第299話 アシュレイの遺言1
「ガストンさぁん、お疲れ様でぇーす! のど渇いたでしょ、お水どーぞ!」
「あぁキッキ、今日もご苦労様。ありがたく頂くよ──、って冷たぁっ!?」
ガストンは差し出されたマグカップの水を飲み、飛び上がって驚いた。
口の中に予想外の冷たさが広がり、冷えた液体は食道に流れ込んでいく。
ここはパンドラの地下迷宮前、兵士詰め所である。
今日も兵士たちへと、昼食の配達にキッキは訪れていた。
すぐそばには、お手伝いでついてきたエルトゥリンが無言で立っている。
「冷たくってのどごし最高でしょー? これも味見してみて。魚料理だよっ」
「魚料理だって!? どれどれっ! ……あっ、美味ぁーいッ!!」
今度は寸胴鍋から、小皿に少しすくった料理を差し出す。
赤いトマトシチューの具は魚の切り身が入っていて、急いで口に運んだガストンはまたも叫び声をあげた。
これはミヅキたちが王都から帰ってきた翌日のことである。
早速と、冷凍保存して持ち帰ってきた魚を使い、兵士たちに美味で珍味な料理を振る舞っている。
「……このシチューに入っている具材は……。はぁぁぁ、これはイシュトサーディンじゃないか……! 海の魚が、どうしてここに……!?」
ガストンは鍋を覗き込み、ごくりとのどを大きく鳴らした。
ちなみにイシュトサーディンとは、イシュタール王国近海のイシュト海で獲れるイワシのことである。
「……ここだけの話、魚の仕入れに成功したんだ。もちろん、イシュタール王都産の、ねっ!」
人差し指を口許に立て、キッキは内緒話のように言った。
ガストンはにわかに信じられない様子だ。
「そんな馬鹿な……。魚は足が早いんだ、こんな遠方のトリスの街まで運べるはずがない……。ああいや、しかし実際にこうして目の前に──、はっ?」
ふと、ガストンが視線をやると、荷車のそばのエルトゥリンと目が合う。
彼女の目は真剣そのもので、神妙な様子で深く頷いていた。
そして、何も持っていない手で、ぐいっとジョッキをあおる仕草をして見せる。
ごくごくと飲み物を飲み干した風で、目を閉じてフーッと息をついた。
──どうだ人間、魚は美味いだろう? 冷えた酒も最高に美味いぞ?
エルトゥリンの目は間違いなくそう物語っていた。
極上の食事を味わった彼女は強い意志を宿し、それが真っ直ぐに伝わってくる。
その隣で、蒸留水の樽の氷が溶け、コロコロと涼しげな音を鳴らしていた。
「──行く! 絶対に行く! キッキ、今晩是非ご馳走になりに行くぞッ!」
「はぁい、ご来店をお待ちしておりまぁす! いっぱいお客さん連れてきてね!」
我を失ったガストンが興奮気味に言うと、キッキは満面の笑顔で猫なで声で答えるのであった。
言うまでもなく、これは魚料理と冷たい飲み物の宣伝である。
冷凍庫がもたらす新たなる食を、トリスの街に広げるため。
「氷で冷やし、魚を腐らせずに運ぶ……。これもミヅキ殿のしわざか、また何か凄いことをやり遂げたようだな……。さておき、今日の夕食が楽しみだ!」
街へと帰っていくキッキとエルトゥリンの後ろ姿を見送り、ガストンは呟いた。
しかして口許は緩み、今日の晩餐を思うと気持ちがウキウキするのであった。
◇◆◇
きらびやかな調度品や、シックな家具が置かれた高級な部屋にて。
ここは商人ギルダーの店の一つ、レストラン「金獅子の館」の応接室である。
「それではミヅキさん、ごゆっくり」
「ああ、ありがとう。ミルノ」
一人掛けのソファーに腰掛けたミヅキは、一仕事を終えて退室していくミルノを見送った。
ここへは目的を持ってやって来た。
ある話し合いをまとめるための、ギルダーへの陣中見舞いである。
「ミ、ミヅキ……。こりゃいったい……」
センターテーブルを挟み、ミヅキの正面には面食らったライオン顔のギルダー。
テーブル上に出された料理はミルノが調理し、置いていったもの。
ギルダーは料理とミヅキの顔を見比べ、おろおろ戸惑っていた。
料理は白身魚のムニエルで、バターの香ばしい香りが室内に漂う。
王都の海で獲れるシルバーコッド(銀ダラ)は、旬の時期を迎えて食べ頃だ。
先ほど焼き上がったばかりで、熱々のソースが掛かった切り身からは湯気が立ち上っている。
「王都のお土産の魚だよ。ミルノに頼んで料理してもらったんだ。さあ、熱いうちに食べてくれよ、ギルダーの旦那」
「……ごくり」
ギルダーはつばを飲み込み、目の前の皿を凝視する。
ミヅキに聞くまでもなく、これは王都産の魚料理である。
食欲をそそる芳醇な香りがたまらなく、ギルダーは急いで切り身をナイフで刺すと、口の中へと放り込んだ。
「うめぇーッ! だけど熱っちぃー!」
広がる旨味、しっとりした食感、しびれるような熱さ。
そんなに熱くはなかったが、ギルダーは極度の猫舌なので悲鳴をあげた。
「あぁー、冷てぇーっ! 生き返るぅーッ!」
すぐに皿の横のグラスに手を伸ばし、中身の水を一気にあおった。
グラスに入っていた氷が、ギルダーの舌をたちまち冷やしていく。
「……はっ?!」
美味さと熱さと冷たさに呆然としていたギルダーは我に返る。
「待て待て待て! こりゃ間違いなく王都の品物じゃねえか! はぁ美味え……。ここんところ出張ってなかったから久し振りに食ったぜ。しかも、この冷たい水は何だ……? こ、氷が入ってるじゃねえか。お偉方の贅沢じゃあるめえし……」
ギルダーは何とも言えないため息をついた。
口に残った氷をボリボリと噛み砕いて、ごくんと飲み込む顔は涼しげ。
あるはずのない海の魚を、ここトリスの街で食べられたのも驚きだが、飲料水をキンキンに冷やした氷の存在にはもっと驚いた。
「気に入ってもらえて良かったよ、ギルダー」
「やれやれだ……。ミヅキ、おめえにゃ負けたよ。完敗だ。さすがは勇者様──、ああいや、今のミヅキの新しい通り名は魔法銀の魔術師だったか」
ミヅキがにかっと笑うと、ギルダーは首を振りつつ気の抜けた声で言った。
その様子は投げやりな降参宣言をしているように見える。
「その名前、もうみんな知ってるのか……。それより、俺はパメラさんの手助けをしただけだよ。俺とギルダーの間に、勝ちも負けもないって」
「いいや、ミヅキがどう思おうと俺は試してるつもりだったぜ? パメラの借金を返せるかどうかをよ。どうせ無理だろうと、タカをくくってな……」
ミヅキにも初めこそギルダーへの対抗心があった。
但し、迷宮の異世界で過ごすうちに、借金返済という目的が願いを果たすための手段に変わり、当初抱いていた気持ちはいつの間にか消えていた。
「……本当言うとよ。最初にミヅキが心配してた通り、街の連中に働きかけて妨害の一つもしてやろうかって思ってたのさ……。意味のねえ嫌がらせをよ……」
申し訳なさそうにうなだれ、ギルダーは本音を語り出す。
やっぱりそうだったのか、と思う一方、実際にはそんなことはされていない。
ミヅキは黙ってギルダーの自嘲を聞いていた。
「笑ってくれ……。偉そうなこと言っといて、俺はパメラとキッキが幸せになろうとするのを邪魔しようとしてたんだよ。チンケな男なのさ、俺は……。そうしなかったのは──、ただただアシュレイの遺言があったからなんだ……」
と、ギルダーからかつて街を救った英雄の名前が飛び出した。
一流の冒険者であり、パメラの夫であり──。
キッキの父親のアシュレイの名だ。
彼は遺言を残していたという。
ギルダーがミヅキを邪魔するのを思いとどまった理由がそこにある、と。
「アシュレイさんの、遺言……?」
「ああ、俺だけが聞いた。パメラとキッキには話しちゃいねえ」
ギルダーが声をひそめると、ミヅキの頭の中に声が響き始めた。
フラッシュバックしている記憶を、地平の加護が垣間見せる。
『ギルダー、今回ばっかりは何だか悪い予感がする……。俺様の予感はよく当たるんだ。悪い予感であればあるほどな……。だからギルダー、お前に伝えておくことと頼みたいことがある。……ギルダーを見込んでの話だ』
それは10年前──。
夕闇が迫る、トリスの街での過去のこと。
大地震が起きた後、パンドラの地下迷宮から大量の魔物が発生した。
アシュレイは街を守るため、戦いへと身を投じていく。
そのときに居合わせたギルダーに言葉を残して。
『俺様がパンドラから聞いた予言と、──いつか現れる勇者のことだ』
『時間がねえ、手短に言う。パンドラの地下迷宮にやばいことが起こって、トリスの街はひどい目に遭うらしい。この異変がきっとそうだ』
『だけど安心してろ。そのうち勇者が現れて、俺様たちとトリスの街を救ってくれるんだとよ。だからギルダー、そのときは勇者に協力をしてやってくれ』
『……万が一、俺様にもしものことがあったら──』
『──いや、何でもねえ! まっ、とりあえずこの騒ぎをどうにかするのが先だ! じゃ、行ってくる!』
「そう言い残して、アシュレイは戦いに行っちまった。後はミヅキの知る通りさ。
雪男を追っ払ったのはいいが、受けた傷がもとでアシュレイは……」
ギルダーは金目のまぶたを閉じた。
その脳裏には、パンドラへと戦いに赴くアシュレイの背姿が浮かんでいる。
ミヅキにもその光景が見えていた。
それこそが、妖精剣のアシュレイ、最後の戦いであった。
「話には続きがある。勇者に協力してやって欲しいってのは、アシュレイが伝えたかったほうの話でな。……もう一つ、頼まれたことがあるんだ」
伝えたいことは勇者への協力であった。
なら、遺言の続き。
アシュレイからギルダーへの頼みとは何だったのだろうか。
「あいつは……。アシュレイは、雪男との戦いが終わった後、一度だけ目を覚ましたんだ。これは、そのときに聞いた話だ……」
ギルダーは目を開けると、重々しく話し始める。
街の英雄は、何もすぐに命を落としてしまった訳ではない。
ここからが、アシュレイの本当の遺言だったのである。
「ミヅキはパメラとキッキを救ってくれた……。勇者の使命を果たしてくれたって訳だ。……だから、ミヅキにはアシュレイの遺言を聞いておいてもらいてえ……」
「……! わかったよ、ギルダーの旦那」
神妙な顔のギルダーを見て、ミヅキは頭の中に語り掛けてくる何かを感じた。
再び、地平の加護が反応していた。
記憶の映像をギルダーの言葉から拾い上げ、ミヅキにアシュレイの意思を伝えるのである。
ミヅキの意識はギルダーの記憶に吸い込まれた。
「……うっ! お、俺様は、いったい……?」
「おお、気がついたかアシュレイ! 心配したぜぇ……!」
そして、ある回想を見ていた。
そこはトリスの街にある療養施設の一室である。
ベッドに横たわるアシュレイは、ギルダーが見守るなか意識を取り戻した。
全身包帯でぐるぐる巻きになっていて、指一本動かせない状態だ。
「……パメラは? ゴージィは……? 他の奴らは、どうなった……?」
「安心しろ、お前ほどケガの重い奴はいねえよ。今は別の部屋で休んでる。キッキもパメラと一緒だ。呼んできてやろうか?」
どうやら家族も仲間も無事らしい。
アシュレイは安心する一方、表情を歪めながら首を振った。
「……いや、いい……。……はぁ、くそっ、嫌な予感が当たっちまったか……」
顔にも包帯が巻かれていて、隙間から見える口が悔しげに歯噛みする。
悪態をつく様子は一見元気そうに見えて、ギルダーは息をついた。
「とにかく休め。今は身体を治すことが先決だ」
「……待ってくれ、ギルダー」
ギルダーはひとまず安堵して部屋を出て行こうとする。
と、アシュレイがそれを呼び止めた。
「いい機会だ。ちょっと、話そうぜ」
「何言ってんだ、アシュレイ。話なんざ元気になってから聞いてやる」
「頼む、ギルダー……」
「……ちっ、わかったよ。話したらちゃんと休むんだぞ」
横になったままのアシュレイに見つめられ、ギルダーは部屋にあった椅子に掴むと、ベッドの前にどっかと座り込んだ。
がさつでぶっきらぼうなほうのアシュレイが妙にしおらしい。
付き合いの長いギルダーにも、何か感じることがあったのかもしれない。
そうして、アシュレイは話し始めたのだった。
「覚えてるか? 俺様と会ったときのこと」




