第292話 魔の襲撃
──姉様とミヅキ、ずっと話してる。いいな、私も姉様とお喋りしたい。
エルトゥリンはキャンプの夜の歩哨に立っていた。
ミヅキたちが囲んでいるたき火を尻目に、ため息をついている。
大好きな姉が楽しそうにしているのは好ましいが、そこに自分が混ざれていないのが面白くない。
「……お腹空いた。またミヅキが差し入れを持ってこないかしら……」
小腹が空いてきて腹の虫が騒ぎ出す。
やけに気の利いたタイミングで夜食を運んでくるミヅキが今日は来ない。
アイアノアとの談笑に花が咲いて、エルトゥリンは蚊帳の外というわけだ。
今夜はそうした静かな夜のはずだった。
恐るべき魔の襲撃が開始されるそのときまでは。
「……ッ!」
エルトゥリンは顔をはたと上げた。
あまり感情を表さない彼女の長耳が、ぴんっと上にそそり立つ。
「……なに? この恐ろしい気配は……!?」
エルトゥリンが即座に振り向く方角は南西。
暗い草原の向こうから、生温かい風が勢いよく吹き込んでくる。
闇の地平線の彼方に感じるのは、無数の危険な気配だ。
邪悪なる敵意が一斉にこちらを向いている。
ダンッ……!! ビュオッ!
エルトゥリンは地を蹴り、真上に向かって跳び上がった。
重いハルバードを持ったままなのに、信じられないくらいの跳躍の高さだ。
夜風を切り、急速上昇して敵意が来るほうを見渡した。
「魔物の群れッ……!? あんなにたくさん……!」
そして、エルトゥリンはその目で見た。
南西、王都方面から迫る大きなうごめきを。
地を揺らし、鈍い音を響かせながら、黒い影の大集団がやってくる。
優れた視力、鋭い感覚が告げている。
あの大勢の黒い者たちの正体は魔物だ。
地表を埋め尽くすばかりに、真っ直ぐこちらへ向かってきていた。
「……あの目……! やはり、見逃す気はなかったのね……!」
アイアノアと同様、エルトゥリンも気付いた。
遙か遠く、イシュタール王城からずっとこちらを睨み付けている目の存在に。
あれは人間たちの都に巣くっている、とても邪悪な魔であった。
「姉様ぁっ、ミヅキィッ! 起きてるっ!?」
眼下の暗い地面にたき火の光を見つけ、空中でくるんと体勢を入れ替える。
ミヅキたちが休んでいる場所めがけて落下し、激しく地面に着地した。
「──敵襲よッ! 大量の魔物がここへ押し寄せて来てるッ!」
「な、何だって……!?」
「魔物の、群れ……? どうして……?!」
そうして、驚くミヅキとアイアノアに魔物の襲撃を報せたのだった。
状況は切迫している。
いつになく真剣なエルトゥリンの表情がそれを物語っていた。
ミヅキの中でも、地平の加護が危険を察知して騒いでいる。
「ミヅキ、これは普通のことじゃない。あんな数の魔物は見たことがないわ」
「ああ、こりゃやばいな……。俺の加護もすぐに逃げろって騒いでるよ」
お互いに窮地に陥っていることを共有し合う。
落ち着かず風に揺れるたき火の炎が、差し迫った何かを訴えているようだ。
「あ、あ……」
と、アイアノアは魔物が来る方向を見ながら気を動転させていた。
これは彼女にとって、あり得ないほどの誤算であったからだ。
──人間の城に居る魔物がどうして私たちを……? まさか、こんなところまで追い掛けてくるなんて思わなかった……!
あの恐ろしい目は、たまたま人間の城に居た何らかの魔物である。
イシュタール王都へ訪れたのは初めてだった。
自分たちとは何の関係も持たないはずであるのに──。
いいや、アイアノアにはそれよりも後ろめたいことがあった。
──どうしよう……! 私、魔物の気配に気付いていたのに、ミヅキ様に何も言えてない……! 黙っていていいことではなかったんだわ……。
「ミヅキ様っ、あ、あのっ! お話ししておきたいことがっ……」
堪らずアイアノアは、今更ながらもミヅキに打ち明けようとする。
魔の存在とその視線は、放置しておいていいものではなかったのだ。
「アイアノア、話は後だ! 今は一刻も早くこの場を離れよう! キッキ、オウカに乗ってくれ! トリスの街のほうへ向かうっ! ミルノッ、ほら立って!」
「う、うん、わかった!」
しかし、今はそれどころではなかった。
ミヅキは慌ただしくキッキに指示を出し、怖じ気づいたミルノを引っ張り起こしている。
のんびり話をしているような暇は無い。
「ミヅキ様……」
予期せぬ緊急事態に、アイアノアは何も言えなくなってしまった。
ミヅキもそんな彼女の変化に気付いてはあげられなかった。
「アイアノアも早く! オウカの前を太陽の加護で照らしてやってくれ! 月明かりだけで夜道を走るのは危険すぎる!」
「……はい、わかりました……」
この事態に至り、是非もない。
大量の魔物が押し寄せてくるこの場から、すぐにでも離れる必要があった。
急いでたき火の始末だけを済ませると、一同はすぐにコンテナ車に乗り込んだ。
アイアノアが呼び出した太陽の加護が行く先を照らし、オウカは一路北東に向かって地を駆けていく。
「キッキ、オウカ! 飛ばせ、追い付かれるぞっ!」
「もうっ、やってるよっ! オウカ、頑張って!」
ミヅキはコンテナの上に上がり、荒げた声をキッキに投げ掛けた。
返ってきた少女の声は焦っていて、必死にオウカを走らせている。
さっきまでの和やかなキャンプの様子は、もうどこにも見当たらなかった。
「なんなんですかこれは……? あんな数の魔物、見たことがない……。こんなの、まるで世界の終わりみたいじゃないですか……」
座席で頭を抱え、ミルノは恐怖に震えていた。
こんなことは全く経験に無かった。
トリスの街と王都間で、魔物に出くわすことはあったが規模が違いすぎる。
背後から追い掛けてくるのは、あまりに現実的な死の予感であった。
「強い竜のオウカを怖がらず、この荷物の魚が狙いって訳でもないよな……」
ミヅキは揺れるコンテナ車の上から後ろを見渡した。
魔物の目の赤い光が、立ち込める土煙の中に無数に光っている。
依然、魔物の集団は接近してきていて、大地の竜の存在感に怯むことなく、魚を奪って食べようとしている訳でもないだろう。
標的がミヅキたちなのは明白だった。
「……あれらは不死の魔物……。骸骨の騎馬たちですっ……!」
アイアノアが怖々として言った。
もう魔物たちは見える距離にまで迫っていて、その正体がはっきりとわかった。
人間の白骨死体に仮初めの命を与えられた怪物、スケルトン。
手に手に、剣や槍を持ち、鎧や兜を装備している個体も多く見られた。
そのスケルトンが騎乗する馬たちも、同様にアンデッドであった。
武装した骸骨の戦士が、骨の馬を駆って一斉突撃してくる。
「ミヅキっ、追いつかれるッ……!」
ミヅキの隣で後方を睨むエルトゥリンは強い口調で言った。
馬の最大時速は70キロメートルに達する。
普通の馬ならそんな速さをずっと維持できないが、不死の魔物と化したそいつらに常識は通用しないだろう。
このままではあと少しもしない内に追いつかれ、囲まれてしまう。
「アイアノア、俺にずっと触れててくれ! ひっきりなしに地平の加護を使う!」
「はいッ!」
アイアノアは答えると、ミヅキの手を取った。
互いの手が繋がり、体交法によって膨大な魔力が生み出される。
「みんな、スピードを上げるぞッ! 絶対に落ちるなよ!」
ミヅキの顔にざわっと回路模様の光が浮かび、ミスリルコートが輝いた。
空いた手で刀印を結び、地平の加護が発動する。
『対象選択・《大地の竜オウカ、及び冷凍コンテナ車》』
『効験付与・《アイアノアの風魔法、浮遊魔法、及び風滑走、及び気流の帳》』
びゅうッ……!!
ミヅキを中心に魔力が発散され、魔力は風に変わって魔法効果を発現させた。
浮遊魔法はオウカとコンテナ車を地面から浮かび上がらせ、重力を軽減する。
風滑走によって、気流が脚と車輪を包み込み、移動速度を数段上げた。
気流の帳は、ミヅキたち全体を覆い隠して防御力を高めた。
「ミヅキ様、凄いっ! これだけの種類の魔法を一度に使うなんてっ!」
「全部アイアノアのマネっこだ! いい魔法の先生に出会えて感謝だよ!」
持続する幾重もの魔法にアイアノアは感嘆する。
無尽蔵の魔力と地平の加護の並列処理なら、これくらいの重ね掛けは容易い。
ミヅキたちの逃走するスピードは上がった。
但し、これでようやく魔物と同じ程度の速さである。
追いつかれはしないが、振り切るのは無理そうだ。
「姉様、ミヅキ、ここをお願い」
エルトゥリンの決断は早い。
コンテナ車の縁へと、前へ迷いなく進んだ。
「私が打って出る。その間にどうにか逃げ切って」
自分がおとりになり、しんがりを務める。
あの不死の大軍団を引きつけ、その隙にミヅキたちを落ち延びさせる。
エルトゥリンは振り返らずに語り掛けた。
その相手は機動力の要、地竜のオウカだった。
「オウカ、いい? お前の大事な主人と荷物よ。しっかり守りなさい、前を向いて走ることだけを考えて。決して止まっては駄目よ」
オウカは雄叫びのような、ガアアッという咆哮をあげて応えた。
出会った当時、生物としての格の差を見せつけられ、服従するに至った。
そんな強いエルトゥリンに命じられ、オウカも覚悟が決まったようだ。
「うん、いい子ね」
エルトゥリンは頷くと、今度はミヅキに手のハルバードを投げてよこす。
軽々しい動作だが、彼女が愛用する長得物の重さは本物である。
「ミヅキ、預かっていて」
「うわっとと……!? エルトゥリンに限って、心配は無いと思うけど……。気をつけて行ってきてくれよっ!」
ひっくり返りそうになるのをこらえ、ハルバードを何とか受け取った。
そんなミヅキの言葉に、エルトゥリンは黙って頷く。
「──星形成、光輝天体」
そのまま彼女は、無造作に走行中のコンテナ車から飛び降り──。
風を受けながら、空中で星の加護を解放するのであった。
ごおぉッ……!!
遠ざかるミヅキたちを背にし、エルトゥリンは全身から闘気を放った。
星の加護が戦闘時に見せる、銀河色のオーラである。
光の尾を引き、破壊の流星となったエルトゥリンは空を駆け抜けた。
真っ直ぐ敵集団に向かっていく。
「吹き飛べッ!」
ビカッ……!!
肩まで伸びた髪の毛、その前髪の隙間から覗く青い目が光った。
眼球をレンズ代わりにして、星の加護の破壊力を撃ち出す。
大出力の生体レーザー砲、──星明かり。
放たれた光線が地平線に並ぶ騎馬たちを薙ぎ払う。
次々と弾き飛ばされた魔物が宙を舞い、集団の前列は粉砕された。
ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガァッ……!!
断続的に巻き起こる爆発に次ぐ爆発。
光と轟音が続き、バラバラになるスケルトンの破片が、土砂と混ざって平原に散乱していった。
どどどどどどどどどッ……!!
後から続く騎馬たちがもうもうとした土煙を突き破り、同胞の残骸を踏みしだきながら突撃してくる。
圧倒的な破壊力で出鼻を挫かれようと、不死の魔物は全く怯まない。
「一匹も行かせないッ! お前たちの相手はこの私よッ!!」
雄々しく叫んだエルトゥリンは、たった一人で魔物の群れを相手取る。
正面に向かって、空中に無数に生み出した光弾、星屑撃ちを連打する。
左右から抜けようとする集団には、広域に拡大したバリアー、星風を衝撃波のように押し出してぶつけた。
「姉様、ミヅキ、どうかみんな無事で……!」
なお迫り来るスケルトンライダーたちと、エルトゥリンは直接的に激突した。
彼女もまた、戦火の喧騒に飲み込まれて姿が見えなくなる。
大切な姉と、ミヅキたち仲間を逃がすため、敵陣に身を投じたのであった。




