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第54話 女神とシキ、その門出2

後生ごしょうなのじゃ……! やはり、どうか試合に出てはくれぬかっ!? 目覚しい戦果など望まぬ! おぬしだけが最後の希望なのじゃ! どうか、どうか……!』


「……」


 涙ながらに試合に出て欲しいと懇願した日和を思い出す。


 実際、みづきが戦わなければ敗北の眠りは現実のものとなっていただろう。

 この選択と行動は正しかったと、現状の結果から納得することはできる。


 ならばもう、日和の後ろ暗い思惑について言及をする必要はなかった。

 なかったのだが──。


──やっぱり腹に一物持ってやがったな。なぁにが後生だよ! 文字通りそのまんま来世で極楽に行くために俺に試合でやられてこいってか。縁起でもねえ!


 やっぱり心の中では憤慨しているみづき。


 後生とは日和の言った台詞だったが、それは死した後、極楽へ行くために良いことをして欲しいの意味合いでもある。


 本当に言葉通りになるところだったと、みづきは肝を冷やす。

 ただ、そうまでしてでも生き残りたいという日和の気概を買ったのは本当だ。


──他に選択肢は無かったとはいえだ……。どのみち、多分、日和を見捨てることはできんかっただろうしなぁ……。それに──。


 泣く子と地頭じとうには勝てないというか、単純に女の涙に弱いというか、弱る女性を放っておけないのもみづきの持ち前の性分だ。

 それと同時に、打算的に考える自分もいる。


──これで秘密を言えない気持ちが変わってくれるんなら安いもんだ。成り行きでこうなった訳だけど、痛い目を見た分、俺の望みを叶えてもらうからな。


 基本的には事なかれ主義なみづきではあるが、成すべき目的を主眼に置いた場合になら、成就の為にはある程度は手段を選ばず、柔軟に物を考えることが必要であると思っている。


 自分が我慢をすればいいだけ、ともなればそれは尚更であった。

 日和が自分に非があると思っているのを赦すことで、頑なな気持ちが良い方向へと変化するなら自分の葛藤を抑えるくらいなんでもない。


「みづき……」


 事実、日和は心底驚きを感じて、凍り付いた心を融解させようとしていた。


 永く在り続けてきた女神の自分が、今日生み出したばかりの赤子同然なシキに納得させられたばかりか、肩の重責をも軽くしてもらったのだから。


「器の大きいことじゃなあ……。それらみづきの言葉には、私の心も救われるというものじゃ……。多々良殿より寛容とはなぁ……。おぬし、本当にシキか……?」


 自ずと穏やかな笑顔になった。

 綻んだのは表情だけでなく、心までぽかぽかと温かくなった。


 日和の思いは迷い、揺れる。

 土壇場の急場しのぎで生み出したシキが、信頼に足る相棒になり得るのかもしれないと思えた。


 だから、今度は自分からそれを問おうとした。


「み、みづき、おぬしは……。私に聞きたいことが、あるのではなかったか……? 無理にでも聞こうとは思わぬのか……?」


 伏せ目がちに、震える声で日和は言った。

 その胸の内は秘しておかなければならず、おいそれと口に出す訳にはいかない。


 しかし、今は秘密があるのを黙っていることを心苦しく思う。

 まして、みづきはその秘密に触れたがっている。


 此度の勝利をもたらした珠玉のシキの願い、これは何らかの兆しではないか。

 このシキになら打ち明けても大丈夫かもしれない。

 共に困難な茨の道を切り開いてくれるかもしれない。

 みづきとなら運命共同体となってもいいのかもしれない、そう思った。


「聞いてもいいもんなら教えてもらいたいけど……。そうだな、それじゃその言えない、或いは言いたくない事情ってのがあるんならまずはそっちを教えてくれよ。そのうえで、どうなったら全部気持ちよく教えてもらえるのか聞かせてくれると助かる。是が非でも聞きたいってのは本当だからな」


 案の定、日和の気持ちは軟化したが、みづきはみづきでまだ慎重だった。

 はやる気持ちはあったが、努めて平常心で段階を踏みつつ、要望も伝えた。

 日和が少しでも秘密を話しやすくなるよう信じて。


「──みづきの聞きたいことというのは、大切な我が巫女、朝陽のことじゃな?」


 不意に日和は口火を切った。

 二人の視線が空中で絡み合う。


 微笑んではいるが、日和はこちらの反応をつぶさに観察している。

 試されている気配を察し、みづきは早くなる動悸を気取られないようにする。


「軽々しく言えぬのは、それがとある人の世の運命を左右する重大事に関わることだからじゃ……。みだりに秘密を語り、神水流朝陽かみづるあさひの身に何らか災いが及べばすべてが終わりとなるのじゃからな……」


 心の準備をしていても心臓が大きく高鳴った。

 自分の胸の音を日和に聞かれていないかと不安になるほど。


──はっきりと言った……! 神水流朝陽って! 聞き間違いじゃなかった……! 日和の言う朝陽は、俺の知ってるあの朝陽のことだ……!


 心を必死に落ち着けながら、異様に乾く喉に何度もつばを飲み込んだ。


 神水流、なんて姓は珍しく、名前も一致している。

 何よりも、日和の神妙な面持ちから伝わってくる思念がすべてを物語る。


 それは本当に不思議な感覚で、みづきの内にある加護のおかげなのだろう。

 心同士の距離が縮まった日和の記憶をすくい取り、自分の脳裏にある朝陽の記憶と照合を掛けているかのようだ。


 地平の加護による精査の結果、今名前の挙がっている神水流朝陽は、みづきのよく知る思い出のあの少女で間違いない。


「この秘密を知ればみづき、おぬしは最早私と天神回戦を戦っていくのを降りることはできなくなる。いや、私がそれを許さぬのじゃ。秘密を知って尚、おぬしにわずかにでも逆心ぎゃくしんがあるとなれば、私はこの身に引き換えてでもみづきをめっせざるを得なくなる……!」


 一瞬だけ、日和は夜宵襲来のときに見せた恐ろしげな目の光を浮かべた。

 しかし、眼差しの色はすぐにも切なげな感情に塗り替えられ、両手を床につけ、頼み込むばかりにみづきを見つめて言った。


「頼む、みづき。私にもう少し見定める時間を与えてはくれぬか……? おぬしに私と朝陽の命運を委ねてもよいかどうかを、見極めさせておくれ……!」


 それは日和の選択であり、譲歩であり、希望であった。

 女神からの試練、そう言い換えてもいい。


「だから、改めてみづきには天神回戦を勝ち抜いてもらいたいのじゃ……。私が力を取り戻し、夜宵の奴めの思惑通りにさせぬために……! 戦いの矢面に立たせるばかりか、傲慢ごうまんな願いであることは重々承知しておるが、みづきを信じてよいものかどうかを確かめたい……。どうかこの通り、宜しく頼むのじゃ……!」


 日和は痛切に搾り出す声でそう語り、もう一度深く頭を下げようとする。

 すかさずみづきは声をあげた。


「神様がそんなことすんなよ」


 発したのは日和への制止の声。

 びくっ、と肩を震わせて動きを止め、日和は顔を上げてみづきを見る。


 布団に寝転がったままの横柄な態度ながら、みづきは自然な口調で言った。

 心のこもった、敬虔けいけんな信仰心さえ感じさせる言葉で言った。


「日和はこの神社の神様なんだろう? その神様の手伝いをするのがシキである俺の役目だ。神様を祀るのは当たり前だし、お願いを叶えてもらったらお礼参りをするのが礼儀ってもんだ。順番は逆だけど、朝陽のことを教えてくれるんなら、まずは俺が神様の、日和のために精々頑張って働いてみるよ」


「みづき……」


「──天神回戦、引き受けたよ。日和のことも俺が守ってやる。だから、頭なんて下げなくていい」


 みづきはきっぱりと言い切った。

 日和のために、強大な神々とその眷属を相手に戦う。

 この神々の異世界に、真っ向から向き合おうと決めた。


「みづき、みづきぃ……。おぬし、おぬしという奴は……」


 油皿の頼りない火の明かりに照らされ、日和の顔がほんのりと赤く見えたのは気のせいではない。


 今はまだすべてを打ち明けられず、命を張って戦ってもらうには誠意が足りない。

 しかし、みづきは神の助けとなるのを当然の役目だとして、天神回戦を引き受け、守ってさえくれるのだと言う。


 どうしようもないほど追い詰められた状況で、一縷いちるの希望がもたらされた。

 日和は感激し、久しく安らいだ心で微笑む。

 暗い運命の渦中にあれど、その顔には精一杯の感謝の気持ちが詰まっていた。


「いよいよともう一巻の終わりかと思うたが……。みづき、おぬしという良いシキに巡り会えて本当に良かった。ありがとう、衷心ちゅうしんよりそう思うのじゃ……」


 日和も決心する。

 みづきと共に天神回戦を戦い抜いていこうと。

 もう不義理は働かず、正々堂々と群雄割拠の神々の戦いへと身を投じる。


 と、微笑んだまま日和も気になっている問いをみづきに返した。


「しかし、みづき。どうして今日誕生したばかりのおぬしが、神水流朝陽のことを気に掛けるのじゃ? それこそ私だけの事情ゆえ、みづきには微塵みじんにも関係の無きことであるのに……」


「主の神様の願いを知って、シキの俺も同じ目標を掲げておきたい。とりあえずはそんなところだよ。その辺のことは俺もどうしてなのかはよくわからん」


 何故なのかは当のみづきにもわかりはしない。


 夢か現実か判別不明、非現実な異世界体験が過ぎ去った過去に引き合わせようとしている。

 この夢物語に向き合うことが、どうしてか思い出の中の少女に繋がっている。


──目を背けることなんてできやしない。また朝陽に寄り添うことが、どんな形ででもできるんなら、俺は……。


 みづきにとって、最早これは単なる異世界転移などではない。

 失われた過去にもう一度触れられる追憶の旅だ。


「そうか、わかったのじゃ」


 日和ももうそれ以上深く問いはしなかった。

 何度か頷き、女神そのものな慈愛の表情で静かに言った。


「おやすみ、みづき。また明日なのじゃ」


「おう、おやすみ、日和」


 満ち足りた笑顔で日和は就寝の挨拶を口にした。

 みづきがそれを返すと、日和は膝を擦って自室へ引っ込んで襖を閉め始める。


「……」


 すーっ、と襖が閉まっていくのを目で追いながらみづきは思う。


 これにて今日の出来事はお終いで、眠りにつけば朝を迎えることだろう。

 これが夢なら早く覚めて欲しいと幾度と無く願ったものだが、今度ばかりはそう思わなかった。


──頼むぞ。これで目が覚めたら現実に引き戻されるとか、またぞろ別の新しい夢が始まるとかは勘弁だぞ……。


 現実のみづきのアパートから急にパンドラの地下迷宮へ。

 ダンジョンの異世界で眠りについたら天神回戦の神々の異世界へ。


 次に眠り、目を覚ましたのなら、今度は何が待っているのだろうか。


 願わくば、みづき自身の願いでもある、朝陽と接点を持てるこの神の世界の継続を切に願う。

 たん、と閉まった襖の音と、訪れる静寂。


──今回の異世界転移なら巻き込まれたっていい! 朝陽に繋がる何かを掴めるなら危ない橋だって渡ってやる。例えそれが夢や幻だったとしてもだ……!


 強い思いを胸に、みづきは視線を空虚な天井の暗闇に戻す。

 天神回戦なる神々の武芸大会で、訳有りの順列最下位の神様を一位にのし上げるために戦うストーリー。


 理由は不明だが失われた過去に触れられる、よく出来た不思議な世界。

 半信半疑を通り越し、またこの架空を信じる気になった。

 目が覚めたらやっぱり夢でした、は本当に遠慮したいところである。


「はぁぁ……」


 何とも言えず不安と期待が入り交じり、大きなため息が漏れる。


 ふと、すでに閉まった襖のほうにもう一度視線をやる。

 するとそこには、音も無く襖を少し開けて、目だけを覗かせるいたずらそうな顔の日和の姿が──。


「うふふふふ」


「わぁ、びっくりしたぁ!」


「あっはははは! みづきってば面白いのぅ、あはははっ!」


「早よ寝ろッ!」


 別の意味で胸をドキドキさせ、声を荒げるみづきと。

 愉快そうに笑って、逃げるみたいに襖を閉める日和。


 腹黒い一面を持ちながら神としての役割を果たすため、望まず背水の陣で戦うどこか憎めない落ちぶれた女神。

 自分はそんな女神の元に生まれ落ちた、曰く付きのしもべの戦士、シキ。


 女神とシキ、二人の物語。

 神様たちと戦うなどという前途多難な先行きではあるが、本当に願わくば日和との物語を続けさせて欲しいと思う。


「ふぅ、まったく……」


 ぼやく声は炭の香り漂う暗闇にかき消された。

 そして、眠りが訪れる。


 目が覚めた時に、みづきを待っているのは次のいずれか。

 日和と一緒な神々の世界が続行し、明日からも天神回戦を戦っていくのか。

 すべてが夢で片付けられ、現実世界のアパートの自室で目が覚めるのか。


 考えたくもないが、第三の異世界転移が始まってしまうのか。

 みづきは戦々恐々しながら、心配半分、期待半分で眠りに落ちていった。


『同期解除、接続一時終了』


 それも夢か現か、まどろむ意識の中であの声が響いていた。

 地平の加護による無機質で抑揚よくようのない案内音声。


 しかし、このとき初めて加護は感情を込めてみづきに言葉を掛けた。

 長かった摩訶不思議まかふしぎな旅の苦労をねぎらう声で。


『お疲れ様、三月(みづき)。よく頑張ったね、ひとまずはゆっくりと休んでくれ』




これにて第2章完結です。

ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。

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