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第80話 エルフの巨乳に包まれて

「うぶぅっ?!」


 左頬に猛烈な痛みと衝撃を受けて、勢いのまま仰向けに倒れこんだ。


 倒れた先にはやや固めの枕があり、転倒の勢いを若干は和らげてくれた。

 しかし、あまりのショックに頭がぐるぐると回っている。


「な、なんだ……? 何が起こったんだ……?」


 ベッドに転がされて見慣れない天井を見上げている。

 頬の痛みと併せて耳がキーンと耳鳴りを起こしていた。


 ふと、ぼやける視界に長身の輪郭が映っているのに気付く。


「何を寝惚けてるの。……ふぅ、やっぱり男はみんなケダモノね」


 冷めた口調の素っ気無い声がした。

 白銀色のボブヘアーを揺らし、耳の長く尖った彼女が右手の平手打ちを終えた後の姿勢でこちらを冷ややかに見下ろしていた。


 人間離れした美麗な容姿をしていて、どこか野性味を感じさせる。

 長い前髪の隙間から宝石のような青い瞳がのぞいていた。


 徐々に脳が覚醒してくると、それが誰だったのかを鮮明に思い出してきた。

 そして、自分の名前を呼ばれるとようやく頭が回り始める。


「──ミヅキ、もうすっかり朝よ。いい加減に起きてよね」


 そう言い残すと、耳の長い彼女は部屋の窓のほうへつかつかと歩いていく。

 ばたん、と朝の日差しが眩しく入り込む窓を開け放ち、木造りの個室に新鮮な空気が入ってきた。


 軽装な白い衣服の後ろ姿。

 短めなスカートから伸びている引き締まった裏腿の素肌が眩しい。


 窓の外から吹き込む涼しい風を受け、長い耳をぴこぴこっと動かしている。

 思わず声がついて出た。


「あぁ、お、おはよう……。い、妹エルフさん……」


 すると、耳長の彼女は不機嫌そうに振り返り、目を細めてじろりと睨んできた。

 元々冷たい印象の表情がますます険しくなる。


「……もう、名前」


「あ、いや、ごめん……。エルトゥリン、さん……」


「さんはいらない。おはよう、ミヅキ」


「……おはよう」


 刺々しい態度の彼女の名前が記憶から巡ってきていた。

 もうその頃には、はっきりと自分と状況を認識できるようになっていた。


 自分の名前はミヅキ。

 パンドラの地下迷宮の異世界に転移した、勇者のミヅキ。


 この部屋は、居候(いそうろう)してお世話になっている宿屋「冒険者と山猫亭」の、ミヅキ用に割り当てられた客室の内の一室だ。

 簡素な木製のベッドにシンプルな机と椅子が配置されている。


 ミヅキは麻の部屋着を着ていて、アパートの自室でさっきまで着ていた服はどこにも見当たらない。

 ごわごわした毛布の中から上体を起こし、ひりひり傷む左頬に手をやる。


「痛ててて……。俺、ぶたれたのか……? 雛月の奴にいきなり引っぱたかれたと思ったら目が覚めて……。結局のところ、雛月のところが夢でこっちの世界が現実ってことになるのか? うーむ、感覚がややこしいなぁ……」


「何をぶつぶつ言ってるの?」


 ベッドに座ったまま、誰に言うでもなく呟くミヅキ。

 そんなミヅキの前で仁王立ちし、怪訝そうに見下ろしているのは──。


 白銀色の髪の隙間に見える青い瞳はサファイアのよう。

 服の上からでもわかる豊かな胸を張って、筋肉質ながら女性らしいボディラインが際立っている。


 先端の尖った長い耳が特徴的な長命な種族で、男女問わずその容姿は端麗。

 明らかに人間ではない彼女はファンタジー世界の住人、エルフ。

 彼女の名は妹エルフこと、エルトゥリン。


「あぁ、エルフのエルトゥリン……。また会えたぁ……」


 鉄面皮のエルトゥリンを見上げてミヅキは独り言みたいに言った。


 相変わらず身体に違和感を感じる。

 異世界転移先の身体は、現実世界の身体と違うのは間違いないようだ。

 

 ミヅキはすっきりしてきた頭でぼんやりと状況を確認していく。

 地平の加護の言葉通り、記憶の同期が正常に機能していた。


「やっぱりこっちの世界がまた始まるんだなぁ……。順番的にそういう感じになるのかな……。とりあえず、前のあれで終わりじゃなかったってことだな……」


「……ミヅキ、まだ寝惚けてるの? 終わりも何も、まだ始まってもいないでしょ。独り事言ってないで、さあ早く起きて」


 エルトゥリンの声は不自然に低い。

 早く起きるよう急かすエルトゥリンが苛々して見えたのは気のせいではない。

 頬が痛む原因が何だったのかと思うと、気が気ではなかった。


「……あ、あのさ、俺、エルトゥリンに何かまずいことした、かな?」


 恐る恐る聞いてみると、エルトゥリンは間を置かず大きなため息をついた。

 それはもうわかりやすく、盛大なため息であった。


「こんなのが私たちが探し求めてた勇者様だなんてね……。起こしに来るのが姉様じゃなくて本当に良かったわ」


 エルトゥリンがぼやくと部屋の空気がピリピリした。

 これは確実に何かやらかしてしまったに違いないと、ミヅキは背筋を寒くする。


 と、ほどなく部屋の入り口のドアがコンコンとノックされた。

 ドアを隔ててもわかるくらい、高くて綺麗な声音が聞こえてくる。


「ミヅキ様ぁー、おはようございますー。入りますねー」


 ガチャリとドアが開かれる。

 するとそこに、幻想世界を象徴する見目麗しい姿がふわり、と現れた。


 腰まで伸びた長い髪は金色で艶々としている。

 エルトゥリンと同じく、耳介部分が尖った長い耳。

 美しくも可愛らしいお人形さんみたいな整った顔の造詣。

 その目の輝きは緑色でエメラルドのようだ。


 白い肌の四肢が露出する青葉色の服装に、茶褐色の外套を羽織っている。

 すらりと伸びた足を包むのは、膝下までの編み上げブーツ。

 軽やかに部屋に入ってきたのは、ほんわか笑顔のもう一人のエルフ。


 何よりもそのスタイルの良さに目を奪われる。

 服の上からでもわかるくらい、存在感を主張する大きな両胸が揺れていた。


「あら?」


 と、彼女は部屋のおかしな雰囲気に足を止めた。

 頬を押さえてベッドの上で縮こまっているミヅキ。

 肩を怒らせる不機嫌そうな妹のエルトゥリン。

 二人の姿を交互に見比べ、何があったのかと目をぱちぱちと瞬かせていた。


「姉様聞いて。ミヅキったら寝惚けて私に抱きついてきて、おまけにキスまでしようと迫ってきたの。本当、信じられない。言った通りでしょ、男はみんなケダモノなのよ」


 目だけ動かし、エルトゥリンは早々にミヅキの狼藉(ろうぜき)を暴露した。


 うげっ、と呻くミヅキは思い出していた。

 夢の中と思われる心象空間で、雛月と交わしていたやり取りを。

 あれはきっと、こういうことだったのだ。


 夢に出てきた夕緋と行ってきますの抱擁とキスを交わそうとしたところ、途中から雛月と入れ替わっていて、その腰を抱いた両手が離れない状況だった。

 但し、どうやら実際に抱きついていたのは、こちらの世界のエルトゥリンだったようである。


 エルトゥリンからしてみれば、ミヅキを起こしにきたら寝惚けて抱きついてこられた挙げ句、いきなりキスを迫られたのだから平手で張り倒してしまうのは仕方のないことであった。


「私が行って正解だったわ。ただでさえ姉様は無防備で危なっかしいんだから、男には気をつけないと駄目──」


「──まぁっ、大変っ!」


 エルトゥリンが言い終える前に、お姉様のエルフはミヅキに駆け寄っていた。

 ミヅキの顔にふくよかで豊満な胸がぶつかってくる。

 さらにそのまま両手で抱きしめられた。


 むにゅうううっ!


 その衝撃たるや、物凄まじい。

 衣服越しでも充分伝わってくる柔らかな双丘の感触に飲み込まれる。

 ただでさえ平手打ちで目を回していたところなのに、さらに意識をくらくらさせられてしまった。


「うっはぁー!?」

「もう、姉様ぁ……」


 顔に手を当て、呆れるエルトゥリン。

 姉を心配する妹の長年の悩みは、今後も解消されることは多分なさそうだ。


 ミヅキは魅惑の胸の中で死に物狂いでじたばたともがいている。

 そうして、浮世離れの美しいエルフの名を思わず口にしていた。


「アイアノアっ……! ちょ、苦しい……!」


 再び記憶から呼び出された姉のエルフの名前。

 ──アイアノア。


 ファンタジー世界のエルフの容姿にこのうえなく忠実で、ミヅキの憧れど真ん中の対象そのものであるのは言うまでもない。

 エルトゥリンも充分に綺麗であるが、ミヅキの中でエルフの美しき外見はかくあるべきと観念化しているのが、このアイアノアなのであった。


「大丈夫ですか、ミヅキ様っ! 妹の失礼をどうかお許し下さいまし……。決して悪気があったわけではなく、突然の事に少し驚いただけなのです! エルトゥリンにもどうか心の準備をする(いとま)をお与えくださいませっ……!」


「うぐぅ、く、苦しい……。死ぬぅ……! た、助けてくれぇっ……」


 本人は純粋に心配する気持ちで抱き締めているつもりなのだろう。

 助けを求めるミヅキの声が届いているかどうかは正直怪しい。


 存外に強い力での、逃げ場のない抱擁にミヅキはもう虫の息だ。

 大迫力のバストに圧迫され、視界もお先も真っ暗になっていく。


──ううぅ、魂の死は肉体の死だって、夕緋と雛月に念を押されたばっかりなのに、まさかこんなにも早く命の危機がやってくるとは思いもしなかった……。しかも、その理由が美少女エルフのおっぱいに挟まれて窒息死だなんて、死んでも死に切れねえっ……!


 薄れゆく意識の中で、ミヅキは早々に訪れた思わぬ緊急事態に驚愕していた。

 哀れ勇者ミヅキは、美少女エルフのおっぱいに窒息させられ、あえなくもゲームオーバー。


 まさかまさか──。

 女神様の試練がこんな形で終わりを迎えてしまうとは、嗚呼(ああ)、無情である。


──夕緋、雛月、そんな目で見ないでくれ……。こんなのどうしようもない……。俺は精一杯やったよ……。先立つ不幸をどうか許して、くれ……。


 くるくると回る走馬灯よろしく、ミヅキの脳裏に彼女ら二人の姿が浮かんだ。

 両腕を組んで立つ夕緋と雛月が、しょうもない物でも見るような軽蔑した眼差しで情け容赦なくミヅキを睨んでいる、ような気がした。


「姉様、そろそろ放してあげないとミヅキ危ないよ……」


 果たして深刻そうなエルトゥリンの忠告は聞こえているだろうか。

 このままでは本当に取り返しのつかない事態になりかねない。


「えっ? はっ!?」


 と、すんでのところでアイアノアはミヅキの顔が真っ赤に腫れているだけでなく、血の気の引いて青くなっているのに気がついたのだった。


「きゃあっ、ミヅキ様っ!? ああ、こんなにお顔を赤く腫らして、顔色も真っ青ではありませんかっ……。いったいどうしてこんなひどいことに……」


「顔色が悪いのは姉様のせいだからね」


「ミヅキ様、すぐに良くして差し上げますから、じっとしていて下さいましっ!」


「はぁ、まったくもう……。全然聞いてないし……」


 何をどうやっても声が届かない姉にエルトゥリンはため息をついた。

 そんな妹を尻目に、ぐったりしたミヅキの両頬を、アイアノアは自分の両手で包み込むようにしてかざした。


 すっと瞳を閉じて、言葉なく心に何事かを念じる。

 アイアノアの(すべ)らかな指先に透明な緑の淡い光がともり、薄地のカーテンがたなびくような光がミヅキの顔を優しく撫でていった。


「お、おぉ……」


 思わず、感嘆の声が漏れる。

 この感覚を味わうのは初めてではない。


 無造作に行われる超常の奇跡、魔法による治療である。

 怪我を治す風属性魔法、風の癒やし(エアヒール)


 これはアイアノアが得意とする、風の魔力を用いた癒しの風魔法だ。

 嘘みたいに痛みと腫れが引いていき、痺れた感覚だけが頬に残っているのが妙に現実感を感じさせた。


「これで大丈夫です。お加減はいかがですか?」


「う、うん、もう大丈夫。ありがとう、アイアノア……。あと、おはよう……」


「はい、おはようございますっ」


 魔法の治療は完了し、たじたじに答えるミヅキにアイアノアはにこりと微笑む。

 と、すくっと立ち上がり、振り向きざまにエルトゥリンに詰め寄った。

 その顔は眉をつり上げていて、激しくお(かんむり)な様子だった。


「エルトゥリンッ! いくらなんでもやりすぎよ! ミヅキ様がお怪我をされたらどうするつもりなのっ?! ミヅキ様にもしものことがあっては、私たちの使命は果たせなくなってしまうのを忘れたの!?」


「大丈夫よ、姉様、手加減してるから」


「そういう問題じゃありませんっ! もう、どうしてあなたって子はいつもそんなに手が早いの……? ミヅキ様がいったい何をなさったというのよ……」


「き、急に抱きつかれてキスされそうになったら手も出るでしょっ……」


「とにかく謝りなさい!」


「い、嫌よ。私は悪くないものっ」


 この世の物とは思えない美少女なエルフ姉妹がやいやいと言い合っている。

 その傍らで、ミヅキはあんなに傷んでいた左頬がすっかり治ってしまった事実と向き合っていた。


 居るはずのないエルフという幻想的な種族。

 あるはずのない魔法などという超常の概念。


 それらの非現実は、いよいよ自分が本当の異世界に巻き込まれてしまったことを物語り、実感をさせられた。

 ベッドに座り、壁に背をつけたまま頬をさすりさすり思う。


──一度目は夢や幻で済ませたこの世界も、さすがに二度目ともなると否定しようがないな……。ありがちだけど、ビンタを喰らったこの痛みは本物だ……。もう、これが夢であるはずがないなぁ……。


 エルトゥリンにお小言を言うアイアノアをふと見上げる。

 物を言う度、ゆさゆさと揺れているのは彼女の立派過ぎるおっぱい。

 あれは間違いなく本物で、押し付けられた感覚は衝撃的すぎた。


「……やれやれだぁ」


 それとはなしに目をやると、窓の外に見えるのは違う世界の青い空。

 あの空の下には、ミヅキのよく知る現実の世界には存在しない、見たこともない世界が広がっているのだろう。


 ミヅキの元の身体、佐倉三月の肉体を現実世界に置き去りにして。

 地平の加護を初めから内蔵していた勇者ミヅキの身体に。

 今は意識だけを移す形でこうして異世界転移を果たしている。


『自分に酷似した身体の持ち主が勇者で、ミヅキはそれに憑依している』

『ミヅキ自身の意識が勇者で、現実世界より対象の身体に召喚された』


 その両方の事実に則り、勇者ミヅキは再びこの地に帰って来た。


 異世界転移、その二巡目が始まったのだ。



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