第263話 エルフ実力至上主義
夜の近い、薄暗くなった湖畔の森にて。
太陽の加護が照らす明かりの下、ミヅキとエルトゥリンが奏でる剣戟がキンキンッと音を響いている。
星の加護を洞察したいミヅキの特訓は続行中だ。
その音を遠くに感じながら、岩に腰掛けるアイアノアはどこか上の空だった。
「ハァ……。これ、どうにかならないものかしら……。中途半端に魔力を放出しているものだから、身体が余計にうずいちゃう……」
膝に置いた両手の平の上に、小さな竜巻を魔法で生み出してみる。
発生した風がアイアノアの前髪を揺らすものの、その表情は曇ったまま。
期待したような効果は到底得られなかったからだ。
「一人で魔法を使ってもダメみたい……。魔力を溜め込みすぎるのも考えものね。もっとミヅキ様と加護を使って、この悶々とする思いを発散させたいなぁ……」
ハァ、と艶っぽいため息をつきながらそんな悩みを抱えていた。
魔力を使いすぎて空っぽになる問題は解決できたものの──。
今度は度重なる神交法で過剰なほど魔力が供給され、消費が追いつかないオーバーフロー問題が発生してしまっていた。
溜まった魔力はアイアノアの心身を満たし続け、今すぐにでも発散させたい衝動に駆られている。
身体はへろへろなのに魔力はギンギン。
魔力を使いたいのに持て余すという、一種の欲求不満に陥っていた。
「この指輪のお陰で、さらに魔力の消費が抑えられているからなおさらね……。でも、これは外したくないなぁ。せっかくミヅキ様が贈って下さった物だから……」
右手の人差し指にはめているミスリルの指輪を見てこぼす。
これ自体が魔力の源たる魔石の役割を果たし、アイアノアに魔力を供給して身体に負荷が掛からないよう補助をしている。
それだけでなく、自分を思いやって指輪を贈ってくれたことが心をとても温かくしていた。
──神交法と共に伝わってくるミヅキ様のエルフを好きな感情、もう本当にお腹がいっぱいなくらい……。人間なのに物好き──、いいえっ、変わった趣味と感性をお持ちなのね……。それは素直に嬉しくはあるのだけれど……。
ミヅキの考えこそ読めないものの、度重なる神交法で潜在的に思っている気持ちのようなものが、心地よさに乗ってアイアノアの中に入ってくる。
──うぅ、ミヅキ様が好きなのって、私のような容姿と特徴のエルフの女性というだけのことよね……? 私を恋人にするというのも誤解だって仰っていたし……。
人間とエルフは仲が悪い、との常識など物ともしない。
ミヅキのエルフが好き、という感情が押し寄せてきて正直もうたまらない。
──でも、この好きの気持ち、温かくて私を包んでくれる。まるで愛情みたい……。
充足する魔力を抱え、両肩を抱いてうっとり微笑むアイアノア。
人間には嫌われるはずの自分に、過度すぎるくらい好意を向けてくれている。
半ば溶け合った、お互いの心の有り様に嫌な感じは全然しない。
──こんなにも気持ちが通い合って、お互いのことが伝わってしまうなんて……。こんなの、こんなのもう──、夫婦!?
はっとして顔を上げたアイアノアの顔は真っ赤っか。
そそり立つ長い耳をぴこぴこ揺らしながら、飛躍していく妄想を捗らせる。
百年以上の長い時間を引きこもって過ごした彼女は、恋愛なるものに正しく憧れを抱く純情乙女なのであった。
──いけないわ! 婚礼の契りも交わしていないのに、殿方とそんな不適切な関係になってしまっているなんてっ……!? ダメっ、そんなのダメよっ!
「でも……。だけど……」
いやいやをするみたいに顔を振った後、アイアノアは自分のことを見つめ直す。
そうして、これから歩むかもしれないミヅキとの未来に思いを馳せた。
半分は本当に妄想で、もう半分は淡い希望そのものだった。
──私はエルフで、ミヅキ様は人間……。パメラさんみたいに、種族間を超えた愛に目覚めなければいけないのかしら……。そうでもないと私なんかお嫁のもらい手無いし……。
「うぅ、だけど……。もうどうしよう、私困っちゃうっ……!」
両頬に手を当て、身体を左右に揺すり、もじもじくねくねしている。
考えれば考えるほど、気持ちが昂ぶって仕方がない感じだった。
ふわーんふわーんと鳴き声をあげるアイアノアを遠目に見て、ミヅキは苦笑い、エルトゥリンは渋い顔をしている。
アイアノアの様子がおかしいので、二人は一時特訓を中断していた。
「アイアノアって、今まで誰かと付き合ったりしたことないのか?」
「え? 付き合うって?」
「男と女の交際だよ。決まってるだろ」
「そっ、そんなのあるわけないでしょ! 不潔っ、ヘンタイッ!」
ミヅキの素朴な問いに、エルトゥリンも顔を真っ赤にして大声をあげた。
「なんで怒るんだよっ? でもそうか、異性に免疫がないからなおさら神交法の副作用で骨抜きになっちゃってるんだな……」
ミヅキだって言うほど恋愛経験がある訳ではないが、あるのと無いのとでは慣れの具合が違うものだと、神交法を使った者としての実感があった。
短く悲しかったが、素敵な恋愛をさせてくれた朝陽にはただただ感謝だ。
「族長様の孫娘で、やんごとない血筋なんだからもうちょっとチヤホヤしてもらえなかったもんなのかね。アイアノアとエルトゥリンのこれまでを考えると、何だか胸が切なくなるよ」
人間のミヅキの何倍もの長さの時間を生きているのに、人生の充足度で言うならエルフの彼女たちは、もしかしなくてもそう満ち足りたものではなかったろう。
ミヅキの思いを察し、エルトゥリンは話し出す。
「……ミヅキ、前に姉様から聞いたでしょ? 私たちエルフの社会のこと」
あれは、ミヅキがエルフについて興味津々に質問をしたときのことだ。
エルトゥリンが言うように、アイアノアが教えてくれたことがある。
「強くもなくて、頭が悪くたって、血筋さえ良ければ上に立てる人間とは違うの。姉様と私だって、族長様の孫だけど特別扱いはしてもらえないんだから。フィニス様みたいな飛び抜けた強さこそ、エルフの世界では絶対的にものを言うのよ」
「ふーん、そう言えばそうだったな」
時はこの世界でいうところの数日前にさかのぼる。
場所はパンドラの地下迷宮。
かの雪男を討伐し、ミスリルゴーレムであったその身体を操り、街へ連れ帰ろうとしていたときのことだ。
「族長様のお孫さんってことは、アイアノアとエルトゥリンはもしかしてエルフのお姫様みたいな感じ?」
「お、お姫様だなんて、そんなっ……。私もエルトゥリンもそのような立派な立場ではありませんよっ。エルフには族長様を除いて、人間の世界にあるような身分は存在しないのです」
ずしん、ずしん、とミスリルゴーレムを歩かせ、胸の高さほどで広げた大きな手の平の上でミヅキとアイアノアは言葉を交わしていた。
フィニスが族長のイニトゥムの妹であると判明し、アイアノアとエルトゥリンは孫だと知らされた。
「ふーん、そうならさ、アイアノアとエルトゥリンって、どうしてフィニスのことを様付けで呼んでるんだ? 目の敵にしてるお尋ね者なのにさ」
「それはですね──」
それはミヅキの何気ない問いから始まった。
エルフたちが織りなす独自の社会構造、その習わしである。
「エルフの社会は実力至上主義なのです。殊更に魔力と狩りの腕が重視され、能力の低い者には子孫を残す資格無し、とはエルフに根強く残る風習でして……」
太陽の加護とミスリルゴーレムを操る魔法を制御しつつ、彼女は話す。
人間のそれと似ていても、根本的に違う価値観の相違と考え方だ。
「ですので、族長様の血縁だろうと、私とエルトゥリンが優遇されることはありません。強き者、賢き者こそが正義であることから、戦乱の魔女であると同時に戦争での英雄であられるフィニス様は、今でも讃えられるべき御方なのです」
未だに戦争をやめずに戦い続けるフィニスは忌むべき対象だが、戦争当時は多くの戦績を残した偉大なエルフである。
捕縛か討伐対象になっていようとその評価は変わっていない。
「但し、その栄誉はフィニス様だけのもので、血縁の私たちには無関係です。栄誉とは反対に、フィニス様の犯した大罪は私たちへ累を及ぼしました。正しき血筋を重んじるエルフの考えから、身内の不始末は身内で精算すべき、と……」
栄誉はフィニスを讃えたが、犯した罪は血縁者たちを苦しめた。
実力と権威で語る族長のイニトゥムはともかく、当時は子供でしかなかったアイアノアとエルトゥリンへの風当たりは特に強かったのである。
辛いことを思い出しているのか、彼女の表情は沈んでいた。
「例え私が魔法が得意であっても、エルトゥリンが強く狩りが上手であっても……。フィニス様の遺恨がある限り、里からの私たち姉妹への扱いは変わらないでしょう」
「そっか……」
ミヅキなら容姿が可愛く美しく、耳が長いだけで価値を見出すところだが、現実にはそんなことはエルフにとって何の意味も生み出さない。
魔法や狩りといった実力への評価、清廉潔白な血筋が求められる厳しい社会だ。
ミヅキはため息をついて背中を丸めた。
「それなら俺はエルフの世界じゃ結婚できなさそうだなぁ。血筋はともかく、地平の加護がなけりゃまるっきりポンコツだし」
「そんなことはありませんとも。ミヅキ様がエルフだったなら、娶られたいと思うエルフの女性はきっとおります。加護が無くとも、ミヅキ様の進んだ道徳心に心打たれるエルフも多いはずです。……この私がそうでしたから」
ミヅキは半分冗談で雰囲気を和ませようとして言ってみたら、アイアノアは笑顔でそう答えた。
何気ない返事だったのだろうが、ミヅキは思わずドキッとしてしまう。
「えっ?! それじゃあ、もしかして俺がエルフならアイアノアと結婚できる可能性もあるってこと?」
「……えっ、ああぁっ!?」
ようやく自分が何を口走ったのか気付いたみたいで、アイアノアはそれはもうびっくりしていた。
「わっ、わわ、私とですかぁっ!? 今のはそういう意味で言った訳ではぁ……。私とミヅキ様はエルフと人間ですから結婚はあのその……。あうあぅ……」
わかりやすくぼわっと顔を真っ赤にして慌てると、下を向いてごにょごにょと口を詰まらせる。
長命ではるか年上なのに、反応が少女みたいで可愛らしい。
「そ、そんなに真に受けないでよ……。俺まで恥ずかしくなる……」
「申し訳ありませぇんっ、今のはものすごーく失言でしたっ……。どうかお忘れになって下さいましぃ……」
あまりの恥ずかしがりっぷりに、見ているこちらのほうこそ照れてしまう。
本当に何も考えずに心の奥の本音を零してしまったようだ。
「きゃあっ!?」
「うわわっ……!」
二人共がうろたえてしまったお陰で、ミスリルゴーレムを操る魔法に乱れが生じ、ミヅキたちを運ぶ巨体が制御を失い掛ける。
ぐらぁっと傾き、あわや転倒してしまうところだ。
「アイアノアっ、集中しようっ……! この話はこれでお終いねっ!」
「は、はいっ、そうですねっ……! そう致しましょうっ……」
すぐに姿勢を持ち直させ、事なきを得たミヅキとアイアノアは顔を見合わせる。
「……」
二人の後ろから、呆れた顔をしたエルトゥリンがそんな様子を眺めていた。
人間とエルフの未来を、うたかたの夢のように思いながら。
「……本当、エルフと人間が結婚だなんて、たちの悪い冗談ね……」
時は現実に戻り、エルトゥリンはそのときの会話を思い出して呟く。
悶えているアイアノアから正面のミヅキに視線を戻した。
「戦乱の魔女として追われる身となってしまったけど、私たちエルフのフィニス様への敬いは生きてるの。フィニス様と戦わなければならないと思うと身も心も引き締まる思いよ。私の鍛えた技と星の加護の力がどこまで通用するか……」
エルトゥリンは真剣な表情をしていた。
星の加護と合わせ、鍛えた力と技はすべてはそのためだ。
パンドラの地下迷宮の深遠に至り──。
フィニスと戦い、勝つことである。
「負けるつもりなんてない。フィニス様は一族の英雄だけれど、きっと打ち勝ってみせる。だからミヅキ、どうか私たちを助けて」
こんなにも強いエルトゥリンなのに、真っ直ぐな眼差しは助けを求めていた。
それはフィニスとの戦いの苛烈さ、パンドラの地下迷宮踏破の難しさを示しているのだろう。
「ああ、もちろんだよ。俺にできることなら何でもやるつもりさ、この修行だってその一環なんだ」
ミヅキははっきりと頷いて見せた。
使命完遂のためなら何でもやるつもりだし、星の加護を洞察して二人共が使えるようになればこれほど心強いことはない。
そのときこそ、星の加護は真に最強の双星となるのである。




