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第42話 破壊の女神の襲来1

「えっ? なんだ……? き、急に夜になったぞ……?」


 みづきは辺りに起きた変化に驚いていた。

 さっきまで金色の日の光で明るかった天神回戦会場が、いきなり夜の闇に落ちてしまった。


「こ、これは……! まさかっ……!?」


 勝利の喜びに酔いしれていたはずの日和の様子がおかしい。

 美しい顔を驚きに歪め、蒼白となった顔色で震えている。

 元の大人の姿に戻ったこともあり、その真剣さは度合いを増して感じられた。


 日和は空を振り仰いでいる。

 つられてみづきも暗くなった空を見上げた。


「うっ……!」


 みづきは絶句して言葉を失った。

 見上げる空は確かに夜になっていて、星の瞬く空がいつの間にか広がり、視界全体を黒い闇に染めていた。


 そして、その暗い空に──。

 淡い光のふちを後光のように背負う、闇夜の中心たる存在があった。


 それは大きな人影だ。


 星々の光を受け、空全体を有無を言わせぬ圧迫感で満たして支配している。

 みづきはそれを見た途端、畏怖の念に身体中が総毛立つのを感じた。


「な、なんだ、あれ……」


 みづきは声を搾り出すのが精一杯だった。

 空気がやけに重く感じて、唇がうまく動かない。


 言い知れない重圧に会場中が、太極山自体が支配されていた。

 他の神々も大勢の観客たちも同様、あまりの畏れに静かなどよめきを生むばかりで、誰もが声を潜めて騒ぐのをはばかられている。


 ついさっきまで盛況の様子だった天神回戦は、打って変わり水を打ったような静けさに包まれてしまった。


「はるばる来おったのか……。わ、私の最期を見届けに……! おのれぇ!」


 日和の低い声にみづきははっとなった。

 どこか間が抜けていて、愛嬌ある憎めない女神の面影はそこにはない。


 日和は憤怒に燃える表情で空を睨み上げていた。


 しかし、その瞳には隠し切れない怯えた光も同居させている。

 冷たい汗を浮かべ、抑えられない恐怖に身を震わせていた。


 そうして、日和はその名を呼んだ。


「──や、夜宵やよいぃ……!」


 輝く月のように、闇の夜空に在る大きな人影。

 冷えた風に吹かれながら、眼下の天神回戦会場を見下ろしている。


「……ふぅむ」


 切れ長のくらい色の瞳は、すでに敗北の運命を迎えたはずの日和を見咎みとがめ、相貌そうぼうを険しく歪めた。

 睨むように見ている対象はきっと日和だろう。


 濡れがらすのような漆黒の髪は、腰まで長くしゃらりしゃらりと伸びている。

 冷淡で恐ろしいほどの美形なかんばせには妖しい紫色の口紅と目弾めはじき。


 金色の睡蓮すいれんの紋様が刻まれた群青色ぐんじょういろのゆったりとした唐衣からぎぬ、同系色の長い裾の袴からは黒い麻沓あさくつが覗き、神職の女性の正装を思わせる装い。


 美しくも妖しく、神々しくも恐ろしい女神が、暗夜を引き連れて天神回戦の場のすべてを見下ろし、眼光炯々(がんこうけいけい)と降臨する。


「ここで待て」


 低く重い声で巨大な女神は言った。


 その少し後方、左右に二人ずつの四つの小さい影が、同様に夜空に浮遊してそこに在る。

 女神に比べると、小人程度に見える小さな配下たち四人。

 いや、配下たちが主たる女神に比して小人であるというわけではない。

 

 一人は、身長六尺(180センチ)の長身、前下がりショートボブ風の青い髪、氷のように冷たい表情を浮かべている、黒の武官束帯ぶかんそくたいに身を包んだ美男子。

 腰には一目で名品とわかるほどの荘厳な鞘の刀を下げている。


 一人は、隣に立つ青い髪の美男子よりさらに長身の六尺以上、翠玉色すいぎょくいろの長い美髪をポニーテール状に後ろで結い、武家の正装である白の直垂ひたたれを着こなす鋭い目つきの美丈夫。


 一人は、五尺(150センチ)程度の小柄な背丈で、前をぱっつんに切り揃えた黒髪おかっぱ頭の紅一点の少女。

 巫女装束の短めな緋袴から伸びる細い足には、膝丈の白い足袋たびと朱色の緒の草履ぞうりの佇まい。


 一人は、七尺(210センチ)を超える巨躯の大男で、筋骨隆々に鍛え抜かれた肉体は浅黒い褐色肌。

 対照的に頭髪は逆立った棘のような白髪である。

 張り付く黒の肌着は鋼の筋肉をさらに強調し、太い腕を組んで仁王立ち。


 四人は女神の従えるシキであった。

 彼らが小さく見えるのは、事実その身体が巨大であることを示している。

 配下のシキたちをその場に残し、大迫力の女神は降臨を開始した。


「で、でっかい!? なんだあれはっ……!」


 みづきは真っ直ぐここへと向かって降下してくる女神を見上げて驚いた。

 同じく空を仰ぐ日和は、苦々しい表情のまま言った。


 ここ最近の神々の歴史の中で急激に頭角を表し、破竹の勢いで神々の世界の頂点に立った絶大なる神通力の持ち主、豪壮ごうそうの神。


彼奴あやつが八百万順列一位……。破壊の女神、夜宵じゃ……!」


 見上げるしかない山ほど大きい女神が、闘技場の土に足を着ける頃。

 日和は後じさりながら口走った。


「そして、私の双子の妹でもある……!」


 みづきと日和の間近の位置に破壊の女神であり、日和の妹、──夜宵はずしんと地響きを伴い降り立った。


 その身長は六丈(18メートル)以上という圧巻の大きさ。

 まさに神仏像を思わせるほどの巨大なる体躯である。


 黒い麻沓が土の地面にめり込んでいるところを見ると、見た目通りの質量と重量を兼ね備えている様子で、その大きさは決して幻の類のものではない。

 圧倒的なる巨神である。


「これが一位の神様……。まるで大仏様だ……! しかも、双子の妹だって……? 姉妹なのに大きさも凄さも全っ然違うじゃないか……。さっきの馬の鬼さんが可愛く思えるぞ……」


 心身が萎縮しているのがわかる。

 力無く呟くみづきは、身体の芯からこみ上げる畏怖を抑えられず、いつの間にか全身が冷や汗でびしょびしょになっていた。


 説明や紹介など必要なかった。

 目の前にそびえ立つ巨大な女神の有無を言わせぬ迫力と、強大な神通力の程をまざまざと理解させられていた。


 夜の光を背にして、傲然ごうぜんとみづきと日和を見下ろす夜宵は、目だけを爛々(らんらん)と光らせ静かにゆっくりと、その尊大な口を開いた。


「姉上、久方ぶりの勝利、誠にお祝い申し上げる。力を取り戻されたその元の御姿には、もう二度とはお目に掛かれないと思っていたよ。姉上のご清栄せいえいの程、双子の片割れの妹神いもうとがみとして、大変に嬉しい限りだ」


 空気が震え、夜宵の声が耳だけでなく身体中に重くのしかかった。

 ただ喋っているだけなのに、息苦しい重圧を腹の奥底まで感じさせる。

 隠し切れない恐れを胸に、日和は怒りのまま叫ぶように言い放った。


「ふんっ! 心にも無い慇懃いんぎんな挨拶はたいがいにせんかっ! 夜宵、残念じゃったなぁ! 私はこの通り健在じゃ! 退場なぞしてやらんぞ! 決してなっ!」


 日和の夜宵に対する態度は、誰が見てもわかるくらい険悪そのものだった。

 実の妹に向けている眼差しにあるのははっきりとした敵意である。


「日和……?」


 みづきは初めて見る日和の厳しい表情に驚いていた。


 本来の大人の姿だからということもあるが、当初抱いていた卑小な印象はどこにも見当たらない。

 敵愾心てきがいしんを剥き出しにする日和は、思わずたじろぐほどの迫力を備えていた。


「……」


 小さくも猛々しい日和を冷たく見下ろす夜宵は、少しの間口をつぐんでいた。

 と、明らかな反抗の意を受けてか、紫のべにの唇は下弦の三日月のように気持ち悪く裂けた笑みを浮かべた。


「くくく、命拾いしたなぁ、姉上……。てっきり、今頃は消え失せてしまっているものと思っていたのに……。如何様いかよう権謀術数けんぼうじゅつすうを巡らせたのやら」


 がらんどうの黒い眼球の目を細め、夜宵は不気味に笑う。


 日和が多々良陣営と試合をするのは知っていた。

 だから頃合を見計らい、姉である日和の最期を見納めようとこうして出向いてきたのである。


 そうしたら、予想外にも日和は天神回戦に勝利し、太極天の恩寵を授かって元の姿を取り戻しているではないか。


「はてさて、いったいこれはどういうことだろう? 姉上が多々良殿に勝てる道理などあろうはずが無い。敗北は必至だったろうに、何故に勝利するなどという冗談が起きている? どのような絡繰からくりか、教えてはくれぬだろうか、姉上?」


 笑ってはいるが、夜宵の感情は言うほど穏やかではない。

 疑問を投げ掛ける破壊の女神の口ぶりには苛立ちが垣間見える。


 夜宵の願いは、日和の敗北と消滅。

 それがわかっているから、日和も精一杯不敵な笑みを浮かべて言い返した。


「ふんッ! 此度こたびの勝利は、私の最後の力で巡り合った誠に良きシキがもたらしてくれたもの。無粋な詮索は無用じゃっ! 私はこの先も、我がシキ──、みづきと共に天神回戦を戦い抜いてゆくぞっ! 夜宵っ、絶対にお前の思い通りにはゆかせぬからなッ……!」


 元の姿と神通力を取り戻したからだけではない。

 凜とした日和の叫びからは、何者にも屈しない強い胆力が込められていた。

 夜宵の重い外圧を押し返し、潰されそうになる心で必死に抵抗を示す。


「……」


 夜宵の目線がゆっくりと動く。

 日和の後ろに立つ、自らの神通力に圧され怯えるシキ、みづきを見やる。


「姉上のシキ……。みづき……」


 夜宵の意識がこちらに向いた瞬間。

 気を失いかけるほど、凍り付く怖気が背筋に走り始めた。


「ひぃっ……」


 みづきは声にならない悲鳴をあげた。


 まとわりつくような視線が骨の髄までを見透かし、じっくりと値踏みしている。

 その間、物凄まじい寒気が途切れることはない。


 みづきは改めて神の恐ろしさを思い知っていた。

 見た目はひとの姿はしているものの、その本質は人知のまるで及ばない遙か高次の領域にあり、推し量ろうものならこちらの心が壊される。


 まさに、化け物の中の化け物であった。


──怖過ぎるっ……! 今まで出会ってきた何もかもの中で比べるものが無いくらい怖い……! こ、これが神様の威光かよ……。震えが、止まらない……!


 もうこれが夢かどうかなんてとっくに忘れてしまっていた。

 悪意にも似た恐怖の視線に、みづきは声を出すこともできなかった。


 巨躯の破壊の女神、夜宵。

 天神回戦の頂点たる順列一位の神。


 人知の及ばない超常の相手から一方的に向けられる懐疑的で無遠慮な意思。

 青い顔のみづきは一刻も早くこの緊張から開放されたいと願っていた。

 ただしかし。


「みづき、みづきぃ……。みづきィィ……!」


 何やら夜宵の様子がおかしい。

 みづきをねっとりと冷ややかな視線で品定めしていたかと思ったら、今度は表情を醜く歪めている。


 黒く長い髪がざわつき始め、その毛先それぞれが大蛇みたいに鎌首をもたげる。

 何より、つり上がり見開いた四白眼しはくがんの目は狂気の色に染まっていた。


「は……? 何なんだよ……?」


 ようやく出た声は恐怖に震えていた。


 どう見ても、その様子は怒りと憎悪を募らせているようにしか見えない。

 にわかに大気が震え出し、大地は地鳴りを始め、漂うただならぬ気配は天変地異の兆しを思わせた。



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