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第49話 夕餉のひととき

 ガララッ、と木製扉の金属の取っ手を持ち、引き戸を横方向へ滑らせる。


 やや建付けの悪い感じが手に引っ掛かるものの、格子状の扉を開け、みづきは母屋の中へ足を踏み入れた。

 古めかしくも懐かしさを感じさせる木の匂いが鼻腔をくすぐる。


「おぉー、味のある家だなぁ。土間どま囲炉裏いろりかぁ、お洒落な家に住んでるじゃないか、日和」


「む、そうか? しばらくはぼろぼろで全く使っておらなんだがのぅ……」


 郷愁にしみじみするみづきと、その後ろからおずおずと入ってくる日和。


 母屋は平屋造りで、玄関のたたつちの土間の横には石造りのかまどが二基備え付けられていて、隣には納戸なんどと思われる部屋へ繋がる扉がある。


 土間から板間に上がる手前に、横に長い沓脱石くつぬぎいしが置かれており、濃い茶色の板間には年代物の四角い囲炉裏が構えられ、灰が敷き詰められている。


 天井から吊るされた自在鉤じざいかぎには鉄製の鍋が引っ掛けられていて、様々な煮炊きをここで行う役目を負っている。


 囲炉裏の板間の奥は障子で区切られた部屋になっているようで、縁側に続く廊下は部屋の左右の両側にあり、奥へ伸びていた。


「この中、どうなってるんだ? まるで蔵じゃないか」


 台所横の扉を横開きに開いてみてみづきは目を丸くする。

 納戸か何かだと思っていた部屋は、入ってみるとまるで大きな蔵だ。


 大きなかめがずらっと並んでいて、壁と一体化した戸付きの棚の数も多く、見渡せる範囲には食べられそうな物がたくさん保管されていた。


「建物の外観と間取りが全然合ってないぞ。わかりやすい不思議空間だなぁ」


「ここはお供え物の倉庫じゃ。古来より貯め込んできておるゆえ、広さ奥深さは万全に必要なのじゃよ。うむうむ、誠にありがたいことじゃー」


 倉庫の戸口に立ち、復活した倉庫の供物を満足そうに見る日和。

 長らくのお供え物の備蓄のため、倉庫は物理的なことわりから外れた不思議な収納空間を備えていた。


 廃棄されず、貯蔵し続けるのなら自然とこの状況に帰結するのだろう。

 神様の世界のあり得ない常識に口を挟んでも仕方がないので、そういうものだと思うことにする。


「おぉ、さすが神社のお供え物だなぁ。一通りは揃ってるな」


 さて置き、みづきは倉庫に置いてある食材を確認して満足そうに頷いた。

 基本のお供え物である米を中心とした穀物や、それにちなんだ食べ物がところ狭しと収められている。


 大きな俵に詰まった米や麦、天井から吊るされた縄で縛った餅、陶器のびんに入ったお神酒、かめや壺には味噌や醤油、胡麻油といった調味料。


 季節のばらばらな野菜も種類多くあり、いつから保管されているのか不明なものの、何故かそれぞれがみずみずしくとても良い状態である。


 乾物系のかつお節や煮干し、昆布を含めた海産物も置いてあるが、不思議なことにざるの上の生魚は腐ったりしておらず新鮮そのものに見えた。


 鳥や獣の肉は置いていなかったところを見ると、日和を祀る神社は魚介類は許容された禁葷食きんくんしょくの神饌であるとうかがえる。


「だけど、なんで生魚や野菜が新鮮な状態のまま保存できているんだ? というか、ここにある食べ物いつからあるんだ……?」


 食品衛生的な心配を思い、渋い表情をしていると日和は笑って言った。


「どうして生の食べ物が腐敗せずに、綺麗なまま生鮮さを維持できておるか不思議に思っておるのか? ふふふ、みづきは人間みたいなことを気にするんじゃなあ」


 食べ物は微生物やカビによって分解され、食べられない状態になってしまう。

 長く放置されればされるほどその度合いは悪化して、詰まるところは腐敗する。

 但し、それは人間の世界での話である。


「下界の供物がありのままここに届いているのではないよ。神の世界は観念の世界ゆえ、捧げられた供物は精神的な概念と成り代わり、神の元に届くのじゃ。じゃからして、供えられたときのままの一番輝いている姿を保っていられるのじゃよ」


 神々の世界には食べ物を分解する微生物やカビが存在しないのか、お供え物自体に何かしらの変化をする原理が存在しないのか、その辺の理屈は不明である。


 要はお供え物として神に捧げられた時点で、その状態は観念化し、保存されて、以降は腐ることも傷むことも無くなるということらしい。


 またもや神様の世界独特のファンタジー要素に感心しつつ、やはり深くは考えないようにしておいた。


「よし、じゃあ一丁つくりますか」


 腕まくりをして、みづきは思いつくまま調理に取り掛かった。

 食材と調味料は充分にあり、これなら大体の物はつくれそうだ。


 まず、台所横にあった水瓶から綺麗な水を汲んで、ざるに取り出した二人分の量の米を研いでいく。


 いつも夕緋と二人分の米を炊いているので、何となく感覚で分量は掴めていた。

 次にかまどに仕掛けられていた羽釜に研いだ米を入れて、適度な量の水を注いで薪に火を点ける。


 どうやって火を起こしたものかと考えたが、さっきの試合でレッドドラゴンの火を吹いたことを思い出して、適当に加減して息を吹きかける程度のファイアーブレスで解決した。


 はじめちょろちょろなかぱっぱの古くからの歌の一節の通りに、初めは弱火で途中から火力を上げて釜全体に一気に火が通るように心掛ける。


 囲炉裏の鍋に水を張り、煮干し出汁を取り、細かく刻んだ大根、短冊切りの人参、斜め薄切りの長ネギを投入し、こちらは炭火でじっくり煮込んでいく。


 野菜が柔らかくなってきたら味噌を溶かし、何故か置いてあった豆腐をさいの目切りにして放り込み、野菜と豆腐の味噌汁をつくっていく。


 台所にあった細長い竹串に、わたを取り除いた新鮮な秋刀魚に塩を振り、頭から串刺しにして、こちらも囲炉裏の灰に二匹突き刺して、炙り焼く。

 すると間もなく、じゅうじゅうと脂の乗った身が食欲をそそる音を立て始めた。


 形の良いきゅうりを取り出してきて、塩を振って軽く揉み込む。

 しんなりしてきたら手早く乱切りにして、容器に塩、酢、胡麻油の付け出汁に水を切って投入する。

 後は箸でかき混ぜつつ、きゅうりの浅漬けを献立に一品加えた。


 一人暮らしの長かったみづきは、古き良き時代の台所を何となくながらも使いこなして、手際よく料理を進めていったのであった。


「日和、そろそろ出来上がるから食器とか用意しといてくれー」


「ええぇっ……? 女神にそのような小間使いみたいなことをさせるのかぁ……? もう、まったく、しょうがないのう……。みづきには敵わんのじゃ」


 ぶつぶつと文句を言いつつも、素直に膳の用意をする日和は食器棚へ向かう。

 と、みづきのほうを見やり。


「……しかし、上手に料理をするもんじゃ。近頃のシキは教えもしとらん料理を初めからできるものなんじゃな。誠に感心なことじゃが、みづきはつくづく不思議なシキだのう」


 一人感心する日和をよそに、みづきは焼き秋刀魚の横に添える大根おろしをせっせとおろし金で摩り下ろしていた。


 そうして、ほどよく料理が完成する頃には外は西に日が傾きかけている。

 神々の世界とはいえ、夕方があれば夜も普通に来るようだ。


 蛍光灯やLED灯の類の明るい照明は当然無い為、暗くなる前に夕食は早めに摂る必要があり、時刻にすると大体午後四時から五時の間くらいだろうか。

 囲炉裏を挟んで向かい合わせに座布団に座るみづきと日和。


「いただきまーす」


「いただきますのじゃー」


 食前の挨拶を交わした夕餉の献立はふっくらつやつやに炊けた白米と、焼き秋刀魚の大根おろし和え、野菜たっぷり具沢山の味噌汁、きゅうりの浅漬け。


 素材が最高の状態を維持していたことが幸いしているのか、普通につくっただけなのに、みづきは予想以上の良い出来に満足を通り越して驚いていた。

 この辺りにも神様の世界特有の秘密があるのかもしれない。


 日和ときたらおそらく年単位の長らくの間、まともな食事を食べていなかったせいで感動に涙しながらご飯をがつがつ食べていた。


「うっ、美味いのじゃーっ! こんな美味しいご飯を食べるのはいったいいつ振りのことじゃぁーっ!?」


「大袈裟だなぁ。まぁ、何だかうまく出来た気はするけどな」


「みづきは私に勝利を運んでくれたばかりか、このような美味な食事までつくってくれるとは……。まったく最高のシキじゃな、おぬしはっ!」


「へいへい、女神様のお褒めに与り光栄だよ。このくらいのご飯で良かったら、またいつでもつくるよ」


「おおっ! それは本当かっ……?」


「本当だよ」


「み、みづきぃ……。おぬしという奴はぁ……」


「いいからもっと食べろって。お腹空いてるんだろ」


 何気ないみづきの言葉に、勝手にドキッとときめいてふやけた顔をしている。

 頬を染めてぽやんとする日和を見るに、どうやら早速胃袋を掴むのは成功したようである。


 若干、喜びすぎる感のある日和だが、つくったご飯を美味しく食べてもらえるのは嬉しいものだった。


 和気藹々《わきあいあい》とした食事が一段落した頃。

 日和が上機嫌になったついでに、気になっていることを順繰りに聞いていく。

 早速、朝陽のことを聞いてみたいところだったが、一旦その欲求は引っ込めて、別の事柄から切り込んだ。


「なぁ、日和。今日の試合のことなんだけど……」


「な、何じゃ? 今日の試合が、ど、どうかしたか……?」


 みづきが口火を切ると、日和はまた違った意味でドキッとして目を丸くした。

 茶碗と箸を持つ手が何やら震え出して、明らかに動揺し始めたのがわかる。


 大方、みづきを身代わりにしようとしたのをとうとう追求される、とでも思っているに違いない。

 そんなことは露とも知らないみづきは妙に思ったが、構わず続けた。


「日和もそうだったけど、姜晶君や試合相手の馬鬼さんやら観客のみんなも、どうしてあんなに俺の使った力に大騒ぎしてたんだ? 多分、太極の神様の力を借りたからってことなんだろうけど、あれって凄かったり、驚いたりすることなのか?」


 手始めの問いは地平の加護の根源となった太極天の神通力のこと。

 みづきは太極天の力を自らのエネルギーに変換し、この神々の世界でも途方もない能力を行使するに至った。

 それを使ったことで、日和と姜晶、観客らは大いに驚いていた。


「驚くも何も……」


 まずいことを聞かれたのではなかったので、日和は安堵した風に息を漏らす。


「凄いことに決まっておろうなのじゃ。太極天の恩寵はすべての神や衆生にとって、唯一無二の無限のありがたい恵みの力。天神回戦を通じて数多の神に恩寵を授け、世から無秩序な争いを無くした偉業を成した力を、みづきは自分の力として自在に扱って見せたのじゃ。私の知る限り、あらゆる神やシキの中に於いてそのような術を使う者は誰一人としておらん。前代未聞のことなのじゃよ」


 問われて言葉にしてみると、日和は試合で大層驚かされたのを思い出す。

 この目の前の、自分が生み出したシキが信じられないことをやってのけた。

 ただ、今ひとつ実感に欠けるのか、そのシキは小首を傾げている。


「……もしかして、何かまずいことだったりもするのか?」


 みづきは聞きながら、急須から湯飲みに玉露を注いで日和に手渡す。

 おおい香の香りが漂うお茶を、日和はそのままくいっと一口あおった。


「ふぅ、まずいことなぞ無いのじゃ。力を貸すよう願ったところで、太極天がそれを良しとしなければ、その恩寵を与るなどできんのじゃからな。誠に稀有ではあるが、みづきの願いを太極天が許し、力を使うことをとされたのじゃ。それゆえ何も問題などあろうはずもない。みづきは太極天に気に入られておるようじゃな。うむうむ、良きかな良きかな」


「そっか、神様たちの景品を勝手に使ってるみたいだから、怒られるかもしれないと思ってたけどそんなことはないんだな」


 日和のご機嫌な様子を見て、みづきもお茶を飲みながら一安心である。


 一時は日和だけでなく、同じく試合を観戦していた多々良も太極天の恩寵の流用について言及していた。


 しかし、そうした自在術の存在をずるいやら羨ましいとは思っても、断じて禁じるといった話にはならなかった。

 それは日和も同じ考えのようである。


 ただそうなると、太極天とはいったいどういうものなのか、そして何故自分に力を貸してくれるのかが気になる。


「太極の神様の力ってのはどういうものなんだ? 雷や炎がまるで効かなかった馬鬼さんが、太極の力を通した剣で一太刀斬られただけで勝負がついちまうなんて……」


 みづきの脳裏に多々良のシキ、牢太との戦いが甦る。

 神通力を纏わせた渾身の一撃の前に、あれほどまで頑強だった馬頭の鬼はあえなく轟沈したのだ。


「神の力は聖なる力、太極天の力もまた然り。シキは神のしもべなれど、基本的には魔の存在じゃからな。神の聖なる力をああも叩き込まれればひとたまりも無い。シキではなく、神が相手であっても同じじゃ。普段は慈愛溢れる恵みも一変して牙を剥き、敵性の神に対して荒ぶる怒りの如くその力を振るい、容赦無く打ちのめすこと請け合いとなるのじゃ」


 シキは魔の存在、だからこそ神々の聖なる力が覿面てきめんに効く。

 戦う相手が神であった場合でも、相反する聖なる力が一様にぶつかり合う。


 神の聖なる力とはいっても、いざ戦いとなれば互いの全力を突き合わせ、どちらが強いのか勝敗を決するのみとなる。


 当然、神同士でも戦いをするのである。

 みづきは夜宵の激しい神威で、日和もろとも押し潰されそうになった窮地を思い出して背筋が寒くなる思いだった。


「……なるほどね、太極の力がどういう力なのかはわかったけど、どうしてそんな大それた力を俺に貸してくれて、どうして俺がその力を使えるんだ? もしかしてそれも日和のおかげなのか?」


「む、それは……」


 最もな質問に日和は口ごもった。

 湯飲みをことりと膳の台盤だいばんに戻し、困惑の表情で押し黙る。


 みづきは間違いなく日和が生み出したシキであったが、本来は身代わりにすることが目的だった為、最低限の力を与えて体裁を整えただけだ。


 まして、太極天の力の自在術など授けた覚えは全く無い。

 そんな極めて特異な権能を持って生まれたのは、偶然で片付けるにはあまりに幸運が過ぎる結果だった。


「済まぬ、みづき……。何故、おぬしがそのようなとてつもない異能を備えていたかは生み出した私自身にも皆目わからぬのじゃ……。無論、私がそうした力を授けた訳でもない……」


 伏せた顔で、上目遣いにみづきを見やって思う。


 どうしてみづきがそんな能力を秘めていたのかわからないのは本当だ。

 シキを身代わりにして、捨て駒にするのを多々良に叱責されたばかりだ。


 一度は正直に話そうと思った手前、やはりまた嫌われて反意を持たれ、せっかくの珠玉しゅぎょくのシキを手放すことになるかもしれないのが怖かった。


 この暗い心の内を打ち明けたらみづきは怒るだろうか。


「み、みづきには私も与り知らぬ何らかの神性があるのやもしれぬな……。おぬしのほうこそ、何か心当たりはありはせぬか?」


 日和は問い返し、不本意ながらもお茶を濁してしまう。

 澄んだ色の湯飲みの茶とは裏腹、淀んだ気持ちは心を下へ向かせていた。



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