第262話 星の輝きは遙か高く2
「姉様の剣を貸して」
「はい、どうぞ……」
エルトゥリンが、ぐったり座り込んでいるアイアノアから剣を受け取った。
いつの間にかミヅキの目の前から消えている。
「いつまで尻餅ついてるの。続きをするから早く起きて」
姉のショートソードを抜き身で借りると、こちらへすたすた戻ってきた。
「……あ、ああ悪い。よろしく頼むよ」
ミヅキは慌てて立ち上がり、再び不滅の太刀を正眼に構える。
まだまだ指に力は入った。
足がすくんで戦意喪失していないようで少しは安心した。
「やるしかない……!」
最初から遠慮なんて必要なかった。
味方の中でずば抜けた強さを備えるエルトゥリン相手に、まだまだ発展途上な強さのミヅキが勝てる道理など無かったのだから。
「少しは覚えがあるみたいだけど、ミヅキの剣の腕はまだまだ未熟よ。基本的な剣の練習から始めましょう」
エルトゥリンはやや斜めの体勢で、右の片手で下段に剣を構える。
表情は無く、希薄な感情で淡々と言った。
「好きに攻めてみて。私からは手を出さないから安心していいよ」
おごりでも侮りでもない。
ミヅキとエルトゥリンの間にあるのは、至極真っ当な強者と弱者の関係性だ。
本来なら全く釣り合わない力量差のある相手に、優しく剣の手ほどきを受ける。
それ以上でも以下でもないのだ。
「……わかった。それじゃ遠慮無く──!」
脂汗を浮かべながら、ミヅキは薄く笑みを浮かべた。
身近な超越者であり、星の加護の担い手、エルトゥリン。
その彼女が胸を貸してくれるのだから特訓というなら申し分は無い。
最終目標の一つである、星の加護の洞察への第一歩だ。
「ミヅキ、こっちよ。どこを見ているの?」
ミヅキは全力を持ってエルトゥリンに斬り掛かっていた。
超人的なシキの腕力、脚力、全身の力で何度も不滅の太刀を振るった。
「はっ! たぁっ! くそッ……!」
一撃、二撃、三撃──。
振り下ろし、薙ぎ払い、けさ切り、切り上げ。
しかし、どの斬撃もエルトゥリンに難なく躱されてしまう。
ほんのわずかな動きで、ミヅキの太刀筋を見切り、全て空振りに終わらせる。
──慈乃さんより速えっ! 今の俺はシキそのものなんだぞ! なのに剣がかすりもしないだなんて……! 俺はいったい、何を相手に戦ってるんだ……?! ここまで実力差があったってのか……!
ミヅキは改めて驚愕していた。
エルトゥリンはシキの能力をはるかに凌駕している。
すでにこの時点で、当面の最大の敵であった夜叉の慈乃よりも速度が上だ。
当然、彼女は実力の一端しか見せていないに関わらず。
──太陽の加護は出てるっ! だったら、俺にできることをエルトゥリンにぶつけるだけだ! 片っ端からなっ!
『対象選択・《勇者ミヅキ》・記憶領域より特質概念構築・効験を付与』
勝てないのは初めからわかっている。
ただ、シキの力での剣術が通用しないのは想定外だった。
ならば、一矢報いて星の加護を引き出すことに専念する。
太陽の加護はアイアノアが出してくれている。
矢継ぎ早に地平の加護の力を繰り出していくしかない。
『対象選択・《シキみづき》・洞察済み対象を基に特質概念を構築』
『《三月の父・佐倉清楽》・キャラクタースロットへの挿入完了』
まずは剣術に上乗せするのは、自らの剣の師匠である父、清楽の特質概念だ。
キャラクタースロットに差された洞察済み特質概念は、その全ての力をミヅキに付与してくれる。
キンッ!
「急にいい動きになった。剣が鋭さを増したよ」
「……ようやく剣で受けてくれたな」
清楽の剣技を上乗せした剣はエルトゥリンに届いた。
ちらりとミヅキの背後を見やる彼女の目に映るのは、壮年の男性のスーツ姿。
穏やかな笑みを浮かべ、木刀を構えている概念体であった。
「紹介するよ。剣の師匠であり俺の親父、佐倉清楽だ!」
「ミヅキの、お父様……」
父の剣術を丸々追加して、ミヅキの剣は威力と速度を増した。
エルトゥリンは回避するのを止め、初めてショートソードで受け止める。
一瞬の驚いた顔はミヅキの剣が強化されたからではなく、急に清楽が現れたことが原因だ。
エルトゥリンがキャラクタースロットの概念を見るのはこれが初めてである。
「くっ……! 駄目か……?!」
「……」
但し、剣を受けてくれるようになったとはいえ、それだけのことだった。
剣が強く、速くなってもエルトゥリンには到底届かない。
すべてを軽々しくあしらわれてしまっている。
普段は使わない剣を使っても、エルトゥリンの剣技は達人以上であった。
「──それならっ!」
『特質概念付与・《三月の祖父・佐倉剣藤》・挿入完了』
次にミヅキが地平の加護に装填したのは祖父の特質概念。
普段は好々爺だが剣を握れば鬼の形相になる、禿頭で着物姿の剣藤だ。
その手にあるのは愛蔵していた刀剣の一振り。
「今度はミヅキのお爺様……」
次々と現れるミヅキの親族に目を奪われるエルトゥリン。
佐倉の家は代々続く剣士の一族。
技術、速度では清楽に劣るものの、剣藤の剛剣は年老いても健在だ。
それをさらに上乗せして、力任せに叩き込む。
「力強い打ち込みね。並の相手じゃ受けきれない」
ガキィンッ、とこれまでで最大の金属音を響かせた一撃だったが、エルトゥリンはこれも難なく受け止めて見せた。
一応は褒めてくれるものの、この結果では空々しく聞こえてしまう。
剣藤の剛剣は強力だが、星の加護の前では他の剣と誤差でしかないのだろう。
清楽と剣藤の剣術を合わせて付与しても歯が立たない。
「まだまだっ! 次はこれだっ!」
『特質概念付与・《エルフ・アイアノア》・効験付与・《風魔法エアソード》』
ミヅキの隣に後ろで休憩しているはずのアイアノアの姿が現れた。
概念体の姉は魔法で風を起こし、ミヅキの剣に暴風の魔力を込める。
剣を振るえば、四方八方からエルトゥリンに向かって風の刃が襲い掛かった。
「姉様の風の剣……」
エルトゥリンは虚ろに呟きつつ、実体の無い風の刃を全て防いでいく。
星の加護の防御は魔法に対しても抜かりがない。
加護の護りをショートソードに伝え、超人的な剣さばきで鋭い風を払った。
なおも斬り掛かってくる無数の風を切り払いながら、エルトゥリンは一歩も動かず涼しい顔をしている。
「ミヅキのお父様にお爺様、そして姉様。……ミヅキはこうして戦った相手の力を自分のものにしていくんだ。相変わらず凄い能力ね」
ミヅキの背後に立ち並ぶ三人に視線を滑らせ、エルトゥリンは呟いた。
地平の加護が秘める無限の可能性を感じて素直に感嘆している。
「私の力を手に入れるには、ミヅキ自身が強くなって星の加護の強さに近付く必要がある。だからこその特訓という訳ね。……わかったわ、協力する」
それは看破された、というよりは理解してもらったと言うべきであった。
星の加護はともかく、エルトゥリンは全面的にミヅキの味方なのだ。
優しい手心、行き届いた配慮には頭が下がる思いだった。
「めちゃくちゃありがたいんだけどな……!」
だが、ぬるま湯のかわいがりを受けるだけでは男がすたる。
女の子にやられてばかりでは引っ込みはつかない。
シキとしての闘争本能が負けず嫌いに奮起する。
「俺だってちょっとは格好つけたいんだ! まだ勝負はこれからだっ!」
『対象選択・《エルトゥリン周囲の風》・効験付与・《竜巻》』
効験を付与する対象は、未だエルトゥリンに取り付く魔法の風だ。
鋭さを持つ風が高速で渦巻く上昇気流へと変わった。
威力が増し、並の相手ならずたずたに寸断できるくらいの殺傷力だ。
『効験付与・《レッドドラゴン・ファイアーブレス》』
さらにそこへ得意の竜の火炎を噴き掛ける。
顔を前に突き出し、長い息の炎が竜巻に巻かれるエルトゥリンに炸裂した。
炎は気流に乗り、火炎の竜巻と化した。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッ……!!
辺りが激しい火炎に照らされ、昼間のように明るくなっていた。
剣の練習をしていることなど忘れ、無我夢中で地平の加護を駆使する。
全力で攻撃しなければ、星の加護はミヅキに見向きもしてくれないだろう。
「消えた……!?」
火炎の嵐が過ぎ去ると、そこにエルトゥリンの姿は無い。
無論、燃え尽きた訳などあるはずもない。
と、次の瞬間──。
ズンッ……!
右の肩が異常に重くなり、尋常ならない殺気が背後から浴びせ掛けられた。
「う、ぐ……!」
ミヅキは息も絶え絶えな声を漏らした。
後ろから肩に、ショートソードの剣先がとんと乗せられていた。
気配さえ感じさせず、消えたとしか思えない速さで背を取られている。
──なんて殺気だ……! 首を切り落とされたのかと思った……。
目の端に映る剣の切っ先が冷たい光を放っていた。
本当に首を切断するのも造作の無いことなのだろう。
エルトゥリンは淡々と言う。
「気付いてないようだから言っておくね。ミヅキは加護を使うとき隙だらけだよ」
それはエルトゥリンからの、地平の加護への手厳しい指摘であった。
「相対した敵が戦い慣れしていたり、魔力の流れを読んだりする相手だった場合、もっと隙を突かれやすい。それに、竜の炎は噴く前の溜め動作が大きいからさらに見切りやすいわ」
武芸百般をお披露目する天神回戦の試合とは違う。
敵は加護の発動をのん気に眺めていてはくれないだろう。
こと実戦において、戦闘経験の少ないミヅキの実力はやはり拙い。
地平の加護が魔力を使う以上、付与効果を発生から見抜かれていては空振りするか、出す前に潰されて終わりかもしれない。
「地平の加護はとても強力だけど、使い方は工夫したほうがいいよ」
地平の加護を高く評価する一方、エルトゥリンには前々から弱点を見出されていたようだ。
力を見てくれたり、弱点を教えてくれたりはありがたい。
しかし、このままではこてんぱんにやられただけである。
ミヅキの戦う気力は折れず、一矢報いようと魔力を身体に集中させた。
「……貴重なアドバイスどうもっ!」
不意に空間を細やかな光が満たす。
振り向かずに全周囲に全身から放つのは、風の魔法とミヅキの剣技を合わせた光の花弁だった。
ぶァッ……!!
無数の白い輝きが一斉にエルトゥリンに吹き付ける。
神であるまみおや、魔のシキたる牛頭の冥子を焼いたミヅキの必殺剣。
神鎮ノ花嵐が生じさせる闘気の花びら、その弾幕である。
「──うん、追い詰められても闘志を失わないのはいいね」
但し、返ってきたのはエルトゥリンの涼しい声だった。
振り向き見れば、光の花弁は彼女の身体に触れる先から火花を散らして、次々と消えていく。
ダメージを与えるどころか、動じた気配すらない。
「でも、これは聖なる力よね。魔物でもないエルフの私には効果が薄い。闇雲に攻めるんじゃなくて、ぎりぎりの瞬間まで有効な方法を考えるようにして」
最後の一片が消えるのを見届けつつ、エルトゥリンはミヅキに言うのだった。
どんな攻撃手段が有効かなど見当も付かないが、この技の選択は及第点に届かなかったようである。
「確かに仰る通りで……。くそぅ、わかってたけど、やっぱりエルトゥリン師匠には全然まったく歯が立たないなぁ……」
「師匠はやめて。──さあ、続きをやりましょ。どんどん打ち込んできて」
無愛想にエルトゥリンは言い放ち、背後に立っていたはずなのにもう正面に移動してきている。
動きがいちいち速すぎて目に止まらない。
よどみない動きで、ショートソードの切っ先をこちらにぴたりと合わせた。
攻めてこないとわかっていても、身動きが取れなくなるほどの威圧感を感じさせられる。
──まったく、なんだって星の加護はこんなにも厳しいんだよ……。この特訓自体が試練みたいなもんじゃないか。太陽の加護はあんなに協力的だったのにさ……。
ミヅキは心の中で盛大にぼやいていた。
神々の異世界ではまみおや冥子を圧倒した地平の加護だったのに、エルトゥリンにはまったく通用しなかった。
星の加護が力を解放した気配も無い。
エルトゥリンに授けられた星の加護。
無条件で味方をしてくれる太陽の加護とは根本的に違う。
ミヅキの想像が正しければ地平の加護は無論のこと、太陽と星の加護をつくったのも正体不明な創造主なる存在である。
ならば星の加護の洞察は、創造主からミヅキへの試練なのかもしれない。




