第251話 獅子と羊と狐1
「ミヅキ様ぁ、先ほどは大変はしたないマネをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした……。ミヅキ様と触れ合うと抑えがきかなくなってしまって、あのような痴態を──、ふわぁんっ!」
背中を丸くしたアイアノアが、顔を両手で隠してわめいていた。
天気の良いトリスの街の往来を、並んで歩くミヅキとアイアノアの二人。
往来と言っても、まだ朝が早いことを考えても人通りは少ない。
「あぁいやぁ、初めてなら仕方ないよ……。俺も最初は頭がくらくらしてぶっ倒れそうになったし……」
「えっ、先ほどの神交法が初めてではなかったのですか?」
苦笑いと照れ笑いが半分のミヅキに、アイアノアは顔を上げた。
うれし恥ずかしな思いの神交法なのだが、伝授をしたミヅキにとっては初めて使う秘術ではない。
「俺ってさ、別の異世界にも顔出してるって言っただろう? そこでとある女神様に神交法を教えてもらったときが最初なんだよ」
「は、はぁ……。世の中、不思議なことがあるものです。ミヅキ様が仰るならそれは本当なのでしょうね。私、信じますっ」
あっけらかんと言うミヅキに、アイアノアは不思議そうな表情を浮かべた。
ただ、ミヅキを疑う様子は全くない。
ミヅキがどういう経緯で神交法を会得してきたのかはわからなかったが、その効果はまぎれもなく本物だ。
女神とやらに教えてもらったというのだから、きっとそうなのだろう。
「うん、信じてくれてありがとう。俺とアイアノアの魂は相性が良いみたいだから、これから神交法の回数を重ねれば、もっと色々わかり合えると思うよ」
「はいっ……。そ、それはもうっ……」
他意のないミヅキの言葉は、アイアノアに神交法の威力を思い出させる。
宿での出来事が頭によぎり、彼女は長耳の先まで顔を真っ赤に染めた。
──い、嫌だミヅキ様ったら……。相性がいいからと、あのようなはしたない秘術を何度も私と繰り返そうというの……? 魔力不足で意識を失ってしまうのは困るけれど、事あるごとに天にものぼる心地よさを味わうのも困ってしまいます……。
魂の相性が良い、とはアイアノアにとっては殺し文句であった。
事実、ミヅキと神交法を行ったときの幸福感は言うに及ばず、心身を隅々まで満たした気持ちよさはこれまで味わったことのない快楽だった。
あんな思いを繰り返されるのは、嬉しいような困るような。
「それにしても、俺の用事でアイアノアを連れ回して悪いね。今日はパンドラへは行かないけど、俺が魔法を使うためにはアイアノアの協力が必要不可欠だからさ」
「ミヅキ様の行くところでしたらどこへなりとお供させて頂きます。ミヅキ様の立てられた計画はいずれパンドラ踏破に繋がる道です。ならば、それを私がお手伝いするのは当たり前の話ですっ」
ミヅキの言う通り、今日はパンドラの地下迷宮へ行く予定は無い。
ミヅキとアイアノアの二人はこうして街に出向き、店を手伝えなくなると言った手前だったが、エルトゥリンはキッキと一緒に配達へと出かけていた。
「そっか。実はそう言ってもらえるのは正直助かるよ。やっぱりここは、俺にとって慣れない世界だからね。他でもないアイアノアが着いてきてくれるのは本当に安心なんだ。じゃあ悪いけど、今から目いっぱい俺に付き合って欲しい」
「つ、付き合って……。私とミヅキ様がっ……? はわわわ……」
異世界人な自分にとって、現地人のアイアノアの同伴は本当に心強い。
転移者であることを隠さなくなったミヅキの素直な気持ちだったが、言われる側のアイアノアはまたしてもあらぬ妄想をかき立てている。
──ということは、これは……! 男と女が連れ添っての逢い引き……。ででっ、デートというものだわっ……! ミヅキ様と神交法をしてから、いったい私はどうしてしまったの……? こんなにも心をかき乱されるなんて……。
元々、ミヅキのことを人間だからという色眼鏡を外して好意的に見られるようになっていたところ、神交法を交わしたことでさらに彼女の心は乱されていた。
精神の修行が足りない二人にとって、それは思わぬ副作用となって互いの気持ちに表れているようである。
「んもうっ、またそのように公然と私への好意を示されてはぁ……。って、あれっ、ミヅキ様……?」
道のど真ん中で顔を赤らめ、もじもじくねくねするアイアノア。
だが、気がつくともうそばにはミヅキは居ない。
どこへ行ったのかときょろきょろ見渡すと、ミヅキはとある建物の前に立ってアイアノアに手を振っていた。
「……あった! おーい、アイアノア! ここがギルダーの旦那の店だよ!」
「えっ? あっ、お待ち下さいましーっ……!」
慌てて走り寄ったアイアノアと、並んで見上げるのはひときわ大きな店舗だ。
両開きの大仰な入り口を正面に、豪華な洋風建築の店構えがそびえ立つ。
「金獅子の館……。大体この時間は、ギルダーの旦那は自分の店に居るってパメラさんが言ってたな」
「きらきらしてます。豪華そうなレストランですね」
目立つ看板には「金獅子の館」とあり、パメラに聞いて訪ねてきたここは商工会会頭であるギルダーの経営するレストランであった。
アイアノアの感想通りで、意匠を凝らした玄関扉や店舗の装飾、透明なガラス窓の向こうの店内は、奢侈な雰囲気を醸し出している。
曰く、パメラの宿のような一般向けの食事処ではなく、金持ちの上客を相手にする高級料理店なのだそうだ。
「ごめんくださーい。お邪魔しまーす」
ガチャリ、と重々しい音が響き、両開きの扉が奥に開いていく。
ミヅキとアイアノアは声を掛けながら店内へと足を踏み入れる。
ギルダーの居る、ここ金獅子の館が二人の目的地であった。
「いらーしゃーせー。でもまだ準備中だよー」
店内でテーブルセッティングをしていた店員が、早い時間の来客に声をあげた。
店員はブラウンのカールロングな髪型の女性で、やや丈の短いスカートのエプロンドレスを着用している。
何だか砕けた感じの、気が抜けた声の調子が気になったが。
「ああいや、俺たちはギルダーの旦那に用があって──」
「へっ? オーナーに用事? ん? あれ? アンタまさか? しかもお連れは噂のエルフのおねーさん……? っていうことは──」
ミヅキが言い掛けると、跳ねるみたいに近付いてきた女性の店員は、大きな耳とふわふわの尻尾をぴんと立てた。
若干つり目な黄色の瞳が、見る見るまん丸になっていく。
「あっ! ああーっ!」
ミヅキの顔をまじまじと見た後、後ろに一歩引いて立つアイアノアを見て、唐突な大声をあげた。
「キタッ! キター! 勇者キタよ! とうとうウチにミヅキっちが来たよー! ねえねえミルノっ、ミルノーっ!」
どたばたと騒ぎ散らし、店員は奥へと引っ込んでいった。
置いてけぼりにされたミヅキたちに聞こえるくらい、店の奥では騒々しい声が続いている。
ややあって、今度は二人になった店員が慌てて出てきた。
「申し訳ありませんっ。店の者が失礼致しましたっ」
さっきの賑やかな店員を連れ立ち、先頭に現れたのは今度は男性の店員だ。
白いシャツに黒いフォーマルベストを着ていて、すらっとした長身はミヅキよりも少し高いくらい。
男性店員も、女性店員と同じく個性的な見た目をしていた。
「お初にお目に掛かります。僕はここでウェイター兼、コックをやらせてもらっている、ミルノという者です。どうかお見知りおきを」
姿勢を正し、落ち着いた感でお辞儀をして、清涼感のある笑顔を浮かべた。
白っぽいくせっ毛のもこもこヘアに、茶褐色の巻き角が側頭部に左右一対に生えていて、真横に垂れ気味に飛び出した耳は何とも可愛らしい。
どこからどう見ても羊の獣人な店員、ミルノ。
「わたしはキャス、見ての通りウェイトレスだよー! よろしくぅ、いぇーい!」
勇者の来店に大騒ぎしていた女性の店員キャスは──。
元気いっぱいきらきらな笑顔で、ダブルピースをびしっと決めた。
大きな耳とふわふわ尻尾は狐のもので、特に耳はアカギツネよりもフェネックのそれに近い。
印象はこの異世界で言うところの、今時なキツネギャルだ。
二人とも、年の頃は成年したてといったところで、パメラとキッキと同様、身体に獣人の特徴を持ちつつも、基本的には人間に近い容姿をしている。
ファンタジー世界の多分に漏れず、そろって美形で器量よしだ。
「勇者ミヅキ様、ですね。お会いできて光栄です。ご来店を歓迎致します」
「すっかり面が割れてるんだな……。自己紹介がはぶけて何よりだよ。改めて、俺はミヅキで、こっちはアイアノア。今日はギルダーの旦那に会いに来たんだ」
新たに登場した初対面の異世界人なのだが、あちらは当然のようにこちらを知っていて、相変わらずの情報伝達の速さには呆れてしまう。
ミヅキは改めて挨拶をし、アイアノアは笑顔でぺこりとお辞儀をした。
「あなた方のお噂は旦那からかねがね伺っておりました。すぐに取り次ぎますので、お席でお待ちになっていて下さい。──キャス、何か飲み物をお出ししておいて。旦那の分も忘れずにね」
「りょーかーい! ささっ、ミヅキっちにアイアノアっち、こちらへどーぞー! 歓迎するよー!」
言い残してミルノは店の奥へと戻っていった。
底抜けに明るい感じで答えたキャスは、開店前でひとっけの無い店の中、ミヅキとアイアノアを席へと案内する。
くるりと背中を向けて、真上に立った耳をぱたぱた動かし、先端の毛が黒い尻尾をゆらゆらさせて歩いていく。
ミヅキの目はそんな後ろ姿に釘付けになっていた。
「キツネの耳に、ふわふわの尻尾だ……」
「んふっ!」
と、ミヅキが自分に見とれていると気付いたキツネギャルは、少しだけ振り向いて愛嬌たっぷりにウインクをして笑って見せた。
これにはミヅキも堪らず胸をキュンとさせてしまう。
彼女は正しく、自分の獣人としてのチャームポイントを心得ているのだろう。
「か、可愛いっ……!」
「もうっ、ミヅキ様っ!」
但し、キャスにでれでれとしていると、後ろ手をぎゅうとつかまれる。
思わず振り向くと、そこには間近に迫ったお冠なアイアノアの顔があった。
「私に尻尾はありませんが、このエルフの長い耳があります! ミヅキ様は今一度、ご自分が大切にしていらっしゃるものを顧みる必要があると思いますっ!」
「えっ? あっ、うん……?」
何を言われたのかわからないミヅキを置き去りに、アイアノアは先に案内された席に座ってしまった。
ミヅキも隣に腰掛け、その表情を伺ってみるが視線を合わせてくれない。
「あ、あれ? アイアノア、何か怒ってる……?」
「怒ってません! 私は至って平常心ですっ! ミヅキ様が他のお耳にうつつを抜かしておいででなければ、もっと心穏やかにいられますけどっ!」
「ご、ごめんよお……。初めて見る耳だったからつい……。やっぱり俺にはエルフの耳が一番だよ……」
「知りません! ミヅキ様なんて、多種多様なるお耳を広く浅く愛でていればいいんです! 無理にエルフの耳を選んで頂かなくとも結構ですっ!」
──本当にもう、ミヅキ様ったら目移りが多くて困りますっ! 人間以外の耳なら何でもいいって仰るのかしらっ?! 朝から色々思い違いをさせられて、とってもどきどきはらはらな思いをした私の気持ちも考えて欲しいです……!
ぷんぷん怒った顔の彼女は、きっとそんなことを考えている。
ミヅキは必死になだめようとするも、アイアノアは長い耳を先っちょまで赤くして、大層機嫌を悪くさせるのであった。
「おお、ミヅキ! よく来たなぁ! もう身体は大丈夫なのかよ? 連れのエルフのお嬢ちゃん──、アイアノアさんだっけな。歓迎するぜ!」
と、そこへ店の奥からライオン顔の大男が姿を現した。
毛むくじゃらの恰幅のいい体格がのっしのっしと歩いてきて、ミヅキとアイアノアの正面のソファーにどっかと座る。
獣よりな風体の獣人、トリスの街の商工会会頭、ギルダーであった。
「やぁ、ギルダーの旦那……」
「ふん……! ごぶさたしておりますっ」
「なんだぁ? 来て早々、いきなりケンカでもしてんのか? やれやれ、アシュレイとパメラみてぇにはうまくいかねえもんだな。特に、人間とエルフはよ」
明らか険悪そうな二人の雰囲気に、ギルダーは苦笑いに大きなため息をつく。
仲が良さそうだと思っていたが、やはり人間とエルフの関係はこんなもんだ。
と、せせら笑おうとしたその瞬間。
「そんなことはありません! 魂の深くで繋った私とミヅキ様は、それはもう仲良しこよしなんです! ケンカなんて絶対にしませんともっ! そうですよね、ミヅキ様っ!?」
立ち上がったアイアノアが大声でまくし立てた。
有無を言わせない迫力の笑顔で同意を求められ、違うとは言いづらい。
「お、おう、そうか……」
「アイアノア、落ち着いて……」
アイアノアは、ミヅキとの仲が悪いと思われるのは気に入らない様子だ。
気むずしい乙女心に、男二人はたじたじでなのであった。




