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第279話 アイアノアの気持ち


「ふう、ひやひやしましたね……。それにしてもミヅキさん、名演技でした。迫真に迫ってましたよ」


「ミルノこそ上手く合わせてくれて助かったよ。こんなことでつまずいてる訳にはいかないからな」


 城壁の下をくぐり、王都の街へ入ったところでミルノとミヅキは一息をついた。

 賑やかな街に視線をやりながら検問所でのやり取りを思い返す。

 なかなかに危機一髪な状況であったのは言うまでもない。


「検問官のカーツさん。悪い人ではないんですけどね。奥さんと娘さんを大事にされてるいいお父さんですよ。……人間至上主義ってだけで」


 厄介な役人、というだけでなく、ミルノはカーツの事情に精通していた。

 人間以外の種族を良く思っていないのが玉にキズ、と。


 いや、検問に当たる役人の情報ならば例外なく押さえているのである。

 通用する相手ならこっそりとそでの下を渡すことも手段の内だった。


「僕ら獣人はまだましなんですけど、エルフやドワーフといった亜人の方々を随分と嫌ってるみたいで……」


「ともかく助かったよ。ミルノがあの検問官のこと調べてくれてなきゃ、すぐに手が打てなかったもんな。女性を大事にしてるっていう情報は値千金あたいせんきんだったよ」


 ミヅキは安堵の表情で胸を撫で下ろし、頼れる同行者の肩をぽんと叩いた。


 カーツを納得させるには女性を大事にする態度が必要だった。

 半分はミヅキの機転と思いつきだったが、アイアノアの正体を暴かせないためには本気で親しい仲であることを見せつける必要があったのである。


「いえいえ、これも円滑な商売のためです。王都と付き合うのなら、数いる検問官の素性くらいは知っておきませんとね。ギルダーの旦那の教えの賜物たまものです」


 ミルノは爽やかな笑顔で言ったが、この好青年の顔の裏には世渡り上手な一面があるとミヅキは舌を巻いた。

 勇者にしておくのはもったいないとはミルノの言葉だったが、ミルノのほうこそ料理人の枠に収まらず、商人の才能があるのではと思わずにいられない。


「……ふぅーっ……! あぁもう、イライラする……!」


 と、今の今までずっとおとなしくしていたエルトゥリンが、不機嫌そうに腕組みをして憎まれ口をたたき始める。

 隠されて見えないはずの長い耳が、いきり立って見えるようだった。


「あの人間め、姉様のことをじろじろと見ていやらしいッ! でも、姉様の美しさがわかるなんて見る目だけはあるようね。ミヅキとミルノに免じて、特別に許しておいてあげるわ」


 大事な姉をピンチに追い込まれて腹の虫が治まらない様子だったが、ミルノの情報とミヅキの機転に怒りが爆発することはなかった。


 エルトゥリンこそよく黙って抑えていてくれたものである。

 暴走し掛けたアイアノアとは違って、やはり冷静に状況を判断できるようだ。


 彼女を優れた調整人バランサーだと評するミヅキは頬を緩めて笑っていた。


「疑われたのがエルトゥリンじゃなくて良かったよ。……前に同じことして、綺麗に投げ飛ばされたことあるしな」


「あ、あれはっ、ミヅキの触り方がいやらしかったからよ……。いくら私でもさっきみたいな状況なら我慢するわよ……」


 からかい気味に言うと、エルトゥリンは口を尖らせてそっぽを向いた。

 以前、調子に乗って仲良しアピールをしようと彼女の肩を抱いたせいで、あっけなく投げ飛ばされた苦い思い出があるが、あれはミヅキの自業自得だ。


「ともかく、美しすぎてエルフだと疑われるだなんて、さすがはアイアノアだなぁ。なんだか俺も鼻が高いよ」


「……えっ? えぇっ?!」


 羞恥に縮こまっていたアイアノアは、またミヅキに見つめられて慌てていた。

 同席のミルノとオウカの背のキッキも、恥じらう乙女エルフを見つめていた。


「本当ですね。美しさが理由で疑われるとは思いもよりませんでしたよ」


「アイ姉さん、本気で綺麗なんだもん。しょうがないと言えばしょうがないよね」


 皆に褒めそやされ、普段は自分の容姿など気にしていないアイアノアもこのときばかりは他人の目を意識してしまうのであった。


「い、いやですもうっ! 皆様、からかわないで下さいましっ! うう、耳を隠したことがこんな風に裏目に出てしまうなんて……。はぁ、エルフを正しく警戒している……。やはり人間は賢い種族ですね」


 身の置き所をなくし、アイアノアは肩をすくめてため息を漏らした。


 ミヅキのお陰で助かったものの、人間を甘く見ていたのは落ち度でしかない。

 魔法で乱暴に解決しようとしたなんて、口が裂けても言えそうになかった。


 個々の力は小さくとも、優秀な者に統率されて動く大勢の人間は脅威である。

 先ほどのようにカーツに正体を見抜かれ、従えている衛兵に囲まれれば万事休すだったに違いない。


 亜人の連合軍を相手に、一種族のみで戦争を成立させていた強さは本物なのだ。

 やはりこの世界の人間は、エルフにとっての天敵なのである。


「しっかしわからんなぁ。この国の人間はエルフをどういう風に思ってるんだ? 街に入るだけであの騒ぎかよ。こんなに綺麗で可愛いだけなのにさ!」


 但し、この世界の常識に疎いミヅキは憤っていた。

 理想のエルフ像だと信じて疑わないアイアノアが毛嫌いされている現状が本当に気に入らない。


 だから、また慌て出す彼女に向かって、本心からのあけすけな言葉を吐き出してしまうのであった。


「えぇっ……? ミ、ミヅキ様ぁ、おふざけはもうその辺に……」


「ふざけてなんかないよ! アイアノアが俺の理想だっていうのは本当だからな! 一生近くで眺めていたって飽きない自信があるッ!」


 あくまでエルフの美女を思っての意思表明ではあるが、力強く言い切ったミヅキはいつも通りの言葉足らずである。


 ミヅキの無類なエルフ好きを理解しているつもりのアイアノアだったが、守ってもらった胸の高まりが収まらない今はそんなことを言われるのは堪らなかった。


「……へっ? はっ?! 理想……? 一生近くで……!? ミ、ミミッ、ミヅキ様ったらっ……! そんなのっ、そんなことを言われたらぁっ……!」


 もうそれは、アイアノアの心の許容をはるかに越える言葉であった。

 顔や身体だけに留まらず、感情の全てが興奮に打ち震えている。

 せっかく最近ではこの昂ぶる感覚にも慣れてきたところだったのに。


「あっ、あっ! きちゃうっ! こんな街中なのに、私またっ! 魔力があふれ出ておかしくなっちゃうーっ! ふわああああぁぁぁーんっ……!」


 その気は無かったのに、ミヅキの目を見ていれば強制的に発動してしまう房中術の奥義、神交法の奇跡。

 溢れる気持ちは限界を突破して、アイアノアの目にはすっかりハートの光が浮かび上がっていた。


「へっ? ──うっぶうッ……!?」


 アイアノアの色っぽい叫びと共に、風の魔力が集束された両手がミヅキに向かって突き出される。


 どっすぅっ!


 振り返り気味の不安定な姿勢のミヅキの胸に、彼女の両掌底突きがまともに炸裂し、コンテナ車の座席から易々と吹っ飛ばされてしまった。

 ミヅキの身体が宙を舞う。


「ちょっとッ! 姉様、こんなところで変な声あげないでったらっ! ミヅキも何を考えてるの! 時と場所を考えなさいっ!」


「ご、ごめん……。助かったよ、エルトゥリン……」


 車から叩き落とされ、一歩間違えば大怪我で済まない事態になりかねないところだったが、目にも止まらない動きのエルトゥリンが先回りして受け止めてくれた。

 おかげでミヅキは九死に一生を得るのであった。


「あー、何でもないですよー! ちょっとした痴話ちわげんかでーす!」


「いつものことだそうなので気にされないで下さーい!」


 何事かと足を止める街の人々をごまかすキッキとミルノの声が耳に痛い。


 座席に座り直したミヅキはアイアノアの回復魔法を受けていた。

 神交法で無駄に効果が高い風の癒やしを受けながら、気まずい雰囲気を味わう。


「うううぅ、またしても申し訳ありませぇん……。こうして自らミヅキ様を傷つけ、癒やして差し上げるのは何度目になるでしょう……」


「だ、大丈夫、気にしないで……。アイアノアの魔法はよく効くからね……」


 隠していなければ、その長い耳はきっとしおれているだろう。

 アイアノアは沈んだ顔をしてミヅキの顔を直接見られない。


 心の修行が足りず、神交法で乱れてしまうのは自分の至らなさだ。

 ただ、自分だけこんな風になって、けろっとしているミヅキが面白くない。

 今だって、ミヅキの側にも神交法の効果は及んだはずなのに。


「ミヅキ様は神交法を行われて何ともないのですか? 私はこんなにも取り乱してしまうというのに……。こんな都会の公衆の面前で、あんなはしたない声をあげてしまうだなんて……。もうっ、全部ミヅキ様のせいですからねっ!」


「ごめん、悪かったよ……。俺とアイアノア、どっちかの気持ちが昂ぶると神交法が勝手に発動しちゃうみたいだな……」


 半泣きな表情でぷりぷり怒るアイアノアと、たははと力無く笑うミヅキ。

 うーん、と唸ってから、ミヅキは真面目な感じで所感を述べる。


「俺だって、初めはアイアノアとするのはドキドキしてたけど、今はもう安心して胸が温かくなるんだ。何だかまるで家族にでもなったみたいな感じなのかな。当たり前の距離感だから平気なのかもしれないよ」


 エルトゥリンと手合わせした夜、唇同士を触れ合わせた体交法もそうだった。


 あれから、ミヅキは内丹ないたんの反動に順応し始めている。

 アイアノアとの神交法に馴染むのを、そんな風に例えられるくらいに。


 但し、そんな台詞を平然と言われてしまい、アイアノアはまた堪らない気持ちに駆られる。


「あ、当たり前にもう家族だなんてそんなぁっ! ミヅキ様ったら、またそのようなことをっ……! わ、私っ、とっても恥ずかしいですっ……」


 赤らんだ顔の色と、心臓の動悸がずっと収まらない。

 アイアノアは自分でも、どうしてこんなに気持ちが騒ぐのかわからなかった。


──ああ、ミヅキ様のお言葉にまた心乱されてしまう……。私のことを理想の女性だなんて仰るし、一生近くで眺めていたいなどと……。ああもうっ、胸のドキドキが止まらないっ……。ミヅキ様、私を恋人にしたいのかしたくないのかどちらなのですか……?


 多分おそらく十中八九。

 ミヅキはきっと自分のことを好きなのだろう、とアイアノアは思った。


──エルフと人間の関係以前に、私たちは未婚の男女であるのにぃ……! ミヅキ様ったら節操なさ過ぎですっ! 物には順序というものがあって然るべきですよ?


 恋愛をしたことのない彼女だったが、ミヅキが節操無しなのはよくわかる。

 そのうえ勘違いと妄想に走りがちなのだから、そんな風に思うのも仕方がない。


──婚姻どころか恋人の関係にもなっていないというのに、すでに私を家族扱いするだなんて色々とすっ飛ばしすぎですぅっ! それではもう私はミヅキ様の妻、ということではありませんかぁっ!


 家族は家族でも、自分のことを姉か妹、はたまた母だと思わないのはアイアノアの思い込みである。


──でも、家族か……。そう思ってもらえるのは嬉しい、かも……。


 それでも、この胸を満たしてくれる温かい気持ちに嘘偽りは無かった。

 両親を早くに亡くし、唯一の肉親の祖母とも情薄い関係だったため尚更に。


「……ミヅキ様っ」


「ん? なに?」


 火照ほてった顔はまだそのままで。

 アイアノアはミヅキを真っ直ぐ見つめ、両手を膝上に深く頭を下げた。

 それは、まだ言えていなかった感謝の言葉と気持ちである。


「先ほどは守って頂き、ありがとうございました。本当に嬉しかったです」


「えっ……? あ、ああ、何事も無くて良かったよ……」


 眩しいくらいの可愛らしい微笑みに、さしもの鈍感ミヅキもドキッとした。


 さっきの検問所でのやり取りは演技のつもりだったものの──。

 アイアノアにとっては、ピンチを助けてもらったことに変わりないのである。


「……アイアノアも、エルトゥリンも……。今まで色々ときっつい目に遭ってきただろうからね。あのくらいのことはやらせてくれよ」


「はい、是非に。これからもよろしくお願い致しますっ」


 照れ笑うミヅキの言葉に、アイアノアは笑顔で明るく答えた。


 今回の一件で、彼女との仲はさらに仲良しこよしな関係になるだろう。

 それはきっと喜ばしいことに違いないのだろうが。


「……」


 ミヅキは黙ってアイアノアの笑顔を見ていた。

 笑顔の奥に儚い何かを感じていたからだ。


 彼女に対して、何かをしてあげようと思ったのは、何もエルフが好きすぎるからというだけの理由ではない。


 アイアノアの肩を抱いて密着していたあのとき。

 ミヅキは地平の加護の力で、逆流する記憶の断片を垣間見ていた。


 エルフの、人間に対する嫌悪の感情と共に。


『騙したのですねっ! 私たちをどうするつもりなのですかっ!?』


 それはアイアノアとエルトゥリンがトリスの街に来て間もない頃である。

 使命の勇者を探す二人を騙し、さらおうとしたごろつきとの記憶。


 魔物に負けないほど粗野そや野卑やひな人間の男たちは、エルフ美女の二人をなめ回すような視線で値踏みしていた。

 結果、ごろつきはエルトゥリンによってこっぴどく撃退されてしまう。


『そんなっ、出て行けだなんてひどいですっ! 料金はちゃんと支払っています! 私たちは一方的に絡まれただけでっ!』


 今度はアイアノアがとある宿の店主に向かって叫んでいた。

 もちろん、パメラの冒険者と山猫亭とは別の宿屋である。


 さらわれそうになった被害者はこちらなのに、騒ぎを起こしたエルフとは関わりたくないと、人間の店主に宿を追い出されてしまった。


『エルトゥリン……。本当だったね、私たちエルフが嫌われてるって……』


 仕方なくトリスの街近くの森で、野宿をする羽目になるアイアノアたち。

 膝を抱えて座り、たき火を見つめる彼女のぼんやりした目は悲しげだった。


『領主様には今日会って頂けると了承を頂きましたっ! 里からの親書を届けにきたのですっ! 急に会えないなんてどういうことですかっ?!』


 そのうえさらに、エルフであることの弊害へいがいを受けることになった。


 湖畔こはんに浮かぶ領主の城での出来事。

 城へと続く橋の上で、執事らしい初老な人間の男に門前払いをくらってしまう。


『ここはあなた方のような亜人が立ち入っていい場所ではありません。特にあなた方には昨晩のように暴れられては堪りません。書状は私が届けておきますので、どうかこのままお引き取りを』


 トリスの街を騒がした話は、当然領主の耳にも入っていた。

 暴力に訴えたことは得策ではなかったとはいえ、あのままおとなしくしていてはどんな酷い目に遭わされていたかわからない。


 それなのに、正当防衛が認められることは決してなかったのである。

 とぼとぼと追い返され、領主の城を後にするアイアノアは言った。


『私、負けない……! きっと勇者様を見つけて、使命を果たしてみせる……! こんな運命なんかに、絶対にくじけたりしないんだからっ……!』


 そう強く決意の雄叫びをあげる彼女の目には、うっすら涙が浮かんでいた。


 アイアノアは強いエルフの女性だった。

 だけど、傷付かない訳ではないのだ。


『本当にごめん! 色々助けてもらって悪いんだけど、俺は一緒には行けないよ。そもそも俺が勇者だなんてさ、やっぱり何かの間違いだよ……』


 最後に思い出したのはミヅキ自身がアイアノアに言った言葉だった。


 異世界転移など認められず、大いなる使命をけんもほろろに断ったときのこと。

 あのときはエルフと人間の仲が悪いなんて知らなかった。

 アイアノアとエルトゥリンが苦労をして、自分に会いに来たと知らなかった。


 今更ながら罪悪感に胸がずきずきと痛い。


「……俺の使命とは関係無く、二人には優しくしよう……。俺が頑張って、二人が辛い目に遭わなくて済むんなら、できるだけ力になってあげよう……」


 いつの間にか、地平の加護による記憶の想起は終わっていて、王都の街の賑やかな景色が目に映っている。

 石畳の上を行くコンテナ車が身体を揺らしていた。

 ミヅキはぼんやりした頭で思う。


 この異世界の事情に深く関わるにつれ、仲間であるエルフの二人──。

 アイアノアとエルトゥリンに、同情の気持ちを抱かずにはいられなかった。



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