第298話 監視者の正体
戦い終わり、夜の平原は静けさに包まれていた。
キッキはオウカを小走りで、引き続き夜道を北東へ向かわせる。
生きた心地のしなかったミルノは、ようやく訪れた安全に力が抜けていた。
エルトゥリンはハルバードを手にコンテナ車の上に立ち、見張りを続けている。
「……ふぅ、……ふぅ……。ハァ……」
「アイアノア、大丈夫か?」
ミヅキとアイアノアは、後部座席に隣り合って座っていた。
息苦しそうな彼女を気遣うと、元気の無さそうな笑顔が返ってくる。
「……大量の魔力を、何度も循環させたので、力が抜けてしまっただけです……。しばらく、手を握っていて下さいまし……。すぐ、回復すると思います……」
「う、うん、わかった……。無理せず、ゆっくり魔力を戻していこう」
ミヅキは座席の上で繋いでいる、お互いの手に視線を落とした。
力が入らないのか、アイアノアは震える指でミヅキの手をつかんでいる。
彼女が痛がらない程度に、離れないようしっかりと握り返した。
そのまま、少しの時間を黙ったまま過ごした。
横に滑っていく平原の景色を、太陽の加護が明るい光で照らしている。
「……ミヅキ様、話を聞いて頂いても、よろしいでしょうか?」
と、呼吸を整え、アイアノアが前を向いたまま口を開いた。
ミヅキは慌てて振り向いて、その胸の内に耳を傾ける。
「私は、まだまだダメです……。異なる種族同士が仲良くなれる未来を夢見ていながら、やはり人間を憎んでおります……。ミヅキ様とだけ仲良しこよしになったとしても、それは本質に目を向けず誤魔化しているに過ぎません……」
話はやはり、自らを省みる内容だった。
恨みつらみは消えず、好き嫌いの感情に折り合いが付けられない。
「ま、真面目だなぁ、アイアノアは……。さっきだって、アイアノアと仲良くできてたから戦いに勝つことができたんじゃないか。その成果は本物だったんだから、誤魔化してるだなんて言い方はしなくていいよ」
「敵を倒せたのはミヅキ様のお力があったればこそ……。ミヅキ様のおかげでどうにかなったに過ぎません……。ですので、愚かな私に、そのような励ましの言葉はもったいないです……」
「アイアノア……」
「私はこの先、どういう気持ちで使命に臨めばいいかを思い悩んでおります……。
ミヅキ様の良い相棒でありたいこの心に偽りは無いのに……」
「……」
後ろ向きに考えすぎて、ミヅキと共に勝ち取った戦果を受け止めれらずにいる。
もう少し前向きで、目先の勝利や成功に納得すればいいのに、とも思う。
「……ちょっと、俺の話も聞いてもらっていいかな?」
そんなにもアイアノアは生き急ぐ必要はない。
たき火での語らいを思い出しつつ、ミヅキは話し始める。
「アイアノアは俺に、今のままでいいって言ってくれたよね。それじゃあだけど、アイアノアだって、今のままでもいいんじゃないかな」
「ミヅキ様……」
アイアノアは顔を上げ、ミヅキのほうに向き直る。
少しくすんだ緑の瞳と真っ直ぐ視線が交わった。
ミヅキは精一杯アイアノアを慰め、元気づけようと思った。
心身を弱らせた彼女もそれを望んでいる、そう感じたからだ。
「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、それでいいじゃないか。エルフは長生きなんだし、ゆっくり考えていこう。急に気持ちは変えられるもんじゃない」
「それは……。甘んじて、自分を受け容れよということですか……? 私は、今の自分を認められそうにありません……」
「そうさ、だから急がなくていいってことだよ。それこそ、アイアノアのさっきの言葉を借りるけど、誤魔化しながらうまくやっていこうじゃないか」
「……」
ミヅキにそう言われ、アイアノアは押し黙ってしまった。
いくら反省の言葉を並べても、望んでいる言葉はかけてもらえそうにない。
だから、とうとう自分から切り出してしまう。
「……ミヅキ様は、私を咎められないのですか? お許し頂けるというのですか……?」
アイアノアが待っていたのは、叱責の言葉だった。
不甲斐ない自分を律する罰が欲しかったに違いない。
ただ、それと同時に──。
こんな自分を許してもらいたい願望も持っていたのだろう。
「やれやれ、許すも何もないよ」
ミヅキは苦笑した。
「いいかい、アイアノア。……世の中にはさ、仕方がなくて、割り切って考えなきゃいけないことだってあるんだよ。少なくとも今のうちはね」
「……仕方がない。割り切って考える、ですか……」
「うん、全部がうまくいって、何もかも腑に落ちるなんてできる訳がない。あれこれ考え出したら本当にキリが無いぞ」
「……は、はい、それは確かに……」
アイアノアの表情はまだ不安そうだった。
その一方、じっとミヅキを見つめ、興味深そうに言葉に聞き入っている。
「それでもアイアノアが自分を許せないって言うんなら──。そうだな、俺と約束をしてくれないか?」
「ミヅキ様と、約束……?」
「今度から何か悩むことがあったら、まずは俺に相談すること。迷ったらとりあえず言っとけばいいやくらいの軽い感じで構わない。大事な話でも些細な話でも、何でも聞かせてほしいな。考えるのはそれからでも遅くないよ」
「は、はい……。それはもう、そうさせて頂きます……」
「そっか、よろしくね」
「……えっ? あの、それだけですか……?」
「うん、それだけ。しっかり守ってね」
「……」
ミヅキに最初からそんなつもりはない。
アイアノアに何かの罰を与えようなどと。
どうであれ、魔物たちは襲ってきたに違いない。
ミヅキは納得をしてほしいだけだ。
何を望まれているのか、それはアイアノアにもわかっていた。
「ミヅキ様はお優しいです、優しすぎます……。どこまでだって私を許そうとして下さるのですね……。そのように良くして頂く資格など、無いというのに……」
アイアノアは心を揺らす。
自分の心の醜さをさらけ出し、それについての懺悔をした。
なのに責められることは無く、慈悲深く励ましてさえくれる。
「それでも、ミヅキ様に許して頂けて良かった……。お嫌いにならないでいてくれて安心した……。私は、そう思ってしまうのです……」
ままならない気持ちを許され、罪や過ちだと思う行為を赦された。
それがわかり、ほっとしてしまう自分が居る。
心の底から救われたと、胸を撫で下ろしてしまう。
ようやくと、アイアノアに笑顔が戻る。
ぎこちなくも柔らかい微笑みであった。
「本当にありがとうございます、ミヅキ様……。このような卑しい私に優しくしてくれて……。私は今のままでも、良いのですね……。ミヅキ様のお言葉の数々、心に刻みつけておきます……」
アイアノアは心を温かく溶かされていく。
無理に変わらなくてもいい、ありのままの自分を認めてもらえたから。
何だかもう、肩肘を張って生きるのを忘れそうになる。
──他の誰に許されなくとも、ミヅキ様にお許しを頂ければ、私は……。
「……あっ……」
「おっと、危ないっ!」
急に全身の力が抜けたみたいに、アイアノアの身体がぐらりとふらついた。
ミヅキは驚き、彼女が車から落ちないよう両肩をつかまえて支える。
「ごめんなさい、ミヅキ様……。少し、疲れてしまったようです……。休ませて、頂いてもよろしい、でしょうか……?」
「わっ……」
声は途切れ途切れになり、意識は朦朧としている。
アイアノアは倒れ込むように体重を預け、ミヅキの腕の中にすっぽり収まった。
「アイアノア……?」
「……すぅ……。すぅ……」
と、アイアノアはもう目を閉じ、安らかな寝息を立て始めていた。
緊迫した戦闘を経て、心身共にくたくたに疲れてしまったのだろう。
彼女には休息が必要だった。
「ミヅキ、私は見張りに立つから。姉様を支えていてあげて」
「わ、わかった。……これはアイアノアが落ちないようにするため、だからな」
後ろのコンテナ車上から、エルトゥリンの声が聞こえてくる。
だからではないが、ミヅキはアイアノアの肩を抱いて自分のほうへ引き寄せた。
しっかり密着して、寄りかかってくる顔はミヅキの肩を枕にする。
「むぅ……」
前の席のミルノはにこにこしながら、しーっと人差し指を立てた。
オウカの鞍の上で、キッキは愉快そうにくすくす笑っている。
二人に冷やかされてるみたいで、ミヅキは居心地悪く赤面していた。
「……」
すぐ横の間近には、眠りこけるアイアノアの顔がある。
疲れ果てた寝顔は、長命で年上のエルフなれど年頃の少女にしか見えない。
不器用で頑張り屋で──。
複雑な境遇に振り回されながら、使命を果たそうと奔走している。
無意識にもう片方の手が伸び、ミヅキはアイアノアの頭を撫でていた。
夜風に当たり、ひんやりした髪の毛はさらさらしている。
ミヅキは手をゆっくり往復させて、一言の労いを投げ掛けたのであった。
「……アイアノア、お疲れ様」
◇◆◇
ミヅキたちが去り、もう動くものは無いはずの戦闘後の平原──。
異形の身体に穴を開けられ、絶命したと思われていたアラクネたち。
その内の1体が、もぞりと起き上がっていた。
ひっくり返っていた蜘蛛の下半身を起こし、人の上半身が顔を上げる。
「……口惜しや、口惜しや。我等が遅れを取るなどと……」
それは般若面のアラクネであった。
えぐられた身体と蜘蛛の腹部は、肉を増殖させながら再生をしていた。
じゅる、じゅる、じゅる……!
不気味な音を立てて、損壊した身体を癒やすアラクネの周りに、同じような様子の魔物が集まってくる。
それらは他の3体で、天狗面、女面、狐面のアラクネであった。
手傷を負うも、いずれも未だ健在だ。
「各々方、戻ると致しましょう。主が帰投を命じておられますゆえ」
当然、さらなる追撃を仕掛けるつもりであった。
しかし、アラクネたちはもうミヅキたちを追うのをやめた様子だ。
彼女らに誰かが命令を下したのか、今宵の荒事はこれにてお終いである。
すぅっ、とアラクネたちは水に沈むみたいに地面の中へ消えていく。
月明かりがつくる影に潜み、高速でどこかへ遠ざかっていった。
アラクネたちが帰っていく方向は南西──。
そちらにあるのは、人間たちの住まう王都である。
「……」
男が立ち、彼方を眺めていた。
そこは打って変わって、イシュタール王城の一角の屋上である。
見ているのは王都東部に広がる平原の方角だ。
視線の先に何があるわけでもない。
静寂の夜の遠景が広がっているのみであった。
「ご報告申し上げます」
男の背後にいつの間にか何者かが立っている。
唐突と、夜の暗がりから現れたように見えた。
それは、フードを目深にかぶったローブ姿の配下の魔術師だ。
片膝をつき、男の背に向かって淡々とした報告を行う。
声色からして、魔術師は女であった。
「──魔導衆、女郎蜘蛛がしくじりました。標的を取り逃したようです」
「……ふん、わかっている。今しがた、呼び戻したところだ」
「いかが致しましょう? さらなる追っ手を差し向けますか?」
「……」
魔術師の女の報告に、男は明らかに機嫌を悪くして顔をしかめた。
指示を仰ぐ声に答えるのも面倒そうに黙っていたが。
「構わぬ。好きにさせておけばいい。但し、引き続き動向は探っておけ」
「御意に。捨て置き、泳がせておくと致しましょう」
男がぞんざいに言い捨てると、魔術師の女は姿勢を正して立ち上がった。
そして、男の名を口にした。
「──宰相レヴェル様」
女は夜の闇に紛れて姿を消した。
現れたときと同じく、いつの間にかいなくなっていた。
寒々しい屋上に残るのは、宰相──。
レヴェル、と呼ばれた男だけであった。
端整な顔立ちだが、漂わせる陰鬱な雰囲気は夜のせいではない。
病的に痩せぎすな長身を包むのは、身分の高い者が着用する衣服だ。
振り仰ぎ一瞥するのは、後方にそびえる王城の尖塔。
その上空に浮かび上がる、邪悪なる巨眼の存在。
恐ろしき視線を見返しながら、ふんと鼻を鳴らした。
「どうやら、戟雷を倒した力は本物らしい。よもや、女郎蜘蛛まで退けるとはな。彼奴らは何者なのだ? 一介の冒険者風情とは思えんが……」
思惑通りにいかず、多少の苛立ちが表情にある。
ただ、それらは些事に過ぎないと決めつけ、悪し様に笑ってみせる。
「くっくっく……。まあいい、おれの計画に狂いは無い。セレスティアルの手からパンドラを取り上げる日は近い。我等が傀儡の王、その生誕祭が定めの時となるであろう」
レヴェルには野望と呼ぶべき目的があった。
もう準備は整っている。
後は計画を実行に移すその時を待つばかりであった。
そうして、口角をつり上げて笑い、満月の夜空に向かって語り掛けた。
レヴェルが口にするのは、この国の宰相にはあるまじき物騒な内容である。
呼び掛ける相手の名も、人間たちが忌み嫌うお尋ね者の名であった。
「待っているがいい。パンドラの魔を解き放ち、この地に破滅をもたらしてやる。
おれは、約束を守る律儀者であるからな。……なァ、フィニスよ!」




