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第69話 追憶の社で4

「あっ、ねぇ三月、聞いて聞いて! とっておきの私の秘密、教えてあげるっ!」


 夕緋はこのとき、ただ三月の気を惹きたくて何気なくそれを明かした。

 但し、それは運命の分かれ道といっていいほどの重大な出来事である。


「えっ、なになに?」


「ついこの間のことなんだけど、朝のお勤めが終わった後に──」


 夕緋の話した秘密は、後に三月に大きな影響をもたらすことになる。

 異世界で三月に迫った危機に、確かな救いの手となったのだから。


「私ね、女神様の声が聞こえるようになったの。困ったときにどうしたらいいか、どうやったら幸せになれるかとか、色々と教えてくれるんだ」


 突拍子も無く不思議なことを言い出した夕緋に、三月はきょとんとして目をぱちくりさせていた。


 夕緋は構わず、自らに身に宿った権能を誇らしげに語る。

 それは文字通りの神の福音ふくいんを授かる神秘であった。


「他にも良くないもののやっつけ方とかも教えてくれたよ。悪い魔物や悪魔の王様はね、神様の聖なる力にとっても弱いの。私にはその力があるんだって」


 夕緋の神通力が飛躍的に高まったのも丁度この時期である。

 それまでも妖しげなものの気配を感じることはあったが、はっきりくっきりと、この世に潜む魔物の姿を感知できるようになったのである。

 それだけではない。


「こんなこともできるようになったよ。じっとしててね」


 三月の応答を待たず、夕緋は赤い手袋をはめた自分の手の平にふぅっと白い息を吹きかける。


 そして、その手の平を三月にかざして、まるでお払いでもするかのように両腕、胴体、両足にさっさっと軽い動作で振った。

 劇的な変化が即座に表れる。


「うわ、何これ、すごい!」


「ふふっ、身体、楽になったでしょ?」


 三月は目をいっぱいに広げて驚いた。


 先に話した通り三月は今朝、父と祖父に剣術の指南を受けて鍛錬を終えてきた。

 筋肉痛や打撲の痛みが身体のそこかしこに残っていたはずなのに、夕緋のおまじない風なお払いの手により、それらは嘘のように消えてしまった。


「私には三月が痛そうにしてる身体の場所がはっきりと視えるし、こうやって治すのだってお茶の子さいさいなんだからっ」


「はぇーっ?! 夕緋ちゃん、すっげぇ……!」


 疑いを持たず、素直に事実を受け入れてさらに三月は驚いた。

 その反応に夕緋は気を良くする。

 自尊心を刺激され、少しだけ調子に乗っていたのかもしれない。


「次は、と……。うん、見ててね。ちょっとびっくりするかもしれないけど!」


 ぐるりと見回す境内には、賑やかに清掃作業をするお年寄りたちの姿がある。


 この時、夕緋の眼にはいったい何がえていたのだろうか。

 その人たちそのものではなく、頭や肩、背中といった身体の周りの空間を値踏みするように見ているようだった。


「……いるいる。この世のものじゃない怪しげな奴らがいぃっぱい……」


 小声でそう呟き、夕緋は薄く笑った。


 またしても、それは霊妙の少女にだけ見えている世界。

 お年寄りたちの身体のあちこちにまとわりつく黒いもやのようなもの。


 それらは微弱ながら、この世の生ある者たちに害をなす悪霊、邪霊の類い。

 夕緋は破邪を行使する巫女、──ならば。


「──んっ!」


 手加減無しに両の目を一気に閉じこんだ。

 三月にいいところを見せようと全力の気構えを持って。


 ぎしぃッ……!


 瞬間、かなり広範囲に渡って空気が重く固まる感じが走った。

 境内の端々までの空間が蜃気楼しんきろうで揺らいだようにも見える。


 大規模な大気の収縮に驚く間もなく、三月は隣の夕緋が目を閉じたまま、ぱかっと口を開けているのをぽかーんとした顔で見ていた。

 夕緋はいっぱいに開けた口を、勢いよくがちんと閉じる。


 ぱぁんッ! ぱぱぱぁんッ! ぱんッ! ぱんぱんッ! ぱぱぁんッ!!


 すると、強烈な破裂音が静かな境内に断続的に響き渡った。

 それはまるで、力いっぱいに拍手を打った音とよく似ていた。


 夕緋の破壊的な除霊が、集まった不浄の者どもにまともに炸裂したのだ。

 子供が無邪気に虫を殺すのと同じように。


「ひゃあぁっ?!」


「な、なんじゃあっ!?」


 敬老会の面々の驚く声や悲鳴があちこちであがった。

 なかには尻餅をついたり転んだりしてしまう者もいる。


 夕緋の破邪の力に疑いの余地は無かったとはいえ、高齢者にもなれば一度の転倒が命取りになることもある。

 いくら何でもやり過ぎの感がある一方的な除霊であったものの──。


「わーっ!? なにこれっ、地面がふわふわだーっ!」


 目に見えてわかる不可思議に、三月も大声をあげていた。


 硬い石畳や玉砂利の地面がゆらゆらとたわんでいる。

 幻でも何でもなく、土と石の境内がふんわりとした柔らかなものになっている。


 薄く銀色に光る、長細い繊維状のものが束ねられ、すべてを優しく受け止めた。

 それは何か巨大な生き物の毛皮に包まれたような感触であった。


 気がつけば、境内は元の光景に戻っている。

 突然の破裂音に驚き、転んだお年寄りに怪我は一つも無い。

 まるで狐につままれたみたいな雰囲気が辺りに漂っていた。


「夕緋ちゃん……?」


「……」


 風も無いのに夕緋の髪がざわめいている。

 気のせいなのか、少女の身体の縁から金色に輝くオーラが垣間見えた。


 夕緋はゆっくりと瞳を開き、三月のことを一瞥いちべつして何も言わず薄く笑う。

 そして、すぅっと息を吸い込み、夕緋は声高らかに言った。


「敬老会の皆さん、急に驚かせてしまって大変申し訳ありませんっ! お集まり下さいました皆さんに良くないものが憑いておりましたので、勝手ながらお払いをさせて頂きましたっ! 今の大きな音は、良くないものが潰れて弾け飛んだ音で、もうすっかりお清め致しましたので、ご心配なさらないで下さいねっ!」


 夕緋が見渡す視界の中、境内の至る所で黒い煙のような不気味な気体がばらばらに霧散して消えていく。

 怪しげな不浄の者たちは夕緋に捕まり、一斉に噛み砕かれてしまった。


 後で聞いてわかったことだが、力の弱い悪霊や邪霊、いたずら好きの精霊が敬老会のお年寄りたちにとり付いていたそうだ。


 そうした手合いは特に珍しくもなく、日常的に目に見えない悪さを働いて、細かなさわりを起こしているのだという。


 夕緋はそれらを例の除霊方法で一網打尽に払い去ったのだという。

 わざわざ言われなければ夕緋が何かをしたかどうかなどわからなかっただろうに、敬虔けいけん信奉者しんぽうしゃである敬老会の反応は相変わらず決まっていた。


「おぉ、さすがは巫女様。お清めありがとうございます、ありがたや……」


「何だか、肩が軽くなっとる……。本当に、夕緋さんは凄い御方じゃあ」


「いやはや、今代の神水流の巫女様は、これまでの巫女様とは訳が違うねぇ……」


 自然とぱちぱちぱちと拍手が起こっていた。

 誰も疑問を持たず、手を合わせて拝んだり、深々と頭を下げたりと、夕緋に感謝と喝采かっさいを送っていた。


 神水流の巫女は、ただのお飾りや象徴ではなく、確かな力を持っている。

 皆が揃いも揃い、神水流夕緋の崇拝者すうはいしゃなのである。


「えっへん!」


 夕緋は誇らしげに胸を張って、鼻を鳴らした。


 この町においては神水流の巫女の権威は正に本物だ。

 そうして直に感じ取れるほど、強い力を顕現させられる夕緋は紛うことなき女神の使者であり、こう呼ばれる存在であった。



 神薙ぎ(かみなぎ)である。



 神が憑依してその声を聞く依り代であり、天との交信をする者。

 それこそが御神那の山とこの土地を鎮め、超常の神通力で人々の信仰をほしいままに集める女神社の神の子。


 ──正統たる神水流(かみづる)巫女(みこ)、夕緋なのである。


 朝陽が巫女として力不足であっても許されているのは、ひとえに桁違いの神通力を秘める夕緋の存在があるおかげなのだ。


 ただ単に出来が良いから、優秀だから、というだけの理由ではない。

 夕緋は優しくも力強い笑顔を浮かべ、三月に言うのであった。


「だから、三月のことは私が守ってあげるね」


 三月はこの時のことをよく覚えている。

 自信いっぱいの夕緋の微笑みと、初披露してもらった神通力のこと。


 少年の心は、尋常ならざる幼馴染の少女に対して何を思っていたのだろうか。

 素直に凄いと感じる気持ちももちろんあっただろうし、この町に住まう者の一人として土地を守る定めの巫女への感謝の気持ちもあっただろう。


 しかし、正直に言うと、怖い、という気持ちも確かにあったのだ。


 畏敬いけい畏怖いふを夕緋に抱く。

 両親も含めた周りの人が同じくそう感じているように。


「……じゃあ、夕緋ちゃんがぼくや町の皆を守ってくれるって言うんなら──」


 だから、三月はそんな風に思う自分が嫌だった。

 他ならぬ夕緋を、妙な色眼鏡で見てしまうのがどうしても気に入らなかった。


 まるで、自分の負の感情に反抗するように三月は強がって言うのだ。

 ほうきを剣に見立て、すぅっと正眼に構えると、視線を夕緋ににかっと笑った。


「夕緋ちゃんのことはぼくが守ってやるよ。せっかく剣も習ってることだし、悪い奴はぼくがとっちめてやるから、夕緋ちゃんは巫女様のお勤め、頑張ってね!」


「えっ、えぇぇ? 三月が、守ってくれるの……? 私を……?」


 思ってもみなかった三月の言葉と態度に、夕緋は本当に驚いていた。

 大地を鎮めて守るのが使命で、お気に入りの男の子もその庇護ひご対象の一人だ。


 少なくとも夕緋はそう思い、信じていた。

 なのに三月が言ったのは、まるでそのあべこべのことであった。


「うん! いざというときはぼくに任せておいてよ!」


「……う、うん、ありがとう、三月……」


 夕緋は大きな目を瞬かせて顔を真っ赤にすると、俯いてはにかんだ。

 その場の勢いとはいえ、我ながらなかなかに歯の浮く台詞を言ったものだ。


 これは確かな思い出のワンシーン。

 ずっと前の出来事ながら、昨日のことみたいに覚えている記憶であった。


「そうか、あのときに思い出したのは夕緋ちゃんが言った言葉だったんだな。あと、この頃の夕緋ちゃんは俺のことを呼び捨てにしてたんだっけ」


 頭に浮かんだ映像が徐々に消えていき、大人の三月は回想を終える。

 思い掛けず思い出した幼少の記憶を懐かしく思いながら。


「悪い魔物は神様の聖なる力に弱い、か……。そのヒントのお陰であの馬の鬼さんにも勝てたんだっけな。タイミングよく思い出させたのはきっと雛月の仕業なんだろうけど……」


 天神回戦の折り、馬頭鬼の牢太ろうたとの試合中に思い出した少女の声。

 あれは、夕緋との思い出の一幕に紐づいた記憶だったのだ。


 神様の聖なる力、とは神々の異世界の大神おおみかみ太極天たいきょくてんを指すのだろう。

 大いなる神威を身に降ろして牢太を破ったシキの三月。


 地平の加護の化身たる雛月は、まだ力の使い方がわからない三月に過去の記憶を見せて、まんまと勝利へと導いた。

 そして、きっとあのときもそうなのだ。


「エルフの姉さんたちに結局押し切られて、パンドラの地下迷宮に挑む頼みを聞いちまった時にも都合良く思い出したもんなぁ……。親父の教えを持ち出されたら、断れるものも断れないっての……」


 状況的に仕方がなかったとはいえ、ダンジョン攻略の使命を引き受けたのは三月自身の意思が決めたことだ。

 パメラの宿のベッドでまどろむ際に、三月はきっかけを思い出していた。


 それは三月の父、清楽が息子に伝えた教えだった。

 すべての人を救うことはできないが、自分の信念に従い、助けたいと思う人たちのために全力を尽くして力になること。

 詰まるところ、それが最後には自分のためにもなる。


「俺の思う通りに、俺が助けたい人たちを、後悔が無いように助ける、か……」


 三月の脳裏に異世界のキャラクターたちの顔が浮かんでは消える。


 エルフの姉妹、アイアノアとエルトゥリン。

 宿屋の猫耳親娘、パメラとキッキ。

 そして、女神の日和。


 伝説のダンジョンに挑むことにどんな意味があるのかはわからない。

 但し、天神回戦で日和を助けて信頼を勝ち取れれば、今はもういない朝陽の秘密を何かしら知ることができる、かもしれない。

 日和のために戦い、見返りがあることに精々と期待する。


「雛月はダンジョンの世界にも、神様の世界にも続きがあるって言っていた。また異世界に行かないといけないってのは、ちょっと認めたくないところだけど……。もし次があるんだとしたら、それなりに覚悟を決めておこう」


 今はどこにいるのか、何をしているのか不明な雛月に対して思う。

 回想はほんの一瞬に満たない時間の内に終わり、現実が再び動き出す。


 意識が心象の世界から戻る際、三月は雛月に呼び掛けた。

 応える者などいるはずのない心の内に向かって決意表明をする。


「要は俺は俺らしく、子供の頃の最初の気持ちを忘れずに、俺の物語ってやつを進めりゃいいんだろ? 俺はまだお前が本当にいるのかどうかもまだあやふやだ。見てるのか見てないのかもわからんけど、一応は前向きにやってやるからちゃんと俺のことサポートしろよな! ほんとにいるんだったらな! おいこら、ちゃんと聞いてるんだよな?! 雛月ぃー!」


 やはり、答えは返っては来なかったが三月には何となく見えていた。

 不敵な笑みを薄く浮かべ、雛月が満足そうに笑っているのが。



◇◆◇



「あっ、朝陽だ。ようやく出てきたぞ、おーい」


 それは回想の続き。

 夕緋の超常現象ショウの後、何事も無かったように再開されている神社の落ち葉清掃作業、その最中。


 やっとのことで今日のお勤めが終わったのか、神社本殿の縁側通路に巫女装束姿の朝陽が見えた。


 背中を丸め、やたらとしょんぼりした風に歩いている。

 朝陽を見つけた三月は思わず境内を駆け出した。


「夕緋ちゃん、ごめん。箒、片付けといてー」


「あーん、三月ぃ! 待ってよ、この手袋はどうするのー?!」


 箒を放り出し、弾かれたみたいに駆け出す三月の背に手袋の手を伸ばす夕緋。

 もう結構遠くまで走っていってしまった三月は立ち止まらず叫んだ。


「そのまま使っていいよー! 貸しといてあげるー!」


「もう三月ったらぁ! 掃除、まだ途中よー!」


 驚きとショックで憤慨する夕緋だったが、走り去った三月からゆっくり降ろす赤い手袋の自分の手に視線を移す。


 姉の登場のせいで三月の占有権を奪われたのは、顔を紅潮させて怒るほどに残念だったが、自分にはこの手袋がある。


 冷えた手をぎゅっと握って取って、体温の余熱が残る温かい手袋を丁寧に優しくはかせてくれた。


「うふふっ、まぁいっか」


 だから、夕緋はすぐに上機嫌になる。

 手袋をはいた手の平を顔にやり、うっとりした顔ですりすりと頬ずりをした。


 三月と交じり合った体温を頬に感じて満足そうに微笑む。

 恋に恋する少女巫女は、幸せな未来の夢を見ていた。


「三月に、手ぇ、握られちゃったぁ……。それに私のこと、守ってやるだって……。女神様、聞いていらっしゃいますか? 三月が私を守ってくれるそうです。もう、嬉しいな……。嬉しいなぁ、うふふ……」


 空を見上げ、夕緋は満面の笑顔で囁いた。

 巫女として祈りを捧げる神にこの嬉しい気持ちを伝える。

 叶えたくてやまない、胸の内に秘めた切なる願いと共に。


「……本当に、将来三月と結婚できたらいいのにな……」



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