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第27話 女神のしもべ、シキ

 目が覚めると、そこは西洋感の溢れるファンタジー世界ではなく、どことも知れないぼろぼろのあばら屋だった。

 伝説のダンジョンに挑む勇者な自分は夢だったらしく、肩透かしが甚だしい。


「な、何を一人で悶えておるのじゃ……?」


 それを見つめるのは赤紅色の着物を着た、女神を名乗る少女──。

 日和は眉をひそめて奇異そうな面持ちをしていた。


「美人なエルフのお姉さんたち、アイアノアにエルトゥリン……。猫耳親娘のキッキとパメラさん……。はぁ、ドラゴン美味かったなぁ……」


 未練がましいぼそぼそとした呟きはまだ続いていた。


 せっかく出会って、名前も覚え、これからを話し合った仲だった彼女たちのことを思い出す。


 夢や幻であるとの考えを捨て、実在する人物として認識すると決めた矢先だったというのに。

 こんなにもはっきりと、あの異世界のことを覚えているというのに。


 つくづく異世界転移なんてのは、文字通りの夢物語でしかないと思い知った。


 もう彼女たちには会えない。

 会えたとしても、それはまた別の夢の中の別の彼女たちなのだろう。


「じーっ……」


 目の前の少女を白々しく見つめる。


 古めかしいしゃべり方に幼い容姿で、しかも自ら神を名乗る怪しげな存在。

 そんなもの、まさに夢の中の産物でしかありえない。


 どうせこの日和という少女とのやり取りも、夢が覚めれば全部が無かったことになって消えてしまうに違いない。


「こほん。まあ、急な目覚めで色々混乱することもあろうが──」


 こちらのそんな気持ちを知らず、日和はもう一度小さく咳払いをした。

 いよいよと本題を切り出してくる。


 それは、どうしてこんなぼろぼろのあばら家で目覚め、どういう経緯でこうなり、これから何をするのかを指し示すものであった。


「よいか、おぬしは私の()()としてこの神の世界に生を受けたのじゃ。我が神社の代表となり、神々の御前にて行われる武芸試合に出なければならぬ」


 但し、そうは言われてみても、感じるのは胡散臭さだけだった。


 日和の表情や語り口調は真剣だったのかもしれないが、その内容は理解に苦しく、右の耳から左の耳である。

 聞く耳など持てるはずがない。


 それでも一応、好意的に状況と言葉を解釈するのなら。


──どうやら俺はこの女神を名乗る日和に、シキなるものとして生み出されたみたいだ。で、ここは神様の世界で、このあばら家は神社ってことらしい。……神社の代表となって、神様の御前での武芸試合に出るっていうのは何のことだ……?


「ううぅ……!」


「むむ? よくわからぬか?」


 頭を抱えて不審がる様子に、日和は今度はより丁寧に説明を始める。

 突然の出来事なあまり、生まれたての自らのしもべが混乱して、どうしていいかと迷っていると見えたようだ。


「ここは私のような神が住まう天の世界じゃ。人間たちの下界を見守り、ありがたいご利益や加護を与えておる、遥か高次元なる世界なのじゃ」


 両手を広げる日和の向こう側に外の風景が見えた。

 外は何やら金色掛かった空間が広がっている。


「さっきも言った通り、ここは我が神社じゃ。創造の女神である、この私が祀られる神域なのじゃよ」


 確かに言われて見れば、ぼろぼろのあばら家ながら神社の中を表す物体が、そこかしこと散見された。


 玉砂利の山があった場所、目覚めた後ろに祭壇と思しき木台があり、繊維のほつれた注連縄しめなわが結ばれ、くすんだ緑青色ろくしょういろの丸い銅鏡が設置されている。


 祭壇の上には汚れた御幣ごへい、枯れかけのさかき、お供え物の無い三宝台さんぽうだい、からっぽの瓶子へいしが長く打ちやられたが如く、寂しく並んでいた。


「そして、おぬしは私のシキ──」


 日和はすっと赤い目弾きの瞳を細め、視線を向けてくる。


「シキというのは、神々が自らの代わりに戦いといった荒事を行わせ、使役する直接のしもべのことじゃ」


 シキとは神に使役されるしもべ。

 名前からして、陰陽師の扱う式神のようなものだろうか。


 式神とは、紙の札や人形を依り代にして鬼神や精霊などを降ろし、術者の意のままに操る使い魔のことである。


「神によっては身の回りの世話をさせたり、仕事を手伝わせたりするためにシキを創ることもあるが、おぬしは我が神社代表の戦士として創り出したシキじゃ。戦うために生まれた使命を全うし、私のために存分に働いて欲しいのじゃ。どうかよろしく頼むぞよ」


 恭しく合掌礼拝がっしょうらいはい──。

 というより、おねだりでもするみたいに可愛らしく手を合わせる仕草の日和。

 やはり、厄介事をさせるためにシキとやらを創ったようである。


「さて、そのシキに出てもらいたい神々の御前での武芸試合についてじゃが──」


 こちらの気持ちなどお構いなしに、日和の説明はまだ続く。

 一つ息をつき、手を合わせたまま、すっと瞳を閉じる。


「ちぃっと長くなるうえ、なにぶんと込み入った事情じゃ。直接と見てもらったほうが早かろう。──では、ゆくぞ」


 ぽうっと日和の身体が明るく光り、その輪郭がまばゆい光彩を放ち始めた。

 またも無風に拘わらず、丈余りの着物が揺れている。


「わぁ!?」


 意識が日和のほうに一気に引っ張られ、思わず声が出る。


 とも思えば、頭の中に映像と音声が急激に入り込んできた。

 重ねて好意的に解釈するならば。


 これは物語の導入部分であり、テレパシーさながらに直接頭に伝え、わかりやすく見せる流れだと理解することにする。


──さすがは女神様で、さすがは夢の中の話だ。どんな出鱈目だろうと、何でもアリなんだろうさ……。はぁーあ、もうどうだっていいや……。


 げんなりして思うのはぼやき。

 もう真面目に考えず、まともに向き合うのも放棄している。


 端から夢だとわかっているのだから真面目にやっても仕方がない。

 入ってくる情報を漫然と眺めることにした。

 どうせ、この夢もそのうち儚く終わってしまうに違いないのだから。


 そんなことを思っているとは露知らず、日和は神様パワーで一方的に情報を送り込んでくるのであった。


「古くから神の世界には争いが絶えなんだ。強き神々は力と信仰を求め、他の神々の土地を侵して我が物としようと幾度となく戦いを起こした。恭順しなければ、相手が神であろうとシキであろうと、或いは無抵抗な民草であろうとも容赦なく滅し尽くしたのじゃ。すべては自分たちの願いを叶えるがため……」


 セピア色で再現されるのは、神々の凄惨な戦いの歴史である。

 抽象的なイメージ絵によってそれらは表現されていた。


 強奪、略奪、簒奪さんだつ

 私利私欲に剥き出しにし、他の神々から何もかもを奪う単純明快な戦いの図。

 力ある者が力無き者を蹂躙するだけの弱肉強食の世界が展開されていた。


「奪い奪われる、侵す戦いに正義も秩序もありはしない。気の向くまま、赴くままに、神々は弱き者を貪る阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄を長い間に渡って続けた。私とて力と神格を守るために必死じゃった。持てる力の全てを投げ打ち、滅ぼされまいと断固抵抗を続けたのじゃ」


 頭に広がるのは燃え盛る戦火、神同士の激しい戦い。

 争いに巻き込まれて下界は荒れ、多くの罪のない民が犠牲になった。


 怒りと悲しみ、強い憎悪と悲哀の連鎖。

 利己的に奪い合う争いは、まさに愚かしいばかりの戦争を思わせた。


「そんなときじゃった。事態を厭い悲しんだ、この神の世の中心におわす一柱の大神おおみかみ、──太極天たいきょくてんが神々にその案をもたらしたのじゃ。もう血で血を洗うような争いは止め、平和と秩序ある神々の世界を取り戻し、怒りと悲しみと虚無しか生まない無間むげんの悪夢を終わらせよう。未だ戦いを止められぬ者たちには、自分の無尽蔵の太極の力を分け与える。その代わりに、武芸試合の祭を開いて規則に則った新たな争いの場を設けよう、と」


 神の世界において、名を轟かせる大いなる一柱神、太極天。

 戦いの世を憂い、無限の力を持つその神は、自らの力を差し出すので神々全体に戦いを収めて欲しいと祈り願った。


 太極とは、陰と陽、黒と白の勾玉が合わさった円で表される大極図──。

 森羅万象しんらばんしょう、宇宙の根源とされる力の源を指す。


 太極の大神、太極天は無限の力をいけにえとして他の神々に捧げ、無秩序で悲惨な争いを鎮めて、戦いを別の形で行うよう申し出たのだ。


「戦いに疲弊して、辟易へきえきしていた神々は、太極天の無限の力を欲してか、或いはもう戦いを止めたかっただけか、総意にてその提案に乗るに至ったのじゃ。そうして、いつしか始まったのが神々の御前で行われる儀式──。それぞれの陣営代表が武を競い合って戦う奉納試合」


 神同士が使役するシキ同士を戦わせ合う。

 試合という新たな戦いの場を、太極天の名の下に生み出した。

 禍根しか残さない争いではなく、せめて秩序と規則を備えた戦争を執り行う。


「うわぁ、凄いな……!」


 話半分で聞いていたが、さすがに感嘆してしまう。


 大勢の八百万の神々と、千客万来せんきゃくばんらいの観客が熱狂する試合の光景が意識に飛び込んできた。

 割れんばかりの歓声に包まれた、闘技場で実施される正々堂々の戦い。

 それは、本当にこの神々の世界で開催されている武の祭典であった。


 日和はその戦いの名を告げた。

 太古の昔より、神々の世で永劫続いている、神々のための神前試合の名を。


「──天神回戦てんじんかいせん祈願祭きがんさい。太極天の大いなる神通力を巡り、八百万の神々がしのぎを削り合う試合。そのいくさこそがおぬしの勝負の舞台なのじゃ!」


 そこで頭の中に広がっていた映像は途切れた。

 意識は不意に解放され、元の古めかしい神社へと戻ってきた。


「ふぅ……。と、まあ、私たちを取り巻く状況はこんなところじゃ」


 目の前には力の入った説明を終え、一仕事終えたと汗を拭う日和の姿。

 不思議な力を使ったためか、何だか随分と疲れてしまったように見えた。


「……」


 呆然として、何ともいえない表情で日和を見下ろしている。

 興味は無く、うんざりとした気持ちで単に聞き流していただけだった。


 もう夢であるのは確実なのだから、さっさと終わって欲しいと思っていた。

 それなのに。


──なんだってんだよ。どうでもいいはずなのに、何かざわざわする……。


 頭が重く、胸の奥が締め付けられる思いがして戸惑う。

 言葉では説明できないが、手放しに放棄するのが何故かためらわれる。


──この小っこい女神さん……。天神回戦っていう言葉……。


 初めて見る自称女神の日和の顔。

 初めて聞く天神回戦という言葉。

 心身の内にある何かが、これらの事象に何かしらの反応を示していた。


──この既視感……。思い出すまでもない、よな……?


「──パンドラ、あのときと同じだ……。この胸騒ぎの感じ…」


 すぐにこの胸のざわめきを思い出していた。

 頭に浮かんだのは、もう幻の果てにしか存在しない恐ろしげな奈落の迷宮。

 パンドラの地下迷宮。


 天神回戦という鍵となる言葉には、パンドラの地下迷宮と同種の感覚を覚える。

 これは外部から何らかの刺激を受けた際に生じる緊張状態、ストレスだ。

 無意識の奥底から、何かが何かを訴えかけてきている。


──嫌な気持ちになるだけじゃなくて、心が奮う……。これはいったい……?


 適度なストレスは交感神経を覚醒させ、判断力や行動力を高めてくれる。

 不快に足踏みするのではなく、快活に一歩を踏み出す意欲を促進させている。


 例えば、パンドラの地下迷宮に挑む使命にやる気が出たように、天神回戦の試合に出場しようとする気力が湧いてくる。

 否応もなく、望む望まないに関わらず、何故だかそんな気がした。


「またまたどうしたのじゃ? ぼーっとしおって」


 眉間にしわを寄せて固まっていると、日和は小首を傾げて下から覗き込んできた。

 女神を名乗るだけあり、子供とは思えない綺麗な顔をしている。


 と、その顔がぱっと明るくなり、何かを閃いたような目の輝きを見せた。


「そうじゃ! おぬしの名前をまだ決めておらなんだわ! 名無しのシキでは淋しいからのう。何か良い名を授けようぞ」


 後ろ手に数歩後ずさり、やおら張り切って人差し指を突きつけた。


「おぬしは我が神社の白い玉砂利を依り代にして生み出したシキじゃ。だから、おぬしの名前は、──白玉童子しらたまどうじじゃっ!」


 これは良い名前が浮かんだとばかり、輝くほどに得意そうな顔をする日和。

 その瞬間、何かがぷつんと切れる感じがした。


 身勝手な都合で、変な名前を付けられそうになっているのを皮切りに。

 こちらの事情を顧みず知りもせず、心をざわつかせる得体の知れない感覚が拍車を掛けた。

 ただでさえストレス過剰でピリピリしていたのに、もうそろそろ限界だ。


──美人のエルフ姉妹とお別れさせられて、単なる夢で片付けられた挙げ句、白々しく始まった次の世界では神様のしもべにされている……。そのうえ訳のわからん試合の場に駆り出されそうになってるこの状況……。笑えねえ、いくら何でも悪い冗談が過ぎるだろ……。


 沸々と胸の奥底から湧き上がる強い感情。

 我ながら火付きの良すぎる思考回路に面食らいつつ。

 初対面の見た目子供の日和に対し、大人げない剣幕で怒りを爆発させる。


「ふ、ふっ……!」


 もう我慢も限界だった。

 こんな不条理に付き合う道理は全くない。


「ふざけんな、馬鹿野郎ぅっ! 訳わからんこと言って、勝手に妙ちきりんな名前付けてんじゃねえよっ! 俺には佐倉三月さくらみづきっていう立派な名前があるんだ! 白玉童子なんて名前はまっぴら御免だってんだ!」


 自ら名乗りをあげ、女神様に向かって叫び散らした。


 白い玉砂利で創ったから白玉童子。

 などという安易な名付けはまったくもって願い下げである。


 自分には親からもらった立派な名がある。


 姓は佐倉、名は三月。

 自分の真の名を大声で口にすると、心や魂により強い気勢が伴った。


「天神回戦だか何だか知らんけど、神様の都合で始まったごたごたに俺を巻き込んでんじゃねえっ! 俺は出ないからなっ! そんな試合にはぜぇーったいに出ないからなっ!!」


 第二に目覚めた、不可思議なる神々の異世界にて。

 神の意思さえはね除け、不屈の反骨心を燃え上がらせて。


 シキのみづきは、そうして力強い産声うぶごえをあげて誕生したのであった。



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