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第61話 秋の夜の一夢

■雛月の願うこと

 ・三月のこれから


「さて、お別れの時間だ。名残惜しいけどここまでだよ」


 朝陽の姿をしているせいか、その笑顔には儚さが同居していた。


 目の前の雛月は朝陽とは別人のはずなのに、三月はいたたまれなくなる。

 何かを言おうとする前に雛月は呟くように問いを口にした。


「最後に一つ。……三月は、夕緋ちゃんのことをどう思っているんだい?」


 雛月の投げかける問いは、朝陽の双子の妹、三月の親しき友人のこと。

 神水流夕緋かみづるゆうひのこと。


「気を悪くしないで、やっぱり聞かせてくれないかな? 大事なことだから、さ」


 三月は表情を暗くした。

 それについて深く考えるのはどうしても気が重い。


 触れて欲しくない三月と朝陽と、夕緋の関係。


 しかし、それは決して顔を背けることのできない問題だった。

 朝陽がいなくなってしまった今、三月は過去に向き合わなくてはならない。


「……いいよ、わかった」


 儚げな雛月の姿に心揺らされて気が変わったのか。

 それとも、今のままではいけないと思う罪悪感がそうさせるのか。

 三月は深いため息をつき、正直な気持ちを吐露した。


「夕緋ちゃんは昔からの大事な親友だ。今だって、毎日ご飯を作りに来てくれて、何から何まで面倒をみてもらって世話になりっ放しで、本当に助かってるよ。小さいときからずっと一緒の幼馴染みだし、──実の姉か妹みたいに思ってる」


「そっか、姉か妹か……」


 少し困ったように次の言葉を逡巡した後、雛月は言う。


「三月もわかっているんだろうけれど、夕緋ちゃんはそう思われることを望んでいないよね」


「……多分、そうなんだろうな……」


 三月は俯いて黙ってしまった。

 何も言えずにいると、複雑な表情をした雛月から問い掛けられる。


「三月はさ。夕緋ちゃんと恋人としてお付き合いする気は、ある?」


 何となくそう聞かれるのはわかっていた。

 不思議と動揺することなく質問を受け止めている。

 上げる視線にあるのは、怒りでも悲しみでもない。


「……俺は、朝陽がいなくなるあの日まで、朝陽のことが好きで付き合ってたんだ。ずっとその幸せな関係は続くもんだと思ってた。それが、あの日を境に突然幸せは終わってしまった……。俺には、未だにそれが信じられない、認められない……」


 淡々と語る三月の言葉を雛月は静かに聴いている。

 薄い光に包まれながら、じっと三月を見つめている。


 心の空白が埋められず、未だに前へ進めないでいた。

 三月の時間はあのときから止まったままだ。


「情けないって思うだろう? 俺はあれから10年間、朝陽のことを引きずっている。だからさ、もしも夕緋ちゃんに好かれていたとしても、そんな簡単に鞍替くらがえみたいなことはできないんだ……。雛月の言う通りだよ。こんなこと朝陽は望んでいない。俺がいつまでもこんなんじゃ朝陽が悲しむよな……」


 再び視線を落とす三月に、雛月は困った顔をして笑った。


「義理堅いな、三月は。ぼくが本当の朝陽だったら、嬉しいと感じるのかな? でも三月、もう朝陽はいないんだ。自分の未来の幸せも考えようよ」


 三月に向けた柔らかな視線はそのままに。

 雛月から願いは伝えられた。


「本気で真面目な話、三月さえ良ければ夕緋ちゃんともっと仲良くなっていって欲しいな。朝陽の姿をしている身としては、妹にあたる夕緋ちゃんには幸せになってもらいたいしね」


「……」


「三月だって、夕緋ちゃんのこと嫌いじゃないんだろ? 夕緋ちゃんもきっと三月のことを想ってくれているよ。だから三月、どうか頑張って……!」


「……あさ、いや、雛月……」


 また雛月の姿が、朝陽に重なって見えた。

 思わず名前を呼び違えそうになるほど、在りし日の愛しい朝陽のように見えた。


 生き返った朝陽に応援され、背を押されているみたいだ。

 だから、三月は自らの心を氷解させようと決める。


「わかったよ……。このままじゃいけないのはわかってるし、何よりも夕緋ちゃんに申し訳ない……。まだまだ気持ちの整理はついてないけど、俺も前を見て進まないといけない時期が来たのかもしれない」


 かすむ雛月に向かって、力無くも笑って言った。


「ありがとう、雛月。叱ってもらえて目が覚めたみたいだ。これが夢や幻なんだったとしても、俺にとっていいきっかけになるんなら、こんなにありがたいことはない」


「ふふっ、夢なんかじゃないって何度言ったらわかるのさ。まったく、しょうのない三月だなぁ。だけど、ちょっとでも三月のためになれたんなら、それはそれで本望だよ」


 ころころとした少女のような笑顔で返す雛月。

 ただ、少しの間を空けると、口角を下げて静かに言った。

 その笑顔は少し冷めたものになっている。


「これが夢なのかどうかはすぐにわかることだよ。生憎だけど、ぼくは三月と夕緋ちゃんをくっつけるための恋のキューピッドじゃあないんだ。だから、三月はまたこうしてぼくと会うことになる。何度も何度もね」


 雛月の身体が透き通り、徐々にその存在が希薄になっていく。

 あれだけ無数に漂っていた光の粒子はもうほとんど消えてなくなっていた。


 三月は腰を上げて、雛月のほうに向いて立ち上がる。

 焦燥に駆られた言葉が口をついて出た。


「まだ終わりじゃないってことなんだよな? いったい俺に何が起こってるんだ? 俺は何かやばいことに巻き込まれてるのか? 色々と教えてくれてすまんけど、まだ何がなんだかよくわからない……」


「大丈夫さ、言った通りだよ。ぼくは三月の物語の水先案内人だってね。だからそんなに不安にならないで、二人でじっくりと物語を進めていこうじゃないか」


 消えつつある雛月は、ゆっくりとした動作でアパートの玄関へと歩いていく。

 部屋から外へ出て行こうと、ドアノブを掴んだ。


 三月は雛月に手を伸ばして目の前の背姿に追いすがろうとする。


 しかし、身体が異様に重くて前に進めず、それが言いようもなくもどかしい。

 夢の中でうまく喋れないみたいに、うわずった声で叫ぶ。


「ま、待ってくれっ! まだ聞きたいことはたくさんあるんだっ! この夢みたいな物語を続けた先に何があるっていうんだっ?」


 雛月は答えない。

 代わりの言葉を残す。


「違う夜にまた会おう。これから、きっと大変なことが三月を待っているけれど、大丈夫、ぼくがいつでもどこでも、ずっとついてるからさっ」


「雛月っ……!」


 最後の瞬間、雛月は振り返り、弾けるような笑顔で言った。

 それはまるで、三月の思い出の写真の中の朝陽そのものな極上の笑顔だった。


「またね」


 そして、笑顔と共にすべてが白い光に包まれて何も見えなくなった。

 三月は声にならない叫びをあげた。



◇◆◇



「待って! まだ行かないでくれッ……!」


 はたと気がつき、大声をあげて無我夢中に玄関のドアに飛びついた。

 ドアノブを回し、力任せに鉄製の重い扉を開け放っていた。


 瞬間、目が覚めるような冷たい空気が頬にぶつかってくる。

 ひゅう、と風を切る音が耳に届いた。

 熱を帯びていた神経が途端に芯まで冷える。


 徐々に鮮明になる意識の目の前に広がるのは──。

 電柱取付式の街路灯に照らされたアパートの二階から見渡せる見慣れた夜の光景。


「え……。あぁ……」


 三月は気の抜けた声を漏らした。


 一車線の道路と浅い用水路を挟んだ向こう側、住宅街の建物を呆然と眺めている。

 遠くのほうで電車の走行音と警笛が、踏切の警報機の音と共に残響のように聞こえた。


 もう雛月の姿は無い。

 パンドラの地下迷宮も無ければ、天神回戦の和風闘技場だってどこにも無い。


 アイアノアもエルトゥリンも、日和も夜宵も。

 二つの異世界で知り合った人物は全員誰一人、ここには存在していない。

 ここにいるのは三月と、あとはただ一人。


「三月さん?」


 我を失い、三月は夜の静かな風景に目を泳がせていた。

 すると、すぐ隣から少し驚いた声を掛けるのは、黒く長い髪の美しい女性。


「どうかしたんですか? そんなに血相を変えて……」


 ゆっくりと振り向く蒼白な三月の顔を心配そうに覗き込んでいる。


 神水流夕緋かみづるゆうひ


 ついさっきまで、ささやかな夕餉のひと時を共にしていた三月の知己ちき

 三月のかつての恋人、神水流朝陽の双子の妹。


 そして──。

 今はきっと三月のことを想う、一人の女性。


「あっ、ごめんなさい。私ったら、ストールを忘れてたんですねっ」


 夕緋は三月が手に握り締めている、ベージュのストールを見て慌てている。

 何を言われたかわからない三月は、ゆっくりと虚ろな視線を自分の手にやった。


「……夕緋ちゃんのストール、わ、忘れ物の……」


 ようやく出た言葉はからからに乾いていた。

 長い間、喋ることを忘れていたかのような口内の粘った不快感を感じる。


「三月さん、ありがとう。私、うっかりしてて」


 ぺこりとお辞儀をし、忘れ物のストールを受け取ろうとする夕緋。

 ただ、三月の様子がおかしいことに気がついた。


 夕緋の見ている先、ストールを握り締めた手がぶるぶると震えている。

 何事かと三月の顔に視線を上げた。


「み、三月さん?」


 そして、夕緋は驚きに目を見張った。


 呆然とする三月の両の目から、涙がぼろぼろこぼれだしていた。

 三月は表情を失い、後から後から涙を流し続けている。

 夕緋にはどうしてなのかわからない。


「どうしたのっ、三月さんっ。どこか痛むんですかっ?」


 心配そうに声を掛ける夕緋の傍らに、三月は膝から崩れ落ちてしまう。

 下を向いて背中を丸め、三月は声を殺して静かにむせび泣いた。


「うっ、うぅ……。うぐ……」


 それは何に対する、何のための涙だったのか。


 すべてが夢か幻だったと感じたことへの安堵の気持ちか。

 或いはその逆で行き場の無い憤りを覚えたのか。


 それとも雛月の中に亡き朝陽を感じ、再びの別れに惜別の哀愁を感じたのか。

 三月は何も言わず、何も答えず、ただひたすら泣き続けた。


「三月さん、三月さん……。大丈夫、安心して……。大丈夫だからね……」


 夕緋には三月が泣く事情なんてわからない。


 ただ、三月が悲しみ、寂しさに震えているのだけはわかった。


 今まで心に溜め込んでいたものが何かの拍子に溢れ出たのかもしれない。

 辛く悲しい思い出を突然思い出してしまったのかもしれない。

 それは、夕緋にもよくわかる気持ちだったから。


「うぅぅぅ……。ぐっ、うぅ……」


「三月さん、私がいます。ずっと、私が付いてるから……。だからもう、そんなに悲しそうな顔をしないで……。ね、大丈夫だから」


 アパートの二階、三月の部屋のドアの前、手すり壁に手をついて廊下に座り込み、子供のように泣きじゃくる三月の背中を、夕緋は優しくさすっていた。


 涙する理由は決して聞かず、ただただ傍に寄り添い、温かい手と慈愛の心でさすり続けていた。


 11月の末のある日、木枯らしが吹く寒い夜の事であった。




お疲れ様です、ここまで読んで頂きありがとうございました。

一旦物語はここで一区切りとなり、次回から新しい展開となります。

読者の皆様にお願いですが、面白い、続きが気になるという方はブックマーク、評価の程、よろしくお願い致します。

皆様の応援が励みとなり、モチベーション向上に繋がります。

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