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第75話 侵される日常2

「……はっ!? い、今だっ……!」


 完全にゴブリンが消滅し、我に返った三月は慌ててドアを閉めようと玄関から外に身を乗り出す。


 ドアノブを引っ掴んだ瞬間、手すり壁の向こうの光景が目に入った。

 そして、三月は絶句した。


「うわ……?!」


 そこに広がるのは普段と変わらないアパートの2階からの夜の景色。

 電柱の街路灯、見下ろす一車線の道路、向こう側の道路との間の用水路。

 さらに遠くに見渡す中心街のビル群の明かり。


 問題なのは日常の夜景のそこかしこに、潜む事なく堂々と存在しているそいつらであった。


 菱形マークの道路標識が二つ並ぶ道路上に、半裸の巨漢が立っている。

 豚だか猪の顔をしていて、手に物騒な棍棒とおぼしき凶器を持ってだらんと立ち、三月を見上げている。

 あれもゴブリン同様、ファンタジー世界の怪物、敵性亜人、オークだ。


 用水路の浅い水位に両足を浸けて、蜥蜴とかげによく似た爬虫類独特の糸目の顔が、先割れの舌をちろちろ出し入れしながら三月を仰ぎ見ている。

 二足歩行をする蜥蜴の水性亜人、リザードマン。


 電柱の電線に複数羽留まり、三月を見下ろすそいつらは明らかに鳥ではない。

 半人半鳥の異様な姿をしていて、鋭い目つきの恐ろしい形相の女性のもの。

 羽毛に包まれた膨らんだ胸部、手足に当たる部分は鷲の翼と尖った鉤爪かぎづめ

 ぎゃあぎゃあと人ならざる鳴き声で騒ぎ立てる、人面の鳥の亜人、ハーピー。


 用水路を挟んで向こう側に見える住宅街にはでっぷりとした巨体が立っている。

 2階建ての家よりも背が大きく、舌をだらしなく出した顔には知性を感じない。

 暗くて遠いからよく見えないが、あれは多分トロールだかジャイアントだろう。


 そんな怪しげな化け物たちがそこら中にいた。

 ドアノブを掴んだまま硬直している三月に、不気味な視線をこぞって向けていた。


 人ならざる者たちの目が、一斉に三月を集中して見つめている。

 悪夢そのものな出来事はまだ終わってはいない。


「……ッ!!」


 三月は声にならない声をあげて、すぐさま乱暴にドアを閉めた。


 今度こそ完璧に鍵を掛け、ドアノブをガチャガチャ回して施錠を確認する。

 次は急いで玄関と反対側の窓に走っていき、こちらもちゃんと閉まっているかを確かめてカーテンを荒々しく閉じた。


 あんな化け物共に押し寄せられては、こんな戸締りに意味はないかもしれない。

 しかし、何故かそうすることが最も安全を得られる手段に思えた。


「な、なんなんだ……? いったい、何がどうしちまったんだよ……?」


 三月は電源の入っていない炬燵こたつに足を入れて座り込むと、玄関と窓のほうを交互に見回しながら不安と混乱に身を縮こまらせていた。


 動揺に漏らす声は震えている。

 部屋に籠もったはいいが、これでは追い詰められたも同然である。


 そして、その瞬間だ。


「うわあああああああああぁぁぁっ……!?」


 三月は驚きと恐怖に大声をあげていた。

 この世の物とは思えない獣じみた叫びが重なって響き、断続的な衝撃音が一斉に襲い掛かってきていた。


 ギャアギャアと喚く声、ガオォッと猛る咆哮、シャアッという鋭い息づかい。

 ドンッ、ドンッ、ガンガンッと重い鈍器で何かを叩く音、ガリガリッ、ギギギッという何を引っ掻く音が轟き、ともかく破壊を連想させる。


 まさに、外の魔物たちがまとめて襲撃してきたとしか思えない大騒ぎだ。


「ひっ、ひぃぃっ!? やめっ、やめてくれぇっ……!」


 三月は頭を抱え、炬燵テーブルに突っ伏していた。

 今にも玄関ドアを破られ、窓が割られて怪物の群れが侵入してくる。

 そう思うと恐ろしくて頭がおかしくなりそうだった。


 そうかと思うと──。


 ゴオオオオオォォォォォォォォォォォォォォーッ……!!


 アパートの周りが大火事になったのではないかと思うくらい、玄関や窓、天井のほうからごうごうと炎が燃え盛る音が聞こえてきた。


 玄関ドアとカーテンの隙間から眩しい光が明滅して垣間見える。

 怪物たちのものと思われる苦悶の絶叫があちこちから聞こえた。

 外でいったい何が起こっているというのだろうか。


「ううううぅぅ……」


 三月は怯えながらひたすら耐えていた。


 目を閉じていても瞼越しに光がはっきりと伝わってくる。

 この光は、ゴブリンを焼き尽くした金色の炎の明るさに違いない。

 部屋を襲ってきた魔物の群れを、あの炎が蹂躙じゅうりんしているのかもしれなかった。


 激しい炎の音はしばらく続いていたが、やがて火勢かせいが収まったのか段々と聞こえなくなっていった。

 それを最後に声も物音もしなくなり、今までの騒ぎが嘘みたいに静かになった。


「し、静かになったぞ……。どうなったんだ……? 家は無事、だな……?」


 恐る恐る顔をあげて、部屋の中を見回してみる。


 何事も無かったみたいに静まり返っていて、時計の乾いた音しか聞こえない。

 暗い室内、見える範囲では何かが壊れたり、位置が変わっていたりと異常らしい異常も見られない。


 そういえば、音や声、光は感じたものの、不思議と衝撃や震動は感じなかった。

 いったい今のは何だったのだろう。


「悪い冗談はよしてくれ……。何だっていうんだよ、まったく……」


 何が起こったのか理解できず、恐ろしくて歯が震える。

 全身の毛穴が開き、冷や汗が溢れて身体中がびっしょりと濡れている。

 荒い息づかいに心臓が爆発しそうなくらい早い鼓動を打っていた。


「ゆ、夢が覚めて、てっきり俺は元の現実世界に戻ってきたと思ってたけど……。もしかしたらそれは全然違っていて、またぞろ現実の世界によく似た別の異世界に入り込んでしまっているんじゃないのか……」


 炬燵の毛布に顔をうずめ、小声で呟く三月の背中は丸い。


 思えば朝陽そっくりな雛月に出会い、二つの異世界から帰ってきてからというもの、この世界にはおかしなことが起こり始めている。


 ビルのガラスが一斉に割れた件や、今しがたの化け物の群れは幻ではない。

 だとすれば、本当に現実世界に酷似した、また別の異世界に飛ばされたと思ってしまっても不思議はない。


 ただ、実際のところがどうなのかは、当の三月にわかるはずもなかった。


「ふぅ、ふぅっ……。ふぅ、ふっ、ふぅ……」


 机に伏して座り込み、乱れた呼吸をひたすら繰り返す。

 照明も点けず、真っ暗な部屋の中で、いったいどれくらいの間をそうしていたのだろうか。


 妙な沈黙と静けさが部屋を包んでいた。

 チッ、チッ、と時計の秒針の音だけが、無味乾燥に部屋に響く。

 じりじりと時間が経過していくだけで何かが起こる様子はない。


 短いようにも、長いようにも感じた。

 しかし、怪物たちが部屋に押し入ってくるようなことだけはとうとうなかった。


 ピンポーン、ピンポーン!


「うぐぅッ!?」


 唐突に静寂が破られ、部屋中に音が響いた。

 あまりの驚きに口から心臓が飛び出そうになった。


 一瞬、何の音かわからないほど錯乱したが、それがこの部屋のドアチャイムの音であると思い出した。


「……ごくり」


 ただ、息を殺して唾を飲み込むだけで、三月は玄関を凝視して固まっていた。

 もしかして、あの怪物たちがドアチャイムを鳴らしているのでは、という疑心暗鬼ぎしんあんきに陥り、緊張し切った身体はまったく動かない。


 ピンポーン、ピンポーン!


 もう一度ドアチャイムが鳴らされた後、こんこんこん、とそう強くない力でドアがノックされる。

 そして、ドアの向こうからくぐもった呼び声が確かに聞こえてきた。


「三月ぃー、いないの? 私よ、夕緋よー」


 それは、間違えるはずもない夕緋の声だった。

 暗闇に慣れた目で時計を見ると、時刻は午後6時45分くらいを指している。


 じっと気配を殺しているうちに、いつの間にか随分と時間が経過していた。

 三月は1時間もの間、身体を丸めて不安と恐怖に耐えていたことになる。


「夕緋っ、夕緋ぃーっ……!」


 がばっと跳ね起き、必死に声をあげながら玄関へと転がるように走っていった。

 急いで出ないと夕緋が留守だと勘違いをして帰ってしまうんじゃないかと思い、心細くて怖かったのだ。


「ご、ごめんっ、いっ、いるよー! 今、開けるから待っててー……!」


 ぶるぶる震える指先を何とか動かして、ドアの鍵を開錠すると、勢いよくドアを内側に引き開ける。


 ドアを開けても誰もいなかったり、夕緋の声を真似した怪物がいたらどうしようなどの不安もよぎったが、それは取り越し苦労に終わった。


 そこに立っていたのは紛れもなく夕緋だった。

 夕方に別れた時のままの格好で、いつもと何も変わらない。

 三月の青白い顔に驚き、白い息を吐きながら目をぱちぱちと瞬かせている。


「どうしたの、三月? 電気も点けないで、真っ暗じゃない。顔色が凄く悪いわ。……何かあったの?」


「あ、いや、その……。そうだ、ちょっとの間、昼寝をしてたんだっ……。だから、電気を消してて……」


「声、震えてるじゃないの。こんなに汗もかいて、いったい何が……」


「な、なんでもないって……」


「三月……」


 しどろもどろに言い訳をしようとする三月の異変を夕緋は感じ取る。

 不審に思い、玄関で棒立ちになっている三月に手を伸ばした。


 そして、夕緋は自分の手が部屋の敷地内に入った瞬間、あっと声をあげた。

 その顔は、ここで起こった異常事態を理解した、と物語っている。


「これって……! 三月、大丈夫だった!? 何か酷い目に遭ってない!?」


 血相を変えた夕緋は、心配そうに三月を見つめていた。

 返事を待たず、すぐに夕緋は部屋の中に入り、照明のスイッチを点けて素早くドアを閉じる。


 と、そのまましばらく三月に背を向けてじっとしていた。

 ドアノブを掴み、部屋の入り口であるドアと玄関枠を凝視している。


「──結界けっかいほころびてる。良くないものがここに来たあとが残ってるわ……」


 三月に聞こえるか聞こえないかくらいの声で、夕緋は一人小さく呟いた。

 そして、照明の光に眩しそうに目を細めている三月に振り返ると、精一杯の笑顔をつくって安心させるように優しく言った。


「三月、怖い思いをしたね。でも大丈夫、私が帰ってきたからにはもう安心よ。何人なんぴとたりとも、三月には指一本触れさせないやしないから心配しないで」


「夕緋、俺、実は……」


 頼もしく胸を張る夕緋に、三月は後ろめたそうに言い掛ける。

 今度も寝ていたなどと嘘を言ってしまった。

 幻想の怪物たちに襲撃されたと、正直に話せなかった。


 夕緋は首をゆっくり横に振る。


「無理に話そうとしなくていいよ。大体もうわかったわ。だから三月も、私に隠し事をしようとしなくても大丈夫だよ。私は三月の味方なんだから、ね」


「……うん、ごめん……」


「ご飯つくるね。今日は三月の好きなものにするからっ」


「……」


 三月が沈んだ顔で俯いて謝ったのを見て、夕緋は困った風に笑う。

 努めて明るく言うと、手のスーパーの買い物袋をガサッと持ち上げて見せた。


 夕緋は改めて心に思っていたのだろう。

 この人のことはきっと自分が護ってあげなければいけない。


 使命感や母性を胸に、三月を見つめていた。

 悪いことをしてしまってしゅんとしている子供を見るのと同じ目で。


「ありがとう、夕緋……。本当に、お世話になりっ放しだ……」


「いいのよ。気にしなくていいわ、三月っ」


 三月は夕緋の微笑みにぺこりと頭を下げる。

 夕緋の気持ちは胸の奥にとてもよく伝わってきた。


 百万の味方に等しい夕緋は頼もしく、これで一安心と胸を撫で下ろす反面。

 守ってもらうばかりで情けなく思う気持ちも心に同居している。


 一段下がった玄関土間に立っていて、身長差以上に一回り小さく見える幼馴染の顔を直視できないでいた。


 夕緋は三月を守りたい。

 幼い頃に交わした約束は今も続いている。

 いざというときに夕緋を守ると言ったのは自分も同じだったのに。


 三月の表情はなかなかに晴れなかった。



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