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第40話 太極天の申し子

『あっ、ねぇ三月、聞いて聞いて。とっておきの私の秘密、教えてあげるねっ』


 地平の加護は三月の記憶を遡り、思い出の一幕を見せる。


 それは幼少の頃に聞いた、とある少女の声だった。

 心の奥底から掘り起こされたセピア色の映像が、はっきりと脳内で再生される。


「今、こんなこと思い出してる場合かよ……。──でも」


 加護の力を得てもすぐに形勢逆転とはならない。

 手詰まりの袋小路な状況は変わらないが、みづきの口許には笑みが浮かぶ。


 地平の加護の性質が少しだけわかった。

 みづきを過去に触れさせ、解決方法を模索させるのを促しているのである。


『私ね、女神様の声が聞こえるようになったの。困ったときにどうしたらいいか、どうやったら幸せになれるかとか、色々と教えてくれるんだ』


 今でもあの時のことは忘れはしない。

 思い出の中の少女は無邪気に話してくれたものだ。

 子供の頃に見た感慨深い情景があり、昨日の出来事のように思い出せる。


 肌寒くなってきた秋風が吹き、山の木々のざわめきと匂いを運んでくる。

 過ぎ去った時の中、多くの枯れた葉が風に舞い上がっていた。


 思い出色の情景は、華美な社殿が建ち並ぶ神社の境内であった。

 記憶の神社で、少女は屈託の無い懐かしい笑顔でみづきのことを見つめていた。


『他にも良くないもののやっつけ方とかも教えてくれたよ。悪い魔物や悪魔の王様はね、神様の聖なる力にとっても弱いの。私にはその力があるんだって』


 幼い少女だと感じさせないほど、微笑みは慈愛と自信に満ちていた。

 全てを包み込む度量と、それを体現できるだけの力を持って言ったのだ。


『だから、三月のことは私が守ってあげるね』


 晩秋の木枯らしと共に少女の声と姿は消え去った。


 意識はすぐに戻ってくる。

 そして、目の前の大きな敵と戦う試合の現実感をまざまざと突きつける。


「……あの時の記憶が手掛かりって訳か」


 みづきは地獄の獄卒、牢太を見上げて呟いた。

 雷も炎も効果が無いこの屈強な鬼に勝つ術を、今の記憶からすくい上げる。


「悪い魔物は神様の聖なる力に弱い、か。──よし!」


 地平の加護が差し出したのはきっかけの助け船だ。

 お陰でみづきは勝利への光明を見出した。

 それはこの状況を打開し、この強大な敵を調伏ちょうぶくすることのできる方法だ。


 地平の加護が、いや、思い出の少女の声がもたらした文字通りの福音ふくいん


 一度そう心に思ってしまえば、後は自然と身体が行動を起こす。

 シキの戦士としての本質も相まって、正確に戦いの手順を踏み始めた。

 それに加え、手段の有効性を裏打ちする黄色い大声が耳に届いた。


「みづきぃぃーっ! よぉく聞くのじゃぁーっ!」


 声に振り向けば、特別席の日和が両手を口に添えて叫び声をあげている。

 すっかり忘れていたが、日和がこの試合を観戦していたのを思い出した。

 広大な会場においてもその叫びはよく通り、希望は確信へと変わる。


「太極天の御力を使えるんであるならば、特に手を加える必要は無いッ! おぬしの剣に神通力を纏わせて直接叩き込んでやるのじゃ! 森羅万象しんらばんしょうの本源には正も邪もなく、意思一つで恵みにもなれば毒にでもなるッ! 純然たる厳かな神の力こそが太極天なのじゃッ!」


 日和は叫んだ。

 地平の加護を通じてみづきが操っている神の力、その源のことを。


 あまりの声の大きさに周りの神々と思われる面々は驚いていたが、日和の叫びの意味はみづきにはよくわかった。


「声でかいな、小っこい女神さん……。だけど、教えてくれてありがとな!」


 日和の声を受け、みづきの口角は高揚に上がったままだ。


 自分をこんな大事に巻き込んだ張本人ながらも、この大勢の中でたった一人味方をしてくれているという事実を心強く感じた。

 本当に味方かどうかはまだ怪しいところがあるが、どちらにせよ地平の加護はすでに発動していてもう止まりはしない。


『対象選択・《元は牢太の刺股・今は俺の剛鉄の大太刀》』


 霊験あらたかな前触れに、手の長大な太刀はぴりぴりと振動している。

 これまでよりも大きく太極山は鳴動し、試合会場の大地が力強く揺れた。


 地の底から神々しいと形容するしかない光の流れが噴き上げ始める。

 上昇気流のような薄い金色の風を一身に受け、衣服と髪を揺らすみづき。


『効験付与・《太極天降臨たいきょくてんこうりん》』


 シュゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォーッ……!!


「うわあああああ……!? こ、これは凄いぞっ……!」


 みづきは呻くみたいに感嘆の声をあげた。

 それは確かな神通力の現れであった。


 瞬間、驚いているみづきの手の大太刀は光に包まれた。

 真っ白に光る刀身から絶大なる神通力が溢れ出している。


 後から後からと稲光の如き歪曲した光線が発生し、激しくほとばしっていた。

 輝きはみづきに苦痛を与えることはなく、心身に力がみなぎってくるのをひしひしと感じさせてくれた。


「火でも雷でもない……! だけど、物凄いエネルギーだっ! 身体中が熱くて力がどんどん湧き上がってくる……!」


「ウッ、ウオオ……?!」


 バチバチッと発光する大いなる力に包まれ、神通力を爆発的に増大させるみづきに対し、牢太は明らかに怯んでいた。


 この状況を生み出している力の源に恐れをなしている。

 今までの猛り狂う勢いはどこへやらで、恐ろしげに天敵でも見るかのような目でみづきを見ていた。


「なっ……!? き、貴様ぁっ、なんだその剣はッ……!? い、いやっ、その剣に伝わる力は、ままま、まさかーッ……!?」


 あれだけ勇壮だった気勢とは真逆で、牢太はわかりやすくうろたえ始めた。

 牢太だって天神回戦を長く戦ってきた歴戦のシキである。

 みづきを包んでいる力は、主たる多々良を通じて何度も目の当たりにしてきた。


 神のしもべのシキならば絶対に逆らうことのできない、額面通りの神の力。

 時には福音と安寧をもたらしてくれる。


 しかし反面、あだなす敵には容赦の無い鉄槌てっついを下す。

 太極天の力は豊穣の恵みだが、一度ひとたび牙を剥いた大地の怒りは神罰となる。


「ききっ、貴様ぁッ……!! それは、太極天様のご恩寵おんちょうではないかぁーッ!? な、な、何故その御力を貴様のようなシキが扱えるのだぁッ……!?」


 半狂乱になった牢太は冷や汗をだらだらと流し、口から泡だけでなく涎まで垂らして慌てる様子を晒していた。


 ただのよく鍛えられただけの刃物なら、自慢の肉体に傷の一つも付けられることはないが、あんな尊大な神罰の光を身に打ち込まれれば、どのような苦痛と損傷を被るか想像もできない。


「そっか、これが太極天の恩寵ってやつなのか。なるほど、これはとんでもない力だな。今なら何だってできるような気がしてくるよ」


 慌てふためく牢太に対して、みづきは至って平然としていた。

 全能なる神の力、確かにその一端に触れていると実感できる。


 そう、みづきが地平の加護を介して、自らに付与したのは天神回戦の神、太極天の神通力そのものだったのである。


「……何で使えるんだろうね? すまんけど、俺にもわからん」


 荒神こうじんの剣を軽々しく片手に持ち、もう片方の手で頭をぽりぽり掻いている。

 きまりが悪そうに苦笑いを浮かべるみづきは、急に恐ろしい存在に見えた。

 牢太は恐れおののき、足がすくみあがる。


 逃げ出したい。

 みづきがさっきそうしたように無様に背を向け、この場より逃げ去りたい。


 勇敢なる牢太にそう思わせてしまうほど、太極天の力を宿したみづきは強大なシキへと成り得えていた。


「うぐぐぅ、ぬぬぬぬぅ……!」


 赤い両目を白黒させ、牢太は怯えた呻き声を漏らす。

 勝てる相手とそうではない相手とを見誤るほど愚かではない。

 今のみづきは、もう自分にどうこうできる存在ではないと理解してしまった。


「……フゥー」


 しかし、彼は誇り高きシキである。

 栄光と誉れある、神威明らかなる天眼多々良の名を背負う戦士だった。


 恐怖に駆られて逃げ出すくらいなら、戦って討たれることを迷い無く選ぶ。

 特に目的も戦う理由も持たないみづきとは違い、牢太には主のためならすべてを捧げ、すべてを捨て去る覚悟がある。


 だからこそ勝てる見込みがなかろうと、太極天の神通力を纏うシキが相手でも全力をもって立ち向かわなければならない。

 顔中に苦悩の皺を寄せて恐怖を振り切り、牢太はすっと瞳を閉じた。


「天眼多々良様のシキ、馬頭鬼の牢太。──して参る!」


 当たって砕ける覚悟は決まった。

 鉄の棍の石突を地面にどんと叩きつけ、巻き上がる黒い瘴気に身を包む。

 後ろ足で地面を掻きつつ、前傾姿勢になって全身に力を溜めていく。


「ゆくぞっ!」


 地を蹴り、爆発を起こしたかと思うほど土と砂を巻き上げ、みづき目掛けて牢太は突撃を開始した。

 猛々しい叫び声をあげ、手の長柄の得物を乾坤一擲けんこんいってきの気合をもって打ち付ける。


「来いッ……!」


 みづきも牢太の死ぬ気の一撃を迎え撃つ。

 力任せな巨大な鉄棍と、比類なき神通力の大太刀が激しくぶつかり合った。


「……ッ!」


 もしもみづきが人間の身であるのなら、いくら太極天の力を借りていようとも、その剛撃に耐え得ることは不可能だったろう。


 しかし、シキとしての力に地平の加護を介して神の力が宿った今、強大なる地獄の獄卒鬼は、すでに調伏可能な存在と成り下がってしまっていたのだ。


 ギリリリッ、と光る神剣の腹に鉄の棍の威力を滑らせながら、みづきは牢太の懐に飛び込む。


「すまんね……!」


 交差する牢太の真剣な必死な顔を横目に見上げて呟いた。


 打撃を受け流したみづきは、駆け抜けながら大太刀を力いっぱい薙ぎ払う。

 鋼の黒い巨躯、その胴に神剣の一撃を振り抜き、激しく走らせた。

 キィンッ、鋭い音と共に光が一閃する。


「……」

「………」


 互いの攻撃を放った後のシキ二人は背と背を合わせている。

 一瞬の静寂の後、みづきは先に剣を下ろし、牢太を振り返った。

 牢太の背を見て、わずかの合間にふと思う。


──悪いけど、俺はあんたたちほど真面目でもなけりゃ、大義名分もありゃしない。縁もゆかりも無い、知らない神様に忠義を尽くすなんて願い下げだしな……。


 高笑いする日和の愉快そうな顔が脳裏によぎる。

 勝手に呼び出されて、武器も用意してくれず、いきなり危険な試合に送り出される羽目になった原因の張本人。


 みすぼらしい女神をちょっと可哀相に思ったからといって、お人好しに安請け合いをした結果がこれだ。


 それに比べて、この牢太ほどのシキが忠誠を誓い、骨身を削って仕える主はさぞや立派な神様なのだろう。

 自分とは違い、確固たる信念を持って戦いに臨んでいるのである。


──だから、負けるってわかってても、逃げずに向かってきたのかな……。


 もうみづきは悟っていた。

 地平の加護と太極天の神通力を通し、これから牢太が辿る運命を。

 その大きな逞しい背中が振り向かず、かすれる声を発して言った。


「……改めて問おう。貴様の名は……?」


「──みづき。佐倉三月だ」


 問われる名に、答える名。

 牢太は力無くにやりと笑った。


 瞬間、牢太の身体の内側から眩しい光が爆発的に四散した。

 太極天の神通力が炸裂し、敵対する魔を容赦無く打ち据える。

 牢太を中心にして、光の柱が金色の空に向かって火山が噴火すると同じく凄まじい勢いで立ち上がった。


 ドオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォーンッ……!!


 轟音を轟かせ、大地から真っ直ぐと空へと伸ばす光はまるで太陽柱たいようちゅう

 身をく神通力の奔流の中、牢太は絶叫をあげた。


「参ったあああああぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァーッ!!」


 腹の底から吐き出した大声で降参の言葉を会場中に響かせる。

 天へと突き上げた光が間もなく消失し、空中に浮き上がった牢太の身体は無抵抗に背中から地面へと落下したのであった。


 どすぅん、と大の字の形で派手にひっくり返り、衝撃に大地を揺らす。

 真っ赤だった目は真っ白になって、口からは泡をぶくぶくと吹いている。


 どうやら失神してしまったようだ。

 みづきは倒れた牢太と、手の剣に宿っている力を感じて思った。


──これが大地の神様、太極天の恩寵か。相手が神だろうとそのしもべだろうと、敵対する罰当たり者を天罰さながらに懲らしめる。地獄の鬼は大なり小なりの魔を持ち前にしてるから、尚更効果は覿面だったみたいだ。


「……なるほど、確かに加護が思い出させてくれた記憶通りだったな」


 悪い魔物は聖なる神様の力に弱い。

 それは、地平の加護がみづきの過去に干渉して見せた、幼少の頃の記憶。

 あの少女の思い出の言葉だった。


「あ、あぁぁ、太極天様が……。みづき様に力をお貸しになられた……」


 姜晶は太極天の見せた一連の奇跡に呆然としていた。

 こんなことは初めてであった。

 天神回戦の主催者であり、完全な中立の太極天が誰かに力を貸すなど。


「はっ……?」


 ただ、すぐに我に返り審判官の務めを思い出す。

 誰がどう見ても牢太は戦闘不能の状態で、残心ざんしんのみづきはじっと佇んでいる。


 この試合の勝利者がどちらなのかは誰の目にも明らかであった。

 姜晶は慌てて手のしゃくをみづきに向かって振り上げ、高々に宣言した。


「東ノ神、天眼多々良様のシキ、牢太殿の戦闘不能につきっ、──勝者、西ノ神、日和様のシキ、みづき殿!」


 静まり返っていた会場に姜晶の通る声が響き渡った。

 それは、みづきと日和が見事に勝利を収めたことを意味している。


 最下位の日和陣営と、第二位の多々良陣営の試合という結果の見えていた勝負は、まさかまさかの結果に終わったのであった。



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