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第67話 追憶の社で2

「えぇー、嫌だなー。ぼく、夕緋ちゃんと一緒に神社の仕事はできないよー」


 少女夕緋の淡い恋心が言わせた将来図は、あえなく三月本人によって打ち砕かれてしまうのであった。


「な、何でぇっ!? 神社のお仕事そんなに嫌っ?! そっ、それとも──」


 ただでさえ寒くて白い顔をしていたのに、夕緋の顔は真っ青になった。


「私と一緒なのが嫌だっていうのぉっ!? そんなのあんまりよっ! ひどいひどいひどいっ! 三月の馬鹿馬鹿っ、大馬鹿ぁっ!」


 かと思えば、夕緋はすぐに真っ赤になって怒り狂った。

 手の竹箒をぽーんと放り出すと、三月の両肩を掴んでがくがく揺らして抗議する。


 子供の腕なのに結構な力で首をぐらぐら振られ、三月は必死に夕緋から逃れようともがいていた。


「ち、ちちっ、違うって! 夕緋ちゃんと一緒なのは別に嫌じゃないよっ……!」


「馬鹿ばか……。えっ、そう……? じゃあ、何が嫌なのよ?」


 ぴた、と揺さぶっていた手を止め、夕緋は訝しそうな顔をする。

 すると、ようやく解放された三月は広い境内を見渡し、また弱った顔をして言うのだった。


「だって、夕緋ちゃんの神社、こんなに広いんだよ……? ぼく、毎日こんな広いところの掃除をできる自信がない……。ほら、見てみてよ、夕緋ちゃんも掃除してたんだろうけど、まだまだ全然終わらない感じじゃないか。だからぼくには神社の仕事は無理だよ……」


 三月の子供らしい理由に、同じ子供ながらずっこける思いである。

 夕緋は堪らず吹き出すとお腹を抱えて笑い出した。


「ぷっ、あっはははははっ! 三月ったら可笑しいっ! 神社の仕事は落ち葉掃除だけじゃないし、敬老会のおじいちゃんおばあちゃんたちもそろそろ手伝いに来てくれるから、そんなこと心配しなくて平気だってば!」


「えぇっ?! でも、こんなにたくさん落ち葉が散らかってるんだよっ!?」


 三月は深刻そうな顔を反論するが、夕緋はまだしばらく笑っていた。


「みんなでやればすぐ終わるよっ。──でもまぁ、うん、そうだね……。昨日は風が強かったから、確かに今日はちょっと大変かもね」


 とは言え、境内を振り返る夕緋の表情は曇っている。

 御神那山から冬の木枯らしが大量の落ち葉を運んできており、白い石畳と玉砂利の上に見渡す限りの散らかった惨状を広げていた。

 そのうち手伝いがあるとしても、夕緋一人でどうにかなる仕事量ではなかった。


「あっ、そうだ、朝陽は? 夕緋ちゃんが掃除してるのに、朝陽は何してんの?」


 思い出したみたいに三月が声をあげる。

 境内の掃除は何も夕緋だけの仕事ではなく、当然双子の姉の朝陽もやらなくてはならない日々のお勤めの一つである。


 朝陽だって立派な神水流の巫女なのだから、掃除に参加していなくてはならないのにその姿はどこにも見えない。

 夕緋は苦笑いしながら答える。


「あぁー、三月……。お姉ちゃんは今日も寝坊しちゃってね、お母さんにまた絞られて、今はまだ朝の滝行中かな……。あはは……」


「ひぃぇ……。こんなに寒いのに、夕緋ちゃんも朝陽も大変だなぁ……」


 三月は青い顔をして心底二人に同情していた。

 神水流の巫女には他の神職とは異なり、毎日の特別なお勤めが課せられている。

 いつか夕緋が教えてくれたその内容を三月は思い出す。


 あれはそう遠くない思い出の一幕である。

 晴れ晴れとした朝の小学校への登校前。


 その日も寝坊をしてお勤めに時間の掛かっている朝陽を、女神社の境内で待っている三月と夕緋の二人の場面。


 どうしていつも朝陽はなかなか出て来ないのか三月が疑問を感じていると、夕緋が神水流の巫女の朝のお勤めを教えてくれたのだ。


 白のブラウスと濃紺のジャンパースカートの制服姿に赤いランドセルを背負い、夕緋は得意そうに人差し指を立てて話し始めた。


「神水流の巫女の朝は早いんです。朝は四時半に起床。滝行たきぎょう用の白い行衣ぎょういに着替えたら、神社裏の山の斜面から流れ落ちる滝の冷水に打たれて心身を清めるの。その間、御神体でもある母なる御神那山にお祈りを一心不乱に捧げます。冬はそれはもう凍りつく寒さだけど、心頭滅却しんとうめっきゃくしながら心の中でお祈りの言葉を唱えましょう」


 まだ暗い早朝、布団の中で起きる気配の無い朝陽の横で、てきぱきと白装束に着替える夕緋の姿が思い浮かぶ。


 厳しく打ち付ける滝の落水に身を委ねて、凍える寒さと水の冷たさに耐え、神妙に合掌する情景が頭によぎった。


「滝行が終わったら、次は巫女装束に着替えて拝殿でまた静かにお祈りだよ。二礼二拍手一礼にれいにはくしゅいちれいの基本を忘れず、女神様を敬って明鏡止水めいきょうしすいの心でひたすらに拝みます」


 静寂の神秘的な社殿にて、巫女装束の清らかなる少女が瞳を閉じて祈る。

 その様は何とも言えず神々しく、近寄りがたい。


「そして、拝殿でのお祈りが終わったら、特別なお祭りのとき以外、一般の人たちは立ち入り禁止の女神社の聖域である「祭壇さいだんやしろ」へ赴きます。神社の敷地の裏にある石段をさらに登ったところにあるあの小さな社ね」


 女神社の裏側、山の斜面にまだ上へと続く階段があり、神職の関係者以外は立ち入りが禁制となっているある特別な社殿がある。


 それは祭壇の社と呼ばれており、山肌から社の前部の向拝こうはいスペースと両脇の向拝柱ごはいばしら、屋根の軒がせり出すように建てられている。

 御神那の山とは別の御神体が奉納された、女神社の神殿でもあった。


「そこは社といっても、山をくり貫いた洞窟みたいになってて、社殿の中は中なんだけど、床も板張りじゃなくて土の地面が剥き出しになってるの。そこには女神様を祀る祭壇と御神体があって……。初めは巫女の綺麗な服が汚れるから嫌だったんだけど、両膝を付いて恭しく叩頭礼こうとうれいで女神様にご挨拶をするの。そうしたら、次がようやく最後──」


 小学生の三月には難しい説明で理解できていたかどうかは怪しいが、それを初めて夕緋から聞かされたとき、少し怖くなったのは覚えている。

 明るく説明してくれた夕緋のことを、とても可哀想に思ったものだ。


「女神様の祭壇の前に、私たち双子用の石造りのベッドがあってね。そこに仰向けに横になって、胸の前で両手を組んで静かに目を閉じるの。後はそのままの格好でしばらくの間、瞑想めいそうして過ごすんだけど……」


 その時を思い出しているのか、夕緋は目を閉じている。

 まぶたを震わせ、ゆっくりとした長い息を吐いた。


「滝行の時の騒々しさや、神社の建物の中の静かさとは全然雰囲気が違ってね。暗いし寒いしじめじめしてるし、私もお姉ちゃんも最初は怖くて泣いちゃったっけ。……えへへ、今は全然平気だよ」


 世俗から切り離された異質な禁足地きんそくちにて、巫女は眠るように静かな祈りを捧ぐ。


 三月がお勤めの違和感に気付いたのは、もっと成長した後のことだった。

 夕緋と朝陽がしていたそれがどういう意味だったのか。

 巫女装束の清らかな乙女が神の祭壇の前の台の上で寝そべるその光景。


 それはまるで生贄いけにえだ。

 祭壇の社でのお勤めとは、人身御供ひとみごくうの儀式そのものだったのではないだろうか。


 もちろん、今は古来よりの慣わしに沿うだけの真似事に過ぎず、生け贄などあるはずもない。

 しかし、長い長い神水流の家の歴史を遡れば、もしかすると時代錯誤な因習が顔を出すのかもしれない。


 この土地を守護する母なる女神のため、御神那おみなの山鎮めのために。

 大勢の歴代の巫女たちがその身と祈りを大地に捧げてきた。


 そう考えると、生まれる時代が違えば幸薄い運命を辿るかもしれなかった夕緋と朝陽の二人のことがどうにも不憫ふびんに思われた。


 そして、それと同時に二人が無事なことに安堵も感じたものであった。

 楼門ろうもんに向かってとことこ歩く夕緋は三月に振り返る。


「三月も知ってるでしょ? 私の家に今も続いてる不思議な伝説。代々、神水流の家には必ず双子の女の子が生まれるの。双子じゃなくても、二人かそれ以上かの人数の女の子が生まれてきて、そのうちの誰かが正統たる神水流の巫女になり、女神様に願いをお届けして古くからこの町を護ってきたっていうお話」


 当代も生きる伝説の通り、双子の姉妹、夕緋と朝陽は誕生した。

 代々受け継がれる伝統に習い、二人は神水流の巫女になるべくお勤めを続ける。


 何故、巫女は双子、或いは二人以上の女児だったのだろうか。


 生け贄の因習が頭をちらついた。

 神水流の巫女の後継者は一人でいい。


 なら、二人以上いるのだから、一人は人柱として大地に捧げてもいいということなのだろうか。


 幼い三月にそれらの事実が何を意味するのか本当のところはわからなかった。

 ただ、子供心に嫌な気持ちになったのは間違いない。


 しかし、当の夕緋は小学生の子供ながら、まっすぐな意思を瞳に宿して言った。

 清らかな慈愛の微笑みをたたえて。


「私、頑張って神水流の巫女になって、お父さんお母さんお姉ちゃん、三月や皆が住むこの町を守っていきたいの。どうかみんなが安心して、幾久しく健やかに過ごしていけますように、私は女神様にお祈りを捧げ続けるね。くすくすっ、なんだかおとぎ話の主人公みたいでかっこいいでしょう?」


 山から風が吹いて、笑顔の夕緋の綺麗な長い髪を揺らした。

 三月にはその夕緋の姿が何とも神秘的に感じられたものだ。


 大地の平和を願う巫女の少女は、かくも女神の化身を思わせるやんごとなき存在であった。


「……へっくしょ!」


 そんな風に巫女のお勤めを話してくれたのををぼぅっと思い出していると、夕緋のくしゃみで現実に引き戻された。

 鼻水をすすり、くしゃみを見られて少し恥ずかしそうな夕緋は照れ笑う。


「えへへ、お勤めのこと思い出したら身体が冷えてきちゃった……。もう慣れてはいるつもりなんだけど、この季節は本当厳しいねぇー」


 お祈りのお勤めの後は、汚れた装束を洗濯してまた新しい装束に着替える。

 朝食を済ませたら、今度は建ち並ぶ社殿や広い境内の清掃作業が待っている。


 今日は日曜日だが、平日の学校の日も当然お勤めは欠かせられないため、夕緋と朝陽に課せられた巫女のルーティンは大変な苦労を伴うのであった。


 今日もそれらを滞りなくこなし、夕緋は身震いしながら両手の平をこすり合わせて、はぁっと白い息を掛けている。


「夕緋ちゃん、これ使って」


 お勤めの過酷さに同情し、三月は夕緋に何かしてやれないかと思った。

 意に決したような表情で、出し抜けに自分のはめている赤い毛糸の手袋を脱ぐ。

 それを両手分揃えて夕緋にずいっと差し出した。


「え、三月……?」


 驚いて目をぱちぱち瞬かせる夕緋を待たず、三月は空いたもう一方の手で夕緋の手を取り、ぎゅっと握った。


 三月の手には凍りついたみたいな肌の冷たさが伝わってくる。

 夕緋の手にはじんわりと温かい人肌の温度が伝わった。


「あっ、あっ……」


「ほらぁ、こんなに冷たいじゃないかー」


 冷えた手を確かめるように擦ったり、指を取ったりする三月に、不意を突かれた夕緋はまた顔を真っ赤にした。


 ただ、今度の感情は怒りではない。

 三月の他意のない優しさに照れてしまったようだ。


 幼い三月は異性に対する意識は薄いものの、神水流の巫女の伝統をよく言い聞かされてきた夕緋はそうではない。


 父と母の馴れ初めと結婚、必ず生まれる双子の神秘などの影響で、男女間の色恋事情には知識と興味があり、ちょっとしたおませさんなのであった。


「み、三月、て、手ぇ……」


「はかせてあげるから指伸ばしてて」


 動揺して震える夕緋の手を寒くて動かせないと勘違いした三月は、すぐ横に立って手先器用に手袋を片方ずつ丁寧にかぶせていった。


 夕緋も夕緋で、ぽやーんと呆けた顔をして嫌がる素振りも見せず、素直に指を伸ばしては三月が手袋をはめやすいようにじっとしていた。


「どう、今までぼくが着けてたからまだ温かいでしょ」


「うん、うん……」


 歯を見せて笑う三月の顔を正視できず、夕緋は着けてもらった自分の両手の手袋に視線を落として俯いている。

 紅潮した顔のまま、夕緋はおどおどと上目遣いに三月を見つめた。


「だけど、いいの……? 三月は、手、寒くない?」


「いいよ。ぼくは夕緋ちゃんみたいにお勤めはやってないし、家を出るまでずっと炬燵こたつに入ってたから平気平気。だから夕緋ちゃんが使ってよ」


 三月の屈託無い笑顔に、夕緋は白いため息を吐いてもう一度手袋に目を落とす。

 脱いだばかりの手袋には、三月の体温が余韻のようにほんのり残っていて、自分の冷えた手に優しく温かい。


 自然に頬が緩んで、はにかんだ微笑が思わず口許に浮かぶ。


「……ありがとう、三月。あぁ、あったかぁい……」


 目を細めた満面の笑顔で、赤い手袋の両手を胸に抱く夕緋。

 毎日のお勤めが嫌だったり、寒くてかじかむ思いをしたりするのが耐えられない訳ではなかったが、そうした三月の気遣いと労いの気持ちは本当に嬉しかった。


 やっぱり多分、もうこの頃から夕緋は三月が好きだったのだろう。

 嬉しそうに微笑む少女の顔は、幼馴染みなだけの友人のものには見えない。

 夕緋が大人びて綺麗に見えていたのは、きっと恋をしていたからに違いなかった。



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