第253話 二度目の神交法
「なるほどな、いよいよ本格的にパンドラ攻略に乗り出すから、ちゃんとした装備が欲しい、と。あまり聞かねえ言葉だが、……形から入る、ねえ」
禿頭で小兵の彼は、白髭を撫でつけながら呟くように言った。
人間やエルフに比べてかなり小柄な異世界人、ドワーフである。
今日も鍛冶の仕事着、上半身半裸の上から分厚い革の前掛けを着用している。
ここ、「ゴージィ親分の武具屋」店主、その名もゴージィ。
「ようやく自分の力の使い方に気付いたんだ。魔石の作り方もわかったし、自分の装備とどうにか結びつけられないかと思ってさ」
味のある鉄と革のにおいのする武具屋の空気の中、ミヅキはゴージィを見下ろしてそう言った。
ギルダーとの商談後の次の目的は、自分用の装備の調達だ。
トリスの街一番と名高いゴージィの武具屋を頼り、彼の元を訪ねてきたのだ。
「……ふぅむ」
「どうかした……? ゴージィ親分」
と、そんなミヅキを険しい顔をしたゴージィがじっと見上げている。
まじまじとそうしていたが、すぐににやりとした笑みを浮かべた。
「何があったか知らねえが、少しも経たねえ内にいい顔するようになったなぁ! ついこの前まで冒険者のいろはもわかってなかったってのによ! ……見違えたぜ、勇者ミヅキさんよ!」
しかめっ面から破顔一笑で、ゴージィは表情をほころばせた。
「お前さんはすげえ奴だっ! 何たって、俺たちが勝てなかった雪男を倒してくれた英雄様だからなっ! アシュレイの仇を取ってくれてありがとうよ……!」
ゴージィは一皮むけたとばかりのミヅキの背中を、力任せにばんばん叩いた。
仲間を奪った仇敵はもういない。
心に刻まれた恐怖の対象は、勇者が見事に討ち取ってくれた。
ゴージィを長年苛み続けた恐ろしい記憶は、ついにぬぐい去られたのである。
「痛たっ、痛いってば……! い、いやまあ、雪男を倒したのは偶然出くわしたからなんだ……。アイアノアとエルトゥリンが居てくれたからどうにかなったけど、俺だけじゃとても無理だったよ」
手加減無しに叩かれ、ゴージィから逃げ出したミヅキはため息交じりに言った。
雪男こと、ミスリルゴーレムは相当に手強い相手だった。
異界の神獣の一体で、その本質はおそらくシキと同質の存在。
偶然の遭遇戦だったうえ、エルトゥリンの解放した星の加護の力と、魔力を互いに通わせたアイアノアとの共闘の末に打倒することができた。
「へりくだってんじゃねえ! ミヅキは俺たちの希望だ。おかしくなっちまったパンドラを、勇者様がとうとう何とかしてくれるって、街の連中もそう言ってる!」
ゴージィは豪快な笑い声を店内に響かせる。
心の底から勇者の活躍を喜び、街を救ってくれたことに歓喜していた。
ミヅキはそんなゴージィを見て、満更でもなく微苦笑を浮かべる。
──パンドラの底に行くのは俺の都合だけど、こうやって街の人たちが喜んでくれるんならそれはそれでいいか。どうやったらパンドラを元の状態に戻せるのかわからないけど、雪男や他の異界の神獣との戦いは避けられないだろうからな。邪魔をするんなら、もののついでに全部ぶっ倒してやる。
頭に浮かぶのは、はっきりとした敵対関係にある魔物どもの存在。
すでに打倒した雪男のみならず、現実世界の神巫女町で襲撃を受けた二体。
新たな異界の神獣、巨大なグリフォンと、獰猛なヘルハウンド。
あいつらとの勝負はまだ決着を見ていない。
パンドラの異変と何らか関係があるのなら、いずれまた奴らと戦うときがくる。
「──で、どうするんだ? 装備を新調するのはいいが、今ここにある既成の品物じゃあ、多分ミヅキを満足させられねえぞ? この前みたいな安物のローブじゃあ、今のお前さんには到底見合わねえ」
と、難しい顔をするミヅキをよそに、ゴージィは店内をぐるり見回し言った。
伝説の魔物クラスと戦い、前人未踏のダンジョンの底に臨むには、自分の店の品では役不足ではないかと心配をしている。
事実、安物とはいえ正規品である魔術師ローブは、下に着込んだ鎖帷子ごと雪男の攻撃に貫かれてしまった。
あんな強大な魔物が相手となるなら、多少高価で性能が上だろうと、ここにある装備品では心許なさは否めない。
しかし、ミヅキはにべもなく答えた。
「そこは大丈夫だよ。ここに来たのはゴージィ親分の高い技術力でつくられた装備の数々を見せてもらうのと、新しい装備の材料を探すためなんだ」
「何だって……? 俺の技術と材料だぁ?」
目を丸くするゴージィに、ミヅキはなおも言った。
その瞳は自信に満ちた輝きがある。
「俺専用の最強装備をつくる! そのために協力して欲しいんだ、ゴージィ親分」
それこそがここに来た目的である。
真にパンドラの地下迷宮攻略に着手するに当たり、仲間の装備や段取りを整えるだけでなく、ミヅキも自らを強化して準備をする必要があった。
自分用の最強の装備、それを一流の武具職人ゴージィに求める。
「……はッ! 最強装備ときたか。いいぜ、どうするかわからんが、ミヅキの好きにやってみな。お手並み拝見といかせてもらうぜ」
武具屋の浪漫の果て──。
最強の武具なるものに興味をそそられ、ゴージィはにやりとした。
そんなものが存在するなら、ぜひともお目に掛かってみたいものである。
普段は笑い飛ばすところだが、雪男を倒したほどの勇者がいったい何をしようとしているのか見てみたくなった。
「それじゃ、アイアノア。早速だけど太陽の加護を出して、君の魔力を俺に分けてもらってもいいかな? また神交法をやるよ!」
と、後ろに控えていたアイアノアに振り返った。
今度も神交法を行い、ありったけの魔力を込めて地平の加護を使うためだ。
「えっ……? あ、あのうそのう……。うぅ……」
ただ待っていたのは、まゆを八の字にして困惑する顔であった。
上目遣いな目線を床と行ったり来たりさせながら、言いづらそうに唇を開く。
「ミヅキ様、それなのですが……。差し支えなければ神交法ではなく、以前の通りに手をつなぐほうのやり方で、お願いできませんでしょうか……?」
ミヅキのやる気とは反対で、アイアノアの発言は後ろ向き。
但し、今朝の出来事を思い出すなら、その気持ちは最もであった。
「ゴージィ様も見ておられますし、また人前であのような痴態をさらしてしまうのはさすがに恥ずかしいのです……。さらには、ミヅキ様のエルフを好きすぎる気持ちが直に伝わってきてしまって……。それはもうよくわかりましたから、そんなにも好意を向けられ続けては、身も心もたまりません……」
アイアノアはしおれさせた長い耳を、先まで赤くして恥ずかしがっていた。
思いが包み隠さず、直接的に伝わってしまうのは神交法の特性であり──。
地平の加護が専門とする、精神に干渉する権能である。
記憶等の情報に触れるに留まらず、気持ちの行き交いを対象との間で容易にしてしまうのは、たまにキズな特徴だろうか。
「お、思うだけなら自由だろ……?! 俺にだって、三度の飯より好きな物の一つや二つはあるよ……。そこは気にしないで欲しいな……」
「気になりますともっ……。私たちの心同士が調和し、溶けた気持ちが一つになっているのです。あまねく全てを分かち合うのは、恥じ入るだけではなく、……少し怖いのです」
思わぬアイアノアからの反発を受け、ミヅキも泡を食ってしまう。
知らない内に、彼女をまた不安にさせていたのかもしれない。
「そっか……。うぅむ、頭の中じゃ、もしかしたら良からぬことを考えているときもあるかもな……。俺の嫌なところを見せてしまっていたらごめんよ……」
「いいえっ、決してそのようなことはありませんっ。ミヅキ様の心は優しくて温かいです。……心配なのは、私が抱いている人間への負の感情まで伝わってしまいそうで、私のほうこそミヅキ様に嫌悪を抱かせているのではないかと……。やっぱり、私はエルフでミヅキ様は人間ですから……」
自分のエルフ好きが悪影響となっていなかったのは一安心だが。
アイアノアはまだ、種族の壁という問題を気にしている。
「表面上の気持ちは隠せても、無意識下では自分が何を思っているかなんてわかりません……。もし思っているのなら、ミヅキ様に伝わって欲しくないのです……」
「大丈夫だよ。アイアノアのそういうところだって、もうわかるつもりだからさ。種族が違うからどうとかはちっぽけな問題だよ。俺とアイアノアの仲ならね」
「そう仰って頂けるのはとても嬉しいです。でも……」
「お願いだよ、アイアノア。俺を助けると思って」
できるだけ優しく笑いかけてみたものの、アイアノアの表情は晴れなかった。
単に神交法が恥ずかしいだけではない。
ここまで人間との絆を深めたアイアノアでも、根強く残る種族間の軋轢にはどうしても臆病になってしまう。
「おいおいおい、ミヅキもアイアノアも、さっきから何をうだうだ言ってるんだ? ってか、二人して何て顔してやがんだ。真っ赤っかじゃねえか」
やけに距離が近く親密な感じの二人に、ゴージィは訝しそうに髭をいじる。
エルフと同じく人間を良く思っていない彼にとって、ミヅキとアイアノアが漂わせる雰囲気は違和感でしかない。
「エルフと人間で、色恋沙汰のマネなんざ笑えねえ冗談だ。二人して俺をかつごうとしてんのか? こう見えて忙しいんだ。そういう悪のりはよそでやってくれ」
照れている風のミヅキも、赤面してうつむくアイアノアも何だか気にいらない。
人間とエルフ。
最も険悪である種族同士の恋愛模様など、悪い冗談以外の何物でもなかった。
「悪のりって訳じゃないんだけど……。って言っても、やっぱりアイアノアだって嫌だよなぁ……。目的のためとはいえ、やる気が空回りしてたかな……。悪かったよ、アイアノアごめん」
面目無さそうな顔で苦笑いすると、ミヅキはアイアノアに手を差し出した。
「じゃあ、神交法はやめて、これまで通りの体交法をやろう。こっちのやり方でも、充分な効果を得られるかもしれないしさ」
「ミ、ミヅキ様……」
「確かに、アイアノアに嫌がられたり、ゴージィ親分の気分を悪くさせたりしてまでやることじゃないか。うまくいかなかったら、また別の手を考えるよ」
「あ……」
アイアノアは視線を落とし、目の前の手を取っていいものか迷っている。
心の中を騒がせるのは自分に対する葛藤だった。
──私、本当にこれでいいの? ミヅキ様が今後のことや私のためを思ってお考えになってくれたことなのに、恥ずかしいだの怖いだのと言い訳をして、ミヅキ様のお気持ちを踏みにじろうというの?
胸の奥がずきんずきんと痛みをあげ、いったい自分が何をしているのか顧みた。
神交法から体交法に切り替える選択は、妥協案に他ならない。
ミヅキを困らせているという事実が、アイアノアの心をきつく締め上げた。
──あり得ない! 私の馬鹿、大馬鹿! こんなことじゃ、エルフと人間はいつまでたっても不仲なままだわっ! 人間全ては無理でも、せめてミヅキ様のご意思だけは尊重して差し上げなければ、失礼にも程があるというものよ!
こんな気持ちになるのはもうたくさんだった。
これでいいはずはなく、殻に引きこもって前に進めないなど断じて否だ。
「お待ち下さい、ミヅキ様っ! 私っ、嫌なんかじゃありませんっ! たとえ使命の勇者様が人間であろうとも、ミヅキ様だけは特別なんですっ!」
アイアノアは意を決して叫びをあげた。
他の誰でもない、人間の側のミヅキが歩み寄ってきてくれている。
使命を果たすために、エルフの自分を気遣って特別な手を考えてくれた。
「恥ずかしかったり怖かったりが何だって言うのですかっ! わ、私はへっちゃらですよ! 何だってどんとこいです!」
大きな胸を前に突き出し、ずいと前のめりになる。
迷っている場合ではない。
自分だって勇者と共に行くのみだ。
勇者と肩を並べたい思いは本当なのに、何をためらうことがあるというのか。
「さあミヅキ様、ゴージィ様にとくとご覧になって頂きましょう! 身も心も深いところでつながり合った、私たちの絆を示すときですっ!」
ちょっと刺激的な心身の変化などどうってことはない。
同じ立場の亜人であるゴージィに、今こそ見せるべきときだ。
エルフと人間が目指す、希望の未来そのものな姿を。
「今度は私からっ! いざッ、神交法に臨みますっ!」
凜々しいアイアノアの表情の背後、太陽の加護の光球が出現した。
そのままミヅキの両手を取り、お互いの顔同士を付き合わせる。
──やり方はもうわかってる! 今度は私のほうから神交法を発動させるっ!
彼女の緑の瞳に、円環の光がぎゅんっと勢いよく浮かび上がった。
──行くわよっ、私ッ!
瞬間、二人の中を巡るのは、練り上げられた良質な魔力と──。
どうにもこうにもならないくらいの、とんでもない気持ちよさであった。
「ふわああああああぁぁぁぁぁーんっ! やっぱり駄目ぇぇーっ!」
アイアノアはたまらず天井を仰いで絶叫した。
押さえきれない魔力が再び湧き上がり、波となり渦となり全身を駆け巡る。
ちょっとどころの刺激ではない。
神交法の威力は、はっきり言って凄まじいの一言だ。
結局のところ、こんな快楽の奔流に耐えられる訳がなかった。
「ミヅキ様ぁッ!」
「うわあ!?」
アイアノアは感極まり、目の前のミヅキに抱き付いて押し倒してしまう。
二人は店の床にまとまって転倒し、もみ合いになりながらごろごろ転がった。
「ふわぁんっ、ミヅキ様ぁ! 私っ、胸が切なくってぇ! もう、どうにもこうにもなりませぇんっ! ミヅキ様とくっついていないと私っ、きっとおかしくなってしまいますっ! このままっ、もう少しこのままでいさせて下さいましぃっ!」
アイアノアはミヅキの胸にぎゅうとしがみついて離さない。
彼女の目に浮かんだ光の輪っかは形が崩れ、ハートの形になっていた。
「やっぱりこうなるのかっ……! 助けてっ、ゴージィ親分っ……!」
「イヤぁっ、私とミヅキ様の邪魔をしないでぇっ!」
助けを求めるミヅキと、抱き付きいやいやをするアイアノア。
いつの間にかゴージィの前まで転がってきていて、そんな光景を見せられるのはたまったものではなかった。
「かーっ、見てらんねえ! いったいぜんたい何をしにきやがったんだ! お前らの仲がいいのはもうよくわかった! 悪のりだなんて言った俺が悪かったって! 頼むから色ごとをおっぱじめるのは宿に帰ってからにしてくれよっ!」
目も当てられないと片手で顔を覆い、ゴージィは降参の声をあげた。
自分の失言からか、とんでもないいちゃいちゃを見せつけられてしまった。
人間とエルフは反目し合う関係なのに、度し難い物好きたちも居たものである。
本日二回目となる神交法は、至って良好な結果を生んだ。
ミヅキとアイアノアには魔力が充実し、魔力切れなど全く心配しなくてもいい。
修行不足で気持ちが盛り上がりすぎるのは差し置き──。
気心を交わし合う二人の仲は、確実に良くなっていくのであった。
「ミヅキ様、ミヅキ様っ、ミヅキ様ぁーっ!」
「ア、アイアノア、苦しいっ……! し、死ぬーっ!」




