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第37話 再始動する地平線

 馬頭の鬼にやられて仰向けに転がされ、みづきはもう諦めていた。

 もういいや、とこれで夢が覚めてくれるのを期待している。


 ふと、顔を少し動かす。


 視線の先に、日和たち神々が座す特別席が見えて、その向こう側の壇上に太極天の社が見えた。

 この闘技場、祭場の神であり、意思も言葉も無く、霊峰たる太極山に眠る地母神が祀られている。


「……」


 もう言葉を発することも面倒なほど、身体が重くて力が入らない。

 せめてまだ働く頭だけで、天神回戦と太極天という神のことを考えていた。


──神様の世界の終わらない戦争を儚み、天神回戦っていう新しい戦いの場を設けて、自分の力を半ば生け贄に捧げた母なる大地の神様、太極天……。あの小っこい女神さんみたく肉体は持たず、無限の恵みを授けてくれるありがたい山の神様で、俺によくわからない胸騒ぎを感じさせる……。


 みづきはこの神の世界での出来事を夢だと決めつけている。

 但し、夢に神が登場するのには何かの暗示である場合がある。


──夢の中の神様は絶対的な象徴なんだそうだ。俺が何らかの救いを求める気持ちを表しているのかもしれない。しかも、神様に殺される夢を見るってのは実は吉夢きちむらしいな。人生の転機が訪れて、何か大きな飛躍を遂げるかもしれない。それか、今の自分が不満で、全部をリセットしたいって思っている……。


 思い当たる節が無い訳ではない。

 しかし、それの解決を夢に求めるほどみづきは純粋ではなかった。

 自嘲気味に鼻で笑う。


──結局、何だったんだ? 俺にまたこんな変な夢を見させて、何か意味でもあったってのか? ただの何でもない夢のくせに趣向凝らし過ぎだろう……。


 思うみづきに太極の神は何も答えはしない。

 ただ黙して、此処に在るだけの大いなる大地の母神。


 何も語らないのに、確かに存在を感じ、何かを語り掛けてきている気がする。

 遠い視線を小さな社に向ければ、胸騒ぎにも似たざわつきを覚え、頭の奥のほうがむずむずと疼いた。


『みづき……』

『めざめなさい、みづき……』


 思い出すのは無意識下で聞いたあの声。

 この神の世界の夢を見始めたと思われる、目覚めの時に聞いたあの声。


 何故そう思ったのかはわからない。

 あれは、太極天などという聞いたこともない神様の意思ではなかったと思う。


──何か身に覚えのある声だったな……。太極のよく知らん神様と違って、もっと身近な存在で……。昔から、ずっと前から知ってたような……。あれはいつの頃のことだったろう……。


 ふと、脳裏にフラッシュバックする記憶の残滓ざんし


 息苦しく水の中を藻掻く無力感が全身を包んでいた。

 絶望的な暗い底で、全てが終わるのを静かに見つめていたそのときに。

 誰かの大きな力強い心に寄り添われ、何かを約束したような気がする。


『私たちを……。助けて……』


 朦朧もうろうとする意識とひどく寒く冷たい感覚があった。

 少女と思わしき半狂乱な泣き声が聞こえ、触れたのは温かく優しい抱擁。

 気がつけば、恐怖と不安から解放され、平和な日常を取り戻していた。


 それらは確かに自分の記憶の中にあった。

 あやふやな子供の頃の記憶。

 どうしてそれを、今のこんな非現実的な土壇場どたんばで思い出すのだろうか。


「このまま死ぬ訳でもあるまいし、これじゃまるで走馬灯そうまとうじゃないか。やれやれ、俺もヤキが回ったもんだ……」


 仰向けに寝転んだまま自然と声が出ていた。

 自分の声ながら、やけにはっきりと聴覚に響くものだと思った。


 と、その事実にみづきはすぐ違和感を感じた。


 今はまさに試合は佳境を迎えていて、観客の歓声が轟く熱狂と興奮の坩堝るつぼだったはずではないだろうか。


 とどめを刺そうとする馬頭鬼の一撃が目前に迫っていて、のんきに思い出に浸り、つべこべ言葉を並べている場合ではなかったはずなのに。


「……ん? んんっ?!」


 みづきは驚きに目を見開いた。

 気付かない内に、何やら異変が起こっている。


 いくら何でも時間の流れが遅すぎやしないだろうか。

 待てど暮らせど、いつまで経っても牢太のとどめの一撃がやってこない。


 鼓膜を奮わせていた人外の大歓声がまったくもって聞こえなくなっている。

 それどころか、風などの空気の流れも止まっている。

 いつの間にやら、辺りはしんと静まり返っていた。


「おおっと……! また変なことが起こってるぞ、こりゃ……」


 相変わらず玉砂利が抜けて力は入らないが、感覚だけは状況を把握していく。

 この感覚はみづきにとっては二回目のことだった。


 すべての音が消えて静寂に包まれ、凍りついたみたいに空気は微動だにしない。

 時間がぴたりと止まっていて、何もかもの動きが止まっていた。


「二回目ともなると、何だか慣れちまうもんですな……」


 すっとぼけた調子で見上げると、状況は思った通りになっているのがわかった。


 殺気立った牢太は、刺股の先端を真下に向けたまま硬直している。

 憂いを帯び、寂しそうな顔をしている姜晶の瞳も固まって動かない。

 特別席の日和は目を覆ったまま、多々良と慈乃は神妙な顔で静止している。

 巨大な和風コロシアムと大勢の観客は、皆一様に時の流れを停止させていた。


「えぇと、あれは確か……」


 この不可思議を二回目と言ったが、一回目は果たしていつのことだったか。

 思い出して意味があるのかどうか戸惑っていると、みづきの意思に誰かが答えたみたいに記憶の中の声がひとりでに再生された。


『改めまして、お初に御目に掛かります』


 記憶の中でも、彼女の声は透き通るほどに綺麗だった。

 みづきはほっとして頬を緩ませた。

 もう今は夢の彼方に消え去ってしまった、幻想の彼女を思い出したから。


『私は、アイアノアと申します。エルフの里より、使命を受けて馳せ参じました。神託の勇者様、是非とも私たちにお手伝いをさせて下さいまし』

『あちらは、妹のエルトゥリン』


 身体は動かないが、そうだ、と胸の前で手を打った気持ちだった。


 この不可思議な感覚に陥ったのは、あの美人のエルフ姉妹に出会ったときだ。

 パンドラの地下迷宮の世界で、金色の長い髪の姉のエルフ、アイアノアに手助けをしてもらい、笑えるほどインチキな力を使えるようになったあのときだ。


 どこからともなく聞こえてきた声が、みづきに例の加護を使うよう促したのだ。


「ああ、そういうことだったのか……」


 言ってみづきはやっと気付いた。

 いつから聞こえていたのかはわからない。

 頭の中に、延々とひたすら音声が流れ続けていた。


 いや、おそらく初めから聞こえていたに違いない。

 音声の文言の意味が、この静止した時の世界の理由だったのだ。


『保留中・保留中・保留中……』


 ある一定の間隔を空け、同じ言葉を繰り返して頭に響くメッセージ。

 何を保留している最中なのか、みづきにはもうわかっていた。

 目だけ動かして改めて今の状況を探る。


「前もそうだったっけか……。ドラゴンの炎で焼かれそうになった絶体絶命のタイミングで時間が止まったみたいになったんだった」


 呟いた記憶は、ダンジョンで遭遇した赤い巨竜の炎ブレスを浴びたときのもの。

 不思議な力を使った直後、意識は真っ白な世界へ引っ張り込まれていた。


「そこで俺は、まさにいかがわしいイカサマ能力を授かったんだ……。実際の世界とは切り離されてて、俺だけが思いを巡らせられる空間がこの現象の正体だ」


 つまり、この静止した時の世界は、頭の中だけで起こっていることである。

 死を間際にして走馬灯をゆっくり眺めるように、みづきの意識の中だけで時間が止まっている。

 或いは極めて緩やかになっているのである。


「都合の良い解釈ではあるけど聞いたことあるな。人間の思考するスピードを、コンピューターに計算させると相当長い時間に換算されるんだそうだ。だから、現実の世界ではほんの短い時間でも、人間の頭の中ではとんでもない速さで思考が回っていることになる」


 それならば、いかに牢太の刺股を振り下ろす速度が速かろうと、攻撃が完了するまでかなりの時間が許されていることになる。

 ゆっくり経過しているどころか時間が止まっている、と言っても過言ではない。


『保留中・保留中・保留中……』


 だから、思考の中だけで時間は止まっていて、謎の音声が再びの危機に瀕したみづきに判断を迫り、保留させているのである。


 生来、物わかりはいいほうだった。

 いったい何の判断を保留させているのか、もう思い当たってしまっている。


「まぁったく、やれやれだ……」


 あのときと同じにばつが悪い気持ちになる。


 また自分にあの異世界転移よろしくな体験をさせようというのか。

 このまま牢太のとどめの一撃を待って、夢の終わりを選択する道もあるが、時間が止まったこの状況ではそれがいつのことになるやら見当もつかなかった。

 ならば、今回もやるしかないのだろう。


「この神様の世界でも、どうしても俺にやらせたいらしい……。神様たちの武芸大会で頑張る物語をさ……。どうにも気が重たいけど……」


 力の抜けた独り言のつもりだった。

 但し、頭の中の音声はそれをみづきの決断として受け取ったようだ。


 そして、二度目となるあの加護の起動を実行した。


『神々の異世界用素体「シキのみづき」・同期完了』

地平ちへい加護かご・発動』


 瞬間、みづきの意思の力は覚醒を果たした。

 心だけが闘技場の開放された天井から天高く飛び上がり、限りない広大さの雲海の水平線を一望した。


 真っ白な頭の中のキャンバスは無限の広がりを見せる。

 超常の能力は、どこまでも続いていく地平の果てまで連れていってくれる。

 神々の世界という非現実の世界の中ですら、ことわり埒外らちがいにみづきは存在を置いた。


「こっちの世界でも、このインチキ能力が使えるのか。さすがは俺の夢だな。節操も何もあったもんじゃない……」


 静止した世界で金の空を仰いで、みづきは呆れたように呟いた。

 姜晶がしてくれた試合の説明が思い出される。

 目覚めた加護のお陰で、一言一句違えず正確に。


『反則についての規定は特に設けられておりませんので、正しき道にもとるようなことをしなければ何でもありです。そもそも、神様やシキが備えている力や権能は多種多様の変幻自在でありますので、何をしたら反則かどうかの線引きは不可能です。いかなる手段を用いても結構です、対戦相手を打ち負かして下さい。それがすべてです』


 何でもありで反則の線引きは不可能。

 いかなる手段を用いても対戦相手を倒すことがすべて。


 神やシキの能力は多種多様の変幻自在なのだから、きっとこの加護の力を使っても他と遜色は無いはずだ。

 ずるく思うどころか、これでようやく対等な立ち位置に並べたといってもいい。


「神様たちが相手なんだから、ちょっとくらい無茶しても平気だよな? このくらいのハンデがあったって、バチは当たらんよね……?」


 みづきは天空高くから、時の止まった天神回戦会場を見下ろす。

 これから始める荒事を思い浮かべ、誰に向けてかの独り言を漏らした。


 気乗りはしないが、途中まで乗りかかった船である。


 これは夢の中のことなのだから。

 自分の脳内だけの妄想の産物なのだから。

 ちょっとくらいは調子に乗って、罰当たりを働いても構わないだろう。


 そうして、よくわからない言い訳を思い連ねて。

 やられっ放しだった神々の世界へ向けての反撃が始まる。


「──まぁ、また、やれるだけやってみるか……!」




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