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第33話 神々の睨み合い

「はぁぁ、やっぱり緊張するのじゃ……。何べんやっても試合前の雰囲気は慣れぬものよなぁ……」


 神々に用意された特別席の一つにちょこんと座る日和は、両手を膝に置いて頭を下げて緊張に縮こまっていた。


 太極天の社を背後にした広めの観覧席は、一般の客席より一段高く、試合の舞台に最も近い場所で全体が一望できるようになっている。


 日和は赤いふかふかのきらびやかな座布団に正座し、ざわめく会場の喧騒の中、間もなく始まる試合を気を重たくしながら待っていた。


「──お隣、いいかな?」


 ふっと、下を向く視界に影がよぎり、穏やかな声が耳に入ってきた。

 瞬間、日和はぎくっとして肩を震わせる。


 俯いて黙っていると、穏やかな声の主はゆったりした動作で隣に腰を下ろした。

 怖じ怖じと顔を上げる日和にもう一度声が掛けられた。


「そして、これはどういうことかな? 日和殿」


 前を向いたまま薄く笑みを零している。

 眼帯で右目を覆った鶯色うぐいすいろ束帯そくたいの男神、天眼多々良(てんがんたたら)


 さらにその隣には多々良陣営いちの夜叉のシキ、慈乃しのの姿があった。

 二人とも、日和に視線を向けずに前を真っ直ぐ向いている。


「おおっ、これは多々良殿、ご無沙汰じゃなぁ……。ほっ、本日の手合わせ、宜しくお願い致しますなのじゃ……」


此度こたびの天神回戦、日和殿が自ら試合に出るのであれば、介錯かいしゃくの手は私たちが行い、貴方の安らかなる眠りを守護する。そういう話だったはずでは?」


 しどろもどろの日和を、多々良は流し目だけで見やり、言った。

 優しげな口調だったが、有無を言わせぬ迫力がその声にはあった。

 日和は目を泳がせながら、冷や汗まみれで薄ら笑う。


「い、いやなに、何とかすんでのところでシキを生み出すことができてのうっ……。急きょ、選手交代という訳なのじゃ。も、問題なぞなかろうじゃろ……?」


 姜晶に言った同じ理由を挙動怪しく話した。

 対して、多々良は冷淡に言い放つ。


「シキを捨て駒にするのは感心しないな。いくら敗北の眠りを拒むのであっても、この方法は賛同しかねる。主のためとはいえ、進んで死地に立たされるシキを不憫ふびんには思わないのかい? そして、この先何度同じことを繰り返すつもりだい?」


「うぐっ……」


 日和は息を呑んだ。


 シキを、みづきを身代わりにしようとする邪な思惑は一瞬で看破された。

 日和は苦虫を噛み潰したような表情を見せると、顔を逸らして舌打ちまでして悪態をつく。


 反論しようとしないのは認めたも同じだ。

 不満げな顔の日和に多々良はゆっくりと顔を向け、迫力を込めて詰め寄った。


「──流石に、往生際が悪いのでは?」


 ずしん、と空気が重々しく質量を増したようであった。


 シキを身代わりにする愚行を犯してまで生き長らえようとする、潔くない日和を多々良は糾弾する。

 見下ろす長身の多々良からすると、日和は叱られた幼い子供そのものに見えた。


「……ふん!」


 しかし、日和は泣いて反省するような子供などではない。

 顔から冷や汗をだらだら流し、不敵な表情で多々良を下から見上げ返す。


「それの何が悪いのじゃ……?!」


 震える瞳を見開き、日和は必死の形相をしていた。


 不調法ぶちょうほうを見抜かれて観念したのか形振り構わなくなっただけか、肩を揺らして追い詰められた小動物さながらにわななき騒ぐ。


 ふてぶてしくも日和は、圧倒的な力量差のある神に向かって大声で言い返した。

 動揺に恐怖、何に向けてかわからない怒りと開き直りの感情を込めて。


「お、往生際が悪いじゃと!? 何とでも罵るがよいっ! このまま手も無くやられて、ただ眠りにつくだけなぞ真っ平御免じゃっ! 生き汚くて結構! 私のやり方に賛同なぞせんでもよい! どんな手を使ってでも生き長らえさせてもらうのじゃっ! それが成るのなら、何度でも同じことを繰り返してやるわっ!」


 ふぅふぅと荒い鼻息で興奮して、握り込んだ両の拳はぶるぶると痙攣している。

 ありったけの感情をぶつけても微動だにしない多々良に、日和は力無く独り言めいて言った。


「私は絶対に滅ぶ訳にはいかんのじゃ……。関係の無い多々良殿には何もわかりはせぬだろうよ……。どうあろうと私らの内なる事情ゆえ、他の神々の理解を得られても得られんでも、詮無き事なのじゃ……」


 日和は急に勢いをしぼませ、しゅんとして座り直し、前を向いて再び俯いた。

 もう誰にも聞こえないくらいの小さい声で呟いていた。


「……彼奴きゃつの自由にさせる訳にはいかんのじゃ。私の大事な、あの子の世界を護るためにも……。そのためならば、私は……」


 猛々しかった意気は消沈してしまい、日和はがっくりと肩を落としてしまった。


 その様子を見て、多々良は困った風に笑い、ため息を一つ。

 呆れてやれやれといった感と、もう諦めている感が入り混じったため息だった。


 多々良は日和から視線を外し、反対側に座る慈乃に振り向くと、その麗しい顔へと目配せをする。

 すると慈乃も同じく、紅の口紅のあでやかな唇からふぅと息を短く吐いた。


「多々良様の仰る通りでしたね。此度の試合の日和様、蓋を開けてみるまでどうなるかわからない、と」


「ふふ、日和殿はこういう御方だよ。一筋縄ではいかないのさ」


 もう一度多々良は日和に振り向く。

 その顔から険しい色は消えていて、重々しい空気はいつの間にか消えていた。


「日和殿、気の早い話だが、次回の試合の機会があるなら引き続き貴方の討滅とうめつに力を尽くさせて頂くよ。今日の天神回戦の結果如何に関わらず、すぐにでも次の白羽の矢を放とう。今回の約束は反故ほごにはしない。日和殿の安寧あんねいの眠りのためにもね」


 優しい口調ではあったが、それは日和を逃がしはしない、何度でも追い詰めるという好戦的な多々良の引き続きの挑発であった。

 ひきつった笑いで日和は目線だけを寄越す。


「くくくっ……。それはどうもご親切になぁ……。お優しい言い方で恐ろしいことを仰るわ……。じゃが、そう簡単にはいくまいぞ……。私はもう捨てるものも失うものも、なぁんにも持ち合わせてはおらん。万年上位の神威明らかな多々良殿にはわかるまいよ。神さびたみすぼしいあばら家で、いつもひとりぼっちの惨めな神の気持ちなどな……! ふんっ!」


 いじけ果てて精一杯の嫌味を言うと、腕を組んでそっぽを向いてしまった。

 そんな日和に困り顔で笑う多々良だったが、隣の慈乃はもう黙ってはいない。


「多々良様への暴言の数々……。いくら日和様であろうと聞き捨てなりませんね」


 敬愛する主を悪く言われては我慢などできはしない。

 瞑目したままの鋭い眼光を刺すほどに日和に向けた。

 多々良の重い神気とは違い、洗練された鋭利な殺気が空気を張り詰めさせる。


「わひっ……!?」


 背筋を凍らせる怖気を感じ、日和の肩はびくっと震え上がった。


 多々良自身も充分恐ろしい相手だが、多々良陣営いちのシキ、夜叉の慈乃姫の存在も大いに戦慄せんりつすべき対象である。


 もしも今、日和が慈乃とやり合うことになるならば──。

 おそらく勝負は一瞬の内に決して、日和は首を切り飛ばされるか、身体をばらばらにされるであろう。


 例え相手が神であったとしても、慈乃の刃は容易にその命に届く。

 多々良陣営を長らく二位という上位で留まらせている実力は伊達ではない。


「多々良殿っ、おぬしのお気に入りのシキがめっぽうおっかない顔で睨んでおるぞ。しかしまあ、余裕なんじゃのう。多々良殿いちのシキ、慈乃姫殿ともあろう御方が呑気に試合をご観覧とは……。シキの本分たるは天神回戦において輝かしい戦果を収めることじゃと思うんじゃがなぁー。今日の試合にも出ず、こんなところで油を売っておって平気なのかのぅ」


 よせばいいのに、日和は瞑目の視線に負けじと性懲りも無く悪態をついた。


 誰が見ても子供の強がりにしか見えない日和の態度だったが、自棄やけでも起こしているのかよく怖気づかずにそこまで言えるものだ。

 苦笑する多々良は日和の虚勢にある意味で感心していたが、慈乃はわかりやすく怒気の炎を静かに燃やしていた。


「──失礼ながら、これまでの日和様の試合を観戦させて頂いた結果、とてもではございませんが私が出るまでも無いと判断致しました。程度の低いシキが相手ならば、私以外のシキでも充分に勝利できるとの結論に至っております。多々良様にはひとりぼっちの日和様とは違い、他にも多数の強力なシキが仕えておりますゆえ、口の聞き方にはお気を付け下さいませ」


 先ほどの日和の孤独な言い回しに当てこすり、慈乃の言葉は冷徹だった。

 売り言葉に買い言葉なうえ、日和は痛いところを突かれまくり、長の煮えくり返る思いであった。


「な、なにおうっ!? 生意気を言いよってぇ……! 神に向かって何たる物の言い様か……! まったく、多々良殿はシキのしつけがなっておらんなぁ……!」


「多々良様には常日頃からお優しくご指導頂いております。お気に召さぬのなら、多々良様に代わり、日和様が私をしつけてみてはいかがですか?」


「おのれ、女狐め……! 見ておれよ、その内に首に縄を巻いてお馬の稽古にでも使ってやるわ! しつけ代わりに、尻を嫌と言うほど叩いてやるのじゃっ!」


「ふ、卑しきことですね。楽しみにお待ちしておりますよ、そのようなときが本当に来るのならば」


 歯をぎりぎり鳴らして怒り心頭の日和と、冷徹な瞑目の目線を真っ直ぐ返す慈乃の女同士の罵り合い。


 間に挟まれ困惑する多々良は軽くぽんぽんと手を叩く。

 試合の広い舞台に目配せして朗らかに言った。


「はい、二人ともそこまでだよ。そろそろ始まるようだ。私と日和殿のシキの勇姿をしかと見届けようじゃないか」


 多々良の言葉の通り、西の選手入場の巨大な門から小さな影が出てきて、闘技場の中心へと足早に歩いていく。


 それは今しがたまで、みづきに試合の説明をしていた新任の審判官、姜晶きょうしょうだ。

 会場の真ん中に立ち、神々の観覧席と太極天の社に向かい、しゃくを胸の前で両手に持って恭しくお辞儀をした。


 続けて、方々の客席に向かってお辞儀を何度か行い、太極天の社を背にしてぴたりと動きを止めた。


 その頃にはざわついていた場内の喧騒はしんと静まり返っていた。

 姜晶はすーっと息を吸い込み、緊張しつつも声を張り上げて式辞を述べる。


 神々による武の祭典の幕がいよいよ上がる。



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