第43話 破壊の女神の襲来2
「な、何なのじゃ!? 夜宵っ、いったいどうしたのじゃっ!? みづきが何じゃと言うんじゃっ?!」
突如として、世界を揺るがすほどの怒りを見せる夜宵に驚愕する日和。
訳もわからずいきなり激怒する大いなる神の激情に、会場中の観客や関係者たちは恐れおののき、悲鳴や怒号が飛び交っている。
何の前触れもなく始まった夜宵の怒りの嵐。
みづきを見て、その名を憎悪のままに呼び上げ猛り狂う。
「お前はぁ! 誰だぁ、何者だぁ!? 何故こんなところに居るッ……?!」
謎の問い掛けを恐ろしげな声で口走った。
隠す気のない殺気は一気に最高潮に高まる。
破壊の女神が行使する神威は、やはり破壊の力であった。
「──閉ざせ、無へ」
夜宵は呟き、両の瞳をすっと閉じ込んだ。
瞬間、みづきと日和ごと周囲の空間が目に見えてわかるほど強烈に歪んだ。
筆舌に尽くしがたい重圧が、一気に押し潰さんと全方向から圧し掛かった。
破壊意思の黒いもやがどこからともなく結集し、轟音を鳴らして小さき二人を問答無用で握り潰そうとしている。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴガガガガガガガガガガガガガガガガガッ……!!
「うぁああああああッ……!?」
「ひぃああぁぁぁッ……!!」
みづきと日和のどちらともつかない悲鳴は掻き消され、重力の黒い闇が会場ごとすべてを震撼させていた。
日和は咄嗟に両手を左右に広げ、先ほど授かったばかりの太極天の力を解放して、防御の光を発して何とか潰されるのを防いでいた。
何という重々しく強い圧縮力だろうか。
あらゆる角度から押し固められ、本来の質量以上に小さく折り曲げられて力任せに拉がれそうだ。
『地平の加護・緊急事態につき強制発動』
『対象選択・《俺と日和》・効験付与・《応力維持》』
切迫した状況に際して、みづきの顔には再び光の回路模様が浮かび上がり、地平の加護は強制的に発動している。
震える手の刀印を掲げて、自分と日和が押し潰されないよう圧縮応力に対しての応力を一定化させた。
外から掛かる圧を内から押し返し、応力の高めて肉体の破壊を防いだのだ。
「うぐぐぐぐぐ……! や、やっべぇ……!」
しかし、呻くみづきはすぐに悟っていた。
地平の加護の権能よりも、夜宵の押し潰す力のほうが強い。
地平の加護は概念と意思を力に変える。
外圧と内圧を一定化すれば、応力が安定するという常識が守ってくれるはずだ。
なのに、破壊神の意思は概念を破壊し、常識を意に介さない。
瞳を閉じるだけでこれである。
夜宵の本当の力はこんなもので済むはずもない。
緊急事態を告げる警鐘がみづきの頭の中で打ち鳴らされている。
点滅する赤い光とけたたましい警告音が、地平の加護の白い世界をぐちゃぐちゃに揺るがしていた。
「面妖な術を使うなぁ……?」
太極天の恩寵を扱う自在術を感じ取り、夜宵の眉間に深く皺が刻まれる。
険しい表情は憎々しげで、瞑目したまま薄く笑みを浮かべた。
このまま圧殺できないならもっと強い力を掛けてぺしゃんこにしてやろう、とさらなる殺気を冷たく放つ。
「い、いかんッ……! や、やめよっ、夜宵ぃっ……!」
日和の苦しそうな悲鳴が聞こえた気がした。
夜宵は無造作に、両腕を静かに持ち上げる。
その動作は、掌と掌を叩いて合わせる、柏手の振る舞いである。
ばぁんっ!!
巨大な鉄板と鉄板がぶつかり合わさったような破裂音が響いた。
慈悲の欠片もなく、夜宵は大圧殺の柏手を力任せに閉じた。
さらなる黒い闇がみづきと日和に一気に襲い掛かる。
ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリッ……!!
二軸の解砕機が高速回転でもしているかのようだった。
単に押し潰す、などという生易しい破壊力ではない。
閉じた柏手をごりごりとすり合わせ、怒りと憎しみを込めて丹念に粉砕する。
到底、みづきと日和に抵抗できるような力ではなかった。
「ぎゃっ……!?」
「あぁっ、ああぁぁあぁぁァァ……!」
蚊の鳴くほどの声で悲鳴を漏らし、二人の身体は至近距離でひとまとめにぶつかり合い、密着してさらに内側へ内側へと押し込まれていく。
地平の加護の護りは一瞬にして砕かれてしまった。
苦悶に歪む日和の顔が目の前にあった。
先ほどの抱擁のときに感じた女神の柔らかさとは全く違い、今はお互いに押し潰し合って苦痛しか感じない。
このまま諸共にぺしゃんこにされ、天神回戦と関係の無いところで一巻の終わりを迎えてしまうことに疑いの余地は無かった。
──訳がわからんっ! 何だって日和の妹のでっけえ女神様に、こんなにも嫌われて潰されようとしてるのか全っ然、理解できねえっ!
みづきはとんでもない応力を感じながら憤慨していた。
何だか知らないが、日和の妹の破壊神は大層ご立腹らしい。
こちらを見た途端、凄まじい怒りを燃え上がらせた理解不能な夜宵。
当然、夜宵の怒る理由なんてわかるはずがない。
何かの事情があるにしても、こんな一方的に怒りを向けられては取り付く島もありはしなかった。
──本気でもういいっ! こんなにもしんどい夢は今すぐ終わらせてくれよっ! 情緒不安定な神様のヒステリーに付き合うのはもううんざりだっ!
夜宵に負けないくらい腹を立てたみづきは、自暴自棄に夢の終わりを願った。
もう真面目に考えたり、向き合おうとしたりするのをやめようとした。
夜宵の意味のわからないヒステリーで、ようやくこの不可思議な幻も終わるのだと思い込むことにする。
──不思議な異世界での乱痴気騒ぎもこれでお終いさ……。夢物語にいつまでも現を抜かしてる訳にはいかない……。だって、俺は……。
こんなむちゃくちゃで、現実ではない虚構に初めから意味なんてない。
ちょっといつもとは違う変な夢を二種類立て続けに見たというだけの話だ。
目が覚めればいつも通りの朝が待っていて、それなりに忙しい日常がまた始まるのだから。
何度目になるか、みづきはつくづく思っていた。
──こんなときに、こんなところで、こんなことをしている場合じゃないんだ……。そんな気分にはなれやしない。
一風変わった異世界冒険はここまでだ。
奇想天外な夢を見れたと思えば、少しでも気は晴れるだろう。
こんな現実逃避をしている暇は無い。
おかしな夢を見て、現実から目を背けられるほど心の余裕はありはしなかった。
そして、それは身を寄せ合って、ささやかに心の傷を癒し合いながら生きている、みづきの親しい友人、夕緋もまた同じだった。
今際の際、いや、目覚めの寸前にふと思う。
──俺ももう子供じゃない。異世界の夢は楽しいけど、辛いことに目を背けて人生を楽観して生きていくのは無理だ。だから、素直に夢を見れないし、未来に希望を持つのも臆病になって、どこか斜に構えるようになっちまった……。
「……まぁ、いいか」
声を発したかどうかわからないくらい小声で呟いた。
もう今更、昔を振り返り見ることもできやしない。
諦観の思いに、身体中の力を抜こうとした。
夜宵の破壊の力に身を委ねようとした。
未だに目の前で必死に抗おうとしている日和の必死な形相に、少しだけ申し訳なく思いながら。
ふと──。
日和が何かを喚いているのに気が付いた。
「……っ! ──ッ!」
ぼやける意識下で、みづきはその魂の叫びを何気なく聞いていた。
荒れ狂う神通力の嵐の中、日和の叫びはやけに鮮明に聞こえた。
「わ、私は、絶対に滅ぶ訳にはいかんのじゃっ……! 私がいなくなれば夜宵は、あの子の世界を壊してしまうッ……! 大切な我が巫女、──神水流朝陽のっ! あの子の夢を守れるのは私だけなのじゃぁっ……!」
「……え?」
薄れかけた精神が瞬時に引き戻される。
みづきは全身を強い雷で打たれたような強い衝撃に襲われていた。
いま、日和はなんと言ったのだろうか。
目と鼻の先にある日和の顔をきょとんとして見つめている。
身体を押され、曲げられても日和は決して諦めず抵抗を続けていた。
両目を閉じ歯を食いしばり、手だけでなく全身から神通力を放出して、夜宵の破壊から押し潰されまいと壮絶に抗っていた。
そんな日和の言葉に心を鷲掴みにされ、揺さぶられ、突き動かされた。
本当に日和は、なんと言ったのだろう。
「うっ、あぁ……!」
頭の中が、火花が散るようにバチバチッと瞬く。
脳裏で点滅する光が無理やりに想起させる。
この土壇場でフラッシュバックするのは、ある記憶の情景であった。
──な、なんで、こんな世界の……。何の関係もない駄女神様が、どうして……。
地平の加護に頼らなくても容易に思い出せる。
毎日欠かさず見て、いつだって心に留めているそれは、──写真だ。
みづきの住むアパートの自室、テレビの鎮座するサイドボードの上の写真立て。
年月が経とうとも色あせない大切な思い出の証はがそこに写っている。
それは、高校生時代の三月と夕緋の制服姿が収められた写真であった。
三月を真ん中にして、左隣は控えめな笑顔で写る夕緋。
そして、右隣には弾ける笑顔を浮かべ、快活そうな印象の少女がもう一人。
ロングヘアの清楚な夕緋に比べ、ボブカットの利発なイメージ。
髪型は違えど少女は夕緋に、それはそれはとてもよく似ていた。
──どうして、どうして……!
みづきは心の中でうわごとみたいに繰り返す。
からからに乾いた喉につばを飲み込む音が妙に大きく聞こえた。
戸惑いの先にある少女の名を思い浮かべる。
──あ、朝陽の名前を……。知って、いるんだ……!?
みづきの心に、時が過ぎても未だに在り続けるあの子。
子供の頃から、大人になった今でも忘れられない愛しい存在。
神水流朝陽。
その姓が表す通り、夕緋の双子の姉である。
そして──。
写真の中だけで微笑みを浮かべ続ける、みづきの過去そのもの。
──それにっ、どういう訳だか確信しちまってる……! いま、駄女神さんが叫んだ名前は、俺がよく知ってる朝陽のものに間違いないっ……!
それは不思議としか言えない感覚だった。
日和の叫んだ名は、誤解なくみづきの思い出の中の少女を指していた。
同姓同名の他人だなんて絶対あり得ないと思えるほどに。
みづきは日和の生み出したシキである。
日和の心底からの必死な咆哮は、真実としてみづきに響いたのかもしれない。
混迷の事態は、未だ夢の終わりを教えてくれそうにはなかった。




