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第51話 夕暮れの珍客

「頼もぉォォーゥッ!!」


 みづきが日和に詰め寄ったのを見計らったかのように、大声が外から聞こえた。

 突然の来客によって、大切なあの子に繋がる問答は中断されてしまう。


「……日和、お客さんみたいだぞ」


「う、うむ、そうみたいじゃな……」


 核心を突くみづきの問いから逃げるみたいに、日和はそそくさと玄関へ向かう。

 みづきは特に何も思わず、その小さな背姿に着いていった。


 ガララッ、と引き戸を開けて外に出ると、空はすっかり夕暮れのだいだい色。


 日の沈む空を背景にして、神社の境内に割りと大き目の人影が立っていた。

 夕日に逆光した暗い影の輪郭に、爛々と目だけが赤く光っている。


 神社の御社殿の前にいた人影は、母屋からみづきと日和が出てきたのを見つけると、しっかりした足取りでこちらへのしのしと歩いてきた。


「──夕餉時ゆうげどきにお邪魔をする失礼、平にお許し下さいませ」


 大仰に一礼をする、大柄で何とも個性的な来客は美しくもたくましい女性。

 日和とみづきに、にこりと妖しく笑った。


「うはぁ……」


 みづきは思わず興奮して声を漏らしてしまった。


 六尺(180センチ)は下らない高身長、筋骨粒々な引き締まった肉体。

 何より、見事なまでに膨らんだ大きな胸の双丘が凄まじい存在感を表している。


 白黒の水着みたいな薄着で、張りのある肌と豊か過ぎる胸を申し訳程度に覆ってはいるが、何とも度を越えた扇情的な半裸の装いである。


 二つの異世界の人物たちを見てきた中で、文句無しの最も立派なバストの持ち主にみづきは驚きを隠せない。


「ウフンッ!」


 正直なみづきの視線と反応に、大柄の女性は誇らしげに鼻を鳴らした。


 腰から下は赤い布地の前掛けを垂らして、深いスリットから筋肉に包まれた腰骨が覗き、鍛え抜かれた両腿はすらりと地面に向かって伸び、大きい足長の足元には短めの白い足袋に草履を履いている。


 黒髪に白が掛かったまばらな色の髪は、後ろで三つ編みに結ってあり、頭から獣めいた両角と両耳がぴょこんと飛び出していた。


 みづきが興奮を覚えたのは、何も大きな胸を見たからだけではない。


「う、牛耳だぁ……。可愛い……!」


 側頭部の両側から牛を思わせる大きめの耳が、パタタッと揺れ動いている。

 みづきは新たなる「耳」の登場に色めき立っていた。


 定番の猫耳やエルフの長耳も無論好物だが、牛の耳もこれはこれでおもむきが深い。


 みづきときたら、日和に大事な質問をしていたことをすっかり忘れて、急に訪れた牛耳の女性に顔を輝かせるのであった。

 それとは真逆に、突然の珍客に日和は迷惑そうな顔をしている。


「ど、どなたじゃろうか? 確かに今は夕餉時じゃ。できれば機会を改めてもらいたいところじゃが、何か急ぎの御用でもあるのかのう……?」


 恐る恐るそう尋ねると、大柄の女性は不敵そうに腰に両手を当て、目を細めた。

 にやりと笑う。


「これはこれは誠に恐縮にございます、日和様。それでは、とくとこの姿をご覧になられ、手早く要件を済ませると致しましょう」


 巨体に似合わず、身軽く飛んで後ろに下がる。

 途端、大柄の女性の身体から黒い瘴気が渦巻くように噴出した。

 黒い煙のような気体が全身を包み込み、瞬く間に真の姿を露わにする。


 闇の中で大柄の身体は何倍にも膨らみ、見上げるほどの二丈(6メートル)以上はある巨体へと変じていく。

 黒い瘴気が左右に切れて晴れると、夕暮れの橙色を背にして恐ろしき巨躯の鬼が堂々と立っていた。


「天眼多々良様の使者として、ただ今参上(つかまつ)りました。──私は牛頭鬼のシキ、冥子めいこと申します」


 ぎろりと輝く赤い双眸の顔は牛面ぎゅうめん

 野太く迫力の増した声で、もう一人の地獄の獄卒鬼は名乗りを上げた。

 地獄絵図などで馬頭の鬼と並んで描かれることの多い、牛の顔をした鬼である。

 

 オセロカラーの三つ編みの髪型と、きわどい装備の格好はそのまま。

 筋骨の盛り上がった肉体の、白黒まだら模様の肌はまるでホルスタイン種。


 立派だったバストはさらに立派になり、肥大した大胸筋なのか豊かに発育した乳房なのか区別が付かず、とにかくその存在感は尋常ではない。


「……本日は我が相方の馬頭鬼、牢太が大変に世話になりました」


 冥子は言って、鼻息を荒立てる。


 どこかから取り出した身の丈と同じくらいな長柄武器の金砕棒かなさいぼうは、八角形の円錐状で、菱形の先端が無数のびょうで補強された打撃専門。

 金砕棒の先端をどしんと境内の地面に付けて、玉砂利を撒き散らしている。


「うぅ、この牛耳は可愛くない……。戻して……」


 残念そうな小声のみづきはさておき、冥子と名乗った牛頭のシキはゆっくりとした動作で、日和に巨人そのものな大きな右手を差し出す。

 開いた手掌しゅしょうの上にそれはちょこんと乗っていた。


「多々良様より日和様にお届けするよう賜りました。お納め下さいませ」


「白羽の矢か……。やれやれ、気の早いことじゃな、多々良殿は……」


 冥子の手にあったのは、大きさの対比から細い針みたいに見える白羽の矢。

 日和はぼやきつつ、差し出された矢を気が重そうに受け取った。


 無論のこと、それは多々良陣営からの次なる試合の申し込みである。

 ようやくと一試合を終えたばかりだというのに、文字通りの矢継ぎ早な、多々良からの挑戦状であった。


 そうして冥子は、日和が矢を受け取るのを満足そうに見ていた。

 その視線を移しつつ言った。


「白羽の矢は本来なら直接受け渡す事無く、撃ち放つのみで済ませるところではございますが、多々良様にお願い申し上げ、私めが直接お届けに参りました」


「ごくり……」


 かなりの至近距離で真上から見下ろされ、みづきは喉を鳴らした。

 冥子は明らかにこちらを見ていて、可愛げのない顔でにやりと微笑んでいる。


「貴方ね、牢太と戦ったシキは。試合の話は聞いているわ。もぅ、ほんとに驚いたんだから。完膚かんぷなきまでに打ちのめされた牢太が、のびて帰ってきたときはね」


 しばらく類を見なかった天神回戦の一幕は、すでに方々に伝わっていた。


 当然、それは多々良の本営にも知らされている。

 勝ち戦と決まっていた結果は見事にひっくり返り、牢太が負けて戻ってきたのを目の当たりにして冥子もそれは驚いたものだ。


「負けた相方の肩を持つ訳じゃないけれど、あれで牢太はかなり腕が立つほうなの。その牢太を負かすだなんて……。やるじゃないの、貴方」


 褒められているようだが、強面に薄ら笑われ何とも複雑な気持ちだ。

 先ほどまで筋肉美女だったのはわかっていても、鬼の形相での熱い視線や爆風のように吹きかけられる吐息はちっとも嬉しくない。


 みづきは苦笑いの愛想笑いで適当にその場を繕おうとした。


「あぁ、そりゃどうも……。そうだ、あのさ、馬の鬼さんに武器取っちゃって申し訳ない、って謝っておいてよ……。大切な武器だったみたいだし……」


「心配いらないわ。多々良様がすぐに直して下さるから。……そんなことよりも」


 ずいっ、と目の前までホルスタイン模様のいきり立った牛の顔が近づいてきて、視界いっぱいを迫力満点に埋め尽くした。

 みづきは情けない声をあげてたじろいでしまう。


「ヒィィ?!」


「牢太を負かした日和様のシキ、貴方のことが気になっちゃってね。こうして直に見に来たって訳よ。……ふぅん、随分と可愛らしい顔をしてるわね」


 眼前まで迫った冥子の恐ろしい顔がぺろりと舌なめずりをした。

 赤く光る目を細め、みづきを値踏みしながら大きく鼻息を噴出している。


 女性っぽいちょっといい匂いがして、みづきはとても複雑な気持ちになった。

 かと思えば、突然──。


「えぇい!」


「うおっ?!」


 冥子は突然身体を大きく反らし、手の金砕棒を振り上げた。

 ぶぉんっと風を切る音と共に、力いっぱいみづき目掛けて打ち下ろす。


 しかし、当てるつもりはなかったようで、みづきの目の前で寸止める。

 ぴたりと動きを止めた金砕棒が眼前まで迫っていて、続けざまに風が巻き起こって境内の玉砂利をじゃらじゃらと吹き飛ばしていた。


 みづきはものも言えず、へなへなと腰を抜かして尻餅をついてしまう。


「や、やめよっ! 試合外での争いは御法度ごはっとじゃろうがっ!」


「フフン、新たなる好敵手となるやもしれないシキへの挨拶代わりでございますよ。お許し下さいませ」


 何をされたのかを一拍遅れて理解し、日和は悲壮に叫んで抗議した。

 対して冥子は悪びれもせずに鼻を鳴らしている。


「ふぅん、こんなひ弱そうな坊やに牢太がねぇ」


 からかうような目をして、金砕棒の先で座り込むみづきを睨む。


「卑怯な手でも使ったのかしら? いいえ、貴方初心(うぶ)そうだもの。そんな手練手管てれんてくだは無理そうねぇ」


 太い首を傾げ、冥子は疑わしそうに含み笑う。


 本当にこんな軟弱そうなシキが、屈強な同門のシキを倒したのかと半信半疑だ。

 太極天の恩寵を自在に操ったとの話があったが、冥子は眉唾まゆつばだと思っている。


「あら、目つきだけは一丁前ね。──貴方名前は? 覚えておいてあげる」


 冥子は愉快そうにわらう。

 尻餅をついたまま反抗的に見返してくるみづきに問い返した。


「……みづきだ。佐倉三月さくらみづき


 怖じ気づかず、しっかりと名乗る。


 シキであるがゆえ、こうした不穏当な場においての胆力は我ながら頼もしい。

 普段の人間の自分なら恐怖に凍り付き、口も聞けないに違いない。


「そう、みづきっていうのね。それじゃ次の試合の折り、気が向いたなら是非に試合の申し込みを受けて欲しいわ。今度はこの私がお相手してあげる」


 姿勢を戻して再びふんぞり返ると、多分綺麗な笑顔で笑っていると思われる表情で冥子は言った。


「牢太を昇天させた太極天様のお力で、私のことも痺れさせて頂戴な。そのときを楽しみにしてるわよ。……またね、みづき。ウフンッ!」


 ばちん、と分厚い瞼で瞬き、目配せして見せてくる冥子。

 つくづくその姿でやらないで欲しいと、渋面のみづきは思った。


「それでは日和様。多々良様とのお約束、何卒なにとぞお忘れなきよう……」


 日和に恭しく挨拶を済ませると、踵を返した冥子は牛頭の姿のまま鳥居の前までのしのしと力強く歩いていく。

 と、思い出したみたいに人の姿に黒い瘴気と共に戻った。


 どうやら大きな図体の真の姿では、瞬転の鳥居がくぐれないと気付いて筋肉美女の人の身体に変身したのだろう。


 うっかりした様子を晒してしまい、夕焼けに照らされた赤い顔で決まりが悪そうに振り返ると、笑顔で手を振って鳥居の向こうに消えていった。


「はぁぁ、なんかもう疲れた……」


 げっそりした顔で長い息を吐くみづき。

 突然の珍客来訪に、日和に大事な質問をしていたことを忘れそうになる。


「はぁ……」


 みづきは立ち上がり、もう一度長い息を吐いた。

 日和を振り返ると、手渡された白羽の矢に沈痛な視線を落としている。


 質問の核心、朝陽のことを聞こうとした際の日和は明らかに狼狽して、問いを拒否しようとする必死な態度を見え隠れさせた。


 何にも代えがたい重大なことではあったが、日和の様子と珍客との応対で、何だか聞くような雰囲気ではなくなってしまったように感じる。


 一時は失われた過去への渇望の熱に浮かされていたが、夕暮れの涼しい空気に頬を撫でられ、その気持ちはゆっくりと冷めていった。


──何をマジになってんだ、俺は。確かに朝陽の名前が出たことは気になるけど、まだこれが現実なのか、結局は何でもない夢なのかもよくわかってないってのに……。ほんと、やれやれだなぁ……。


 みづきは気だるく顔を上げ、緋色ひいろの空を見て思う。

 その目はどこか遠くを見ていた。


──忘れられない過去だけど、もう10年も前のことなんだな。我ながらびっくりするほど長いこと引きずってるよなぁ……。俺がいつまでもこんなんじゃ、朝陽に向ける顔が無いな……。


 大切な存在が思い出の中の存在になってから、随分と長い年月が経っていた。

 朝陽が過去となり、その上に10年という長い時間が積み上がっている。


 決して忘れることはないものの、想う気持ちがあの頃のまま薄れることは無い、といえばそれは嘘になってしまうのかもしれない。

 長く経た時間が、良くも悪くもみづきを大人にしてしまっていた。


「……俺もヤキがまわっちまったもんだ」


 自嘲気味にまたため息をつくと顔を横に振る。


 今回の和風ファンタジーな夢物語から降りようとしたり、向き合おうとしたりと、やはりまだ吹っ切れていない中途半端な自分に気付く。


 傾く夕日を眺めつつ、みづきはくるりと踵を返す。


「日和、メシ食っちまおうぜ。……さっきの話の続きは、また日和の気が向いたときでいいからさ」


「えっ? う、うむ、わかったのじゃ……。すまぬが、そうさせておくれ……」


「味噌汁冷めちまったな、温め直すよ。まだ何か食べたいものあったら言ってくれ。適当につくるから」


「ふふ、ありがとうなのじゃ。みづき」


 少しだけ笑うと、日和は白羽の矢を手に母屋に入っていった。

 みづきはその背を見送ると自分も中に入り、引き戸を閉めた。


 そうして日は暮れ、神の世界にも夜のとばりが下りる。

 未だ夢想は覚めず、着かず離れず夢の浮橋うきはしはもうしばらくと続くのだ。



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