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第56話 雛月

 二つの異世界を越えて目覚めた先で三月は出会った。

 思い出の中の朝陽そっくりな、地平の加護の化身を名乗る少女のようなもの。


 それは違和感の塊でしかなく、いったい何を語っているのか内容について理解を示すのはひどく億劫で気後れした。


 三月はため息をつく。


「はぁーあ、もう……」


──もういい加減にしてくれ……。こんな無茶苦茶はもうたくさんだ……。


 得意げな顔の朝陽みたいな何かをげんなり見上げていた。


 地平の加護の擬似人格と自称するそいつは、そんな三月に構わず人差し指を口元に当てて、んー、と唸っている。


「名前は、何と呼んでくれても構わないけれど……。地平の加護、と呼ぶのは長いしおもむきに欠けるな。とは言っても、朝陽、と呼ぶのには三月も抵抗があるだろうから、これも却下だ」


 多分、三月に自分を呼んでもらう名前を考えているのだろう。

 こだわっているのか、目を閉じた難しい顔で真剣に悩んでいる。


「うん、そうだな……」


 満足げにうんうんと頷く様子は、どうやら名前が決まったようだ。

 まっすぐと三月の顔を見つめ、自称地平の加護の少女は改めて名乗りを上げた。


雛月ひなつき、と呼んでくれ。こよみの上での三月さんがつの異名の一つさ。三月の人格を基にしてつくった化身だし、三月の別の側面という意味でもある」


 暦の三月には、様々な別名や異名がある。

 旧暦では弥生やよいとも呼ばれ、冬と春の境目の季節で、出会いと別れの時期でもある。


 雛月もその一つである。

 節句せっくの行事である雛祭りが催されることから付いた月の名だ。


 明らかに朝陽の見た目の姿に、朝陽ではない何かが憑依しているように見えることから、型代かたしろである雛人形に神霊しんれいものの類が取り憑いているという意味にでもなぞらえているのだろうか。


 ふとそんなことを真面目に考えてしまい、三月は頭をぶんぶん振ってぼやいた。


「……とうとう、異世界につきもののイカサマ能力までもが意思を持って話し始めやがったのか……。どう考えたってこんなのが現実な訳がない……。だけど、まだ夢を見てるってのはもういいとして、だ」


 良い名前が浮かんだとばかりの顔のニセ朝陽をじろっと睨む。

 あからさまに不機嫌な声色で三月は言った。


「できるなら朝陽のことはそっとしといて欲しかったな……。人の心のデリケートな部分に無闇やたらに触れられるのは頂けねえ……!」


 三月はゆっくりと立ち上がり、その間もまがい物から視線を外さない。


 今頃になって気付いたが、二の足で立ったこの身体は現実世界の元の自分のもので、28歳の成人男性の健康な肉体は、身長もシキのときのように縮んでいない。


 さっきまで雛月と名乗る少女に見下ろされていた格好だったが、今度は逆に三月が見下ろす側となっていた。

 静かだが威圧的な態度の三月に、不敵な少女は未だおどけている。


「あれ、なんだ、怒ったのか? だから朝陽のこの見た目になったのは、三月の意識が勝手に……」


「もうそういうのはいいって! これが夢だろうが、お前が何なのかなんてそんなことはどうだっていい!」


 強めの口調で雛月を遮ると、苛立ちを隠さずに三月は言った。


 それは不条理な異世界巡りをさせられ命の危機に瀕しても、物分り良く状況を受け入れた三月でさえ許容できない事柄であったから。


「ふざけるのもいい加減にしろ! 俺の心の傷をいじくって何が面白いんだよ!? これが悪夢ならとっとと終わってくれ! うんざりだ、もうたくさんなんだよ!」


 一歩前にずいと出て、真上から不敵の少女を軽蔑に見下げた。

 そして、明らかな怒気を込め、雛月をまっすぐ見据えて言い放った。


「朝陽を弄ぶのはやめるんだッ! 悪趣味にも程があるだろッ!!」


 ひときわ大きい声に、しんと静まる室内。

 一人暮らしの部屋にいつまでも大事に飾っている写真の朝陽は何も言わない。


 その朝陽とまったく同じ容姿の雛月に激昂げきこうしている。


 普段は穏やかな事なかれ主義の三月だが、朝陽に関わることとなれば黙ってはいられない。


 相手がどこの誰であっても軽々しく触れられれば怒りを露わにする。

 そこには朝陽への、三月の想いの強さが表れていた。


 「──ふふふっ」


 しかし、怖いもの知らずに雛月は笑っていた。


 三月のありありとした怒りを目の当たりにしても、そうなるのがお見通しだったかのようにまったく動じていない。

 至近距離から三月を見返し、冷めた口調で言い始めた。


「おめでたいな、まだこれが夢だと思っているのか?」


 すでに目前まで近づいているのに、雛月は構わずさらに三月に詰め寄ってきた。

 鼻先にまで雛月の顔が迫る。

 熱く憤る三月に対して、雛月は相対的に冷ややかに笑っていた。


「二つの異世界を股に掛けてあれだけの体験をしてきたってのに、あれらをすべてただの夢だと割り切って捨てるだなんて、いくらなんでも無理筋が過ぎるだろう。現実をもっとよく見るんだね」


「な、なんだと……?」


 言い知れぬ迫力で有無を言わせない雛月に、三月は憤りながらもじりじりと後ずさってしまう。


 すぐに後ろの壁に背中がつくと、今度は真下から冷たく見上げる雛月に追い詰められる。


 冷笑の雛月は言った。


「やれやれ、朝陽、朝陽って。本当に女々しいな、三月は。──第一、俺が朝陽の訳がないじゃないか。三月にならよぉくわかるだろう?」


 三月の大切な人、朝陽と同じ顔、同じ声で。

 まったく違う表情、あまりにも冷たい声で雛月はその事実を三月に突きつけた。



「──だって、朝陽はもういないんだ。10年前のあの惨禍さんかに巻き込まれて、その命を落としてしまったんじゃないか」



 まるで、雛月が隠し持っていたナイフだかの鋭利な刃物で刺し貫かれたかのような痛恨の痛みが胸に走った。


 身体の奥まで熱く激しく抉られるその痛みは、ナイフどころか太い木の杭を深くまで打ち込まれたみたいだ。


 噴出す冷や汗と蒼白なる顔の三月に雛月はさらに続けた。



「朝陽は死んだんだ。享年きょうねん18歳、あまりにも早すぎる死だった」



 できるなら顔を背けたかった記憶が甦る。

 それはあまりにも悲しい過去の出来事であった。


 10年前、朝陽は18歳の時にその生涯を閉じていた。

 三月の大切な人は、もうすでにこの世の住人ではなかったのだ。


「……」


「三月、いいか。よく聞くんだ」


 辛い記憶に押し黙る三月に雛月は言う。


 その顔から冷笑はもう消えていた。

 悲しさ、悔しさを表情に滲ませている。


 しかし、三月を責めるような視線はそのままだ。


「故人をしのび、感傷に浸るのもいい。でも、いつまで過去のしがらみに囚われ続けているんだい。いい加減に前を向いて先に進むことを考えたらどうなんだ」


 刺すばかりの言葉の刃には容赦がなかった。

 辛酸しんさんの感情がぶり返し、身体の底から古い痛みが駆け上がってくる。


「悲しみの十字架を背負って泣き続けるのも限度があるぞ。下を向いてしょげてばかりで、現実をまともに見ようとしない」


 怒り、悲しみ、後悔、焦燥、すべてどうでもよくなって逃げ出したい感情。

 受け入れて、受け止めて、大人になったつもりでわかったような顔をしていた。


 だから、それを言われて無性に腹が立ったのだ。

 雛月の、朝陽と同じ顔で言われて、心底現実に怯えたのだ。


「そんなことを朝陽は望んでいない! 三月がそんなんじゃ、朝陽が悲しむ!」


「う、うるさいっ……! 黙れっ!」


 叫んだが早いか、反射的に三月は手を出していた。


 怒り激昂したのではなく、泣いた子供が自分を守ろうと手を振り回したみたいに手が前に出ていた。

 そんなに力を入れていたわけではなかったのに。


「あっ……!」


 どすん!


 目の前の雛月はやけに軽く、三月の手が肩に触れただけで、その身体は後ろ向きにあっけなく倒れ込んだ。


 突き飛ばした格好となって、部屋の床にしたたかに尻餅をつく。

 三月は自分のしたことにはっとした。


「──きゃっ。……痛ったぁ」


 すると、雛月からあがったのはそんな声だった。

 三月の男性人格を基にしているとは思えないようなそれは、か細く黄色い女の子の声だった。


「!」


 途端、さっきまでの冷笑や勢いは立ち消え、雛月は自分の声に驚いたみたいに目を丸くして、口元に片手をやっている。


 お尻を床について紺色のプリーツスカートがまくれ上がり、太腿まできわどく露になっているのに、そちらには気を留めず目を瞬かせて呆然としていた。


「あっ、悪い! つい手が……」


 一瞬遅れて、三月は思わず手を上げてしまったことを謝ろうとする。


 いくら心の傷に触れられたからとはいえ、見た目女の子の相手にやっていいことではなかった。


 男口調で高圧的に迫ってきていたこともあり、もっと強いたたずまいだと思い込んでいたが、思ったよりも雛月の身体は華奢でか弱かったようだ。


「ふ、ふふっ……! あはははははっ……!」


 思考停止して、驚いた顔のまましばらく固まっていた雛月だったが、急に楽しそうに吹き出していた。


 両手を後ろについて、天井を仰いで愉快そうに笑い始める。

 突き飛ばされて転んだことがそれほどまでショックだったのかと思いきや、雛月が笑っているのはまったく別の理由だった。


「あっははははっ、面映おもはゆいなぁっ! ねえ、今の声聞いたあ? きゃっ、だって! まるで女の子の声みたいだったねえ。あははははっ……!」


「な、なにがおかしいんだよ……?」


 三月は雛月が何をそんなに面白がっているのか理解できない。

 ひとしきり笑った後、雛月はまだ愉快そうにしながら首をかしげると。


「三月の性格を基にしている人格のはずなのにおかしいなぁ。朝陽の見た目の視覚的影響と三月のこの姿への思い込みが、擬似人格を女の子っぽくしてるみたいだ。これはとても興味深いことだぞ」


 うんうんと首を縦に振り続け、一人納得している雛月。


 忘れてはならないが、雛月は自らを地平の加護の化身であると名乗った。

 平時は三月の潜在意識下にあり、有事の際には加護の制御手として最低限の案内音声を発するだけの、いわばシステムである。


 その無機質な機械めいた規範に、擬似的な人格を三月の性格を元として再現して、最もイメージしやすい対象の朝陽の姿を出力したことで、結果的に思ってもみなかった化身のうつわが誕生した。


 大切な人であった朝陽の姿形となり、三月を模した男性の人格なのに、朝陽の女性の要素が入り交じった中性人格が形成されてしまったのである。


「……おい」


 三月はそんな雛月を見て、多少は色めき立ちながらも嘆声たんせいを漏らす。


「朝陽は自分を、俺、なんて言わないし、その、スカートがまくれたら、すぐにおさえてなおすもんだぞ。……目のやり場に困るから早く隠してくれ」


 同じ格好で楽しそうに笑い続けている雛月のプリーツスカートはまくれ上がったままだ。


 健康的な太腿は丸見えで、その先の下着が見えるぎりぎりのところまで脚線美きゃくせんびを放り出している。

 何なら純白の布地がちらりと見えていたかもしれない。


 雛月は察したようにいやらしく笑みを浮かべると、わざとらしくゆっくりした動作でスカートをなおし、立ち上がる。


「いけないいけない、これははしたなかったね。ふふふ……」


 顔を赤くして動揺する三月の顔を見上げ、雛月は意味ありげに笑う。

 何かを思いついた様子でぽんと手を打った。


「あっ、そうだ。思い掛けずこんな姿形になってしまったことだし、せっかくだからちょっとは女性らしく振舞ってみようかな」


 ちらりと上目遣いに三月を見上げて、いたずらっぽい目をして白い歯を見せる。


「──そのほうが三月の反応も良いみたいだしね」


「お、お前なぁ……」


 また妙なことになってきたようである。

 そう思って三月が渋い顔をしていると、雛月は性懲りもなくまたずいっと距離を詰めてきた。


 下から覗き込んでくる視線のまま、もう朝陽には見えない独特の笑顔を見せる。

 その様子は小悪魔的な魅力さえ振りまいていた。


 雛月という別人格を通しているが、容姿は在りし日の朝陽そのもので、妹の夕緋に負けず劣らずの美少女といって差し支えない。


 さっきまで怒っていた三月もすっかりとたじたじである。


「でも──」


 と、複雑な思いで唸る三月を見上げて、雛月は眉を八の字にしてしおらしい表情になった。

 もう先ほどまでの威圧感は無い。


「さっきはごめん、ちょっと言い過ぎたよ。朝陽とのことは繊細な問題なのに、説教じみた言い方になってしまった。三月のことを心配しているのは本当なのにね」


 そう言うと、伏せ目がちに視線を落として雛月は謝罪を口にした。

 もう一度上げた視線を三月と合わせると少しだけ笑う。


「何度も言ったけど、この人格は三月自身を基礎としている。三月の悲しみは自分のことのようにわかるつもりだよ。無神経なことを言ってすまなかった」


 雛月は地平の加護の化身であり、三月の意識と一体になっている。


 三月の感情を雛月はすべて理解しているし、今さっきの怒りや悲しみ、はたまた動揺したり、呆れたり、といった気持ちにもリンクしている。

 だから、三月の悲しい記憶も共有していた。


 まだ気を許した訳ではないが──。

 ちゃんと言葉にして謝られたことで、雛月への態度は少しだけ軟化していた。


「……ああ、もう、わかったよ。俺も突き飛ばして悪かった……。も、もうこの話は終わりにしようぜ」


「うんうん、そうしよう。さあ、せっかくコーヒーも淹れたんだ。突っ立ってないで、座って話をしようじゃないか」


 少年のような無邪気な顔でにかっと笑うと、炬燵テーブルの対面に無造作に腰を下ろす雛月。


 但し、その座り方を見て、三月はまた頭を片手で押さえてため息をついた。


「あのなぁ、女の子なんだったらスカートで膝を立てて座るなっ……! 女性らしく振舞うって言ったばっかりだろうが」


「えっ、あっ……!」


 やっぱり自覚なくやっているみたいで、雛月は自分がどんな格好をしているのかに気付いて思わず声をあげた。


 がさつに片膝を立てて座っているものだから、またもスカートがずり下がり、白く眩しい脚の付け根を艶かしく披露してしまっている。


 雛月は慌てて膝を下ろして座り直すと、無難な横座りで落ち着いた。

 言われてすぐだったこともあり、照れ笑いを浮かべる。


「あ、あはは、ごめんごめん。どうにも身体が女の子で、女物の服を着ていることをついつい忘れてしまうね」


「まったく、やれやれ……。一応その姿は朝陽のものなんだから、その辺りの体裁はちゃんと取り繕ってくれよな。どうせやるんなら、完成度にこだわれっての」


 三月もぶつぶつと小言を言いながら、気分的にも重い腰を雛月にならって下ろしたのであった。



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