を通して、エルフの魔石の情報がすぅっと頭と身体に浸透していくのがわかった。
言うまでもなく地平の加護がエルフの魔石を「洞察」し、その概念を理解しようとしているのだ。
強制的な働きがミヅキの意思に影響を及ぼし蠢いているのかと思うと、雛月の思惑は自分の一部だとしても複雑な気持ちになった。
──うぅ、わかったって! この魔石のことも覚えておけって言うんだろ? 勝手に身体が動く訳でもないのに、何か雛月に操られてるみたいで気持ち悪いなぁ……。
ミヅキが難しい顔をしていると、アイアノアは真面目に話し始めた。
地平の加護のそんな事情は知らないが、ミヅキの境遇はちゃんと心得ている。
「ミヅキ様の懐事情はパメラさんから伺っております。そして、パメラさんはパンドラに挑む門出に、ミヅキ様に心ばかりの路銀を持たせる心遣いを申し出て下さりました。ダンジョン攻略には少なからずのお金が必要ですからね」
「えっ!? 自分の店が借金で苦しいのに俺のために大事なお金を!? まさか受け取ったのか? 俺、そんな話聞いてないよ……」
それを聞くとミヅキはぎょっとして、ぼんやり魔石に落としていた視線をアイアノアに振り向ける。
但し、穏やかな表情でアイアノアは静かに首を左右に振った。
ミヅキが何を心配しているのかにも配慮しているようだった。
「いいえ、丁重にお断りさせて頂きました。これ以上、パメラさんのお宿を金銭的に困らせては本末転倒ですからね。そこで、私たちが用意したこの魔石と、代わりにとパメラさんから頂戴しました「これ」の出番という次第なのです」
そう言うと、アイアノアは魔石を持った手とは逆のもう片方の手で、再び腰の鞄をごそごそと探る。
そして、取り出して見せたのは赤く平たい掌サイズの何かだった。
「なんだこれ?」
「おぉ、あんたら! こりゃあすげえ……!」
差し出されたそれが何なのかよくわからなかったミヅキと違い、またも横から見ていたゴージィは目を見開いて驚いていた。
予想通りなゴージィの驚きとは裏腹に、貴重であるはずの品物の数々に無頓着且つ要領を得ないミヅキにアイアノアはちょっと困り顔で笑う。
「もう、ミヅキ様ったら……。こちらは昨日のパンドラで、ミヅキ様の御力により見事に撃退したレッドドラゴンの鱗ですよ。状態の良いものを選り分けて、パメラさんが取っておいてくれたのだそうです。パンドラの狩りの成果を、戦利品としてミヅキ様に、と」
「ああ、これ、あのときのドラゴンの尻尾かぁ!」
思い出すのは、昨日ということになっているダンジョンでの記憶。
キッキを追って足を踏み入れた先で遭遇したのは、ダンジョンの序盤から出会うにはあまりにも強大過ぎるモンスター。
レッドドラゴン。
目覚めたミヅキの地平の加護の付与魔法でこれを撃退した。
その際に、エルトゥリンが切り飛ばしたレッドドラゴンの尾を持ち帰り、パメラに料理してもらった残骸がこの赤い竜の鱗という訳だ。
「このドラゴンの鱗はミヅキ様の御力で手に入れた品物なのですから、気兼ねなく懐に収められますよね。これで当面はお金の心配はなさらずとも大丈夫ですよ」
「うん、まあ、そうだね……。色々と気ぃ遣わせちゃってるなぁ、悪いね……」
いえいえ、と愛想良く微笑むアイアノアに、ミヅキは気が和らいでほっこりさせられる。
その様子を見て、大体を察した風でゴージィはふぅむと唸って瞑目した。
「ふぅん、なるほどな。さすがに眉唾だと思ったが、あんたらがパンドラでドラゴンに遭遇したうえ、美味しく料理して食っちまったってのは本当だったんだな。普段、物々交換はやってねえんだが、他でもねえパメラとのよしみだ! いいぜ、武器でも防具でも好きなの持っていきな、まけとくぜ!」
にかっと髭の顔に皺を寄せ、気持ちのいい表情でゴージィは笑った。
何から何までアイアノアやパメラの世話になる形となってしまった。
しかし、エルフの魔石とドラゴンの鱗とを物々交換する形で、ミヅキは実は憧れていたファンタジー世界の武器と防具を手に入れることができたのであった。
剣や盾を振るい、兜を被って鎧を身につける、それは男の浪漫だ。
「悪いね、色んなこと知らないうえに文無しでさ……。俺、まだこの国の金銭感覚がよくわかってなくて、実用の武具ともなれば多分安いものじゃないんだろうけど今回だけはみんなに甘えさせてもらうよ。どうもありがとうございます!」
パンドラの地下迷宮付近にて全裸で記憶喪失で行き倒れて、一文無しで住む場所も行く当ても無く、仲間、友達、知り合いも無し。
過酷で天涯孤独な立ち上がりに女神様の試練の厳しさを垣間見る。
ミヅキは恵まれた環境と頼れる仲間に感謝し、一旦は流れのままに素直に身を任せてみようと思ったのだった。




