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第8話 伝説のダンジョン

「はーい、休憩おしまい! 行くぞー!」


「ちょ、ちょっと待ってくれえ……。こんな山道とは聞いてなかった……」


 パンドラへ向かう街道の途中の木陰。

 意気揚々と立ち上がり先を急ごうとするキッキと、息も絶え絶えに座り込んでいるミヅキの姿があった。


 そこは小高い丘の上。

 傾斜の緩い開けた場所になっており、青々とした背の高い樹木が丁度優しく日光を遮ってくれていた。


「だらしないなぁ。ほら、ちゃんと水分は取っておけよ」


 キッキから受け取った皮製の袋の水筒には、パメラが作ってくれた柑橘系の果実を絞った、ほんのりすっぱく甘いジュースが入っていた。


 冷えてはいないが山道を重い荷物を引いて疲労し、汗をかいて喉が渇いている今は大変ありがたい。

 気候は暖かく初夏を思わせ、屋外でずっと運動していれば熱中症も有り得る。


「ふう……」


 水筒に口を付けて身体に染み込むジュースをぐびぐび飲みつつ、丘の上からさっき通ってきた街を一望する。

 確か、名前はトリスの街といった。


 大小様々、色とりどりの建物がところ狭しと軒を連ね、幾本もの通りを伸ばして、一つの街として雑多に成り立っていた。

 人が集まり、後から後から建物が増えて、どんどん街が大きくなっていっただろうことは想像に難くない。

 何とも言い尽くせない人の営みは、まるで一個の生物のようであった。


「キレーだなぁ。それに──」


 街の向こう、遠く遠くまで続く草原と思われる緑の平野。

 さらにその先の広大な地平線。

 もう充分、お腹いっぱいなほどの現実離れした非現実の光景だった。


 これは本当に夢などではなく、こんな異世界にはるばると来てしまったのではないだろうかと望郷の念にも似た思いが湧き上がる。


「あたしにもちょうだい」


 横からひょいっと水筒を取られ、キッキもごくごく水筒の中身を堪能していた。

 木漏れ日の下で、額に汗を浮かべて両手で水筒を掴み、目を閉じて可愛らしく喉を鳴らしている姿はきらきらして見えて現実味があった。


 この猫の少女も夢や幻ではなく、実在する確かなものなのだろうかとぼんやり思っていたところ。


──あ、間接キスとか気にしないんだ……。


 などという雑念にかき消され、それ以上深く考えることもなかった。


「ん、何だよ? あたしの顔をじろじろ見て、まだ欲しいのか?」


「ああ、いや、もう大丈夫だよ……」


 キッキも気にした様子はなく、水筒をもう一口飲むとぷはー、と息をついた。


「よーし、もう一息だ! ここまできたらもうあと半分だぞー!」


「うげえ、まだ半分もかよー……」


 意気洋々に元気良く立ち上がるキッキと、対照的にげんなりした顔のミヅキ。

 よろよろと重い腰を上げると尻に蹴りを入れられ、もとい発破をかけられた。

 そうして二人は再びダンジョン、パンドラを目指して傾斜の緩やかな坂道を進んでいくのであった。


 がたんがたんと、未整備の街道に荷車がせわしなく揺れる。

 目的地に近づくにつれ、ダンジョンがあるという山岳地帯は巨大な山々が連なって深く険しい様相をあらわにしてくる。


 街道の両脇は鬱蒼とした森になっており、生い茂る木々で薄暗い。

 その足下には自然に任せた下生えが広がっている。

 風でざわめく森は言い知れず不気味な雰囲気であった。


──何か出そうだなぁ。モンスターとか出ないだろうな。勘弁してくれよ……。


 不安げにそう思って落ち着きなく森を恐る恐る見ていると、キッキは考えを察したようにそっけなく言った。


「昼間は大丈夫だよ。街も近いし、ほとんど魔物が出ることはないよ。だけど、夜はちょっと危ないかな」


 ぎょっとするミヅキの表情が面白かったのか、キッキはけらけら笑っていた。

 魔物が出る、という事実に戦々恐々とするミヅキを追い討ちするか、救済するかのようにキッキは続けた。


「だから夜の配達はやってないんだ。もしも魔物が出たら全力で逃げるから遅れるなよな。喰われるの嫌だろ」


「わ、わかった……」


 びくびくするミヅキを見て吹き出すと、キッキは前に向き直って行く前方の山々を見上げた。


「まあ不思議とパンドラの近くって魔物が出ないんだよ。迷宮深くから漏れる魔素を怖がって、外の魔物が近寄れないんだって。これママの受け売り」


 ミヅキもキッキに習い、前方にそびえ立つ山のほうを見やる。

 標高は相当に高く、草木もまばらな岩山たちがもう随分と近くまで迫っていた。


 時計が無いので時間がわからないが、太陽の位置や歩いた体感からして、パメラの店から二時間くらいの距離だろうか。


「あ、そうそう」


 思い出したようにキッキは森の一角を指差した。


「ミヅキ、その辺で行き倒れてたんだよ。……素っ裸で! ぷーっ、くすくす!」


 ついでに思い出し笑いのキッキが示したのは、わずかほど木々が開けた森の隙間の茂みだった。


 全裸で倒れていたのをからかわれるのは苦笑するしかないが、指された場所は街道から外れており、意識して探さなければ誰かが倒れていてもそう簡単には見つけられはしないだろう。

 よくもこんな目立たない森の中から自分を見つけてくれたものだと感心する。


「よく俺が倒れてたのに気が付いたもんだなぁ。かなり森の深いところじゃないか。見つけてもらえなかったら俺は今頃魔物の餌食か……」


「きっとそうだろうね。拾ってやったママとあたしに感謝しろよな」


「あ、ああ、助かったよ。ありがとな、キッキ」


「うんうん、よろしい」


 感心してお礼を言うと、キッキは満足そうに笑って頷いていた。

 そう言えば、初めてこの猫少女の名前を口にしたと思いつつ。


 ミヅキはもう一度森のほうを見た。

 この先にパンドラのダンジョンがあるのならば、本当に曰くつきの場所の目と鼻の先でミヅキは気を失い、倒れていたことになる。


──何だって俺はこんなところで記憶を失って倒れていたんだ? しかも、全裸ってどういうことだよ……? この異世界で目覚める前はちゃんと服も着てたのに……。いったい何がどうなってるのやら……。


 怪訝に森を見つめるものの、他人事風で心ここにあらずに考えるのはやはりこれが未だに夢であると思っているから。

 一晩限りの仮初めの夢ならば、そこまで深く考えても仕方がない。


「丁度、配達が終わって、荷物が空になってたところでさ。その日よけの布でママがくるくるっとミヅキを簀巻きして、街まで乗せて帰ったんだよ。さすがに全裸の男を荷車に乗せて、街を練り歩くわけにはいかなかったからなあ」


「うぐぐ……! 何だか無性に恥ずかしくなってきた……!」


 今は兵士たちの食事を運ぶ、荷車の厚手の布を振り向き見た。

 パメラの迷いの無い手際の良さでぐるぐる巻きにされ、衆目を浴びつつ運搬されていった自分の姿を想像して、このうえなく身の置き所の無い不名誉をこうむってしまったと感じる。


「──でも、ほんと偶然だったんだよ」


 ふと、前を向いたままキッキは言った。


「ミヅキを見つけたときのことだけど、ママが急に森のほうを見て言ったんだ。森がざわめいてる、パンドラの魔素が漏れてるのかもって」


「へぇ、パメラさん、そんなのわかるんだ」


「ママは特別さ。そんで、ちょっと気になったから森の奥を覗いてみたらミヅキが倒れてたってわけ。……すっぽんぽんの丸裸で。ぷーっ、あっはっはっは!」


「もうそれはいいって……!」


 しつこくまだ全裸だったことをいじられ、恥じ入る思いのミヅキと愉快そうにけらけら笑うキッキ。

 発見当時の自分が果たしてうつ伏せだったのか仰向けだったのか、それを聞く勇気はミヅキにはなかった。


 道中和気藹々と過ごす二人は、そうこうしているうちについに辿り着いていた。

 もう着くよ、とキッキが森の出口らしき木々の切れ目を見て言った。


 いよいよ世界中に名を馳せると評判の、伝説の地下迷宮のお目見えである。

 疲労も困憊こんぱいではあるが、これまたファンタジーな代名詞との遭遇にミヅキの心は好奇に躍りだした。

 不意に森が開ける。


「おおぉ……!」


 ミヅキは視界に広がった光景に感嘆する。


 壮大で荘厳な光景が圧倒的な存在感を表し、威圧をもって睨みをきかせていた。

 見上げる切り立った山肌に巨大な人工物とでも言い表すしかない、自然では有り得ない構造物がそこにあった。


「──門だ! 山の斜面にどでかい入り口が開いてる……!」


 思わず声が漏れた。

 切り立った大山の崖に、深遠か奈落に続く暗黒の穴がぽっかり口を開けていた。

 石造りで大きい門に扉は無く、威風堂々とすべての来訪者を待ち構えている。


 入り口の縁を石工の装飾や細工が成されたアーチで覆われていて、左右には石柱を模した壁面から、明らかに人ではない一対の巨大な石像がせり出していた。

 男性と女性を象る魔神の像、そんな形容が当てはまる。


 それらが内に秘めるのは、古代世界が遺した大いなる遺産そのもの。

 ミヅキが口を開けて茫然としていると、キッキはまた得意そうに高らかに言った。


「あたしたちの街が、いいや、この国が誇る世界最大級のダンジョンへようこそ! どうだ、すごいだろっ。──あれがパンドラさ!」


 パンドラの地下迷宮。

 それはトリスの街というあれほど大きな街を賑わせ、住まう人々を養うだけの資源や雇用の源となっているというだけではない。


 暗く深い奥底に眠る財宝や神秘を求め、世界中から訪れる者たちを吸い寄せ、飲み込んでいく黒い渦。

 欲望や探求心、良きも悪しきも構わず引き込み、魅入る。

 飽くこともない、抗うこともできない。


 百年以上の時をかけて、無数の心と命を吸い続ける魔性の秘境──。

 それが、ダンジョンなのである。



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