第267話 秘めたる姉妹愛2
エルトゥリンはアイアノアへの想いを赤裸々に吐露する。
恩人である姉に報いるのが、果たすべき使命よりも重大だと言い換えていいほどであった。
「エルトゥリンにとって、アイアノアが勇者様なんだな」
「うん、姉様こそ私の勇者よ」
ミヅキが言うと、エルトゥリンは即答した。
勇者であり、白馬の王子様は他の誰でもなく、姉のアイアノアなのだと。
「……だから、そのっ、あのねっ……!」
と、そこまで凜々しい表情だったエルトゥリンが、急にしどろもどろになる。
打って変わり、眉をひそめた困り顔でミヅキを見つめていた。
「い、今の話とは全っ然関係ないけどっ……! ミヅキがおぼれたときに、その、私がしたことは、姉様には言わないで……。お願いよ……」
やけに強調した前置きの後、エルトゥリンは必死にお願いしてきた。
確かあのとき、アイアノアはミヅキの元になかなか辿り着けずにいたので、エルトゥリンがどういう方法で助けたのかを知らない。
「お、男に口づけするのなんて……。初めてだったの……」
震える声で言いながら、恥ずかしさに顔を赤らめていく。
薄暗い部屋なのにその紅潮する具合が見て取れるくらいだ。
「あんなことをしたのを姉様に知られたら……。私、私……」
熟した果実みたいな顔を両手で隠すエルトゥリンの様子は可愛らしい。
クールで強いイメージしかない彼女だから、こんな女の子な一面を見せるのは相当なことなのだろう。
「わ、わかった……。アイアノアには黙ってる」
ミヅキは驚き、戸惑いながらそう答えた。
人工呼吸の蘇生法をキスと判断していいものか悩んだが、思い掛けずエルトゥリンの初めての相手になってしまって、何だか申し訳ない気持ちになる。
だから、そうした姉への想いを理解しているつもりのミヅキは恐縮して言った。
途端、エルトゥリンは大変に慌てふためいてしまうのである。
「……あと、悪かったよ。アイアノアと仲良くしすぎてヤキモチ焼かせたよな。人目を憚らずべたべたしてごめん。エルトゥリンの大事な姉さんを取ろうなんて思ってないから安心してくれよ」
「や、ヤキモチっ!? 私から姉様を取るっ!? なっ、何を言ってるのっ!? 私と姉様はそんなんじゃないんだからっ! 変な勘違いしないでッ……!」
「隠さなくてもいいって。エルトゥリンがアイアノアを好きなのは、家族だからっていうだけじゃなくて──」
「かっ、勘違いしないでって言ってるでしょっ! 私と姉様は実の姉妹で、女同士なのよっ!? この好きの気持ちはミヅキの思ってるようなのとは違うッ……! 違うったら違うのっ!」
顔を真っ赤にして立ち上がったエルトゥリンは、反発やら恥ずかしさがごっちゃになってまくし立てていた。
何ともわかりやすい反応だったものの、姉への気持ちを秘めておきたいのは見ていて凄く伝わってきた。
これ以上、エルトゥリンの心をつつくのは野暮が過ぎるというものだった。
「わかったよ、落ち着けってば……。ただそれでも、俺にはアイアノアの協力が必要不可欠なんだ。もちろんエルトゥリンにも助けてもらわなくちゃならない」
「……ハァ、ハァ……。そうね、そこに異論はないわ……。私も姉様も、ミヅキを助けて使命を果たす」
これまでもこれからも、ミヅキが二人に求めるものは変わらない。
使命という共通の目的があるのだから、エルトゥリンだって気持ちは同じだ。
今夜の特訓はちょっとしたトラブルがあったものの、これでお開きだ。
改めて、ミヅキは荒い息をついているエルトゥリンに言った。
「まあともあれ、エルトゥリン。おぼれた俺を助けてくれてありがとう! 使命の前に特訓でおだぶつしてちゃたまらんからな……」
「ミヅキって泳げないのね。何でもできそうなのに意外な弱点があったものだわ」
「水は苦手なんだ……。子供の頃におぼれたことがあってさ。それからどうにも泳げなくなっちまった」
「そうなの、覚えとく。いざとなったらまた私が助けてあげる」
もういつもな感じに戻っているエルトゥリンは頷いて答えた。
次にミヅキがおぼれそうになったのなら、今度は人工呼吸が必要となる前に迅速な救助をしてくれるに違いない。
「おまけに力を使い果たして動けなかった……。あのときの一撃が俺の全てだったんだけど、エルトゥリンには全く歯が立たなかったなぁ」
「ううん、あれはかなり良かった。一瞬だけど星の加護が反応したんだもの。あれくらいの気迫と強さを、ずっと出していてくれれば戦いにだってなると思う」
そして、やはり半ばで頓挫してしまった星の加護への挑戦。
まとまりの無い力技だったが、特質概念の総動員が今できうる最高の力なのだ。
あれを常に発揮し続けなければ、星の加護の相手は到底務まらない。
「やれやれだ……。今の俺じゃあ命が幾つあっても足りそうにない。こりゃ当分の間は星の加護の洞察を完了させるのは無理だな……」
『星の加護の洞察、また失敗・引き続き、地平の加護本体の強化が必要……』
ぼやくミヅキの中で、雛月の沈んだ声が聞こえた気がした。
「へへっ」
苦笑いしつつも、何故か言うほど気分は悪くない。
憧れのエルフ姉妹の過去を教えてもらえて、さらに仲良くなれたと感じたから。
「さぁ、下で夕飯にしようぜ。お腹空いただろ? アイアノアも待ってるぞ」
「うん、わかった。……実はもうお腹ぺこぺこだったの」
ミヅキとエルトゥリンはドアを開けて部屋の外に出た。
すると、吹き抜けの階下からアイアノアが見上げているのが見えた。
その表情は──。
塞ぎ込んでしまった妹を心配する、優しい姉のものだった。
◇◆◇
翌朝。
昇る朝日の下、ミヅキとエルトゥリンはトリスの街の通りを走っていた。
「ハァ、ハァ……。フゥ、フゥ……」
パンドラの地下迷宮とトリスの街を往復しての走り込みである。
宿から出発し、入って欲しそうなダンジョンの入り口を後にしてまた街へ戻る。
加護にばかり頼らず、基礎的な体力作りも必要だとエルトゥリンに付き合ってもらっている。
「ハァ……。良かった、よく似合うよ。……そのヘアピン」
「恥ずかしいからあんまり見ないで」
息を切らせるミヅキが見る先、エルトゥリンの髪には薄いエメラルド色の髪飾りがあり、陽光を反射していた。
オシャレに一切無縁だった彼女が、初めて付けたミスリル製のヘアピン。
ミヅキがエルトゥリンへ贈ったプレゼントだ。
「ほら、走るのに集中して。そんなに息を乱れさせてだらしないよ」
照れ隠しにぷいとそっぽを向くエルトゥリンの顔はほんのり赤い。
彼女にとってこのくらいの走り込みは軽い運動にもならないはずだ。
頬を紅潮させているのはきっと別の理由だろう。
あんなに恥ずかしがっていたのに、こうしてヘアピンを付けてきてくれているのはミヅキとの距離がまた縮まったことの証拠だった。
「はい、手を貸して。手を繋げば体力が回復するんでしょ?」
汗をだらだら流し、肩でぜえぜえ息をしていると、目の前にエルトゥリンの手が差し出されている。
隣を見ると、赤い顔のエルトゥリンが横目でこちらを見ていた。
正直、息も絶え絶えだったのでたまらずその手に飛びついた。
「……んぅぅっ……!」
両目を閉じ、肩をすくめるエルトゥリンは小さく呻いた。
その顔はますます真っ赤になって、繋いだ手から伝わってくる心地よさと力強さに全身を震わせていた。
「ハァハァ、ありがてぇ……!」
青ざめていたミヅキの顔色が見る見る内に良くなった。
エルトゥリンと体交法を行うと、魔力ではなく生命力が巡り合う。
「エルフって優しいなぁ。エルトゥリンとアイアノアに会えて良かったぁ……!」
ミヅキは体力を回復させ、しみじみと言った。
こうして助けてくれるエルトゥリンとアイアノアには感謝しかない。
「エルフなんてそんなにいいものじゃない。実力主義と言えば聞こえはいいけど、強い者が弱い者を虐げるのが当たり前な優しくない種族よ」
ハァ、と気持ちを落ち着けたエルトゥリンはため息をつく。
エルフの彼女自身、同胞たちの性質を良くは思っていない。
エルトゥリンと言葉を交わし、記憶を見せたミヅキにもそれはわかっていた。
ただそれでも、目の前に居るこの少女は別だ。
「それでも俺にとって、エルトゥリンとアイアノアは特別だよ。やっぱり二人みたいなエルフの女の子は好きだな」
「はぁっ?! とっ、特別に、好き……?」
「うん、ますます好きになっちゃうな」
「もっ、もう、またそんな軽薄なことを軽々しく口にするっ……。ミヅキが物好きなのはもうよくわかったわよ……」
良い笑顔でにかっと笑うミヅキに、エルトゥリンはまた顔を赤くする。
二人は走りながら、まだ手を繋いだまま。
「……まったく。そんな様子じゃ、星の加護を使えるのはいつになるかわからないわよ。じっくりいくしかないね」
「本当だな。エルトゥリンとは長い付き合いになりそうだ」
ミヅキがそう言うと、エルトゥリンはアイアノアの言葉を思い出す。
それは今ミヅキに言われた通りの意味だったと気付いた。
『髪飾りの贈り物はね、これからも長く一緒に居たいって意味が込められてるの。博識なミヅキ様のことだもの。きっと意味を理解したうえで贈って下さったのよ』
自分から進んで付けてきたこの髪飾りにはそんな意味があった。
さらに顔を真っ赤にしたエルトゥリンは大声をあげる。
「や、やっぱりビシバシ手短にいくっ! ミヅキは人間で寿命が短いんだから時間は掛けられないっ! もっと早く走って! さもないとお尻を叩くわ!」
照れ隠しもここに極まれりだ。
繋いだ手を荒々しく振り払い、エルトゥリンは問答無用でミヅキの尻を叩いた。
朝の清々しい空気の中に、ぱぁんっと小気味良い音が響く。
「痛ってぇっ、何でだよ!? 勘弁してくれぇー!」
「口答え禁止よ!」
だらしなく走ろうが死ぬ気で走ろうが、エルトゥリンにぴったり真横に張り付かれてミヅキは尻を叩かれ続けるのであった。
ぱんっ、ぱぁんっと破裂音をいつまでも轟かせながら。
「うぅーん……! あぁー、いい天気ぃ……! 今日も一日頑張るぞー!」
と、そこはギルダーが経営する高級飲食店、金獅子の館。
店先の掃除をしようと箒を持った狐の獣人、キャスが背伸びをしていた。
「ん? なに、このパンパンいう音……?」
遠くから聞こえる珍妙な音に気付いて顔を向ける。
すると、街の有名人の勇者が、連れのエルフと一緒に走ってきていた。
「えっ!? あっ、あああぁぁー!?」
キャスは信じられないものを見た風で大声をあげた。
あれはただ体力作りのランニングをしているのではない。
「あ、あれ、何やってんの……?」
尻を容赦無く叩かれていると思ったら、今度は仲良さそうに手を繋いでいる。
ミヅキは痛がりつつも苦笑いしていて、エルトゥリンは恥ずかしそうに顔を赤くしているではないか。
手を繋げば体力は回復し、尻の痛みも引いて一石二鳥、なのだろうが──。
キャスから見れば、仲の良い変態カップルのじゃれ合いにしか見えない。
「ミヅキっち、やっぱりかぁー! 勇者は色を好みすぎるぅー! おまけにおかしな趣味を持っていたぁーっ!」
キャスは二人を指差し叫んでいた。
疑念がはっきり確信に変わった、とその表情は語っている。
「あっ、キャスー、おはよー……! それじゃなー……!」
「……」
呆然とするキャスの前を、ミヅキとエルトゥリンが通り過ぎていった。
二人の姿が遠ざかるのを見送り、キャスはわなわなと肩を震わせている。
「変な趣味なのはいいとして……」
ミヅキの底知れなさを勝手に思い知り、一人で大声をあげてしまう。
手広い女たらしの手腕には戦々恐々の思いだった。
「全員だっ! パメラさんもキッキも、アイアノアっちもあの怖いエルフ姉さんも、全員を手籠めにしようとしてるんだっ! 何てヤツ、ミヅキっちめぇー!」
「店先で何を騒いでるの、キャス?」
その騒ぎ声に、店の中から羊獣人のミルノが出てくる。
頭を抱えていたキャスは勢いよく振り返り、ミルノの両肩をがしっとつかんだ。
「私はっ、絶対にミルノ一筋なんだから安心してねっ!」
「え、あ、ありがと……?」
興奮したキャスから急な愛の告白を受け、ミルノは目を丸くするばかり。
誤解を重ね、色めき立ちまくったキャスの腹いせで噂は吹聴された。
そんなこんなで、ミヅキはとんだ性癖の女好き勇者──。
という地位を、不動にしてしまったのは言うまでもない。




