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第73話 夕緋と闇の眷属

 ビル群のガラスが連続して割れ、頭上から大雨さながらに降り注いだ。

 しかし、夕緋のお陰で窮地きゅうちを脱し、三月は事なきを得た。


「……三月」


 すぐそばで夕緋の呼ぶ声がして、はっと我に返る。

 ゆっくりと顔を上げると、自分を抱きかかえる夕緋と目が合った。


「大丈夫? 怪我はない?」


 心配そうな夕緋の声が耳に届く。

 突飛とっぴな大活躍をした夕緋に舌を巻きつつ、大丈夫だったと答えようとしたそのときである。


「あ、ああ、夕緋、大丈──」


 三月は驚きで心臓が止まるかと思った。

 確かに見てしまったから。


 決して見てはならぬ、この世のものならざるそれらを見てしまった。

 夕緋ではない、その「二人」の姿を。


 夕緋の見慣れた二つの瞳とは別の──、四つの眼。

 恐るべき二つの視線が、三月をじぃっと見つめていた。


「!!」


 三月は咄嗟に判断していた。


 出そうになる声を抑え、動揺したていを装い、視線を気取られないように目をぐるぐると泳がせた。

 それらを認識した、という事実を気取られないためである。


『目を合わせては駄目だ』


 またも、そんな声が頭の奥から聞こえた気がした。

 無理強いにも似た行動の制約により、三月は知らぬ振りを決め込む。


『……』


 一人は夕緋のすぐ後ろに居た。


 背後霊さながらに夕緋の背後に立ち、無表情に三月を見下ろしている。

 あえて見ようとせずとも、その特異な容姿ははっきりと目に飛び込んできた。


 それは、長身の褐色肌の女性。

 青く濁った色の瞳の光は冷たく、目尻は切れ長でけんのある顔立ちは美形。

 漂白されて見えるほどの長い銀髪は腰まで伸びている。


 何より特徴的なのは、髪から飛び出している両耳の長さだ。

 耳介じかいの部分が先端までがぴんと尖っている。


 黒いローブを着衣しており、大きく前が開いた襟ぐり部から豊満な胸の谷間が覗いていて、黒い模様のような刺青いれずみが褐色の肌に刻まれて見え隠れしている。

 その存在はこう表現できる。


 ダークエルフ。


 ファンタジー世界で多くの場合、聖なる位置にあるエルフとは対極にあり、暗闇の妖精と呼ばれたり、悪神を信仰するがゆえに闇に属するというその亜種である。

 三月の目には、夕緋の後ろに立つ背の高い女性がそうであると見えた。


──ダークエルフ、だよな……。なんなんだ、どうしてそんなファンタジー世界の代名詞が、夕緋と一緒にいるんだよ……。そりゃ、俺にもエルフの知り合いはいるにはいるけど……。


 脳裏に浮かぶのは、まだ存在が半信半疑のエルフの二人の少女。

 愛想よく笑うアイアノアの笑顔と、仏頂面のエルトゥリンの真顔。


 同じエルフだというのに、こうも雰囲気や気迫が違うものなのか。

 肌がひりひりするくらいに、ダークエルフの女は必殺の気配を放っている。


『……』


 そして、もう一人だ。


 夕緋と謎のダークエルフの女の後方、道路を挟んだ向かいの通りのビルの屋上。

 ひょろりとした痩せ型で背の高い、おそらく男が陽炎のように立っている。


 髪の毛はくすんだ黒色、片側の目は長い前髪に隠れがちで、もう片側の目が爛々《らんらん》とぎらつき、高い場所から三月を見ていた。


 何を思っているのか、男は口角をつり上げてわらっている。

 その顔のなんと不気味なことであろうか。


 漆黒の着物を着流し、生地に広がるのは複数の蜘蛛の巣の模様。

 だらんとした姿勢で佇む様子はまるで幽鬼ゆうきだ。


 蜘蛛の着物の男。


 と、男がやなぎの木みたいにゆらりと動いた。

 どこからともなく手品めいて取り出したのは弓と矢である。


 躊躇ちゅうちょ無く、無造作に矢をつがえ、弦を引いて射撃体勢に移った。

 隠しもしない殺意のこもった矢先がこちらを真っ直ぐ向いている。


 ひゅっ!


 空気を裂く音がやけに鮮明に聞こえた。

 蜘蛛の着物の男はさも当然とばかりに矢を放っていた。


 夕緋は背中を向けている。

 このまま気付かないふりをしていては、あれに夕緋ごと射貫かれてしまう。


──夕緋、危ないッ……!


 そう思うが声が出ない。

 気付かれてはならない制約でもあるみたいに、身体の自由が利かない。

 それなのに。


『──あれは、あれだけは絶対に受けては駄目だ!』


 再三の頭の奥から響く声が、最大級に警鐘けいしょうを鳴らしていた。

 さっきから聞こえるこの声はもしかしたら雛月のものだろうか。


 但し、そんなことを悠長に考えている暇はない。

 無茶な警告があってもどうにかできる術もない。


 あの矢には命を貫く概念が宿っている。

 受ければ間違いなく絶命する──、そんな気がした。


 但し、そんな凶兆きょうちょう杞憂きゆうに終わる。

 ガッと鈍い音がして、空中で不吉の矢が急に弾かれ、撃ち落とされた。


 背中に目でも付いているのか、急にダークエルフの女が矢に向かって振り向いて、同時に何かを手から放っていた。


 それは投げナイフである。

 高速で飛来する矢に向かって正確無比にナイフを放ち、空中で弾いたのだ。


 とてつもない技量の神業だ。

 矢とナイフは空間で威力を相殺し合い、どこへともなく消え失せる。


 ひゅひゅひゅひゅひゅッ……!


 出し抜けに始まった、おそらくは人外同士の物騒なやり取りは終わらない。


 目にも止まらぬほどの速さで、蜘蛛の着物の男は次々と弓に矢をつがえて断続的に射撃を繰り返した。

 複数の矢は性懲りも無く三月と夕緋を狙うが、結果はさっきと同じだった。


 ガガガガガガガガッ……!!


 こちらも電光石火の速さでダークエルフの女が矢を迎撃していた。

 今度は両手にそれぞれ構えた短剣で、執拗しつように撃ち込まれる矢を薙ぎ払っている。

 その度に、可視化された風の刃が鋭く空中を走った。


 疾風の如き洗練された動きには一分の隙も無い。

 このダークエルフが守ってくれている限り、蜘蛛の着物の男に危害は加えられることはないだろう。


 だから諦めたのか、弓による攻撃は収まり、男は空に溶けるように姿を消した。

 遠くて見えなかったが、忌々しげに表情を歪めていたに違いない。


 それを見届け、ダークエルフの女も夕緋の背に一度振り向いて、消えた。

 時間にすればほんのわずかな間の出来事であり、激しい攻防の応酬おうしゅうであった。

 突如現れ、訳もわからずいなくなった謎の二人。


──割れたガラスから俺と夕緋、街の人たちを守ったのは多分ダークエルフのほうだろう。問答無用で仕掛けてきたってことは、ビルの窓を壊してガラスを降らせたのはあの蜘蛛の着物の男の仕業なのか……?


 三月はそう思った。

 現実世界にあるまじき異様の者たちに襲撃され、護られた。

 こんな不可思議は異世界の夢物語だけで充分である。


 もう頭の中で騒いでいた、地平の加護とおぼしき意思は落ち着いている。

 口も自由に聞けそうだし、身体の動きも何ら制約を受けていないようであった。


「ごめんなさい、三月……。急で驚いたよね、咄嗟に身体が動いちゃって……」


「あ……」


 夕緋の暗い声でようやく我に返る。

 ほうけていた三月は、心配する夕緋に誤魔化し気味に笑って言った。


「たははは……。まさか、夕緋にお姫様抱っこで助けられる日が来るなんて、夢にも思わなかったなぁ。夕緋さん、超イケメン、やっぱり今すぐ結婚してください!」


「……はぁ、もぅ、三月ぃ」


 取り繕うようにふざけていると夕緋は呆れてため息をついた。

 我ながら空気を読まない冗談だと思ったが、相当に動揺していたのだと思う。


 一連の騒動と共に登場した、この世のものと思えない二人に胸騒ぎを感じる。

 すでに辺りは大騒ぎになっていて、大勢の人のパニック状態であった。


「こんなときによくもそんな冗談が言えるね……。はいはい、結婚は今度またしてあげるから、とりあえず手を放してもいいかしら? ずっとこのままなのは三月も恥ずかしいでしょうし」


 女性の腕力とは思えない力で、未だにお姫様抱っこをされている三月。

 周りの地面には、ばらばらになったガラスの破片が無数に散らばっている。

 今、夕緋に放り出されたらと思うと、三月は背筋を寒くした。


「あ、あぁっ、駄目駄目っ! 自分で立つからゆーっくり手を放してね。そんな雑に扱ったら大事な未来のお婿さんが傷物になっちゃうよー、ははは……」


「早く、自分で立って。結構、重いんだから」


「ご、ごめんごめん、助けてくれてどうもありがとうねっ!」


「どういたしまして」


 慌てて三月が自分の足で立つと、むすっとした夕緋はもう一度ため息をついた。

 そして、夕暮れの空を物憂げに振り仰ぐ。

 心なしか、その表情はうんざりとしていて、どこか苛立ちを感じさせている。


「……」


 少しの間そうしていたが、騒然となった人々や野次馬が人垣をつくり始め、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくるのを契機に夕緋は三月に向き直った。


「三月、ごめんなさい。私、ちょっと急用ができたから先に帰ってて。いつもの時間には三月の部屋に戻るから」


「えっ? 急用って……」


「もう行くね。今日は新居探し、楽しかったよ。また後でね」


「あっ、夕緋っ!」


 言うが早いか、三月の反応を待たずに夕緋はきびすを返す。

 後ろ髪を振って走り去る夕緋の後ろ姿はすぐに人ごみの中に消えていった。


「待ってくれ、夕緋っ……! す、すみません、通してくださいー!」


 いつもと様子の違う夕緋を焦って後を追おうとした。

 混迷の喧騒の中、人だかりを掻き分け、行く先を見失わないように目で追っていると、夕緋はビルとビルの間の狭い路地裏に入っていく。


 どうしてあんな路地裏なんかにと思いつつ、どうにか人と人の間をすり抜け、三月も夕緋が入っていった路地裏の道へと入った。


「夕緋っ、いったいどうし──」


 三月はすぐに夕緋の背姿を見つけられると思ってそう声を掛けた。

 しかし──。


「あれ? 夕緋……?」


 そこにもう夕緋の姿は無かった。

 薄暗く日のかげったビルの狭間はざまの空間があるのみである。


 夕緋が路地裏に入り、三月が追いつくまでほとんど時間は掛かっていなかった。

 少なくとも、夕緋の後ろ姿を視界に捉えられるタイミングだったはずだ。


 なのに忽然こつぜんとその場から消えていた。

 それどころか──。


「……行き止まりじゃないか」


 三月は呆然とした声で呟いた。


 そもそも路地裏の狭い道は袋小路で、突き当たりは別のビルの壁となっている。

 人の気配は全くせず、動く物は何も無い。


 背後の街路の騒がしい喧噪とはまるで対照的であった。

 夕緋はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。


「……」


 言い知れない静寂が漂い、三月はごくりとつばを飲み込んだ。

 行き場を失った視線が宙をさまよう。


「……で、電話は……」


 すぐに電話を掛けようと思ったが思い留まった。


「夕緋、そういえば、電話持ってないんだった……」


 どういう理由か知らないが夕緋は携帯電話の類を持とうとしない。

 何故かを聞いても、お茶を濁されたり、はぐらかされたりでらちが明かない。


 お金も掛かることなので、三月もそこまで食い下がらなかったし、決まった時間に必ず自宅に来てくれる夕緋との連絡にはそう困ることも無かったからだ。


「まぁ子供じゃないんだし、後で家に来るって言ってたしな……。夕緋なら何も心配はいらないさ。きっと大丈夫、だよな……」


 誤魔化すみたいな薄ら笑いを浮かべ、頭をぽりぽりと掻いた。


 お化けを退治したり、成人男性をお姫様抱っこしたり。

 さらに、雨のように降り注ぐガラスの破片を吹き飛ばしたり。

 あれだけの凄いことができて、何もかも自分より優れている夕緋である。


 何も心配いらないと自分に言い聞かせ、三月は路地裏から表通りへ出て行く。

 警察だけでなく、救急や消防の車両までも到着して、現場はさらに大きな混乱の様相を見せていた。


「……」


 三月はもう一度路地裏の暗い道を振り返った。

 やはりそこに夕緋の姿は無い。


 隣の建物の室外機や青い業務用ポリバケツのごみ箱が並ぶだけであった。

 表通りの騒々しさとは裏腹に不気味な静けさだけが立ち込めていた。


「夕緋……」


 ぽつりと名を口をにした。


 胸に込み上げるのは言葉にできない不安な気持ちだった。

 さっきの謎の二人の顔が頭に浮かぶ。

 ダークエルフの女と、蜘蛛の着物の男。


 そして、神水流夕緋というよく知る幼馴染のことを改めて思った。


「俺、もしかして、とんでもない人と付き合おうとしてるのかな……」


 冷や汗を垂らし、引きつった笑みを浮かべる。


 強大な神通力を備え、人ならざるものを事もなげに跳ね除け、人知を超えて女神との交信を行い、いざとなれば自分よりも大きい男性の身体を抱えて窮地を脱するほどの身体能力の持ち主で、神出鬼没とまできている。


 よく知っているつもりが、まだまだ知らない一面がありそうで恐ろしい。

 もうプロポーズはしてしまった。

 きっと奇抜きばつなお嫁さんになるに違いない。


 但し、三月は夕緋を信じていた。


──きっと心配はいらない。夕緋は何食わぬ顔で、言った通りに帰ってくる。幼い頃からずっと今まで、どんな時だって夕緋のことは信頼してる。あの子は大丈夫、不安がることはなんて何も無いさ。


 もう一度、心の中に念を押した。

 三月にとってそれは今でも変わらない普遍のことであったからだ。


 ざわめく人だかりを尻目に、そうして三月はとぼとぼと現場を去った。

 現場は大変な騒ぎになっていたが、もう振り返らずに帰途に着くのだった。


 この日、発生した一連のビル群のガラス連続破損事件は、結局はっきりした原因は不明のままであった。

 後に老朽化したガス管からガスが漏れて、何らかの要因で引火してビル内部で爆発が起こったことが原因ではないかと結論付けられた。


 複数のビルに渡り、しかも階層を問わず発生しているため、そんなはずがないという反論派も騒いでいたが、奇跡的に怪我人が一人も出なかったのが理由なのか、話題の寿命はそう長く続かずに立ち消えた。


 ただ、当時の現場で起きた不可思議な現象については、話題には上がらず誰も触れることは無かった。


 三月だけは多分知っている。


 ガラス破片の落下の被害から街の人々を護ったのは夕緋で、あの事件そのものを引き起こしたのも夕緋に関わる何かが原因であったということを。



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