第295話 女郎蜘蛛1
太陽の加護が進む先を照らし、オウカは小走りにコンテナ車を引いていた。
周囲を警戒しながら、夜明けまでトリスの街を目指して走る。
と、背中の鞍には御者のキッキの姿が無い。
「……風よ、傷付いたこの者を癒やしたまえ」
声はアイアノアのもので、風の回復魔法を座席に座ったキッキに掛けている。
緑色の光に浮かされる彼女の表情はとても暗かった。
「ミヅキ様、申し訳ありません……。今更ながら聞いて頂きたいことが……」
すぐ後ろの席のミヅキに振り向き、アイアノアは胸の内を語り始める。
何となく、彼女が何を言い出すのかわかるような気がした。
「……実は私……。あの魔物たちのことに、気付いていたのです……」
多分、それは予想通りだったのだろう。
ミヅキは驚かずにアイアノアの告白を聞いていた。
「王都に居る間ずっと、不気味な目が私たちを見ておりました。イシュタール王城に良からぬ気配が取り付いているのを知りつつ、それをミヅキ様に打ち明けることをしませんでした……」
「アイアノア……。そっか……」
ミヅキは何とも言えない顔で頷いていた。
その事実は雛月から聞かされ、すでに知っていたことだった。
アイアノアとエルトゥリンが意図的に黙っている──。
それも含めてだ。
「申し訳ありませんっ……! 私が黙っていようなどと、勝手な判断をしたばかりに……。もっと早くミヅキ様にお知らせしていれば、キッキさんにケガをさせずに済んだかもしれないのに……」
アイアノアは身を縮こまらせ、頭を下げて謝罪した。
これは自分の判断ミスが招いた事態であると、彼女は思ってしまっている。
と、キッキは自分が関わっているのが堪らず声をあげた。
「アイ姉さん、あたしは平気だよっ。ミヅキがちゃんと守ってくれたからさ。ケガだってほら、治してもらって何ともないんだからっ」
キッキのケガは、確かに大事には至らなかった。
手綱を切られた際に左腕を少し裂傷したのと、車から放り出されて地面に落ちて受けた打撲だけであった。
幸いなことに、アイアノアの回復魔法で完全に治る程度である。
「アイアノア、キッキもこう言ってるんだし、そんなに謝らなくても……」
平気そうなキッキを見て、ミヅキもアイアノアを慰めようとするが。
「……いいえ、ミヅキ様。私が申し訳なく思うのはそれだけが理由ではありません……。黙っていたのには、私個人の感情が影響しているのです……」
力無く首を振り、うつむく彼女の目は沈んでいた。
その目の色はかげり、吐き出す感情もまたにごったものであった。
「──あの城の人間たちは同族の、両親の仇の末裔です。……だから、恐ろしい魔に取り付かれていようが、そんな人間たちがどうなろうが構わない……。そんな風に思っておりました……」
「アイアノア……」
ミヅキとて彼女の気持ちを知らない訳ではなかった。
アイアノアは両親と生活を奪った人間を許してはいない。
特に戦争を引き起こした、王族の子孫への恨みは忘れられない。
「ミヅキ、姉様を責めないであげて」
と、コンテナ車の上から見張りに立っていたエルトゥリンの声が降ってきた。
秘めた気持ちと思惑はアイアノアと変わらない。
「黙っていたのは私も同じ。だから──」
「──エルトゥリンに黙っているよう言いつけたのも私ですっ! 私だけならまだしも、妹にまで嫌悪の気持ちを押し付けてしまった……!」
エルトゥリンが出そうとした助け船を、アイアノアはすぐ感情的に遮った。
張り詰めた悲痛な叫びに空気が凍り付く。
「いつかエルフと人間が仲良くなれればいいのに、そう願いながらも私は結局人間への恨みつらみを忘れられない……。父様と母様を奪った罪を、決して許すことはできないのです……!」
それはアイアノアの中の、相反する気持ちであった。
理想と現実の狭間で、矛盾を抱えて葛藤している。
「そうして、私はミヅキ様に報告すべきことを黙っておりました……。その結果、関係無いと思い込んでいた魔に襲撃される憂き目に遭い、皆様を危険にさらしてしまったのです……。この失態、お詫びの言葉も見つかりません……」
使命を果たしたい思いは、嘘偽り無く一途なのに。
子供の頃に受けた心の傷が、未だに癒えずにアイアノアの道を邪魔していた。
「これはきっと、天罰なのでしょう……。いつまでも過去に囚われ続けて、未来に進もうとしない愚かな私への……」
「ね、姉様……」
姉の痛ましさに、妹は愕然となっていた。
自らの行いを悔やみ、深く嘆き苦しんでいる。
「……またエルフの、いいえ、私の醜いところをご覧に入れてしまいました……。私が美しいなど、そんなのあり得ないことなのです……」
震える顔を上げ、ミヅキを見つめて言った。
口許は笑っていないが、言葉は自分を嘲るものであった。
やがて、アイアノアは言いたくなかった思いを口にしてしまう。
「やはり私には、人間と親しくする資格はありません……。ミヅキ様とも、仲良しこよしには、なれません……。……う、ううぅ……」
辛そうに言葉を吐き出し終え、アイアノアは涙を流した。
泣き顔を隠そうともせず、閉じた瞳からぼろぼろと悲しみの雫を落とす。
「……うっ、あぁ……。ああぁ……」
むせび泣くアイアノアの声だけが夜風に流れていった。
エルトゥリンはそんな姉を見ていられず、背中を向けて言葉を失ってしまう。
キッキもミルノも何も言えず、ただ肩を落として座っていた。
「……」
ミヅキも同じだった。
顔をくしゃくしゃにして、涙するアイアノアを見ているだけだった。
と、そのときだ。
ミヅキの脳裏に声が響いた。
地平の加護が思い出させた、あのときの彼女からの声だ。
『またこちらの世界に戻られましたら、まだまだ未熟な私のことをどうかよろしくお願い致します』
それは、神巫女町で未来のアイアノアから聞いた言葉であった。
他ならぬ本人から頼まれたことだ。
この迷宮の異世界に戻ってきたら、至らない自分の面倒を見て欲しい、と。
あれは、こうしたときのために言った言葉なのかもしれない。
──アイアノア、……よし!
ならば、ミヅキはその頼みを聞くまでである。
神巫女町では命を助けてもらった。
アイアノアの頼みなら尚更聞いてあげたい。
意を決し、口を開いた。
「いいかい、アイアノア。報連相は基本だよ」
「……うぅ……。え……? ホウ、レン……?」
聞いたことのない言葉にアイアノアは少し顔を上げた。
子供みたいに泣きじゃくる様子に負けず、ミヅキは続けた。
「報告連絡相談。仲間同士で欠かせないコミュニケーション方法さ。俺はアイアノアの仲間だからね。悩み事があるんなら、どんなことでも一声掛けて欲しいな」
泣き顔のまま、きょとんとする彼女に言葉を尽くしていく。
現実世界の社会で学んだ知識だが、異世界の常識にも通用するはずである。
「アイアノアは一つ一つの失敗を気にしすぎるところがあるなぁ。反省して次から気をつければ済むことばっかりなのにさ。失敗なんて言いだしたら、俺なんて自分の加護に振り回されっぱなしだ。……アイアノアに魔力を使い果たさせちまうし、効果は凄いけど神交法でアイアノアに無茶させてるしさ」
眉を八の字にして、ミヅキはため息をつきながら言った。
落ち度があるのは自分も同じだった。
「種族が違うヤツ同士で仲が悪い話だってそうさ。この国の事情も、アイアノアとエルトゥリンの気持ちも考えず、俺は自分の感情に任せて怒鳴り散らしちまった。二人と仲直りできてなきゃ、今の俺はないのにな」
短絡的な思い違いで、ミヅキたちパーティは解散しかけたことがあった。
人間と、エルフを初めとする亜人の仲が悪いのがそもそもの根っこだ。
「アイアノアは過去に囚われてるって言ったけどさ、過去にこだわるのは悪いことじゃないと思う。きれいさっぱり忘れるんじゃなくて、過去に向き合ってゆっくり気持ちに折り合いを付けていったらいいんじゃないかな」
それはミヅキ自身、そうすると決めた胸の内だった。
前向きに現状維持をして、少しずつ未来のことも考えていけるようにする。
アイアノアもミヅキと同じだった。
彼女の心を知っているなら、尚更に気持ちがよくわかった。
「全部受け容れて、何もかも許せないと仲良くなれないなんてことはないよ。未来に進めないなんてこともない。言ったろ? アイアノアのそういうところもわかるつもりだってさ。さあ、もう涙を拭いてくれよ」
「ミヅキ様、ですが……」
そうまで言われても、アイアノアはまだ納得しかねていた。
もちろん、ミヅキの言いたいことはわかるし、優しさも伝わってきている。
自分を許せるか許せないか、後は感情の問題なのだろう。
──ミヅキ様の言う通り、急に心は変われない。もっとゆっくり、時間を掛ければ私も前に進めるようになるのかな……?
アイアノアはうつむき、自分に対して問いかける。
今は無理でも、改めてまた考え直せば違う答えが出るかもしれない。
「……私は──」
アイアノアは何かを言おうと口を開く。
心を整理し、気持ちを落ち着かせて思いの丈を話そうとする。
但し、そのときであった。
「姉様、ミヅキッ! 後ろッ!」
エルトゥリンの叫びが、不意に空気を張り詰めさせた。
ミヅキたちは何事かと、コンテナ車の陰から顔を出して後ろを見やった。
オウカに引かれて走行する車の後方、その闇夜の中──。
そこには、音も無く這い寄ってきた怪しき者たちが居たのである。
「見張ってたのに……! こいつら、気配を感じなかったわ……!」
「追跡するのをまだ諦めてなかったのか……。しつこい奴らだなっ!」
「……まだ私たちを、逃がしてはくれないのですね……」
ミヅキはすぐにコンテナ車の上に上がり、エルトゥリンの隣に立った。
未だ終わらない襲撃に際し、アイアノアも二人に続いている。
ザザザザザザザザザザッ……!
平原の下生えを踏みしめ、疾走するこちらに悠々《ゆうゆう》とついてくる。
新手の魔物、数は4体。
身体の後ろに膨らんだ大きな腹は毒々しい斑模様。
節足動物特有の、4対8足の脚を素早くうごめかせている。
その姿はまたもや大蜘蛛──。
「蜘蛛の女……? こんなヤツ、見たことがない……!」
「あ、あれはっ……!?」
エルトゥリンは目を細め、アイアノアは驚いて叫んだ。
追ってきたのはただの大蜘蛛ではない。
複数の目と毒牙があるはずの頭部から、人間の胴体が生えている。
「……アラクネっ!? 文献でしか見たことのない魔物ですっ……! この国にも存在していたなんて……!」
蜘蛛の敵性亜人、アラクネ。
原典はある神話に登場する人間の女の成れの果てであるが、ファンタジー世界では人型の上半身、蜘蛛の下半身を持つ魔物である。
知能が高く、身体能力に優れており、ヒトと蜘蛛の長所を併せ持つ難敵だ。
アラクネは4体全員が女性で、人型の上半身に衣服や防具をまとっており、各々が異なる武器を携えていた。
さらに、もっと目を引いたのが──。
「……あれは、お面だよな……」
ミヅキはそれを見て思わず呟いていた。
背中にぞくりと冷たいものが走る。
アラクネたちは奇妙な仮面を付けていた。
目と鼻だけを覆った半面で、それらは儀式や儀礼の際に使用される祭具だ。
古来より、それらの面には神や精霊が宿るとされている。
「それも俺がよく知ってる、和面だ……」
現実の世界、故郷の祭事でも見たことのある面を、アラクネたちは被っていた。
不気味ながらも、情緒と趣を感じさせる和の仮面である。
般若面のアラクネ。
炎のような緋色の長い髪を夜風になびかせ、魔杖を両手で構えている。
天狗面のアラクネ。
グレーのざんばら髪、半裸の肉体は筋骨隆々、巨大な双剣を下げている。
女面のアラクネ。
ひょろ長い上背に整った結い髪は黒色、意匠の凝った扇を広げている。
狐面のアラクネ。
4体の中で最も小柄、三つ編みの金髪、紫の水晶玉を宙に浮かべている。
「……アイアノア、エルトゥリン。未確認だけど俺からも報告がある」
コミュニケーションの大切さをさっき話し合ったばかりだ。
二人に振り向かず、ミヅキは表情を険しくして言った。
「さっきの蜘蛛の魔物を見たときから嫌な予感がしてた。あの半分蜘蛛の新手たちはやばい奴らだ……! 俺たちは文字通り、目を付けられてたんだよ」
隠遁魔法で逃げたのに、先回りしていたジャイアントスパイダーの群れ。
あの魔物たちを見たときから胸騒ぎがしていた。
地平の加護も警鐘を鳴らしている。
「アイアノアが言ってた通りだ。隠者の足取りを見破った奴らが居たんだ。逆手に取って俺たちを待ち伏せした。あれは偶然なんかじゃない」
『──人間の側に魔力探知に優れた魔術師がいない限り、私たちの追跡はもう不可能でしょうっ』
王都で騎士たちを撒いたとき、アイアノアが言っていたことだ。
追っ手は魔力を追うのに長けていて、こうしてまんまと補足されてしまった。
「そんな……。ミヅキ様の魔法をたどれるほどの魔物が私たちを……」
アイアノアは驚愕しながら南西の方角を見ていた。
はるか遠い王都から、あの魔眼は未だにこちらを見つめ続けている。
無論、王都でのミヅキたちの逃走劇も観察していたはずだ。
もしかせずとも、隠者の足取りはあのときに看破されていたのである。
「俺たちは狙われてるんだッ! 使命を果たそうとすれば必ず邪魔をしてくる! こいつらはあいつと同じなんだ! パンドラの地下迷宮で俺たちがやっつけた伝説の魔物、雪男とさ!」
「雪男……!? それでは、アシュレイさんの遺志が仰っていた──」
ミヅキにはこの連中に心当たりがあった。
すでに打倒した伝説の魔物と同列で、シキと同じ気配を感じさせる存在。
「──異界の神獣って奴らだよ! なら話は早い、こいつらは問答無用で敵だ! 俺たちがどうしようとあっちが見逃してはくれない!」
「……敵、異界の神獣……」
叫ぶように言うと、アイアノアは両手を口許に当てて息を呑んだ。
ミヅキは振り向き、そんな彼女を見つめた。
「人間とエルフの仲が良かろうと良くなかろうと、この戦いは避けられなかった。だからアイアノア、君が気にすることはないんだよ」
「ミヅキ様……」
「降りかかる火の粉は払わなくちゃならない。これはただそれだけのことだ。また俺に力を貸してくれ、アイアノアッ!」
「はっ、はい! わかりましたっ……!」
気弱だったアイアノアの表情は、ミヅキの言葉でしゃんとした色を取り戻した。
明らかな敵が攻めてきているのなら、しょげてなどいる場合ではない。
そんな様子を見て、ミヅキは頷くと前に向き直った。
不気味に蜘蛛の足を動かし、つかず離れず追跡してくるアラクネを見やる。
──蜘蛛と言えば思い浮かぶ奴は一人だ。蜘蛛の禍津日ノ神、八咫……! さっきの大蜘蛛の魔物と言い、こいつらアラクネもまさか八咫の……?
ミヅキの脳裏に浮かぶのは、八咫の悪辣な顔と悪声だ。
精神に受けた正体不明の激痛は、未だに忘れることができていなかった。




