第296話 女郎蜘蛛2
「……次も私がやるわ。姉様とミヅキはここをお願い」
「ああ、頼んだ! エルトゥリンッ!」
「エルトゥリン、気をつけてっ!」
姉が戦意を取り戻したのを見届けて、エルトゥリンは再び出撃を決意する。
星の加護の闘気をまとい直し、ミヅキとアイアノアの声を背に受け、破壊の流星は飛び立った。
コンテナ車の進行方向とは逆向きに飛び、敵との距離を一気に詰める。
ザザザザッ……!
エルトゥリンが出てきたのと同時に敵たちも動き出す。
半人半蜘蛛の敵性亜人であり、異界の神獣たるアラクネ4体。
その内、3体が後方に下がり、残り1体が速度を上げて前進してきた。
最も身体が大きく、双剣を携えた天狗面のアラクネだ。
迫るエルトゥリンを迎撃するつもりである。
すぐさま戦闘は開始された。
「はぁッ!」
ゴオォッ!!
エルトゥリンは闘気をうならせて、正面から堂々と突っ込んだ。
その動きに合わせ、天狗面のアラクネは両手の剣で斬りかかってくる。
ガギギンッ……!!
金属の衝突音が轟き、アラクネの剣は止まった。
エルトゥリンは振り下ろされた両の凶刃を、難なく素手で受け止めていた。
解放状態である星の加護の防御力は、鋭いだけの刃など何の問題にもしない。
そのはずであったが──。
「……いっ、痛ッ!」
次の瞬間、エルトゥリンの両手に激痛が走った。
堪らず、天狗面のアラクネの剣から手を離して振り払う。
──手は無事……?! 星の加護の防御は抜かれていない、けどっ……!
剣をつかんだ手に傷は確認できない。
但し、感じた痛みは紛れもなく本物。
驚くエルトゥリンを見て、半面の下に覗くアラクネの口は笑っていた。
続けて二撃目を叩き込んでくる。
ガキンッ!!
交差させて振り下ろしてくる双剣を、今度は腕の甲で受け止めた。
星の加護の闘気が発散されていて、エルトゥリンへのダメージは通っていない。
「ちぃッ……! この剣、触れるだけで切られたみたいに痛みが走るッ……!」
だが、エルトゥリンは確信して苦々しく表情を歪めていた。
切られたことによる直接的なダメージは無い。
なのに、剣の刃に触れると切られたのと同様の痛みを感じさせられる。
これはそういった魔法効果か、呪いの類いなのだろう。
「くッ……! ぐうぅッ……!」
ガンッ! ガガガッ……! ガキンガキンッ……!
容赦のない双剣の連続攻撃が繰り返された。
洗練された速い剣筋に回避できる隙はない。
エルトゥリンは拳を合わせ、何度も打ち返した。
但し、その度に手に激痛が走った。
指先から腕の付け根、胴体へと痛みが伝わってくる。
ダメージが無いとはいえ、痛覚が悲鳴をあげ、意識が蝕まれていく。
「……えっ!? あッ……!?」
痛みに気をとられていたところを狙われた。
巨体が後ろ向きに跳ねて、不意に天狗面のアラクネが目の前から消えた。
戦線を離脱して下がったのである。
瞬間、エルトゥリンの視界は闇に染まった。
一瞬にして何も見えなくなり、自身を取り巻く空間が暗黒に落ちた。
「……ひッ?!」
夜よりも暗い闇の空に、突如として巨大なしゃれこうべが出現していた。
歯がむき出しのあごをがぱっと開き、エルトゥリンは飲み込まれてしまう。
急に現れた恐怖の対象に、身体の自由を奪われたのである。
すると、エルトゥリンの手足が指先から、なんと白骨化していく。
何が起こったかわからず、変わり果てた自分の手を見てパニックになりかけた。
「……しまった! これは幻ッ……!」
しかし、それが幻術だと気付いたときにはもう遅かった。
戸惑うエルトゥリンから距離を置き、口許を扇で隠して笑うのは女面のアラクネであった。
「……くぅッ……!」
続けざま、エルトゥリンは全身に突き刺さってくる殺気を感じた。
敵陣の最も向こう側──。
鎮座する般若面のアラクネの唇が言葉を紡いだ。
人間の形をした上半身の手が、エルトゥリンに魔法の杖を向けている。
「──神霊術、鳳凰遊戯」
カッ……!!
瞬間、夜空は広範囲に渡って真紅の光で照らされた。
アラクネの杖から、巨大に燃え盛る炎の怪鳥が放たれたのだ。
頭は鶏に近く、五色の長い尾羽を従えるその姿は伝説の霊獣、鳳凰そのもの。
激しい火勢をまとい、凄まじい勢いで突っ込んでくる。
「ああぁッ……!!」
幻術に惑わされ、離脱が遅れたエルトゥリンに炎の鳥は直撃した。
灼熱した炎の大爆発が起こる。
ゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオォォォッ……!!
「うぐうぅっ……! しつこい炎ね! 息が苦しいッ……!」
爆炎に巻かれる中、エルトゥリンは身を屈めて耐えていた。
まとわりついて離れない炎は、まるでじゃれつくように執拗に猛り狂っていた。
星の加護の護りのおかげで、エルトゥリンが焼かれることはない。
が、周囲の酸素は燃え尽きて呼吸が困難な状況に陥る。
加えて、視界は真っ赤で何も見えない。
「こんな炎……! 吹き飛ばせッ、星風ッ!」
ぶァッ……!!
業を煮やしたエルトゥリンは両手足を広げ、加護の力を解き放つ。
身体の内側から障壁を衝撃波のように発生させ、炎の鳥を力尽くに打ち消した。
「うッ……! 身体が動かない……!? 今度はいったい……!」
ぎしぃッ……!
幻術や炎の束縛から逃れられたと思ったのに、また身体が動かなくなっている。
しかも、今度の縛る力が最も強く、瞬き一つできやしない。
「じ、地面にっ……! 魔法陣ッ……!?」
かろうじて動いた瞳が見たのは、自分が浮かぶ空中の直下、地面に描かれた巨大な魔法陣であった。
エルトゥリンが炎に囚われている間に、さらなる緊縛の術が完成していたのだ。
それはまるで、蜘蛛の巣にも見える真っ白な魔法陣だった。
──星の加護を解放してるのに、ここまで抑え込まれるだなんて! 信じられないくらい強力な結界術だわ……!
悔しげに顔をひきつらせるエルトゥリンを遠方で眺めるのは、狐面のアラクネ。
不気味に光る水晶玉を掲げ、獲物を術に捕らえ嬉しそうに笑っていた。
「……勝機」
再び、般若面のアラクネの唇が妖しく震えた。
獲物が蜘蛛の巣に掛かり、しめたとばかりに薄く笑んでいる。
「呪いあれかし──」
きりきりきりきり……!
いつの間にか、その腕が構えていたのは弓だ。
黒い弓幹の大弓で、独特に湾曲するその形は洋弓ではなく和弓であった。
ぼうっ……!
引いた弦につがえられるのは、何も無い空間から現れた鋭い鏃の矢。
矢は怪しげな黒い火に包まれていて、不吉な予感をこれでもかと感じさせる。
般若面のアラクネの動きに合わせ、控えていた天狗面と女面のアラクネも大弓を構えた。
物言わぬ号令の元、鏃の先端が一斉にエルトゥリンを捉える。
カァンッ!!
弦音が同時に響き、黒い大弓から黒い矢が三本放たれた。
吸い込まれるようにエルトゥリンに向かっていく。
但し、星の加護の防御力の前に弓矢の威力などたかが知れている。
星風のバリアーは、この程度の物理攻撃を決して通しはしない。
そのはずなのに──。
「──貫通毒」
般若面のアラクネは冷たく呟いた。
黒い火の矢はただの矢ではなかった。
星の加護の防御を貫くべく、極めて特殊な細工が施された矢であったのだ。
どすどすどすッ……!
「……がッ……!?」
エルトゥリンの短い呻き声が漏れた。
星の加護は虚しくも発動せず、矢は防御を抜いて彼女に命中してしまった。
矢が突き刺さり、エルトゥリンの上体が後ろにぐらりと傾く。
鮮血が夜の空にぱっと舞い散った。
使命が始まって以来、初めてエルトゥリンが流す血であった。
三本の矢はそれぞれ、エルトゥリンの眉間、首、心臓を正確に射貫いていた。
いずれも急所だ。
本来ならば絶命は免れない。
「……ぐぅぅッ……! 星の加護をっ……! 私を舐めるなぁッ!」
一瞬、光を失っていたエルトゥリンの目がカッと見開かれた。
空間を震わすほどの叫び声をあげ、星の加護の闘気を体内から爆発させる。
ごおおおおおおおおおおおおッ……!!
エルトゥリンの身体が銀河色に燃え上がっている。
突き立っていた三本の矢は瞬時に蒸発し、消え去った。
星の加護が生み出す、生命力の発散は凄まじいの一言であった。
急所を射貫かれようと即座に肉体を再生させる。
傷は見る見るうちにふさがり、体内の組織、内臓、神経までを回復させた。
この程度でエルトゥリンを倒すことなどできはしない。
天体が増光するように、生命力を爆発的に燃やして新星の輝きを見せる。
オートファジーに近い作用が働いていて、星の加護の出力が尽きない限り、エルトゥリンの命が終わることはない。
「……一瞬、意識が飛んだ……! 星の加護が無ければやられていた……!」
エルトゥリンは苛立たしげに唇を噛んだ。
たった今、間違いなく自分は死地に立っていた。
敵の必殺の攻撃を受けてしまい、星の加護に守られ何とか生き延びた。
──ミヅキは言ってた。こいつらは異界の神獣だって。なら雪男──、あのミスリルゴーレムぐらいの敵を4体同時に相手取っていることになる。
奇妙な仮面を付けた、初めて見る魔物、アラクネの集団。
それぞれが別々の能力を持っていて、それぞれが相当に手強い。
エルトゥリンを仕留められなかった事態に動じることなく、揃いも揃って黒い大弓に次の矢をつがえている。
極めて組織的で、訓練された流れるような所作である。
再びと、正体不明な防御無視の矢がエルトゥリンに向かって放たれた。
カァンッ!!
またもや同時に響いた弦音。
女面のアラクネも加わり、4本の矢が空中のエルトゥリンに迫った。
「エルトゥリンッ!」
すぱぁっ……!!
但し、次の矢の斉射は彼女に届く前に打ち落とされた。
エルトゥリンの前に颯爽と現れ、手の神剣にて全ての矢柄を真っ二つにした。
それは背中に烏天狗の翼を生やし、夜空を駆けてきたミヅキの救援だ。
不滅の太刀を振るって矢を切り払い、エルトゥリンの隣に滞空する。
「俺も加勢する! この矢は喰らっちゃ駄目だ! 呪いか何かが掛かってる!」
「ミヅキ、来てはダメよ! 姉様とみんなを守っていて!」
「エルトゥリンが心配なんだ。遠くから矢が当たるのが見えた。星の加護が負けるなんて思ってないけど、正直ヒヤッとしたよ」
「面目ないわ。妙な能力で加護が無効化されたとはいえ、私にも油断があった」
後方の憂いと自分の不甲斐なさに焦りが募る。
ただ、得体の知れない敵を相手に、ミヅキの参戦はありがたかった。
エルトゥリンも腹をくくる。
「いいわ、一緒に戦って! ミヅキ、こいつらを通してはダメよ!」
「よしきた!」
ミヅキを迎え、戦いはすぐに再開された。
「お前からだっ! 神妙にしやがれッ!」
どうやらこのアラクネたちのリーダーは、般若面の個体がそうらしい。
敵の指揮官を潰せば戦況は有利になると単純に踏んだ。
ミヅキは般若面のアラクネに斬りかかった。
烏天狗の翼をはためかせ、空中を素早く突撃する。
「夜霧隠形」
ミヅキが横なぎの一閃を走らせる瞬間、アラクネはぽつりと言葉を発した。
すると、暗い霧がすぅっと空間に広がり、妖しい雰囲気の女の上半身と、巨大な蜘蛛の下半身があやふやになったように見えた。
スカッ!
そうすると、力強く太刀を振り抜いたのに手応えが全くない。
般若面の恐ろしい形相とは裏腹、アラクネの口許に浮かぶのは柔らかな笑み。
「くそっ、俺の剣がすり抜けるッ……!?」
二撃、三撃と返す刀で繰り返し切りつけている。
アラクネは目の前だ。
これだけ肉薄しているのだから当たらないはずはない。
まるで形の無い霧を相手に剣を振り回しているみたいだ。
現に周囲は夜の闇が濃くなり、こんなに接近しているのにアラクネの姿を見失いそうになるくらいだった。
「フフッ……」
滑稽なミヅキを間近で笑う般若面のアラクネ。
これは間違いなく敵の術である。
発生させた夜の霧に紛れ、幻影を作り出して攻撃を無効化している。
「霧ならっ、炎で払ってやるッ! くらえッ!」
『効験付与・《レッドドラゴン・ファイアーブレス》』
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッ……!!
ミヅキは空中を飛びながら、口から竜の炎を派手にぶちまけた。
霧とは水蒸気が水滴になったもので、温度が上がれば自然と消えるはず。
しかし、それは致命的な隙を作ってしまう結果に繋がった。
炎で視界が真っ赤に染まり、アラクネがどこにいるのかわからない。
「……うッ! しまっ……!」
ミヅキは呻くのと、アラクネが姿を現したのは同時だ。
ほぼ真横、至近距離からビタリと弓を合わされ、鏃の先が突きつけられる。
回避不可能なほどのゼロ距離射撃であった。
「ミヅキッ、危ないッ!」
カァンッという弦音と、バキッという矢を握り潰す音は同時だった。
割り込んだエルトゥリンが、射られた直後の矢をつかんで潰した。
「魔力の流れを読む相手に、わかりやすく地平の加護を使ってはダメ! こいつらは相当な手練れよ!」
「……そうだった! エルトゥリンッ、すまんッ……!」
それはエルトゥリンとの特訓の際に思い知らされた、地平の加護の弱点だ。
このアラクネたちは魔に精通し、魔力を読める猛者である。
下手に大振りな加護の力を使えば、逆にこちらが追い詰められる。
ドドドドドドドッ……!!
「……厄介なまやかしね! 霧に隠れて、本体がどこに居るのかわからない!」
エルトゥリンの攻撃も、同様にすり抜けて当たっていない。
星屑撃ちの光弾を乱射するも、残りの3体、天狗面、女面、狐面のアラクネたちは消えたり現れたりで、回避され続けている。
エルトゥリンの凄まじい威力とて、当たらなければ意味が無い。
やはり、異界の神獣は強大な敵であるのだ。
それに併せて、ミヅキは不審に思っていた。
──しかし、こりゃどういうことだ……? アシュレイさんの言ってた異界の神獣は全部で7体なんじゃなかったのか? レッドドラゴンに雪男、グリフォンにヘルハウンド……。そこにこいつら4体追加ですでに8体だ。数が合わないぞ。
敵の全容は未だに不明のままだ。
アシュレイがもたらしてくれた貴重な情報なのに整合が取れない。
戦闘中の緊張感に加え、言い知れない不気味さがわだかまる。
──俺の敵、……異界の神獣のことは気になるけど──。
「……ちっ、今はそんなこと考えてる場合じゃないか!」
地平の加護は敵の情報を知りたがっているようで、頭の中がうずく。
しかし、とてもではないが悠長に洞察を進めている余裕などなかった。
依然として戦いは続くのだ。




