第259話 竜の名は桜花
馬市に馬を見に来たら、何とドラゴンを紹介されたミヅキたち。
市場の外れにある掘っ立て小屋から、四つんばいに歩く大きな竜が現れた。
「つ、繋がれてないけど大丈夫なのか……?」
「心配すんな。ちゃんと調教してあるから危険はねえよ」
ギルダーはそう言うが、間近で見る竜の迫力にミヅキは完全に及び腰だ。
思えばこの異世界で初遭遇して驚かされたのもレッドドラゴンで、現実世界で手も足も出ずに追い散らされたのも黒い龍だった。
これからも何かと竜には関わりがありそうで気が重い。
「こいつだって誇り高い竜の末裔だ。自分よりも弱いってわかってる相手を歯牙には掛けねえ。妙なマネをしねえ限りはな」
「うぅ、本当かなぁ……。ドラゴンに関わるとろくな目に合わないからなぁ……」
びくびくおどおどするミヅキを竜はじっと見つめている。
完全な放し飼い状態で、柵があったとしてもこの巨体が暴れれば何の意味もなさそうではあった。
「そうでなくたって竜は賢い魔物だからな。世話してくれてメシがもらえるんならここに居てやってもいいって、そう思ってるんだろうさ」
びびるミヅキの横に並ぶと、ギルダーは竜を指し示す。
大きくて硬そうで四足歩行、そのうえでの特徴を話し始めた。
「見ての通り、なりが変わってるだろ? 貴族様が扱うには格好がつかねえ。商人が見世物に使うにも値が張りすぎて割に合わねえ」
ギルダーの言う通り、竜の見た目は特徴的な部分があった。
それは体表の色である。
竜の硬そうな皮膚は、何とも綺麗な薄いピンク色をしていた。
平べったく大きめの甲殻が全身を覆っているため、より色が強調されて見える。
「賢いうえに力も強くて足も速い。モノは一級品の竜なのによ。手に入れたはいいが、買い手がつかねえで俺らのところの穀潰しになってるって訳だ」
お手上げとばかりにギルダーはため息をついた。
ピンク色は赤子の色とされ、子供っぽいととられがちで面子を重んじる貴族からは敬遠されている。
そもそも竜は高価すぎて、一般の商人では手が出ない代物だ。
「へぇー、でもピンク色なんてなんか可愛いな。あたしはいいと思うけど……」
確かに見た目は可愛いと思い、キッキは不用意に近付いていった。
但し、ピンク色をしていようとドラゴンはドラゴンである。
最強の名をほしいままにしているのに、可愛いなどと侮られてご立腹であった。
「キャー!?」
突然、竜は首を突き出してきて、尖った嘴をキッキの股下に潜り込ませた。
そのまま頭部を跳ね上げ、キッキを軽々とひっくり返してしまう。
青空の下、真っ白なかぼちゃパンツが丸見えになっていた。
「あっ! キッキ、大丈夫か──、って、うおおっ!?」
駆け寄ろうとするミヅキに向かって、竜は強烈に威嚇行動をとった。
首の周りの硬質な皮膚を一斉に立てて自分を大きく見せ、ガアアァッと鳴く。
五枚の襟状の皮膚を広げた様はエリマキトカゲであり、大きな花のよう。
ミヅキは驚いて腰を抜かし、尻餅をつかされてしまった。
「えっ? ひぃ、怖い……」
キッキに続いてミヅキをびびらせ、竜が次に狙いをつけたのはおどおどしているアイアノアだ。
のしのしと方向転換すると、いかつい顔をしたまま近付こうとする。
無論、賢いドラゴンのこと、相手がエルフであることもわかっている。
魔法を使われると面倒な奴らだが、力では圧倒的に自分が上なのだからと初めから舐めてかかっているのである。
「──姉様に近付くな」
しかし、大事な姉に危害を及ぼそうというなら彼女が黙ってはいない。
愛用のハルバードは宿に置いてきた、丸腰のエルトゥリンだ。
両手を腰に当て、威風堂々と竜の前に立ちはだかる。
またエルフか、と侮った竜はエルトゥリンの制止に構わず近付こうとする。
軽く小突いて吠えついて、身の程を思い知らせてやる。
きっとそんなことを思っていただろう。
但しと、竜は気付いた。
ピタリ……!
いつの間にか足が止まり、一歩たりとも進めていない。
石になったみたいに、身が固まって動けなくなっている。
「……血を抜いておろすわよ。命が惜しいならその辺にしておきなさい」
エルトゥリンの冷たい声が空気を震わした。
刺すほどの視線に射すくめられ、竜は本能的に力の差を感じ取る。
途端、顔の周りの皮膚をぱたっと閉じて、ゴローンと派手に横倒しになった。
さっきまでの威勢はどこへやら。
手足を折り曲げ、尻尾を巻いて、円らな瞳でエルトゥリンを見つめる様子は完全なる服従のポーズであった。
「よしよし、いい子」
エルトゥリンに頭を撫でられ、竜はゴロゴロと鳴いていた。
争わずともわかったのだろう。
このエルフの狩人には手も足も出ない。
それどころか下手をすれば、今夜の食卓に自分を並べられかねない。
竜はそう理解し、エルトゥリンにびびりまくっておとなしくなるのだった。
「……賢いのはわかったけど、誇り高い竜ってのはどうなんだ……? エルトゥリンに掛かっちゃドラゴンも子犬と変わんないな……」
ミヅキはエルトゥリンのいつもの感じに苦笑した。
やれやれと言うばかりに起き上がり、ひっくり返っているキッキに手を貸した。
「──ミヅキ、この子にするの?」
振り向いたエルトゥリンが問い掛けた。
馬ではなく、王都に行く足代わりに選ぶのはこの大地の竜かと。
「……そうだな、重い荷車を運んでくれるなら馬じゃなくてもいいか。俺の加護もこいつのことを高く評価してるみたいだしな」
言いながらミヅキの顔に光の回路模様が浮かんだ。
新調したミスリルコートが淡く光っている。
知らず発動していた地平の加護は、この竜をすでに洞察していたようだ。
エルトゥリンはミヅキの言葉と様子を受け、黙って頷いた。
「いい? お前はうちの子になるの。……わかった?」
そして、またも凄みのある声を聞かせた。
すると竜は甲高くキュッと鳴いた。
「よし!」
エルトゥリンは竜の頭を軽く叩く。
小山が動くみたいに竜は起き上がり、おとなしく伏せるのであった。
「ミヅキ、こいつぁ値が張るぞ。またミスリルの塊を手放すことになるぜ?」
ギルダーはミヅキの横顔を見てにやりとした。
勇者の目利きと懐具合を推し量っているのだろう。
ミヅキの顔に地平の加護の線模様がさっと流れた。
「──よし、じゃあ買った!」
ミヅキは即答する。
洞察の結果、この地竜はミヅキのお眼鏡にかなった様子だ。
「お、おいおい、ミヅキっ、パメラの借金を返すのならともかく、ミスリルの価値を甘く見積もりすぎじゃねえのか……?」
ギルダーは泡を食っていた。
まさか、そんなすぐに決めるとは思っていなかったのだろう。
長年商人をしている感覚が正しいなら、ドラゴン種の値段は決して安くない。
ミスリル鋼の価値は高いというのが普通である。
「ミスリルの塊はまだまだあるし、必要ならどんどん使っていかなきゃ。で、この竜はいくらなんだ?」
「ミヅキにゃかなわねえな。そんな一山いくらみてえに、お宝を放り出しちまうなんてなぁ……」
けろっとしたミヅキに、頭を掻きながらギルダーは大きなため息をついた。
豪胆で大胆不敵であるのか、単に大ざっぱでどんぶり勘定なだけなのか。
噂の勇者の金銭感覚には驚くやら呆れるやら。
「それだけの価値をこいつに見出したってことだよ。速くて格好いい馬もいいけど、強くて頼れるドラゴンのほうが今後の計画には向いてるんだ」
この地竜は足も馬に負けないくらい速い。
何より戦えば当たり前に強い。
馬の代用になるのはもちろん、いざという時に頼りにできる。
地平の加護が言っている。
他の魔物が寄ってこないくらい存在感があり、重い荷車を引くのにも打って付けである、と。
「ミヅキの気が変わらねえうちに商談成立といくか。こちとら大飯喰らいの厄介者とおさらばできるし、ミスリルなんていうお宝が手に入って万々歳だぜ」
長く厩舎の主だった竜はあっけなく売れてしまった。
すんなり商談がまとまり、ギルダーは肩透かしを食らっている様子だ。
「そんじゃ、早速だが名前を付けてやってくれ。ずっと名無しの竜だったからな。名付けられて、それで晴れてこいつはミヅキのモンだ」
「そっか、名前か。綺麗な桜色の身体に、襟巻きが花弁みたいに開くから……」
馬にしても竜にしても、所有者が名前を決めるのは当たり前だ。
ミヅキはすでにこの竜の名前を思いついている。
「お前の名前は、──オウカだ!」
「オウカ……? あんまり聞かない感じの名前だね」
小首を傾げるキッキにミヅキは答える。
名付けの由来はもちろん、自分が住む現実世界の春の象徴だ。
「俺が住んでたところに咲いてる、桜っていう花の名前なんだ。俺の佐倉って姓もその花が由来でさ。色と言い、見た目といい、ぴったりだ」
「ふぅん、その花は見たことないけど……。うん、なんか、いい名前だねっ」
ミヅキの笑う顔を見上げ、キッキも笑顔になった。
見たことのないピンク色の花を思い浮かべる。
勇者と同じ名のこの竜、オウカのことを少しうらやましく感じた。
「よし決まりだな! 今日からこいつの名前はオウカだ! ──そんじゃキャス、隷従契約の魔力込め頼むぜ」
「りょーかーい、オーナー」
上機嫌にガハハ、と笑うギルダーの横からキャスがぴょんと飛び出した。
ミヅキは初めて聞く言葉にきょとんとする。
「隷従契約?」
「ミヅキ様、慣れているとはいえ、馬とは違ってドラゴンは魔物です。所有する主に従い、危害を加えないように契約を結ぶ必要があるのです」
アイアノアが後ろから顔を覗かせて説明してくれた。
いくらエルトゥリンに絶対服従していても、魔に属する以上、人に従うように処置をしておくのは必要不可欠だ。
それが強く賢い竜なら尚更で、確固たる契約を結んでおかなければならない。
「そういうこった、ミヅキ。手数掛けるが、ちょっとこっちに来てくれ」
オウカはエルトゥリンに伏せを命じられておとなしくしていた。
その近くに立つギルダーが呼んでいて、屈んだキャスもこっちを見ている。
「あっ、そういうことなら、オウカと契約を結ぶのはさ──」
「──あ、あたし?! マジかよ、ミヅキっ!」
ミヅキは隣のキッキを見て大きく頷いた。
契約をするのは自分ではなく、指名したのはキッキであった。
選んだのが馬でも竜でも、これも初めから決めていたことだ。
びっくりしているキッキにミヅキは理由を話す。
「王都へ行く用事が終わったら、オウカは店のために働いてもらうようになるからな。だからキッキが契約するのが丁度いいんだ。それにさ──」
キッキの猫の耳に顔を寄せ、そっと耳打ちをする。
次に話すこれが本当の理由で、ミヅキの気持ちだった。
「……将来、キッキが冒険者になったら、このオウカに乗ってキッキは旅立つ。輝かしい門出のお供って訳だ。そう考えると胸が熱くなるだろ?」
「えっ!? あっ……!」
それを聞いた瞬間、キッキは声をあげてミヅキの顔を見つめた。
いつかの夜に話した将来の夢のことを覚えていてもらえた。
少女の自分が大きくなって、店に心配が無くなったなら、両親と同じような冒険者になりたい。
そして、ミヅキやアイアノア、エルトゥリンと世界を回ってみたい。
それはそれは、何とも思い焦がれて止まない夢であった。




