第291話 アイアノアと月の下で2
たき火を囲み、静かな夜の語らいは続いている。
満月の下で、ミヅキとアイアノアは言葉を交わす。
「……そういえばさ、あの騎士団長のことで思ったんだけど……。アイアノアってやっぱりああいうイケメン、ああいや、美形で男前の顔が良かったりする……?」
「えっ? それはどういうことでしょうか?」
口から飛び出した問いは、自分でも不本意なものであった。
王都で散々言われてきたのをミヅキも気にしていたようである。
「俺はエルフに見えないくらい不細工らしいし、一緒にいて恥ずかしい思いをさせてたら申し訳なくてね……」
少しの間、きょとんとしていたアイアノアだったが、ミヅキの申し訳なさそうな顔を見ている内にくすくすと笑い出した。
「いやですもうっ。ミヅキ様ったらそのようなことを気にしてらっしゃったのですか? 今までミヅキ様と一緒にいて、恥ずかしいなどと思ったことは一度たりともありませんともっ。くすくすっ……」
アイアノアはおかしそうに吹き出した。
と、何か思い出して口許に手を当ててはっとする。
「あっ! ですけど、神交法をしたときは恥ずかしかったです……。公衆の面前であのようなはしたない大声をあげてしまうのは身の置き所がなく……」
「あぁ、それはごめん……。俺もまさかあんなことになるとは思わなくて……」
今回、三巡目の異世界転移から本格的に採用された秘術、神交法。
魂の相性が抜群のアイアノアと交わす内丹術は極めて効果が高く、お互いの心地よさは天にも昇るほど快活だった。
これにはアイアノアはたまらなかった。
身も心も高め上げられ、とろけさせられ、痴態を晒してしまったものである。
恥ずかしさも半分こしよう、とはミヅキの言った台詞であった。
「ともかくです。私はミヅキ様に不満などありません。見た目や種族、生まれ育ちよりも、人となりが大切だと仰ったのは他ならぬミヅキ様ではありませんか」
「そ、それはそうだけどさ……」
話は戻り、弱るミヅキの顔を見て、アイアノアはまたころころ笑う。
「おかしなミヅキ様っ。種族間の不仲は気にされないのに、見た目の善し悪しにはこだわられるのですねっ。私がミヅキ様の容姿を気にして恥ずかしがっているなどと。そんなことを心配していたなんて思いもよりませんでした」
「あれだけこき下ろされたら俺だってちょっとは気にするって……」
「そのうえ、私が勇者様にひどい目に遭わされるだなんて、ありもしない出来事に心を悩ませておられるのですからっ。本当に心配性ですね、ミヅキ様は。うふふ、あはははっ……!」
「わ、笑わないでくれよ……。これでも少しは、みんなが嫌な思いをしなくて済むように考えてるつもりなんだ……」
「はい、もう笑いません。ご配慮痛み入ります。どうかお許し下さいまし」
「うぅむ……。アイアノアにからかわれちまった……。まぁ、憧れのエルフの女の子に笑われるのも、異世界に来た記念の一つかなぁ……」
弱り顔のミヅキは、言われて確かに心配性過ぎかもと肩を落とした。
幼少の頃から、幼馴染みの朝陽を過保護にお世話してきたことを思い出す。
何をするにも朝陽の心配ばかりしていた弊害が性格に出ているようだ。
苦笑いするミヅキを見つめてアイアノアは朗らかに言った。
「うふふっ、申し訳ありません。ミヅキ様とお喋りするのが楽しくってつい……。それにしても次から次へと、話題が事欠きませんね。このまま夜明けまででもお話していられそうです」
「ああ本当だ。言われてみれば話が全然途切れてないや。俺もアイアノアと話すの楽しいよ。それこそ俺の長年の夢だったんだ。エルフの女の子とお近づきになりたかったってのはさっ!」
それはミヅキの宿願だったのは間違いない。
が、何も誰でも良かった訳ではない。
アイアノアに言われた通り、彼女とのお喋りには終わりが見えなさそうだ。
神交法での魂の相性が良い、というのはきっと本当なのだろう。
「それは良かったです。私も、使命の勇者様と懇意になりたいと願っていました。……同じですね、ミヅキ様のお気持ちと」
「えっ? あ、あぁ、うん……。それは、嬉しい……」
たき火に照らされるアイアノアの微笑みがミヅキを見つめている。
美しい顔が火照って見えるのは気のせいではない。
「ミヅキ様、私知ってます。会話が尽きない男女はとても相性が良いらしいですよ。片肘を張らずにお話しできて、安心してほっとしてしまう。……私は今、そう感じておりますが……。ミヅキ様は、いかがですか……?」
「ア、アイアノア……。そっ、それは……」
「ミヅキ様のお気持ちを、私は知りたいです……」
「……うぅ」
言葉に詰まったミヅキは、純情な少年みたいに顔を赤くしていた。
幻想の象徴エルフに、幻想的に見つめられて心臓がドキドキ高鳴った。
途切れなかった会話は、ここで初めて途切れてしまった。
アイアノアのうっとりした目はどう見ても恋する乙女のものだ。
ミルノが言ったように、本当に好意を向けられているのかもしれない。
いくら鈍感なミヅキでも、さすがに気付きそうではあったが──。
「……んぅー。ミヅキ、さっきからうるさい……」
膝の上で眠っていたキッキが不機嫌そうな声をあげた。
猫の耳をぱたぱたっとせわしなく動かしている。
「あ、悪いキッキ、起こしちゃったか。ってなんだよ、ミルノも起きてたのかっ」
「……すみません。何だか良い雰囲気でしたので、お邪魔しちゃ悪いかなぁって」
アイアノアとの話し声でキッキは目が覚めてしまったようだ。
ミルノに至っては途中から起きていて、邪魔をしないように寝たふりをしていたのだという。
おせっかいな気を回され、ミヅキはまた取り乱す。
「お、お邪魔って何だよっ? 変な気を遣うなって!」
「ミヅキッ、うるさいったら!」
思わずまた大声をあげたものだから、キッキのイライラに火がついてしまう。
まくら代わりにしていたミヅキの太ももに力いっぱい噛みついた。
がぶうっ!
「ぎにゃあああああっ!?」
ミヅキは悲鳴をあげ、たまらず後ろ向きにひっくり返ってしまった。
キッキは噛みついた口を離してくれず、ぎゃあぎゃあと騒ぎに収拾がつかない。
ミルノがなだめようとするが、寝ぼけたキッキの獰猛さは収まらなかった。
「……うふふっ」
明るい雰囲気は絶えない。
ミヅキたちが織りなす和やかさに、アイアノアは安らぎの笑みを浮かべていた。
──選ばれし勇者が、ミヅキ様で本当に良かった……。
彼女の胸を満たすのは、今ここにある安心であった。
長らくの間、きつく張り詰めていたアイアノアの心は和らいでいる。
それをもたらしてくれたのは、間違いなくミヅキの存在であった。
そして、アイアノアは思い出している。
ずっとそばで見てきたミヅキという人間の人となりを。
──命の恩人のパメラさんのために借金返済を果たされて……。無理がたたっていたキッキさんの気持ちを受け止められて……。キャスさんとは昔来の友人のように、種族差を感じさせず話しておられて……。ミルノさんとは一緒になって料理に興じられて……。オウカの世話だって忘れずにご自分でされていた……。
ミヅキの行動を、アイアノアはそうして見つめてきた。
周囲へ気を配り、皆が嫌な気持ちにならないようにフォローして回っている。
地平の加護のお陰とはいえ、ミヅキは相手の変化を決して見逃さず、一度言ったことをしっかりと覚えている。
アイアノアにとって、ミヅキはさぞやマメな男性だと映ったことだろう。
──我が妹ながら、あの気難しいエルトゥリンに親しく接してくれるのはミヅキ様だけかもしれないわ……。一人で見張りに立ってるエルトゥリンに、食べ物の差し入れをされていた気遣いにはちょっと感動しちゃった……。
アイアノアにとって、エルトゥリンは掛け替えのない大切な妹である。
しかし、その妹は人付き合いが上手ではなく、誤解を受けやすい性格だ。
姉である自分の言うことを聞いてもらえず、手に負えない時だってある。
そんな妹を相手に──。
エルフ好きだと豪語して、他ならぬ人間なのにエルトゥリンと仲良くしてくれるミヅキには本当に助かっていて、本当にありがたく思っていた。
──それに、何よりも……。
アイアノアは思い出していた。
あれは、イシュタール王都に着いてすぐのことだった。
──不用意にこの耳を隠したことが裏目に出て、私の正体がばれそうになった。どうしていいかわからず、乱暴な手段に出ようとした私を──。ミヅキ様はかばって下さった。それもあのような、私のこの心を鷲掴みにする方法で……。
賢しい人間たちはエルフを正しく警戒していた。
長い耳を隠したくらいでは誤魔化しきれないほどだった。
エルフであるのを見破られれば検問所を抜けられず、自分のせいで迷惑を掛けてしまう大ピンチに陥ったのだ。
しかし、そんな危機は機転を利かしたミヅキの行動で見事に回避された。
──肩を抱き寄せられた感触は克明に覚えているわ……。ミヅキ様のお優しい手に触れられ、身体に密着したあの感じ……。ああ、ぞくぞくしちゃう……。
あの出来事を、アイアノアは長い生涯きっと忘れることはないだろう。
そして、そのときに人間の検問官が言った言葉も彼女の心を揺さぶっていた。
すぐ後に即答したミヅキの言葉も同様だ。
『──失礼、このお嬢さんは君の恋人か奥さんかね?』
『はい! そうなれたらいいなって思ってる大事なひとです!』
検問所を抜け、ミヅキから演技だったと釈明はあったが、アイアノアは騒ぐ気持ちを抑えきれないでいた。
ミヅキの言葉と態度が刻みつけられ、神交法が暴発してしまったほどに。
アイアノアは、強く強くイメージをしたのだ。
ミヅキと結婚して夫婦となり、その死を看取るまで伴侶として過ごす将来を。
──本当に、ミヅキ様に娶って頂くのもいいのかも……。人間が相手でも、ミヅキ様とならうまくやっていける気がする……。ミヅキ様とならば、幸せな未来を思い浮かべることができる……。
「ふわぁんっ! 私ったらぁ、もうっ……」
我ながら恥ずかしい想像に、アイアノアは顔を両手で覆ってしまう。
使命を果たすために旅に出たのである。
誰かにお嫁にもらわれるためではない。
なのに、頬が緩むのを止められない。
冒険者の旅を彷彿させる王都への出向はもうすぐ終わる。
パンドラの地下迷宮の踏破はまだまだ道半ばだ。
伝説のダンジョンの底に至り、フィニスとの決着を付けなくてはならない。
「……」
でも、今は──。
月の下で火を囲み、団らんのひとときを楽しむとしよう。
笑顔が絶えないミヅキたちを見て、アイアノアはそう思った。
手を下ろした顔には、安堵が満ち満ちているのであった。
「──えっ……?!」
しかし──。
夜のしじまは唐突にやぶられる。
今の今まで穏やかにしていたのに、アイアノアははたと顔を上げた。
夜の闇空が視界に広がる。
ざわぁっ……!!
「キャッ!?」
「わぁっ、急に風が……?」
不意に生温かい風が強く吹いた。
じゃれ合っていたミヅキとキッキも何事かと身体を起こした。
ボッ、ボオッ、とたき火の炎が激しく揺らめいている。
和気あいあいとしていた雰囲気はもうどこにもなく、ぴんと張り詰めた緊張が夜の闇に広がっていた。
身体を駆け上がってくるのは悪寒だ。
周囲の暗さが急に恐ろしくなる。
「……ひっ、ひぃ……?!」
アイアノアはあらぬ方向に首を向け、ひきつった悲鳴を漏らしていた。
見ているのは南西の方角──。
そんなことはあり得ない。
もう遠く遠く離れて、トリスの街へと帰る途中なのだ。
ここからイシュタール王都を確認することなど絶対に不可能だ。
ギロリ……!
なのに、アイアノアは確かに感じていた。
遙か遠く離れた人間たちの城から向けられる、「目」の視線を。
『姉様、何か良くない気配を感じる。……あの城からよ』
『……私たち、ずっと見られていたわ。姉様なら気付いてると思ってたけど』
エルトゥリンの言葉と共に思い出した。
イシュタール王城、その尖塔の上からずっと見られていたことを。
血走った巨大な眼球に、身の毛もよだつ視線を向けられていたことを。
アイアノアは震えながら戦慄していた。
「そ、そんな馬鹿な……。人間の城から、まだ私たちを見ていたというの……」
とてつもなく恐ろしい魔物の気配。
その悪意がこちらを凝視している。
距離など関係無い。
禍々しき魔は、王都を出たとて逃がしてはくれていなかったのである。
「姉様ぁっ、ミヅキィッ! 起きてるっ!?」
エルトゥリンの緊迫した声が空からやってきた。
風でまくれ上がる衣服に構わず、高い上空から降ってきて地上に着地する。
すぐ立ち上がり、ハルバードの石突きをどんと立てる。
そして、彼女にしては珍しく緊迫した声で言った。
「──敵襲よッ! 大量の魔物がここへ押し寄せて来てるッ!」




