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第26話 うたかたの夢

 仄暗(ほのぐら)い水底に気だるく漂っている感覚があった。

 全身に力が入らず、指一本動かす気力さえ湧かない。


 泥で濁った水中のような視界は悪く、一寸の先も窺い知ることはできなかった。

 おそらく水面方向と思われる上側も、月明かりめいた淡い光源があるばかり。


 息が出来ないほど苦しく、藻掻きたくとも手足が言うことを聞かない。

 ゴボゴボと口から漏れる泡沫(ほうまつ)を見上げながら、水と思しき流れに身を任せてたゆたっている。

 心にあるのは諦めの観念と、絶望に塞ぐ思いであった。


 ふと、暗い空間の向こう側に眩い光が二つ見えた。


 一つは、力強さを誇示して煌々(こうこう)と光り輝いている一番星の光。

 一つは、今にも消え入りそうな弱々しく点滅している(かそ)けき光。


 意識は二つの光に徐々に引き寄せられていく。

 近づいていく内に、二つの光の輪郭がおぼろげながらわかるようになってきた。


『みづき……』


 そして、光にはっきり声と判別できる音で、名を呼ばれた。

 遙か遠くから呼ばれている、そんな風に感じる幻想的な声だった。


 目を開けていられないくらいの煌きが迫り、大きい光も小さい光も等しく優しい光彩を放っていた。

 二つの光はまるで人のような形をしている。


『めざめなさい、みづき……』


 もう一度、明瞭と名を呼ばれたとき、不意に意識は覚醒へと向かった。

 また声が聞こえてくる。

 今度ははっきりと、歓喜の入り交じった感情のある声だった。


「あぁ、三月っ……! やっと見つけた……! ここにいたのね、三月っ!」


 水底の自分を水面方向から迎えに来てくれたのは──。

 なんと全身が金色に光り輝く()()であった。


 顔は暗くてわからなかったが、声からして女性だったと思う。

 二つの光に見守られ、人魚に手を引かれて浮上していく。

 水面が近付くにつれ、暗かった世界が晴れて一気に明るくなった。


◇◆◇


「ん……!」


 震える瞼の隙間から日の光が網膜に差し込んだ。

 思わず手を頭の上にかざして、刺すほどの眩しさを遮る。

 やがて意識がはっきりしてきたところ、降って湧いたような大音響が耳に飛び込んできた。


「……んんっ!?」


 驚くことにそれは大勢の多種多様な観衆による大喚声であった。

 ワァァァという、おびただしい人数の熱気高まる大声に囲まれ、一人ぽつんと立ち尽くしている。


「いぃッ……?!」


 我ながら素っ頓狂な声をあげ、その驚愕の光景を目の当たりにした。


 まるで、そこは円形闘技場(コロシアム)だ。


 乾いた土と砂で固められた闘技会場は、どんな激しい戦いにも応えられる広大な面積を有している。

 東側と西側には、剣闘士が入場する仰々しい門が口を開けていた。


 観客席は三層に渡り、上に向かって大人数を収容できる充分な席の数が設けられていて、超満員の客の入りである。

 開放された天井部には巨大な(ひさし)がせり出していて、観客席を日当たりから防いでいた。


「な、ななっ!? ここはいったいどこだっ……!?」


 必死に冷静さを取り戻そうと辺りをせわしなく見回してみる。

 とっさに円形闘技場だと思った周りの印象に間違いはないが、見慣れない光景には違和感しか感じない。

 その場所は、古代中世的な石造りの洋風とは一線を画していた。


 観客席のあちこちにぶら下がっている赤や青の色とりどりの提灯(ちょうちん)に、祭や縁日の時に飾られているような旗や(のぼり)の数々。


 多分、漢字と思われる難しい文字が書き連ねられた垂れ幕の布が、天井付近から無数に垂れ下がっている。

 闘技場全体を取り囲んで等間隔で建てられた灯篭(とうろう)群には、赤い炎がたたえられていた。


 歓声と共に聞こえてくるのは、和太鼓と和笛(わてき)の激しい音色である。

 何ともはや、和風な趣のコロシアムであった。


「みづきぃーッ! しっかりなのじゃぁーっ!!」


 会場の北側にある、見るからに要人待遇の特別席から声援が届いた。

 古めかしい言葉遣いの少女の大きな声だ。

 また一段と頭がしゃっきりと覚醒した思いだった。


「みづき……。あぁ、俺の名前だ……!」


 それは紛れも無く自分の名前だった。

 意識が明るくなっていくにつれ、いつか感じた混乱が再び押し寄せてきた。


 また妙なことになっている。

 また身体と意識の違和感がひどく、感覚がズレている。


 またしても、この訳のわからない事態との記憶の食い違いを頭が修正していく。


「だ、だけど……。うっ、うわあぁぁぁぁっ……!?」


 しかし、身体の違和感や記憶の食い違いを気にしている場合ではなかった。


 目の前に恐ろしいモノが立ちはだかっていた。

 驚愕の思いでそれを見上げ、悲鳴をあげて立ちすくんでしまう。

 

 二丈(6メートル)はあるだろう、黒ずんだ肌の色の肥大した筋骨隆々の巨体。


 腹の辺りまでを覆う当世具足(とうせいぐそく)の甲冑の胴、袖なしの篭手(こて)、揺るぎの糸に結ばれた草摺(くさずり)を身につけ、佩楯(はいだて)の下からむき出しの(すね)と裸足が伸びていた。

 右の豪腕が石突を立てて構えている長得物はただの槍ではなく、双つの歪曲した鋭い切っ先が取り付けられた刺股(さすまた)だ。


「フゥーンッ!」


 何よりも迫力満点なのは、荒々しい鼻息を爆風のように吐き散らしている顔。

 漆黒の立派なたてがみを振り乱し、らんらんと双眸(そうぼう)をぎらつかせて、立てた両耳をびくびく震わせている文字通り鬼の形相の馬頭(めず)


「ば、化けモンだ……! 馬頭の鬼だ……!」


 生温かい鼻息に吹かれつつ、青ざめた顔で呟いた。


 威風堂々と仁王立ちする、今にも飛び掛ってきそうな勢いの巨体の魔人。

 それは馬の頭を持つ鬼、地獄の獄卒(ごくそつ)


「なんなんだよ……?! どういうことなんだよっ……?!」


 いきなりの鬼の登場にも驚いたが、この和風な闘技会場に集まっている観客たちも普通ではない。


 一つ目だったり、(くちばし)が付いていたり、頭に皿があったり、首や鼻が長かったり、手や足が多かったりと千差万別の異様の集団だ。


 一見人間のような者も混じってはいるが、神々しい雰囲気や浮世離れした様子からして、おそらくは人ではない何かだろう。

 みな一様にゆったりとした着物を着用しており、観客は神仙や妖怪ばかりのようで人間は一人もいない。


「ひぃえぇぇ……」


 超満員な観客の円形闘技場で、巨躯の馬頭鬼と相対している。

 気付くと相手の得物の刺股に対して自分は丸腰。


 どう考えてもこれからこの闘技場で、この恐ろしい馬頭鬼と一対一で、何故か素手で戦わなければいけない状況となっている。


──思い出せ、思い出せぇ! そろそろと記憶が整理できてきた頃だぁ!


 やっぱり前回同様、どうしてこうなったのかの経緯が不思議と思い出せる。

 前回、とはいったい何のことだったか。


 まだちゃんと記憶が整理できていないが、少なくともこんな場所でこんな相手とやり合わなくてはいけなくなった理由は心得ていた。

 せわしなく記憶が巡る。


──くっそぅ、全部あの残念な女神のせいだ! 日和(ひより)めぇ……!


 忌々しげに歯軋りをしながら、冷たい汗をだらだら流した。

 思えばあのちっこい駄目な女神様が、こんなに状況が悪くなるまで下手を打ち続け、いよいよどうしようもなくなった御鉢(おはち)を回してきたからこうなった。


 時は一刻少々さかのぼる。

 それは何の前触れ無く突然として始まったのだ。


◇◆◇


「……ん、もう朝か?」


 まぶたの向こうに明るさを感じ、睡眠状態から意識を取り戻した。


 と、何か身体中に細かく当たる違和感を感じる。

 固いつぶつぶが全身の至るところをちくちくと突いてくる感触だ。

 さっきまで気持ちよく寝ていたのに、むず痒さを感じて物凄く不愉快な気持ちになった。


「んん、なんだ……?」


 呟いて目を開けて周りを見ると、不快感の正体はすぐにわかった。

 均等な大きさの白い小石がそこら中に見えた。

 それらは一粒一粒が丸みを帯びた玉砂利(たまじゃり)である。


 玉砂利が大量に積み上げられた小山の上に、仰向けで寝転んでいるのだ。

 少し身体をよじると、じゃらじゃらと音を立てて小石の山が形を変える。


 白い玉砂利といえば、連想するのは神社の境内だ。

 呼吸をすると、ひんやりとした土の匂いが胸を満たした。


──あれ? こんなところで寝てたっけ? 頭がぼんやりする……。


 眠ったときと目覚めた今の記憶が曖昧になっている。

 少なくとも、こんな場所で就寝した心当たりは全く無かった。


 見上げる天井は古めかしい板張りで、痛みとカビによる染みでほとんど真っ黒になってしまっている。


 玉砂利の寝所から見下ろす床は畳張りになっていて、汚れと日焼けの経年劣化だけでなく、表面のささくれ状況と湿気による変色がひどい。


 窓が見えるものの、ガラスのそれではなく木製格子のはめ殺し窓で、ところどころ格子がすっぽ抜けていたり、黒く腐食していたりと状態は悪い。


「な、なんだ……? このぼろい家は……?!」


 何ともぼろぼろなあばら家の薄暗い和室にて、うず高く積まれた白い玉砂利の山で目覚め、むくりと身を起こした。

 と、周囲を見渡そうとして思わずぎょっとした。


 玉砂利の積まれた、こんもりとした山のそばに誰かがちょこんと座っている。


 合掌礼拝(がっしょうらいはい)した格好で正座していて、閉じていた瞳をゆっくりと開き、玉砂利の山に鎮座するこちらと目が合った。


「おぉ……」


 感嘆の声を漏らすのは、本当に年端のいかない少女の姿だった。


 幼い顔立ちには不似合いにも見える大人びた濃い朱の口紅と、目縁(まぶち)に紅をひく目弾(めはじ)きの化粧。

 黒い髪をお団子の形にして左右に結い、白いシニヨンカバーで包んでいて、止め具の赤い結い紐が可愛らしい。


「──目覚めたか、我が最後のシキよ!」


 少女は見た目らしからぬしっかりとした口調でそう語り掛けてきた。


 ゆっくりと立ち上がる少女は、幼稚園か小学生低学年くらいの背格好。

 鮮やかな赤紅色(あかべにいろ)の着物を着ている。


「はわぁっ?!」


 ただ、その見た目の幼さに似合わぬ凛々しい顔が、急に情けないくしゃっとした顔になってどたんと前に転んだ。


 よく見ると、何だか着物の裾がだぶだぶの丈余りで動きにくそうである。

 両手を床に付き、自分の足を恨めしげに見つめつつ、ぐぬぬ、と声を漏らした。


「あ、足が痺れてしもうた……。ちょ、ちょっと待っておくれなのじゃ……」


 よほど長いこと正座でそうしていたのか、着物の少女は生まれたての小鹿みたいに震えながらゆっくり立ち上がった。

 茫然とするみづきにこほん、と仕切り直しの軽い咳払い一つ。


「私の名は、合歓木日和ノ神(ねむのきひよりのかみ)──。長いので日和の部分だけを呼ぶがよいのじゃ! こう見えて創造を司る女神。由緒正しき八百万(やおよろず)の神の一柱よ、えっへん!」


 小さい身体で胸を張って名乗りを上げる。

 自らを神と称す、この怪しげな少女は何者か。


「は? え……?」


 状況が全然理解できず、満足に動かない上体を揺する。

 ようやく頭が回り出し、徐々に記憶の整合が取られてきた。

 しかし、どう考えても話の前後が結びつかない。


 ついさっきまでいた場所、会っていた人たち、やっと踏ん切りを付けて思いを馳せていたこれからのこと。

 あれらはいったいどうなったのだ、と混乱が激しく渦巻く。


「よし、仕上げじゃ。じっとしておるのじゃぞ」


 女神を名乗る少女、日和はそう言うと、爪紅の五指の手をぱんと鳴らして拍手(かしわで)を行った。

 すると、風も無いのに赤紅色の着物の袖がざわざわとひとりでになびき始める。


「うわぁぁぁ!?」


 にわかに周囲の玉砂利が騒ぎ出す。

 驚くこちらにお構いなしで一斉に飛びついてきた。


 玉砂利は一粒一粒がまるで生き物のようにぶつかってくると、なんと身体の中へと次々と吸い込まれていく。


 玉砂利を体内に吸い込めば吸い込むほど、力がどんどんみなぎってきて、不思議な万能感が身体中に満ちてくる。

 そうして白い粒々は姿を消し、足場を失って畳の床にどすんと尻餅をついた。


「うむ、これで完成じゃ。もう平気じゃぞ、自分で立てるじゃろ」


「な、なんだってんだよ……」


 満足げに微笑む女神の少女を怪しく思いながら、呻いて立ち上がる。

 途端、次なる身体の違和感にはっきり気付いた。


「あっ?! 身体が縮んでる……!」


 愕然となって自分の身体を見下ろした。


 元の身長は五尺七寸(170センチ)程度だったことに対し、今の身長は精々五尺三寸(160センチ)あるかどうか。


「それに、なんだこの格好は……?!」


 極め付けは身に付けている衣服だった。


 まるで修験者の法衣だ。

 白の着物に脚絆(きゃはん)地下足袋(じかたび)、山吹色の鈴懸(すずかけ)、赤いぽんぽんの結袈裟(ゆいげさ)

 天狗だ、天狗の格好だ、としきりに思ってしまった。


「いやいや、そんなことよりも──」


 ようやく思い出して──。

 心底がっかりして、心底肩透かしで、心底から嘆いた。


 ぼろぼろの汚れた天井を仰ぎ、うわごとみたいな声が出た。


「ダンジョン攻略は……? 美人のエルフ姉妹は……? 宿の借金返済は……? 俺、勇者だったんじゃないの……?」


 勇者と持てはやされた世界のことを思い出す。

 明日から伝説のダンジョン、パンドラの地下迷宮へと挑み、エルフ美女姉妹との異世界ファンタジー生活を営む予定だった。


 揃って美人の愛嬌ある獣人親娘を助け、借金を肩代わりして悪役のライオン獣人に一泡吹かせてやる人情劇が始まるはずだった。


 それなのに──。


「やっぱり、あれ、夢だったのか……?! そんで、寝起きによくある、二本立ての別の夢が始まったみたいな……!?」


 あんなにやる気になって格好もつけたのに、あれらが全部夢オチだったとはあんまりである。


 そんな馬鹿な、何かの間違いだ。

 そう思うが、あの異世界はもうどこにもない。


 こんなとんでもない夢を見るのは生まれて初めてだ。

 発狂しそうになる頭を抱え、うううぅ、と唸り声をあげるのであった。



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