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第74話 侵される日常1

 三月はすっかり暗くなった夜の帰り道を一人でとぼとぼと歩いていた。

 今日は夕緋と同棲のための新居探しデートだったが、思わぬ出来事に巻き込まれてしまい、状況的にも気分的にもそれどころではなくなった。


 そのうえ、夕緋は急用ができたと言って途中で抜け出してしまい、デートはそこで中断してしまったのだ。

 夕食の時間には戻ると言い残し、薄暗い路地裏で夕緋は姿を消した。


「……はぁ、いったい何がなにやら」


 ため息混じりに思い出すのは、先ほど起こった不可思議のことだ。

 建ち並ぶビルの窓が次々と割れ、ガラス片が降り注いで危機一髪の目に遭った。

 あれは事故だったのか事件だったのか。


 いずれにしても危険な目に遭ったのは間違いない。

 そして、思いもよらない事実も発覚してしまった。


「夕緋の言ってた女神様ってのが、あの日和たちのことだったとはなぁ……」


 異世界転移をした先、神々の異世界で出会った小さな女神、日和ひより

 その双子の妹、三月たちを問答無用で害そうとした怒れる巨神、夜宵やよい


 夕緋の生家である神社、女神社に祀られている神と、異世界の女神はぴたりと符合したのである。


「だけど、俺の知ってる日和や夜宵が、夕緋の知ってる女神様と同一かどうかは確認が一方通行だし、まだ確信するには早いかもしれん。もう一度、日和にでも直接聞いてみればはっきりしそうなもんだけどな……。あの夕緋の慌てよう、今まで見たことないくらい普通じゃなかった。まさか、本当に……」


 ぶつぶつ独り言を言いながら夜道を歩く。


 三月が日和と夜宵のことを思い浮かべると、何故か夕緋に察知されてしまう。

 夕緋は三月が女神と契約を結んだと知り、ひどくうろたえ、涙まで流していた。

 過酷な境遇に陥った三月を哀れに思い、その身を心から案じていた。


 そして、夕緋が涙を見せた瞬間。

 ガラスが一斉に割れるあの怪異が起こったのだ。


「ダークエルフの女に、蜘蛛の着物の男か……」


 この現実の世界には到底似つかわしくない謎の二人を思い出す。


 ガラスの割れた怪異は蜘蛛の着物の男が起こし、ダークエルフの女が風の魔法で三月と夕緋だけでなく、他の無関係な人たちを守ったようだった。

 その後の物騒な応酬では、二人は敵対しているようにも見えた。


──夕緋は蜘蛛の着物の男に狙われてて、ダークエルフの女が守ってくれてるのか? 異世界の俺がエルフの姉さんたちや女神の日和と付き合いがあるみたいに、夕緋も異世界に何か関係があるのかな……。


「はは……。それこそまさかだよな。あんな異世界巡りをして、散々な思いをするのは俺だけで充分だって。……はーぁ、夢で出てきたあいつ、──雛月でもいれば色々と相談もできるんだがなぁ」


 軽く頭を振って三月は自嘲する。

 何だかんだと頭に浮かんだのは、朝陽と同じ容姿で自分とよく似た思考をする存在の不確かな雛月の顔だった。


 よくはわからないが、漠然とした期待感と信頼感を雛月に感じる。

 冗談ついでに夜空に向かって呼んでみる。


「……おーい、雛月、いたら返事しろー。早速俺が困ってるぞー。この際、何でもいいからサポートしてくれー」


 当然、返事は返ってくることはない。

 寒々とした夜の空には満点の星の海が広がりを見せていて、ひゅうと冷たい風を吹かせるばかりだった。

 夕緋と一緒に居たとき、何度か声が聞こえた気がしたのだが。


「ふぅ……」


 ちょっと残念な気持ちでため息をつきつつ、三月はそろそろと見えてくる自宅のアパートを見やった。


 三月の住むアパートは2階建ての昔ながらの集合住宅で、築30年以上と年季は入っているが家賃もそれなりで、駅からも遠くはないため便利で住みやすい。

 周りの街路灯はすでに明かりを灯していて、アパートの各部屋の玄関ドア上の照明も点灯している。


 カン、カン、と自室のある2階へと建物側面の階段を上っていく。

 階段を上ると廊下を真っ直ぐに五つ部屋が並び、四つ目が三月の部屋である。

 三月は階段を上り切り、自分の部屋のほうを見た。


「──ん?」


 ふと、足を止めて怪訝けげんに目を細めた。

 三月の部屋の玄関ドアと手すり壁との間、標準的な1.2メートルの幅の場所。


 エンボス床の廊下の真ん中に何かが立っている。

 初めは先に戻ってきた夕緋がドアの前で待っているのかと思った。

 しかし、夕緋はいつもの時間に戻ると言っていた。


 夕緋の言ういつもの時間とは夕食の時間のことで、午後6時半から7時くらいの間を指している。

 今はまだ午後5時半を回ったところなので時間にはまだ早い。


「な、なんだ……?」


 三月は思わず身構えていた。

 そもそも自室の前で待っていた何かは夕緋ではない。

 いくら何でも《《それ》》と夕緋を見間違えることはあり得なかった。


 そこに居たのは黒い人影であった。

 黒いもやが掛かった子供程度の身長の、小柄で異様な人型の何か。


 肌は緑色をしていて、大きな鷲鼻わしばなの醜悪な老人のような顔をしている。

 粗末な鎖帷子くさりかたびらを身に付け、先の垂れ下がった真っ赤な三角帽子を被っている。


 横に伸びた黒目が三月を見て、裂けた口がにやりと笑った。

 明らかに人間ではない「それ」を形容する言葉を、三月は他に知らなかった。


「ゴ、ゴブリン……?!」


 口をついて出た言葉は、現実世界には存在し得ない架空の怪物モンスターの名前だ。

 粗野そやな部族社会を形成して、人間に敵対する邪悪な人型生物、ゴブリン。


 血を思わせる赤錆びた色の帽子は、彼らの上位種であるレッドキャップの証か。

 エルフ、ドラゴン、ダンジョンといった言葉と同じく、創作ファンタジー世界の代名詞の一つであることは言うまでもない。


「なんでそんなものが、うちの前に……? あれっ、いない……?!」


 三月はうわずった声で言うと目を瞬かせた。

 かと思えば、黒い影のゴブリンは消えていて、どこにも見当たらない。


「……んん?」


 呆気にとられて三月はぽかんとしていた。


 何度か目をしばたたかせ、ごしごし袖でこすってみる。

 しかし、何度見直しても部屋の前には何もいなかった。

 気のせいだったのだろうか。


「疲れてんのか、俺……。今日は色々なことあったしなぁ……」


 ごくりと唾を飲み込み、三月は恐る恐る部屋に向かって歩いていく。

 頭を掻きながら今日一日に起こったことを思い出す。


 新居探しで夕緋の久しぶりな除霊シーンに出くわした。

 幼少の頃の神水流の神社での思い出に浸った。


 その回想が原因で夕緋に心を覗き込まれ、肝を冷やす羽目に陥った。

 そして、降り注ぐガラスの破片からの危機を脱した。


 事実は小説より奇なりと言うばかりの衝撃体験を経て、身も心も昂ぶって疲労しているのかもしれない。


「いくらなんでも、家の前でゴブリンみたいなモンスターに出会うなんてさ……。そんなの現実にいる訳ないし、幽霊を見るよりよっぽどあり得ないことだろ……。寝惚けて夢を見るにしてはまだ時間が早いよ……。まったく、霊感の強い夕緋じゃあるまいし。やれやれ、俺もヤキが回ったもんだ。ははは……」


 早口で言いながら、ごそごそと上着のポケットから部屋のカギを取り出す。

 カギを握る手は震えていた。


「あれ? あれっ……?」


 カギを鍵穴に差し込もうとするも焦ってうまく入らない。

 先端が当たり、カチッ、カチッと乾いた金属音を何度か立てた。

 内心、三月は隠しきれない不安や恐怖を感じていたのだ。


──人間、こういうときほどわざわざ怖いことを思い出すもんだ。夕緋に問い詰められたときのあの目、これから結婚しようっていう相手に向ける目じゃないだろ……。それに、追いかけたら消えていなくなってたとか……。あんな寂しい路地裏に一人取り残された俺の身にもなれってんだ……。


 得体の知れないゴブリンも怖いが、三月が一番怖いのは夕緋かもしれない。


 味方でいてくれる時は最高に頼もしい夕緋だが、あんな風に詰問じみたやり取りをされたうえ、怪異を調伏ちょうぶくするのと同じ目で睨まれるのは堪らなかった。


 おまけに薄暗い路地裏で急にいなくなり、一人ぼっちにされた三月は大変に気味の悪い思いをしたものである。


「開いたっ──」


 敢えて口に出して言ったのは自分を安心させたかったからだろう。


 三月はようやくガチャリとカギを開け、ドアノブを回して扉を開いた。

 慌てて部屋の中に身体を滑り込ませると、急いでドアを閉めようとする。

 一旦部屋に入ってしまえば安心感に身体が緩んだ。


 やっぱりさっきのは何かの見間違いだったのだろうと心に言い聞かせた。

 そうして強引に納得しようとしたそのときだ。


「うおぉっ!?」


 三月は大声をあげて驚いた。


 ガンッ、と突然鈍い音がして、閉めようとしたドアと玄関枠の隙間に、ぬっと緑色の太い腕が差し込まれた。


 ドアの金属板が押さえつけられ、閉まるのを力任せに阻んでいる。

 それどころか、凄い力で無理やりこじ開けようとしているではないか。


「ひぃっ……!」


 今度は恐怖の悲鳴をあげた。


 ドアの隙間から不気味な両目が覗き込んでいる。

 まともに目が合った。

 そこに居たのは間違いなく廊下で三月を待ち受けていた怪物だった。


 黒いもやが掛かった邪悪な人型生物、赤い三角帽子のゴブリンである。


 どこに潜んでいたのか怪物は実際に存在し、三月の前に姿を現した。

 ウヒヒィッ、と甲高くもおぞましい声で笑いつつ、もう片方の手も差し入れて玄関枠を掴み、尋常ならない腕力で玄関のドアを開いていく。


「やっ、やめろッ……! 入ってくるんじゃねぇッ!」


 三月は叫ぶと必死にドアノブを両手で引っ張ってドアを閉めようとした。

 しかし、強い力で小柄な身体をねじ込んでくる無法な相手を止められない。

 こんな化け物に部屋に押し入られ、何をされるかなど想像するのも恐ろしい。


「やばいッ……! 駄目だ、入ってこられる……」


 体格では三月のほうが大きいのに、力はゴブリンのほうが強い。


 ドアを引き開けられ、心が絶望感に塗り潰されようとしたそのとき──。

 激しい異変が目の前で起こる。


『ギャッ!?』


 レッドキャップのゴブリンが部屋に身体を入れた瞬間だった。

 ごおぉっ、という轟音と共に目の前に火が発現する。


 金色に燃える炎が、見る間に小柄な怪物を包み込んでいた。

 続けざま、ゴブリンは強い衝撃に跳ね返されるみたいに玄関から弾き出された。


『ギャアァァァァァッ……!!』


 ガシャンと音を立てて手すり壁に激突し、苦悶の叫び声をあげながら炎に焼かれて転げ回っている。

 断末魔というのが相応しい絶叫には耳を塞ぎたくなる。


 三月は身動きが取れず尻餅をついて唖然としていた。

 開け放たれたドアの向こうで、燃え上がり、ぼろぼろと崩れ落ちていくゴブリンの最期を見ながら。


 パァンッ……!


「ひぃっ?!」


 三月は驚いて顔を背ける。


 まるで柏手かしわでを強く叩いたような音だった。

 突然の破裂音を響かせ、瞬時に圧縮された金色の炎と共にゴブリンは消えた。


 唖然として尻餅をつく三月の前で。

 現実の世界ではあり得ない出来事は一方的な展開で終わりを告げたのだった。



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